上記は一部重複 つづき

では、今の神社にあたるものはなかったのかというと、それはあった。
神仏分離後のように厳密に神だけを祀っていたところは無いだろうが、神社と
いえるようなものはあった。
しかし、そういうものは独立してやっていけるわけではなかった。
何故かというと、神様に拝んでもらって金を払う人間などいなかったからだ。
神社など商売にならなかった。金にならないから神社を残すには寺と一緒にして
寺の管理で何とか存続させるしかなかった。
一方、寺は金がかかった。言い方を変えると僧は稼げたのだ。
僧が護摩や祈祷をし、神様が祀ってあるなら神の前で経を唱える。そういうことを
有り難がって人々はお布施をはずんだのであって、神主に金を払うような物好きな人間は
いなかった。

神社だけというのは食えないから、神主は百姓をやっていた。あるいは大工とか。
祭礼のときだけ神主の格好をして祝詞をあげたりした。
神主というのはボランティアのようなものだった。村の鎮守などはこうして守られてきたのだ。
神主をやるのは村の中の役割分担の結果であった。名主などがやることも多かった。
神主の装束も、現在は神社庁の規定もあり整っているが、昔の神社の神主などが着て
いたのは三河万歳みたいなものだった。
神社単独では、こういう形でしか存続できなかった。