平氏について、群書類従や大乗院の記述に、
「異国人が京都の一角にいて貿易を行っているが、ことごとく平の姓を名乗っている」
と書かれてるんですよね。

また上宮聖徳法王帝説に、聖徳太子の母の名を穴穂部間人といい、
間人とは当時ペルシャなどのアーリア系を指すものだそうですよ。

で、源氏は平より諸族といいますか、グループが多く、多岐にわたるのに、
庶流や傍流などと称するものがあれほどいて、
なぜ渡来系がいないといえるのか?
源姓は渡来人にとって都合のいい呼び名として用いられててもおかしくないはず。

実際源氏、特に清和系の長者は肉親だらけで殺戮の嵐。
これは渡来系などの仮冒がおおく含まれていたと考えるほうが自然ではないのでしょうか?