【貴族】保元・平治・治承の動乱【没落】
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>>15
頼長の妻子は皆殺しになっているから、頼長は確実に処刑だろう。
それも、ただの処刑では済まない。車裂き、鋸引きクラスの酷刑が
待っていただろう。 (参考:頼長を自殺に追い込んで自分だけ助かろうとした藤原忠実は
鋸引きの刑で処刑されている。) >>357
>頼長の妻子は皆殺しになっている
頼長の死後、長男の師長・次男の兼長・三男の隆長・四男の範長はみな配流となり、師長を除く3名は
それぞれの配所にて死去した[注釈 9]。唯一生き残って都に戻ることが出来た師長は、後に太政大臣に
まで昇進するものの、今度は平清盛によって再び配流される波乱の生涯を送っている。
皆殺しどころか太政大臣になってる。
>>358
>藤原忠実は鋸引きの刑で処刑されている。)
忠実は高齢と忠通の奔走もあって罪名宣下を免れるが、洛北知足院に幽閉の身となった。
処刑されてないし、公家に鋸引きはない。武家の源為義とかでも斬首なのに。 武士に対する処罰は厳しく、薬子の変を最後に公的には行われていなかった死刑が復活し、
28日に忠正が、30日に為義と家弘が一族もろとも斬首された。死刑の復活には疑問の声も
上がったが(『愚管抄』)、『法曹類林』を著すほどの法知識を持った信西の裁断に反論できる
者はいなかった。貴族は流罪となり、8月3日にそれぞれの配流先へ下っていった。ただ一人逃亡
していた為朝も、8月26日、近江に潜伏していたところを源重貞に捕らえられる。『保元物語』に
よれば武勇を惜しまれて減刑され、伊豆大島に配流されたという。
死刑自体が300年ぶりの復活で反対する声も多かった。武士は死刑でも貴族は流罪にとどまった。
死刑を強く主張した信西は平治の乱で晒し首になった。自業自得である。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
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SY7 皆様詳しいですね
そこで質問ですが
平家について知る上でいい書籍などがありましたら教えて頂けますでしょうヵ 平安末期の保元の乱、平治の乱の勉強をしたが、日本の内乱、政争のパターンは全部同じ >>360
貴族も徹底的に殺されたよ、保元の乱
崇徳上皇:自身は相模に配流。妻子は上皇の目の前で焼き殺される。
藤原頼長:死体は車裂きの刑+妻子皆殺し。
藤原忠実:首謀者として鋸引きの刑。息子忠通の除名嘆願も門前払い。
平忠正:自身、妻子皆殺し。
平家弘:三族皆殺し
源為義:義朝の系譜を除き、妻子、孫に至るまで皆殺し
その他、上皇方の公家、武家:悉く三族皆殺し
平治の乱
藤原信頼:首謀者として車裂きの刑+三族皆殺し
なお、一族で逃げたお尋ね者藤原基成は、29年後源頼朝の手で捕らえられ
引き渡され、一族すべて処刑されたのちに車裂きの刑。
源光保:三族皆殺し
源義朝:三族皆殺し・・・・にすべきだったが、しなかったので後で酷い目に。 なお、保元の乱では、「宗族を亡ぼすもの、100余家」と言われた。
ここで生じた著しい人材不足も、平家の官位独占の大きな要因となっている。 ガースー「強盗トラブルでアベコロナが大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ」 おてもやん「聖火リレーでドンチャン騒ぎ
五輪コロナが大拡散や」 ゴッシーしか勝たんみたいな感じでワクチン接種推し進めてるけど上皇勝ったらどうすんの日本人滅亡しちゃうよ
どっちが正解でもいいように半分はワクチン接種してない人を残しておいた方がいいんじゃないの
865年前より日本人が劣化してる気がするわ 多田源氏のその後を追った書籍などはあるのでしょうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています