0061日本@名無史さん
2012/04/14(土) 02:05:40.80先帝は先帝
形式上は、隠岐に流されていた間の後醍醐帝は廃帝/先帝で間違いない。
京都に戻って重祚したと解釈せざるを得ない。
後醍醐帝自身は退位した(させられた)事実を無かったことにして、
重祚ではないと強弁したけど、それは実体を伴っていない、いわばウソ。
まあ、公家社会では、あの重祚(名目上は重祚ではない)によって、
後醍醐帝が再び正式の天皇になってるから、「正統ではない天皇が存在していて不快」と思った公家はいないと思う。
>後村上天皇が正統とされたときでも「南帝」だったんだから
幕府が後村上天皇に帰順した際も、公家社会全体が南朝を受け入れたわけじゃないし。
というかむしろ、公家社会としては、京都を支配している方が正統って感覚では。
後村上帝は入京したっけ?