武家政権時代の公家、朝廷について語るスレ
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鎌倉〜江戸時代と主に歴史は武家によって作られました。
歴史に疎い人間の中では朝廷は無い物として認識されていますが
厳然として存在した公家、朝廷について何でも語り合いましょう^^
>>210
偉いとか偉くないとかいう問題じゃない気が。
戦のない時代の江戸時代の武士より米作ってる百姓のほうが偉いかもしれんし。
政務もとれない自閉症の将軍よりも百姓のほうが偉いかもしれん。 >>212
右翼思想なら公家は天皇の次に立派な職業だよね
>>213
天皇、公家、武士どれも俺の前では平等に価値がない!
そびえ立つ糞のようだ >>181
ちなみに兵農分離はあくまで江戸期に入ってからの現象。戦国期の兵農分離というのは単なる勘違いだわ >>181は戦国期に兵農分離されたなんて一言も言ってないと思うが
勝手に相手を自分の仮想敵と勘違いして叩くなよ
恥ずかしい奴だな 一度断絶した鷹司家が復活したのも、
足利将軍か織田信長あたりの意向なんですか? >>221
鷹司家の所領はそのまま残っていたので
養子を迎えて復活させただけのことでしょう
鷹司忠冬が没し断絶した後所領が没収されるという
ことは起こりませんでしたから 残り四摂家としては
鷹司家が断絶してくれたままなら
ライバルが減ってよさそうだわん >>223
むしろ残り四摂家は自分のところの子息を鷹司家の養子にしようと必死だよ
家督を継げない男子は出家させるしかなかったから
五摂家のどこかが断絶すれば自分の血筋でほかの摂家を独占しようとした
九条の子弟が取り立てられることで清華として両度にわたり再興した松殿家もすぐに断絶→1000石の所領は九条の物に…
ってどんな裏技だよって話だが何故九条だけが松殿再興に熱心だったのか
両家の初代は同母兄弟でもないのだから近衛にも機会はあったはずなのに…
また九条は維新後も分家として(明らかに松殿の名を意識した)松園家などを立てている
それに再興そのものが二度も許されたのも謎 >>226
江戸時代に松殿家が再興された時の将軍は徳川家光
松殿道房の母は家光の異父姉豊臣完子(関白九条幸家北政所)だったから
将軍の御身内として特別に認められたものなんじゃないのか
明治維新後は家督を継げない男子が未婚出家する慣習がなくなったため
他の家でも分家を起こしているよね 松殿は政治的にはアレだったけど、
基房が摂関家の故実を完成させたという事実は近衛・九条家でも認められていた事実。 長崎円喜
「恐れながら、それを申さば都の公家衆は如何でございます。
我ら武家よりもさらに広大な土地を有し、官の長を一手に独り占めしております。
その公家ばらが北条を出過ぎた者よと逆恨み致し悪党共を唆してのこの騒ぎにございます。
高資をお責めになる前に悪党・楠木をその楠木を操る公家や先帝をお責めになるべきかと存じまする」 福原遷都のとき、公家のみなさんも引っ越そうとしたの? 日本の男には自我が無いんだよな
女からATMにされるだけの単なるロボット
それで良いと甘んじているし、状況を認識するだけの自我も無い
情けないと叩かれてもヘラヘラ
繁華街の九割が女向けの店でもヘラヘラ
金が使えなくてもヘラヘラ
自殺に追い込まれてもヘラヘラ
んで女の子大好きフェミニズム最高!過労死最高!
自殺最高!女性専用車最高!とヘラヘラヘラヘラ
もうええわ 源頼朝が政権樹立して以降、建武の新政期以外はずっと武家政権なんだよな
公家、やること無し わいろをもらって任官の斡旋とか、貧乏なだけに忙しいよな >>209
同感。ただ所謂蹴鞠とかそういうものだけでなく、色々な特権というものがあったみたいだね。もっとも
そんな特権を有する公家自体ごく一部なんだが。
摂家筆頭近衛家では、領地からの収入二千石他領地伊丹の酒造組合からの運上金が毎年2,000両あっ
たそうだし、その他油等も献上されていて、将軍家や島津家等大藩からのお手伝いで潤っていた。
公家社会の中で一番金持ちだった清華家の村上源氏久我家。当道座、つまり盲人による実質金貸集団の
官位の任命や寺社奉行の手前の採決権等管領権による支配による財産、そしてそれに基づく武家や商家
への金貸しで莫大な財産を保有している。
それ以外にも、暦道や全国の陰陽祈祷の免許を交付する権利を有する土御門家や、神社の支配権を有し
ている吉田家等はかなり裕福だったみたいだよ。 >>241
御三家、御三卿と同じ。血統のプールだろう。
頑張って子孫を残すのが最大の仕事かな。 親王家とは言っても、宮中席次は関白>准三宮>太政大臣>左大臣>右大臣
そして、やっと親王だ。清華の右大臣より下なんだから、
光格天皇の嘆きも分かろうと言うものだ。 >>244
だから家康は秀忠の血統が絶えるのを心配して御三家を創設させたんだろう。
つまり、将軍予備としての血統を絶やさない事が御三家の仕事。
御三卿は吉宗が、自分の子孫で将軍職を独占しょうとして、
独立させずに身内と言う存在で、御三家に対抗しただけ。
御三家は独立した大名とは言っても、大老や老中になって仕事をする訳でもなし、
譜代大名や、中世以降からの地生えの外様大名とは存在意義が違うんだよ。
親王家も家禄を貰って独立しているからね。理解できた? >>245
御三家は水戸・紀伊・尾張と国を与えられて藩主としての仕事があったよ。
将軍の御身内として時には将軍に直接意見することもあった。
大老や老中は純粋な家臣である譜代大名の仕事だろ。
御三卿こそ江戸城内に屋敷を貰って住み、藩主としての仕事すらなく、
将軍家が絶えた時に御三家より優先して将軍を出すだけの家だった。 >>246
大名なんだから領国を経営してゆくという仕事は当たり前でしょう。
じゃなくて、そもそもの立藩のき経緯を言っている訳。
大名に付随した諸々の立場があるのは当然だが、
一番重要なのは将軍職を継ぐ資格を有している事、つまりは血統のプールだ。
だからこそ尾紀両家は将軍世子と同じ従二位権大納言の官位を持っている。 >>245
譜代はともかくとして、外様は「大老や老中になって仕事を云々」
そのものだろ? >>248
外様大名の老中も何にかいるし、若年寄や寺社奉行クラスにも外様大名はいる。
一番有名なのは真田幸貫だろう。まあ幸貫の場合は楽翁の息子と言う事で、
水野忠邦が改革の権威付けに抜擢したようだが。 何にか=何人かの間違い。失礼した。
それに、ここは公家・朝廷を語るスレだよね。 >>241
どうでしょうね〜 天皇や朝廷と違い、>>242さんの言うとおり血統のプールだけですから特に
仕事というものがなかったのでは無いでしょうか? 私が例に上げた摂家筆頭の近衛家も、結局
の所領地運営の収入ですからね。もちろん酒造商家の運上金も含めて。
ただ婚姻関係におけるお手伝収入は多かったのでは無いでしょうか? 近衛家のお手伝では、
『看聞秘鈔』によると基熈公は宝永二年に江戸を下向する時、天英院から二千両の支度金が送ら
れているそうですし、天英院の弟家熈公が太政大臣に就任して以降は内々で毎年三百両送られてい
るそうです。
その他、島津家からも毎年二百石・五百両が送られている他、津軽家からも千石クラスが送られて
いるそうです。
それを考えると婚姻関係があればそこそこの収入があったのかも知れません。
以下のページが詳しいです。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=29579
>>246さん
私も>>245さん・>>247さんの意見と同意見です。ようは家康と吉宗の方法の違い、つまり血統の
プールをおこなう方法が藩主として各地に配置して仕事をさせるか? それとも御三卿として捨扶持
を与えて江戸に置いておくか? ただそれだけの違いだと思います。 >中世以降からの地生えの外様大名
大藩だと島津以外にだれがいるんだよ? >>247
徳川将軍はたまたま頻繁に絶えて(徳川将軍15人中4人は子無し)
御三家や御三卿に出番が回ってきたものの普通は滅多なことでは廻ってこない。
家康一人で男子10人作ったんだから、家光あたりが男子10人作れば御三家が将軍になる可能性ほとんどなし。
御三家に求められたのは親藩大名としての領国経営(江戸への守り)であって
血筋は本家が守っていれば問題なし。
ただし領国すら与えられなかった御三卿になると、明らかに
これからも将軍が頻繁に絶える可能性があるとみられて作られたんだと思うけどね。 家光がホモになるとは、さすがの東照大権現でも予測不可能だった。
御三卿成立のころは、尾張家では成人する方が圧倒的に珍しいという惨状。
家斉・家慶の子息もバタバタ死んでる。 >>254
論旨が変だし、矛盾しているぞ。日本語の勉強の必要ありだな。
「血筋は本家が守っていれば問題なし」と言いながら、
「徳川将軍はたまたま頻繁(この言い方もおかしい)に絶えて」とはどう?
頻繁に絶えて本家が守れないから問題があるんだろう。
「普通は滅多なことでは廻ってこない」と言うが、頻繁に絶えたから
頻繁に廻って来たんだろう。違うのか?
家康が男子を10人(正確には11人)作ったと言うが、まともに育ったのは5人。
しかも秀康系に継承権が無いとすれば4人だ。人生50年と言われていた当時、
生存率は現代とは比べものにはならない。
その上、秀忠は正妻に頭が上がらず、男子はたった2人(正之は論外)なのに
竹千代派と国松派に分かれての家督争いだ。家康ならずとも行く末は心配になる。
だから家康は血統のプールの必要性を人一倍感じていたはずだ。
幸い、義直・頼宣・頼房の3人は秀忠と年齢も離れており、継承権を争う可能性も低く、
安心して血統予備軍としての地位を与えたのだろう。
ただ、江戸や将軍家への藩屏としての領国経営も重要だつた事は言うまでもない。 >>256
家康が、秀忠系は間違いなく絶える、だから弟たちから将軍出せ
と遺言した記述もないのにえらい長文頭爆発だなw
ちなみに水戸家が徳川を名乗ることを許されたのは家康も秀忠も没した
随分後の話だしw
全然知らないみたいだけど、頭大丈夫? だれか松平忠輝のことも思い出して上げてください。
将軍綱吉の時代まで生きてたんだよ。 >>257
どこに秀忠系は間違いなく絶えるからなんて書いてある?
結局忠長は兄に誅され、家光一人になった時点で秀忠系が絶える可能性はあった。
二人の幼少期に家督争いの萌芽を見た家康はだから行く末を心配したと書いたんだ。
それと誰が水戸家が徳川を名乗った時期を言った?
称号は松平であったとしても、頼房も慶長年間には20数万石で水戸に封じられて、
血統予備軍としての地位は与えられている。
お前こそ頭大丈夫か?バカはバカらしくおとなしくしていろよ。
>>258
まともに育ったと言うのは長生きした事じゃない。
領国経営の出きる将軍や大名として子孫を残し、生涯を全う出来た者と言う意味だよ。 >>259
松平はたくさんいるよ、家康は異父弟や娘の孫にまで松平を与えてたしね。
松平を名乗って水戸に封じられれば将軍になる権利を与えられたって馬鹿かw
忠長が自害させられたのも家康没後だろう、時系列が無茶苦茶だ。
家康は忠長が殺されるのを見越していたというお馬鹿な回答だが、
それならさっさと忠長を祖父の手で壊滅させればいいわけで、生かしている時点で
忠長を家光に男子ができなかった場合の有力な血のスペアとみていたことで間違いない。
スレチの駄文を長々長文投稿する頭のおかしさだから仕方ないが。
他人を巻き添えにするのもいい加減にしろ。 松平といっても、久松系や娘の孫や歴代分家の十八(だったかな?)松平と実子の
頼房では立場が全然違うと思いますよ。
家康に確立した御三家構想があったかどうかは分かりませんが、子供達のうち、
出来のよさそうな末の3人に、東西の外様大名への押さえとして大封を与えて
藩屏とすると同時に、>>259さんがいうように血統のプールの役目も担なわせた
んじゃないでしょうか。
忠長の事も、殺されるのを見越してと言っておられますが、そんな風には書いてないと思いますよ。
出来の悪い(と言われていた)兄と出来の良い(同)弟をそれぞれ応援する重臣がいて、
しかも両親は弟を気に入っている(同)となると、将軍職を末代まで続く事をあれだけ
執念深く願った家康とすれば、限りなく不安ではなかったでしょうか。
勿論忠長も有力な血のスペアであると思いますが、あのような立場の兄弟の関係は、
お互い他人以上に憎みあう立場になる可能性が大で、家康もそこを心配したのではないでしょうか。 半端な知識でスレ違いな話題を必死に語るスレですか?
あっちへ逝ってください >>262
結城秀康(晩年に松平に戻っている)は尾張・紀伊・水戸より大封を得ていた
ということでお前さんの話だと松平を許されただけの水戸家より将軍に近かったと言える
簡単に論破されたな
どっちにしろスレチな >>265
秀康は出生時の問題もあり、秀吉の養子に、また結城家の養子となり、
将軍レースから早くに脱落。未来の跡継ぎなら、信康亡き後二男の秀康を
他家に養子になんか出さない。松平に復しても越前系は問題外。
簡単に論破されたな。 >>266
・松平を名乗っている(秀康・家康の異父弟・家康の女孫も名乗ってるが?)
・大封を得ている(秀康のほうが多い)
お前が家康が水戸を将軍スペアと決めていた
根拠として挙げた内容は完全に論破されているのにこっちは無視かw
所詮wikiレベルの頭だからな。
論破された内容についてはスルーを決め込み。
それにスレチだと言っているのに書き続ける無能w .
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糞スレ終了^^
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. 戦国時代までは座の管理や関所収入といった商業からの収入があったけど
武士層が楽市楽座、関所の撤廃を推し進め、商業すらも武士に押さえられてしまった 江戸時代の天皇が短命すぎた。
若くして上皇になってすぐ崩御の繰り返し。 平安時代の天皇も10代〜30代で死んでるのが多いし
もともと昔の人の寿命ってそんなもんじゃね?
ちなみに歴代天皇で長寿なのは(軒並み100歳以上の13代成務以前を除く)
1番は昭和天皇だが、2番目は江戸時代の後水尾天皇。 法皇か上皇がだれか残っているか、
摂関家などの強力な後ろ盾があればいいけど、
江戸時代中期以降の天皇は、それらがいないね。 >>276
どの天皇のことを言ってるのか知らんが
摂家は五つに分かれていたお蔭で結構長老がいるぞ
江戸時代末期に30年間も関白やってた鷹司政通(享年80歳)とか
幕末に姻戚である薩摩藩に便宜を図ってた関白近衛忠煕(享年91歳)とか 鷹司政通は天皇の意思を無視してるじゃん
尊号事件とか >>278
尊号事件の時の鷹司家当主は政通の祖父だろ
政通は尊号事件のときわずか2歳だぞ
光格天皇は傍系相続の異端者だったんだよ
後桃園天皇を実父と公称する約束で帝位についたのに
血縁上の父である閑院宮典仁親王を天皇の父として敬えと要求したり
朝廷を守るということは天皇の言いつけを必ず守るということではない
朝廷の立場を危うくするなら天皇をいさめなければならないことも多いから >>237
こんな小学生レベルの武家中心史観の馬鹿がこの板に居たのが嗤う 3カ月以上前のレスにアンカー付けてるやつも相当なレベルだろw 今出川家って清華家の西園寺家の分家なのに五摂家の鷹司家より家禄が上だけど
力関係はどっちが上? >>283
もちろん摂家である鷹司家の方が上。
家禄は関係ない。 >>281
過疎板の過疎スレで何言ってんだこの馬鹿 秀吉に関白の座を明け渡した時も無念だったろうが
仮冒源氏の徳川家から偏諱を受ける二条家の当主は
どんな気持ちだったんだろうな 平安時代以来の摂関職を廃止した
明治政府への恨みが一番大きいのではないかな >>288
明治政府は公家も華族として厚遇した
摂家は公爵になって収入も安定したから文句なかったんじゃないか
戦後平民に落とされたのが一番答えただろう 家の創立から代々、日本社会において一定の階層にいた公家が
1947年5月に全家がいきなり下層の平民になって何とも言えない気分……と思う 仮に、関ヶ原で西軍が皇族のお墨付きを得て官軍になってたら、東軍は負けたのだろうか? 朝廷と言ったって、当時の家康は菊亭に次ぐ序列第二位なのだが(前官除く) 関ヶ原で西軍が官軍になるという発想がわからん
秀頼に弓を引いたわけでもないし、家康が内大臣だし、なんだかなあ >289
公家華族はあまり財産がなかったので
金持ちの大名華族や財閥家族と姻戚関係を結んで体裁を保っていたのでは 今からでも遅くないから、堂上家については相応の官位を与えて、
外交使節の接遇や儀典の進行を司る政府職員を世襲させたほうがいいと思う。
諸外国の使節も、大納言や参議のような公卿から接遇を受けたほうが、
有難味を感じるだろう。 >>294
公家華族と大名華族で収入が違ったわけではない(爵位による違いはある)
大名と言えども辞官納地で江戸時代の蓄えは明治時代に引き継がれなかったのだから
江戸時代の公家と大名の収入格差が明治時代にもそのまま持ち越されたというのは間違い
財閥系とは旧公家も旧大名も姻戚関係持ってるだろ
財閥系は華族に取り立てられていったし基本的に華族は華族同士で結婚するし でも、明治初期に徳大寺家から住友に養子が行ったというのはある意味ミステリーだな。 >>297
前田や蜂須賀、紀州が大富豪華族だったと聞いたことはあるけど公家華族が富豪だとは
聞いたことは無いな。
大藩大名華族の場合、藩の財政とは別に相当な家産があったんじゃないのか? 今の世の中でも、堂上家はそれぞれの家格に応じて、皇室の藩屏としての
役割をしっかり果たしてほしい。
堂上家に限って、摂関・参議などの官位を認めてもよいのではないか。 >>299
土地や建物、コレクションなんか多かったもんね。
大大名の末裔がそういう土地で不動産、ディベロッパー、ゴルフ場経営などなどやってるな
伊達家のようにコレクションにかかる相続税が払えずに売り払って散逸させたケースもあるけど
その点公家華族は家に伝わるものしか財産と呼べるようなものは持ってなかったからな。 >297
明治期に領地の返上と引き換えに債権が支給されたので
江戸期に大きな大名だったところは多額の債権を手にしたから
裕福だったのだろう。旧公家は江戸時代の禄が少なかったので
あまり財産はなかった。 訂正
明治初期に旧大名や旧公家は家禄におうじて金禄公債という債権を受けとったが
家禄の大きかった大きな旧大名は多額の債権を受け取ったけれど
家禄の少ない公家は受け取った債権の額が小さかったので
それほど資産はなかったということだな 連投スマン
その明治初期の家禄は江戸時代の石高で決まった。
だから江戸時代の石高と明治以降の保有資産の額には連続性があるということ 皇大神宮の遷御で旧皇族とともに五摂家当主と徳川宗家当主が参列していて
ちょっと感動した。 >>308
映像ではわからんけど、神宮の遷御配信で解説者が言ってる。 ありがとう。
今見てみました。
旧宮家の紹介の中で「島津家」と言ってるのはなんだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています