日本書紀の「日本」とはまさしく百済のこと
日本書紀は日本列島の歴史書にあらず百済(古代朝鮮半島)の歴史書
このことは百済三書を引用して編纂されていることがなによりの証左

百済人祢軍墓誌
于時日本餘[口へんに焦]、據扶桑以逋誅、風谷遺氓、負盤桃而阻固

百済 王 漂 着 伝承を持つ宮崎県南郷村の神 門(みかど)神社に伝わる綾布 墨書に「帝皇」という表記があり
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/mikadojinjya/mikadojinjya.htm

曽我川
古代には宗我川と綴った。宗我は蘇我氏の転訛である
また百済川などの異称もある。

漢國神社
園神(そのかみ)として大物主命、韓神(からかみ)として大己貴命・少彦名命を祀る[1]。
延喜式神名帳で宮中宮内省に祀られ名神大社に列すると記される園神社・韓神社は当社からの勧請であると社伝では伝える。