漢文としてひどい文章である事が、もともとは純粋な口承だった事を示している。
記紀から判断するに神話伝承の最盛期は5世紀だろう。当時の日本語は漢文とは無関係に発達したものであり、そんな日本語だからこそ漢文に上手く翻訳出来ない。
雄略紀以降の文章が漢文として整っているとすれば、それはむしろ日本語伝承が衰退し次第に漢文が日本語世界を浸食し始めたからだろう。
実際日本書紀において漢文世界とは違う日本的な伝承は6世紀が近づくと減少する。古事記では本文自体が無くなり系図だけになる。