【妖怪】 土蜘蛛 【国巣】
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やってしまったなw
丹波丹後の酒呑童子、摂津山峡の茨木童子、
あばいてはならぬ秘密を、ここで史書なども紐といて明らかにするのだなwww
た た ら れ て も 知 ら ぬ ぞ 清和源氏 源頼光の四天王
渡辺綱
坂田金時 (金太郎さん)
卜部季武
碓井貞光
酒呑童子および土蜘蛛退治で知られる すいません答えを書きますw
古事記で土蜘蛛は「土雲」と記述されてます。
なんと土と雲ですよ、有り得ませんね
それが日本書紀だとよく知られた土蜘蛛になります
出雲→土雲→土蜘蛛。これが答えです
出雲勢力を倒したと書くと祟りじゃ〜〜〜と恐れられたので
土雲と書いてたのだけど、もっと分かりやすく蔑視して土蜘蛛にしました
こんな感じかと
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真の思考停
(在位 2009年9月16日〜2010年6月8日)
民主朝の初代考停、言行不一致、虚言、脱税、
そして外交において巨大な負の遺産を築いた。 源満仲
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源頼光
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源頼国
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源頼綱 源国房
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源仲政 源光国
|
源頼政
源頼光は、清和流の摂津源氏か。 われらは土蜘蛛一党!断じて柳生に非ず!だめだ…凍える… なんとなくチツグモ、
いやツチグモって妖艶な年増美女ってイメージが。
なんでだろう? >>19
蜘蛛の巣が搦め捕って吸い尽くすってイメージだからな
大きいメスが巣の中央に居て、オスはカスみたいに小さく巣の端に居る
女郎蜘蛛って蜘蛛も居る 日本人ってジッャプとか猿とか言われてもおこんないけど、
〇〇人、と言われると激怒するなあ…… 酒呑童子は、熊襲なのは知っている。
土蜘蛛が長髄彦って事は、安東氏?伊賀氏なのか? 安倍貞任末裔は、安東氏
安倍宗任末裔は、源綱の松浦氏に
皮肉だなぁ… >>24
酒呑童子が熊襲(クマソ)?
殆ど弥五郎どん日向大隈とはつながりがなく
彼は東国との繋がりのほうが強いので蝦夷(エミシ)っぽいのだが。
多分、俘囚となったエミシのリーダーだったのでFA 土蜘蛛と熊襲は別の文化を持ち、別の集団ではないだろうか?
蜘蛛のように洞穴を作って住んでいたから熊襲とは別集団。 柳田はなぜか「山人論」を封じたけど、
多分昭和の頃になっても、
そう言う「まつろわぬ民」の子孫みたいなの、日本の山々に
のこっていたろうなあ。 >>31
スネが長いのが現代北方中国人やキルギス人の骨格的特徴だわな。
土居ヶ浜人みたいな列島新参者だろう >>32
スネは長くはなかったけど、実際に長脛彦が住んでいたとするトコから長身骨格が出土した
ことがあった。で、これで人種論を清野賢次という人が論じたことがあったのだが…
「おまえ、コロボックル説を攻撃するときは、『お話』を科学的調査に利用するなと批判したのに
自分はそれやって良いのかよw」なんて言われたとさ。 >>36
まぁ・・実際、安倍氏に由来する俺の足は、脛長いけどネ・・
>現代北方中国人やキルギス人の骨格的特徴だわな。
島津や天皇家・源氏に流れてる秦の血のせいかと思う。 >>14
各地にみられる来栖、栗栖、小来栖、小栗栖といった地は、国栖、国巣と古書に
記された先住民種族の棲息地だったのやろか?
古事放談 2009.06.06
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2009/06/3-9-99f1.html ちょっとなまっているだろう
登美能那賀須泥毘古(ながすねびこ)
淡海之那珂巢禰毘古(なかすねびこ) 列島に歩いて到達した古代人て氷河期まで遡ってるしw 土・・・つち、つつ
蜘蛛・・・虫扁をとると、知、朱。
朱砂(丹生)を知る者。・・・丹生や鉱山開発に長けた一族。 日向の国の風土記に曰く、臼杵の郡の内、知鋪の郷。天津彦々火瓊々杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲をおしわけて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。
時に、天暗冥く、夜晝別かず、人物道を失い、物の色別き難かりき。
ここに、土蜘蛛、名を大鉏(おおくわ)・小鉏(をくわ)と曰うも の二人ありて、奏言ししく、
『皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ』とまおしき。 近畿にしても、九州にしても、この時期は稲作が普及しており、かなり同質的な社会になってる。
だから、土蜘蛛と記載し、原住民ぽく思わせようとするのは、大和政権が侵略をするにあたり、その侵略に正統性をもたせるための作為なんだよ。 同感だな。
景行天皇は、土蜘蛛や荒ぶる神を退治したのちに、地名をつけているが、これは、魏志倭人伝に出てくる国名を別の地名に置き換えている可能性がある。 >朝廷を敵に回した連中ってことか?
一寸違う。折口が指摘しているように、そうしたイメージは歌舞伎や能による征服された先住民的意味合いが刷り込まれたにすぎない。
「景行天皇紀」にある八女県八女津媛のように民心を掴んで安んでいる場合は誅殺の対象とはならない。
(巡幸ではないが「神武紀」の)吉野の国栖のように国つ神の末裔や、天皇巡幸で存在を保証された土蜘蛛も『風土記』には散見する。 >>28
土蜘蛛も国巣も、農耕民大和朝廷に迫害された先住縄文人の一派でしょう。
44 :日本@名無史さん:2013/01/02(水) NY:AN:NY.AN
だって、元々は縄文人差別だもん。
【五色の賤・近世部落】賤民【穢多非人・雑種賎民】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1331286664/-44 まったくだ
記紀や逸文に書いてあることなんか無視すべきなんだよ
重要なことは倭猿は差別する卑しい民族だということ
そして常に差別差別と言い続けること
それによって収入を得ている方々のことを僕たちは忘れちゃいけないよ
そして永遠に謝罪と反省を繰り返し、これまで差別してきた人たちにお金をあげ続けるべきなんだ
記紀や逸文を読めとか言ってくる奴、本当にうざいよね>>59 土蜘蛛って、朝廷と関係を結んでいない豪族だろう?
土豪ぐらいの意味だと思う。 神武天皇東征伝説A(古事記、第十九話)
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu63.html
土蜘蛛の正体
吉野首は吉野の氏族。「尾の生えた人」というのは、
吉野地方の木こりが尾のように見える毛皮をつける習慣があり、
それを「尾の生えた人」と表現したものと思われる 先代旧事本紀大成経だと神武天皇に尾が生えてるのにな 朝廷(朝の庭)で行われていた日の出を拝む儀式。人々は、四つん這いになって匍匐で集まってきたとされています。
三輪山を望む大神神社で行われていたという朝廷の由来になっているこの儀式は、大化の改新まで続いていたという。
唐や新羅の先進文化を取り入れて、朝廷の儀式は大和朝廷では行われなくなったけれど、
この儀式を続けているまつろわぬ者どもは各地にいて、ヤマトタケル伝説に見られるように征伐の対象となったのだろう。 >四つん這いになって匍匐で
四つん這いと匍匐は違うんだけど?
三輪山が蛇神なので匍匐というのは聞いた事あるが
四つん這いのソースあるの? >>65
先進文化というよりも、中国方式を取り入れないと
国際的に認められないってことだろう?
この時代、活発的に中国と外交するようになって
政治的に有利な方向にもっていこうと思えば、中国に認められるしかないから。 >>66
そんなの言葉だけの問題なろう?
朝廷と同じようなものは、古今東西どこでもある。 その朝廷の儀式自体、弥生人に中国から持ち込まれた風習だし、
鳥居と一緒に、江南地方から入ってきたのではないだろうか? 北朝鮮のキム先生の「分国論」的にいえば伽耶の渡来人ヤマトタケルが新羅からの亡命勢力出雲(=土雲=土蜘蛛)にやられただけの話ね
ちなみに出雲(=新羅)のスサノオ(=昔脱解)を悩ませたヤマタノオロチとはあまたのオロチ族という意味で一般的に高句麗のことをいうんだよ
熊襲の話もあるけど長くなるので次のきかいにね 出雲=土蜘蛛説に賛成。
ヤマトタケルが土蜘蛛退治をしたという土地は出雲の支配地と重なる。 ヤマトタケルは日本列島にいた土蜘蛛(出雲=新羅)と熊襲(=百済)をやっつけたんだよ
そのヤマトタケルも実は崇神王朝(伽耶=任那)の末裔なんです
ちなみにヤマタノオロチ(=数多のオロチ族=沃沮=高句麗)は土蜘蛛=出雲=新羅のスサノオに撃退されました 要するに、安倍氏・武内宿禰・那須国造氏の祖・大彦命の父までの欠史八代までの天皇家とは、新羅以前の倭王王朝系譜からの継続皇統と言うことか・・
神武が日本へ渡り・弟の稲飯命が新羅を建国。
八百万の神々が祭られた最古の神社の全てが半島新羅系だからね。
後期渡来の半島百済・高句麗系は、ただの氏神神社だしね。 半島の魏の百済・高句麗系が神道の八百万の神々を祭るとすると・・漢人の祖、盤古神で国之常立神を祭るしかないな・・。 >>75-76
さすが妄想で生きるコリアンw
スサノオは新羅に上陸したけど、こんな土地最悪・・・と言って日本に来て種を蒔いた神だよ
新羅が出て来るのはこれのみ
もちろんアマテラスも新羅高句麗は完全無視全然無視 >>72
前方後円墳や四隅突出墳のルーツが北朝鮮にあるという話しはどうなった?
恥ずかしくて言えない?
そりゃそうだろうw 周国時代以前の渡来の話だろう。
稲飯命が新羅建国としているのは、新羅時代の人間の言い伝えだからと同じ事。
出雲大社
出石神社
伏見稲荷大社など、又
全国の各分社の
秦神社
韓人神社
八幡神社
賀茂神社
新羅神社などは
各時代の新羅国の関わる神社の存在は
新羅辺りから渡来が来た足跡なのは
神社の宮司・宮内庁・神道・天皇が認めている史実。
八百万の神々や山岳信仰は、新羅からの伝来信仰。
稲飯命が新羅建国としているのは、新羅時代の人間の言い伝えだからだ。
社家の人間のレスにも、そうやって無知な屁理屈唱えてそうだな・・罰あたりだわぁ・・ >>76
>半島の魏の百済・高句麗系が神道の八百万の・・・・・・・・・
魏の領内に住む百済・高句麗系移民が、日本列島のどこかに渡来し
八百万神を祀る神社を創建したというの?その根拠は何なの? >>81
ワザとらしく一部注釈して逆解釈捏造止めよ。
高句麗や百済渡来は人の世の時代。
八百万神を祀る神社を創建した最初の渡来は、新羅経由の渡来。
新羅連合国家の新羅建国(実際は周代の韓の支配層)の祖の神武の兄、稲飯命で後の倭人の昔氏。
日本へ渡来したのは、神武前後で、大規模の渡来勢力が先住と勢力争いをしたのは、孝霊・孝元・開化・崇神天皇の時代。
神社は、大規模渡来勢力の支配地の証と、連合国の渡来のどの民族の支配地かの目印・・渡来キャンプ地=ランドマーク。
八百万の神々は、倭人の神話伝承の神々と氏神の渡来神=天津神と支配した民の神々や氏神の土着神=国津神の合祀。 >>81
古くは、天照大神や素戔嗚尊兄弟の様に、周代の王の時代に韓の街=後の新羅国経由の渡来神の辿った道を倭人や徐福秦氏が辿って日本へ来た。
徐福秦氏は、秦の始皇帝の命令で渡来。
おそらく、天照大神や素戔嗚尊辺りも、周代の自らの高天原の支配層の命で渡来した神々。
高天原は、中国の周代に在った倭人に連なる権力者層居た場所。
秦の始皇帝の祖先かもしれないし、はたまた、秦国の親国の周国自体かもしれないし、周代の何処かの倭人連合国家を高天原と呼んでいたのかもしれない・・。 >>4
記紀・風土記に記された大和王権側にとっての異民族には、以下呼称が
あるが、それぞれ如何なる違いがあるのだろ?
土蜘蛛・土雲 国巣 国津神 蝦夷 隼人 >>84
国巣は、下記表記もされる。
国樔、国栖、国主、国津、来栖、栗栖、楠、久須、葛 クモ、、、上代〜古代に於いて敵対、不服従の勢力等を卑下して言った。
イズモ(厳神(イズモ)を信奉する勢力)に出雲を宛てるのも(多分)その一端。
天叢雲剣は天村雲命(神武天皇)が征討将軍として父親の天の香語山命と共に各地を転戦なさり平定。国がなってやがて推戴され倭大国主命(ヤマトの初代大王に登極なさった)際に御佩き坐せる尊き剣。
故に直系子孫(本宗家)の尾張氏(海部氏と同族)の熱田神宮に保管され、奉斎される。
皇室やヤマト朝廷の祖先ながら非常に都合が悪い存在(天皇家は傍系だった。後に簒奪した)
故に『クモ』が付与される?
スサノオの尊。と言ってもヨロシ。 クズ、、、クモと同じく敵対不服従な者どもを卑下して言った。
元々は葛(葛城族、、、葛は龍蛇神のトーテム(シンボル)。出雲族)
葛にクズ(クス)を宛てた?、、、あいつらはクズだ! まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり >>48
神武天皇即位前紀で、長脛彦が倒された次の段で大和盆地居住の以下の
土蜘蛛首長が、誅滅されますね。長脛彦敗北後も敵対したのだろうか?
戸畔は、紀伊の名草戸畔同様に女酋長。祝は、祭祀者。
新城戸畔(ニヒキトベ)
居勢祝(コセノハフリ)
猪祝(ヰノハフリ)
それぞれ以下の地に居住していたらしい。
層富(そほの)県の波多丘岬(はたのおかさき)・・・・奈良市五条町
但し新城は、大和郡山市新木町
和珥(わに)の坂下(さかもと)・・・・・・・・・・・天理市和邇町
臍見(ほそみ)の長柄丘岬(ながらのおかさき)・・・・天理市名柄町 >>87
>クモ、、、上代〜古代に於いて敵対、不服従・・・・・・・・・・・・・
『肥前国風土記』彼杵郡条には、彼杵郡周賀郷の欝比袁麻呂(うつひおまろ)という
土蜘蛛が、神功皇后一行の難破した軍船を救助したと記事があるがね。前後段に
敵対・不服従記事も非友好姿勢記事もない。
土蜘蛛と蔑称呼ばわりだのに、「袁麻呂」なんていう和風の名が、怪訝だが。
有土蜘蛛 石欝比袁麻呂 丞済其船 因名曰救郷 今謂周賀郷・・・・・・・・ >>58
>天皇巡幸で存在を保証された土蜘蛛も『風土記』には散見・・・・・・・・・・・・
何々某國『風土記』に記された何々天皇巡幸時の何々という土蜘蛛のことなの? 熊襲と隼人と蝦夷は三者三様に別々のものだろうが
国栖と土蜘蛛は同じものだろうな >>73
『陸奥国風土記』逸文に記されたこの陸奥国八槻郷も、出雲の支配地
だったとおっしゃるのかね?
「日本武尊に詔して土知朱(つちくも)を征討たしむ。土知朱等力を合せて
防禦ぐ。また津軽の蝦夷と謀り、許多くの猪鹿(さつ)弓・猪鹿矢を
石城に連ね張りて官兵を射れば、官兵進歩むこと能わず。日本武尊、
槻(つき)弓・槻矢を執り執らして七発に発ち八発に発つ・・・・・・・・・・・」 まだあったの?
『聖化 日神 日霊』
↑普通に考えるとツチグモでしょ 日本にはナガスネ神を祀った荒覇吐神社というものがある。
脛の長い白人系の体格をしていたようだ。
これが大和朝廷の言う土蜘蛛ではないだろうか? 「おはよー!」
「おっおっおっ、おはようっ」
(驚いた顔をする)
「馬鹿にしたな?今馬鹿にしたな?この弥生人が!」
(うわ、近づかない方がいいな・・・) 87はテヨン系テヨン?
何で日本史に発生してんの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています