国津神嫡流の諏訪氏について語る
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天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である
では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である
諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている 高島藩主の諏訪家からはいくつか分家し旗本として幕末まで存続していたはずです 天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてないな
天津神と国津神を知ってる日本人なんてどれくらいいるのだろうか・・・
オレの知人にも諏訪氏の末裔がいるが、彼の実家(諏訪湖のほとりの岡谷市)近辺では、
そんな家はざらにいて珍しくも何ともないらしい。
彼の家は一応男系でつながっているらしいが、女系を含めたら諏訪湖の周りに昔から住んでいる
家は大半諏訪氏や守屋氏の子孫じゃないか?と言っていた。
日本総鎮守。伊予一宮、大三島鎮座の大山祗神社の大祝家は素戔嗚尊の神裔(家系図を宝物館で公開)。 >>4
そりゃざらにいて当然
源氏や平氏の子孫を称する家なんか膨大な数に上るが、みんな天皇家から別れたものだし
ましてや天皇家並みに歴史のある家系なら子孫も膨大でしょう このスレでは諏訪氏の嫡流について語りたいと思います
皇室の男系議論同様、その対極の存在たる諏訪家にもそういったものがあって良いのではないでしょうか 諏訪氏は江戸時代に信濃高島藩主家と諏訪大社の大祝家(諏方家と表示)に別れました
藩主家は江戸時代後期に忠粛ー忠恕ー忠誠ー忠礼ー忠誠(再承)
と続きましたが忠誠に男子がなく忠元を溝口家より婿養子に迎え
その後も度々婿養子の当主が続きながら明治時代に子爵になっています 弥生時代末期の北部九州、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。
【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡「大和」
....................隅国(鹿児島)
卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。
神武は男系祖先の本拠地・投馬国(日向)から船出し、首都を博多から大和へ東遷。「大王」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。
※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。
-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代
【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島へ軍事介入で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王
※
-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系イリ三輪王朝の活躍>筑紫系ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の平城京から本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都
諏訪氏系図
大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命―水隈命―盛麿―
豊麿―繁魚―清主―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼―頼平―
有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣―信有―有継―
信満―政満―頼満―満隣―頼忠
―頼水(藩主)
―頼弘 (大祝)
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html 大国主命の子供は181人いたというが嫡男は健御名方命なのかね? 三輪氏は元々大和にいた出雲族とは無関係の一族だろう しかし三輪山を御神体とする大神神社の祭神の大物主は大国主命の「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」
あるいは「和魂(にきみたま)」とされ、三輪は出雲と関係ある事になっている。 三輪氏も諏訪氏も姓は「神」なんだっけ?
神朝臣諏訪忠恕みたいな 三輪氏は事代主が祖じゃないよ
大国主命系で第一は諏訪氏 >>16
出雲なんざ山に囲まれた辺境だ
大部分の出雲族とされている神々は、国譲りの際に大和の支配していた天津神以外の神を出雲系と同一視、習合した結果生まれた物 吉野祐子の『蛇』がおもしろかったな
どちらかというと民俗学的アプローチだったが、三輪、諏訪に共通する部分も知った >>22
むしろ大和こそ山々に囲まれていて、大陸からも離れた辺境の地だったんじゃないかな 大国主命は全国各地の神様が同一視されて出雲のオリジナルに合わされたもの
三輪氏の祖とされる神様もそうしたものじゃないかな
そういう意味では諏訪氏はオリジナルの直系なんだよね 江戸時代の諏訪氏の系図ってどこかに残っていないのかな? ところが、当の諏訪では、地元民の誰もが認めたネイティブの長は、神長官守矢氏であって、
大祝氏(諏訪氏)は、後になって、どっかからやって来た外様扱いというw
甲信以東では、国津神は土着勢力じゃなくて、明らかな後発の征服者なんだよね。
諏訪の恐るべきところは、この「真正の土着勢」が、氏族として近代まで残っていたこと。 武蔵四宮・秩父神社の禰宜は守屋通夫さんという人。
諏訪の流れかね? >>27
護りに易く、攻めに難い山国信濃たればこその現象だな
人の流動性も非常に低く、時が停まったかのように何も変わらない 先住民の洩矢神が鉄の輪を持ち、侵攻してきた健御名方命が藤の蔦で戦った
という古事記とは違う伝承が残っているんだよね
その後、諏訪氏と守屋氏が共存して諏訪大社を支えたというのも興味深い 健御名方命は、諏訪に閉じ込められた。
であるならば、逃げ出さないように見張りが必要となる。
辰野の小野氏がそうなのか?
大神姓三輪氏が嫡流だよ。
神=ミワ=三輪
苗字と本姓が共にミワ(神)なんだし。
そもそも、朝廷が嫡流と認めているのが
諏訪氏ではなく三輪氏の方
朝廷が嫡流と認めているというソースは?
あと三輪氏が嫡流って何の嫡流?神姓の? 神姓の嫡流ってことじゃないか?
確かに、俺の地元でも神姓の古代氏族がいたんだけど
太田田根子を祖にしていたから大和の大神氏一族だわ
諏訪の神氏の一族は少ないけど
大和の大神氏の一族は全国各地にいるからな
諏訪なんかとは別格なんだわ
さらに言えば、大和の神氏は公式に神姓を名乗れたけど
諏訪は公式には金刺氏と名乗ったじゃん
格が違うんだよ 建御名方神の長男と洩矢神の長女の間に生まれた子が諏訪氏の祖先
洩矢神の長男が守矢氏の祖先
守矢氏は78代目で現在も続いてる 大国主命の嫡男は事代主と健御名方命
古事記に記載すらない庶子の太田田根子とじゃ格が違う 事代主と健御名方命が嫡流っていうソースは?
太田田根子は古事記にも出てくるんだが?
大神神社の神氏の真似をして
自分も神氏を名乗った諏訪氏こそが庶流だろ
大国主より大物主の方が格上なのじゃ
大神神社は元伊勢だが諏訪は元伊勢じゃないだろ?
天皇家の前の日本の支配者が誰なのか普通ならすぐにわかるだろ
諏訪信者が 諏訪氏は三輪氏の一族って位置だよね。
苗字をみればわかるよね、神(みわ)を継いでいるのがどちらかなんて。 >>38
国譲りの記述を見れば大国主命の子達の中で事代主と健御名方命が別格なのは明らかでしょうに
諏訪氏は三輪氏の庶流なんじゃなくて、祖がそもそも違うのだから別物でしょ
天孫族が天皇家の分家でないのと同じ 三輪氏の嫡流は現在何家となっているのでしょうか
また嫡流は男系で現代まで続いているのですか?
旗本になった諏訪家は全部で何家あったの?
その中に男系を維持できている一族がいるかもしれない 三輪氏も諏訪氏も出雲族が移住してきたのかね
なぜ出雲族は大和や州羽に移ってきたのだろうか なぜ諏訪に?あと自称大国主子孫の三輪氏が大和にいる理由って何よ? 10月はちょうど神無月だよ
出雲は日本全土を支配してた
大和に居ても不思議じゃない
出雲の大国主は国譲りの後、高層神殿に閉じ篭って
今の出雲国造はアメノホヒの子孫と言う事になってる
乗っ取られたと言う事だろう 記紀の記述を見たら、大国主が国譲りするかどうか聞いたのをみると
事代主のほうが嫡流ぽくて、
健御名方命のほうは有力な子息でも庶流ぽいけどな。
もしかしたら、事代主は嫡子だけど、健御名方命は庶兄だとか。
健御名方命は母方は越の出身なんだよね。
三輪氏と諏訪氏は、どちらが嫡流かどうかって
足利家と新田家のどちらが嫡流か聞くようなもんだと思う。
足利家と細川家ならば、明らかに足利家が嫡流で細川家は分家だけどw
足利家と新田家の場合、どちらが嫡流なのかは微妙。
歴史的経緯を見たら、
三輪氏を足利家に例えるのなら、諏訪氏は新田家に例えられる。
>>43
三輪氏の傍流ならば、天下を統一したよなw
まあ、自分の先祖は、放浪の源氏の入り婿でしたと偽称したけどw 大国主の後を母系で継承したのが、天火明命、天香語山命なんだけどねw
だから、男系では入れ替わったけど、大国主の天下を母系経由で
継承したのが、ヤマト王朝の王族ってわけで。
播磨国風土記などによると
大国主の王女の天道日女命の夫が天火明命であり、
大国主は、高天の天火明命に国譲りした。
だからこそ、天火明命は、別名、天照国照彦といわれる。
国譲りによって、天つ神と国つ神の両方の支配者になったという意味。
そして、彼の後は、嫡子の天香語山命が継承した。
彼は、父方が高天、母方が出雲であり、天神地祇合一の象徴。
そういう風に考えたら、天火明命の兄弟のニニギ命は、
出雲国譲りの直後、辺境の九州南部の高千穂へ飛ばされる。
そういう風に考えたら、天皇家は天孫の傍系だったと考えられる。 大国主命と三輪氏の祖である大田田根子の父・大物主は別人じゃなかったっけ? たぶん元々は関係ない。しかし古事記には『大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』とある。
大神神社の由緒では『大国主神が自らの和魂を大物主神として祀った』とある。
日本書紀(の一書)には大国主の別名とある。古事記や日本書紀を否定するとそもそも国譲り神話自体を
否定する事になる。出雲風土記には無いので。それなので別人と言いにくい。 賀茂氏には天神系と地祇系があるが、松平はどちらかな? 賀茂氏は天神系・地祇系とか別系みたいに言ってるが、実はどちらも同根から分かれた氏族と思う。 家康は、関ヶ原に勝って甲斐信濃を回復すると、日根野を放逐して諏訪家を諏訪高島に戻してくれた。 地祇系の三輪氏族の貴族で、天神系の賀茂氏の一族に入り婿で入った人がいる。
大田田根子命のちょっと後の子孫だったと思うが...
その人が、地祇系の賀茂氏の祖。鴨氏ともいうが。。。
陰陽道の賀茂氏は、この地祇系の賀茂氏のことで、
松平氏はその末裔だったと思われる。
新撰姓氏録は、ちゃんと男系で系統の違いを分類している。
賀茂氏も天神系と地祇系で分けているし
葛城氏なんかも、もとは天神系だけど、武内スクネの末裔が入り婿にはいったので
その葛城氏だけは皇別系としている。
忌部氏なんかでも、入り婿がはいった系譜は、それ以外とは別系統としている。 >>53
大物主とは三輪山の神名で
三輪山は、大国主の仮の姿として信仰の対象だったのであろう。
大田田根子の父は、健飯賀田須命。
大田田根子は、
大国主から数えて9代目、事代主から数えて8代目の子孫とされていたと思う。
つまり、大田田根子は、三輪山を祭る神官だったと思われ
その先祖は、大国主ー事代主につながるとされていたであろう。
事代主の後から健飯賀田須命までは活躍が分かってないので
大田田根子が生まれたころは、かなり落ちぶれて
ひっそりの神官として生きていた一族だと思われる。 >>59
天神系の賀茂氏の祖は、賀茂建角身命。
神皇産霊尊系の貴族だと思われる。
実質的に最初の先祖は、天神玉命で、その孫あたりが賀茂建角身命だったのでは?と。
天神系の最高名門系は、高皇産霊尊裔氏系で
その次が神皇産霊尊系。
たぶん、これって、
ヤマト朝廷の譜代になった時期や王家との親しさの違いとかで分けているのかもね。
徳川幕府の譜代大名でも、松平系、安城譜代、岡崎譜代と分けていたけど。
高皇産霊尊裔氏系の場合は、ニニギ、天火明命の生母の一族だったわけだし。 確か武田信玄の側室が諏訪の姫で間にもうけた子が武田勝頼だっけ? 三輪氏族系って、実質的には大田田根子が初代だよな。
大国主とつながっているかどうかは分からんし。
三巻イリヒコ(崇神天皇)が抜擢したようなかんじで
大田田ネコと事代主の間の人物の業績は全然わかってない。
となるとやはり大国主命の嫡流は諏訪氏になるのかな
事代主の子孫いないし、三輪氏の祖は大国主命と別人らしいし
大国主は大物主を見て「誰だあいつ?」と言ったんだよなw
おそらく元は別々の地域で信仰されてた神様だが国家形成の中で同一なものにされていったのだろう
オオムナジも別の神様だと思われる 神武天皇の畿内での嫁さんの記述が
古事記と日本書紀では違うだろう?
そのへんが大きなヒントだと思う。
古事記のほうでは、神武さんは大物主の娘と結婚したとある。
一方、日本書紀のほうでは、神武さんは、事代主の娘と結婚したとある。
古事記のほうが正直で、日本書紀のほうは、政治的に作ったと思う。
だとしたら、
古事記のほうでは、神武天皇は、ただの三輪山(大物主)の神主の娘と結婚したが
日本書紀では、前の天下を牛耳っていた大国主の孫娘と結婚したことになる。
日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
政治的にする必要があったのでは? 足利家のほうが中央とのパイプが厚くて
新田家のほうは田舎でくすぶっていたのをみると
足利家=三輪氏、新田家=諏訪氏という例えは、分かり易い。
あと、系図を信じるのなら、三輪氏と諏訪氏の分岐は
大国主の子供の代だから、どちらが本家か分家か難しいしな。
足利家と新田家も、どちらが本家かどうかなんて判別難しい。
細川家、斯波家、畠山家などは、一応、足利家の分家だと思うし
里見家、世良田家、山名家も、一応、新田家の分家だと思うけど
三輪氏が出世したのは、大国主から8代後の子孫の大田田根子命からで、
その間は、くすぶっていて、何をしていたのかもわからん。
三輪氏は大田田根子命が実質的な初代。
だから、三輪氏と諏訪氏は、系図上は、大国主の息子の代で分かれているけど
その歴史的経緯を見たら、どこから、ずっと数代たって、世に出だした家系。
とくに三輪氏の場合はそうだし、諏訪氏も地方でくすぶっていたわけだし。 >>69
諏訪氏=岩松氏
三輪氏=松平氏
って感じだろう。新田で例えるなら 大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命
―水隈命―盛麿―豊麿―繁魚―清主
―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼
―頼平―有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光
―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣
―信有―有継―信満―政満―頼満―満隣―頼忠
―頼水(藩主)
―頼弘 (大祝)
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html >>68
>日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
>政治的にする必要があったのでは?
しかしそう書いてあるのは古事記の方だ。 大田田根子は大国主命の子供じゃないんだな
七千傑だけじゃなくHARIMAYAでも事代主の子孫という系図になっている
大国主命―事代主―天日方奇日方命―健飯勝命―健甕尻命―豊御気主命
―大御気主命―健飯賀田須命―大田田根子―大御気持命―大友主命―三輪氏へ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02106.htm
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_omiwa.html
大物主というのは、個人名ではなく、通称ぽい。
大国主とか、事代主とかも、そう。
鎌倉幕府の最大権力者に、鎌倉殿といったのと似ている。
だから、大国主と大物主は、もともとは別だったけど
大国主の一族か本人か何かが、大物主の地位も兼ねるようになったとか?
そんなかんじかな? 三輪氏が大国主命の子孫ってのは後付け臭いな
天津神系の最大対抗勢力の嫡流が出雲から朝廷のある大和に移り住み、政権近くで多大な権力持ってるのはおかしいだろ >>77
おかしく無い
大国主の勢力は日本全国と考えられるからな
国譲りをしたけれど
旧来の勢力の力を借りないと治世出来なかったとか
良く有る話し >>80のページにあるように、
大田田根子が、大国主や大物主の子孫であるというのは後付けぽい。
まず、大国主と大物主が同じなのか?という疑問もある。
大物主というのは、古事記や日本書紀でも何度も登場するが
姿が人間ではなかったり、それらは三輪山の神というふうになっているので、
これは、実在の人物ではなく、三輪山のことを表しているのであろう。
一方、大国主のほうは、出雲王朝の最後の当主なのであろう。
これは実在の人物のモデルであると思う。
古事記にもあるように、大田田根子は、
崇神天皇が探し出すまで、その存在は知られておらず、
自己申告で、自分は大物主の子孫だといっているだけ。
それも数代前の婆さんが見知らぬ男と愛し合って生まれた子供の子孫が
自分(大田田根子)であるとかw
そして、その見知らぬ男があとで調べたら三輪山の神様(大物主)だったとかw
そこから、大物主は実は大国主で、いつのまにか、大田田根子の子孫の
三輪氏族は、自分らは大国主の子孫という風に、後世、どんどん変えていったのであろう。 よって、三輪氏族ってのは、事実上、大田田根子が初代の人物。
それ以前の系譜に関しては、創作の可能性が大いにある。
うえで誰かが言っているが、松平家は自分たちは新田家の末裔だったと
いっているのに似ている。 大国主命は素戔嗚尊から三種の神器「生太刀、生弓矢、天詔琴」を奪ったんだよな
天皇家に三種の神器が伝えられたように、国津神嫡流にも神器が伝わっているんじゃないかな 諏訪家には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が伝わっている
三輪家には伝わってないの? >>80の内容を見ても
三輪氏族系が大国主の末裔なのかどうか、かなり怪しいな。
松平家の新田氏系の徳阿弥伝説以上に怪しい。
実質、大田田根子が三輪氏族の初代という解釈で間違いないように思う。 諏訪氏が一番、嫡流を受け継いでいる感じだとは思うけど
でも、途中で婿養子が入って、男系では変わっている可能性もある。 >>89
幕末に高島藩主は婿養子を迎えたけど、それ以前は無かったんじゃないかな? 初代大祝で諏訪氏としても初代である諏訪有員を良く調べる必要あるな 大国主命が素戔嗚尊から奪った三種の神器って今どこにあるのですか? 三輪氏が大国主の末裔かどうか怪しいのと同じ位、諏訪氏が大国主の末裔というのも怪しい。
健御名方は本来大国主と関係無いんじゃないか?諏訪社の伝承には国譲りの件は無いんだし。 大国主命と奴奈河毘売の間に産まれたのが健御名方命というのは間違いないだろう
越の国にも伝承は伝わっているし
国譲りは大和朝廷側に都合よく書かれていて当然
諏訪側では逆に征服者としての伝承が残っているな 出雲〜古志〜糸魚川〜諏訪のルートだろうね
大国主命と健御名方命の親子関係は間違いないと思われる 硬玉の翡翠の産地は糸魚川のみ
出雲大社にも翡翠の勾玉が残ることから同盟関係にはあったのだろう 糸魚川の翡翠はかなり広範囲から出てるはず。
物流の証拠にはなっても同盟は如何なものか? 守矢氏は何千年も侵略者の諏訪氏をたててきた。
これってすごいよね。
なんでとってかわろうとしなかったんだろう。
出雲と糸魚川双方に大国主命と奴奈川姫が結婚し、健御名方命が産まれたというで伝承残っている
古事記にも同じ記述 >>99
征服はしたが、守矢氏や金刺氏を滅亡に追い込むのではなく神官として存続させてきた
これもまたすごい事だと思う
出雲という先進国と洲羽じゃ圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらずだ 大国主命の第一子の木俣神(性別不明)には子孫いないのかね
あと国譲りのとき事代主と健御名方命だけが大国主命から指名されたのは何故だろう ヤマトタケルが討伐したイズモタケルって出雲の首長だったわけだし、大国主命の血筋なんではないかな?
天津神が神器をもっているのは
降臨したと言う証拠を示すため
国津神に神器は無いな それを大国主は代々継承したのか?
少なくとも諏訪に逃げた建御名方は持ってないと思うが
国を譲ったのに出雲に神器は残ったとかも無いだろう 諏訪には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が実在していたな
由来は知らんが >>81
それだと三輪氏の系図(自称だが)で八重事代主が二代目になってる説明がつかないな
事代主は古事記で両親ともはっきりしていた訳だし
つまり三輪氏が大国主命の子孫というのは後付け 大国主の子が事代主で
事代主の娘がヒメタタライスズヒメ(神武天皇の嫁)
つまり政略結婚
嫡流は追放し、娘を嫁にした
まあ良心的な侵略者だな ヒメタタライスズヒメは「三輪大物主」の娘
大国主命や事代主とは何の関係もない
ある意味自作自演 >>113
天皇によって編纂された日本書紀が
大物主は大国主の別名としてるのだが 古事記によれば
「オホモノヌシの神がスヱツミミの命の女のイクタマヨリ姫と結婚して生んだ子はクシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、その子がタケミカヅチの命、」
タケミカヅチはオホモノヌシの子孫 >>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係 >>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係 >>115
タケミカヅチはカグツチの血から産まれた天津神だろ
めちゃくちゃだな >>113
日本書紀と古事記では、記述が違う。
それは、神武さんの近畿での嫁さんの出自について。
古事記のほうでは、大物主の娘ということになっているけど
日本書紀のほうでは、大国主の子の事代主の娘となっている。
どちらが正しいかは分からんけど、普通に古い古事記のほうが正しいのでは?
大国主と大物主は、本来は別だったのが、いつのまにか、同一視されたらしいし。
つまり、後に政治的に作られた日本書紀では、
神武の嫁さんは、出雲の大国主の系統ということにしたかった。
しかしながら、実際は、神武の嫁さんは、三輪山の大物主の娘で
大国主の後胤ではなかった。
ヤマト朝廷の正統性は、出雲国譲りにあるわけで、
出雲から譲られたことが前提だったので、日本書紀では、
神武の嫁さんを、出雲の大国主の孫娘にする必要があった。 一方、出雲国譲りの時、つまり、神武東征よりも三代くらい前に
出雲の大国主の娘を妻にむかえて、その大国主から天下を譲られた男がいる。
ようするに、出雲国譲りを実現させた主役の男ということだ。
それは、播磨国風土記、旧事本紀、海部氏系図にも記載がある。
その男とは、天火明命のこと。
通称を天照国照彦という。天津神と国つ神の両方の支配者という意味だ。
彼の正室は、天道日女命といって、大国主の娘だった。
つまり、出雲国譲りとは、大国主が義理の息子(娘婿)の天火明命に
天下を譲ったという真相もあった。
だからこそ、ニニギの後胤である神武皇統の天皇家は、
神武の近畿での正室の嫁さんの父親の大物主を
大国主や事代主と同一視したかったのが分かる。 諏訪大社の大祝は天皇以外では唯一の現人神だった
明治の国家神道の中で廃止されてしまい、家系も断絶。
分家の存在は不明だが実に嘆かわしいな 大田田根子の父親がタケミカヅチという古事記の矛盾が生じているな
またヤマトトトヒモモソヒメ(七代孝霊天皇の娘で箸墓古墳に埋葬されている)が大物主(と後で知った)
との間に産んだ子が事代主、その後裔が大田田根子
という国譲りと全く時代 が合わない矛盾もある
天津神の子孫が国津神の先祖に国譲りを迫るという摩訶不思議な話
古事記作成の中で三輪氏の恣意的なものがあったのだろう 古事記と言うより崇神天皇の影響でないかな
出雲も三輪もその時にすり替えられた感じがする
建御雷神の子と言うのは有り得ない >>122
大物主は顔を見たことないけど、実はヘビだったという話だから
要するに、モモソ媛命は、独身の巫女で
三輪山につかえる巫女だった。
大物主という人間と結婚したわけではなく
三輪山の祭祀を行う女性だったということでしょう?
今でも、夜中に宮中祭祀をするけど、その時、
天皇は神様と合体するわけだからw
それと似たようなことをやっていたんでしょう?モモソ媛命は。
天皇は子供産まないだろw
矛盾だらけの三輪伝説と訳が違う 三輪氏は大国主命の子孫でないし、出雲族とも無関係な古代の有力氏族
というのが結論だろうね 古事記に記載のある謎の系図。大国主命の神裔としてはここが嫡流かもしれない
大国主命―鳥鳴海神―国忍富神―速甕之多気佐波夜遅奴美神―甕主日子神―多比理岐志麻流美神
―美呂波神―布忍富鳥鳴海神―天日腹大科度美神―遠津山岬多良斯神―・・・
ちなみにこの続きはどうなったのだろうか モモソヒメと大物主の結婚の伝承は
独身のシャーマンであるモモソヒメが
三輪山(大物主)の祭祀を行っていただけだろう?
モモソヒメは夫である大物主の顔を見たことがなく
初めて見た時にヘビだったので、おどろいて尻もちをついて
ハシ(食事に使うハシではなく、祭祀で使うハシ)をマンコについて
死んだという話だし。 要するに三輪氏が大物主の子孫だというのは捏造だということだろう
編纂の時点でも矛盾は感じていたはず 三輪氏が大物主の子孫というのに疑問符が付くだけではなくて
大物主=大国主という解釈にも疑問符が付く。
二重の捏造だな。
いずれにせよ、三輪氏の事実上の初代は、
三巻イリヒコ(崇神天皇)に見出された
大田田根子命。
この人物が、大神氏、陰陽道賀茂氏の先祖であり
松平家の先祖にも当たる。 >>99
諏訪地方にはミシャグジ様への厚い信仰が縄文時代から深く根付いており
洩矢神は唯一ミシャグジ様を操れる存在だった
建御名方神が洩矢神を打ち倒しても地元の信仰心は揺るがなかった
それで建御名方神は洩矢神を助命し、洩矢神をクッションにして農耕文化(弥生文化)を伝えた
そして建御名方神の子孫の諏訪氏が大祝、洩矢神の子孫の守矢氏が神長官として続く事になるが
面白いのは諏訪地方での実質的な政権を掌握していたのは守矢氏という点 建御名方神は侵略者と言うより
迷惑な押し掛け居候みたいな感じだからな
ちゃんと住み分けるのが日本ぽい 守矢氏が実質的に政権を握ってたというのが意味不明
名実共に諏訪地方の主導権は諏訪氏にあったのだろ。戦国時代なんかまさにそう 戦国時代は参考にならない気がする
旧来の権力無視が戦国時代だし 旗本になった諏訪氏について詳しく教えてください
男系は存続しているのでしょうか 今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない
それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。
子供が「ハンバーガー買うにはお金がいるんだよ!スマイル0円とか言っているのは、お金を出させるためなんだよ!!
そんなこと知ってる僕って、オトナの世界の裏のウラまで知っちゃったんだぜ!!!」
とか言っているに等しい、可愛らしい書き込みですなぁ、ほのぼのする。 素戔嗚尊―・・・―大国主命―健御名方命―・・・―諏訪氏
の流れが国津神の男系嫡流
天津神の男系嫡流の天皇家とは対極の存在 >>133-135
信濃では諏訪氏が力持っていたけど
諏訪地方だけはずっと明治頃まで守矢政権だった
江戸時代に藩主が赴任した時でさえそう 天津神の当初の男系嫡流は、尾張氏の嫡流だったんだけどなw
蛮族であるはずの隼人も天孫族だったりするしな
山幸彦以外は天孫族として論外だろ 旗本になった諏訪家の家系図が詳しくのったものってないの? オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口
オリンパスは、産業医を使ってHさんを精神異常者に仕立て上げようとした。
<T谷弁護士は(編注:原文は本名)不都合な社員や退職させたい社員がいる際には、
まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、
怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>
<このような集団ストーカー行為、もしくは
産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
精神分裂症等の精神病として診断書を作成して
被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し
措置入院等を行う事で、報道、捜査機関、裁判所等を欺いて
対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>
三輪氏の本姓は神じゃなくて君だったよな
神なのは諏訪氏 守矢神長家の話 守矢早苗
「神長官守矢資料館のしおり」より
■洩矢神からの生命のつらなり
諏訪盆地には「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもう一つの国譲神話が言い伝えら れています。
そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神絵詞」などに記されています。
それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、
出雲系の稲作民族を率いた 建御名方命がこの盆地に侵入しました時、
この地に以前から暮らしていた洩矢神を長とする先住 民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪 を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。
その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神 (岡谷市三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸区橋原)が、
天竜川を挟んで対岸に祭られており、 藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家 の氏神様の祠ということになっています。 一子相伝で先々代の守矢実久まで口伝えされ、実久が始めて文字化した「神長守矢氏系譜」に よりますと、
この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられ、私でもって七十八代の生命のつらなりと なっております。
今でも洩矢神の息づかいが聞こえてくるようにさえ思われます。
さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央とつながり稲作以後の新しい時代を生きていくことになりましたが、
しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制をみればよく解ります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢神の子孫の守矢氏が神長 (のち神長官ともいう)という筆頭神官の位に就いたのです。
大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての神降ろしの力や、
呪術によって神の声を聴いたり神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。
こうして、諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制が固まりました。
こうした信仰と政治 の一体化した諏訪祭政体は古代、中世と続きました。 ■ミシャグチ様のこと。
諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営 まれます。
家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、 ここではミシャグチ神とします。
そして、一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む 神殿、そして
冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の御射山(現・諏訪郡富士見町) で行われました。
そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上 げや、
ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。
大祝の分身である童児は、内県(旧諏訪郡一帯)、外県(旧伊那郡一帯)、
大県(信州一円の神氏 系の代表)からそれぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。
童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で
一定期間の籠りをした後に前宮での神事に参加しました。 ■一子口伝の秘法の終わり
このように守矢家は諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきたのですが、
明治維新によって大きな変化をこうむりました。
明治五年、世襲の神官の制が廃止され、神長という職は消えます。
また、 明治六年には家宝であった鹿骨製の御宝印や御頭お占法用具そして鏡、太刀などが諏訪大社上社に移されました。
しかし神長がミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈伎鈴は家に残されました。
そうした激変の時期に神長であった七十六代の守矢実久は、神長の祭祀が消えることを惜しみ、 七十七代の真幸にその一部を伝えました。
私は更に次のように伝え聞いております。
明治の解職に至るまで神長の神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、
一子相伝により 「くちうつし」で伝承されました。
その内容は、
○ミシャグチ神祭祀法
○冬季に竪穴の御室で行われる神事の秘法
○御頭祭の時に行われる御符札の秘法
など年内神事七十五度の秘法をはじめ、
○大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法
○祈祷殿で行う蟇目の神事法
○家伝の諏訪薬なる製造法
○守矢神長の系譜
などでした。神事の細目は「年中神事次第旧記」などに記されていますが、
具体的な神事の方法に つきましては、一子相伝で伝わったのです。
しかし、それも明治の一大変動により七十六代実久でもって永遠に絶えました。
祖父の七十七代 真幸は、ミシャグチ神頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝をうけたそうですが、
それも七十七代で終焉を迎えました。今となっては惜しまれるばかりです。 祝は古代の官社制では禰宜の下位に置かれた神職であり
男性の神薙の意味でも用いられる。
語義は「穢れを放り去る者」であると言われている。
ちなみに諏訪大社下社の「大祝」は金刺氏(神武天皇の子・神八井耳命の子孫)
諏訪大社上社の「大祝」は諏訪氏
(建御名方神の子孫)
が近世まで務めた 手研耳の乱
ホ31111 イイロよむウタ
サユカワゆ クモたちわたり ウネビヤマ コのハさやぎぬ カゼふかんとす
ウネビヤマ ヒルはクモとゐ ユフされば カゼふかんとぞ コのハさやげる
ワカミヤは このフタウタを かんがえて サユにそこなふ ことをしる カンヤヰミコに ものがたり
手研耳(ノ)命、陰(ひそか)に帝位を簒(うばは)んことを謀(はか)る。故に恩を布(し)
き、党を結ぶ。手研耳(ノ)命、誅せらることに逮(をよん)で、則ち党属数千人、其の
子、彦耳(ヒコミミノ)命を以て主として畝傍(ウネビ)山に在(あり)て、以て朝廷に敵す。
皇太子、親(みづ)から官軍を帥(ひき)ゐて、畝傍山を囲む。党属の中に舎人(とね
り)欲雄(エキヲ)、弟彦(ヲトヒコ)といふ者(も)のあり。
建御名方命は、この乱で追放されたのでは?
神長官 守矢氏 家系図
ttp://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira123229.jpg 千家や諏訪家もそうだけど
紀元前から続く家系というのは壮観だな
勿論血の繋がりなら日本人は皆それくらいの代を重ねてきてるわけだが
家系図として連なってるのは凄い 近世の大祝家、旗本家も含めた諏訪氏系図を体系化したものを教えて下さい 同じことをしつこく尋ねるくらいなら自分で調べた方が早いのでは? そういうのは当家の人が公開しない限り判明しないんじゃないか
大祝を歴任した諏訪氏の嫡流は
諏方姓になってから15代目の諏方弘氏が平成14年に死没して断絶
守矢氏もおそらく最後の代になるであろう78代目守矢早苗氏が初めて系図を公表 それ図書館で目を通したことあるが、索引ばっかの事典みたいだったぞw 諏訪神道って天照大神を中心とする普通の神道とは違うの? 諏訪氏を嫡流とする神氏の中で最も繁栄した一族って保科氏だよな
確かに日本には特別な人々がいる
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/4/127_3.html
私の周辺で社会を牛耳り、企業を牛耳る人々の人相、体系に、
大きな共通点を見出した。
ひょっとしたら、親類ではないかと思うほど似ている。
諏訪氏と鹿島氏(の傍流同士)が戦国時代に戦ったみたいなことは無かったのかな? >>27
この守矢氏先住部族説ですね。
”守矢氏は建御名方が諏訪にお祀りされる以前からこの地に土着していた一族で、
祖神とされる「モレヤ(洩矢)神」を祀っていた・・・・・守矢一族は建御名方を
祭神にむかえ、その子孫ともいわれる諏訪氏を大祝に据え、みずからは神長官と
して大祝を補佐する職に就いた・・・・・”
諏訪大社に関する考察 2009年10月
http://www12.ocn.ne.jp/~libra/toho/tohoessay/kousatu01/kousatu01.html 天津神と国津神って、要は譜代と外様の違いみたいなもんじゃないの? >>182
神長守矢家って、男系継承なのに土着系なの?
以外だな。
狩猟民たる縄文人も男系社会だったんだろうか。 基本だが混同している輩が多いので改めて言うが明治まで上社と下社は別。
下社大祝は大和朝廷系の金刺氏で同じ諏訪氏を名乗るも別物。
ここでは守矢洩矢と過大評価しているが守屋の知名度は低い。
ミシャグチ神なんて地元諏訪でも歴史に詳しい人でなければ今だ知らないよ。
それに男系継承なんて今流行りなだけだろ。アホ草。 >>186
後で中国から大和朝廷に入り、それが縄文系のモレヤ氏にも採用されたということでは。 >>156
明治維新というのは中国でいうなら文革。
なんでネトウヨが礼賛するのか理解に苦しむ。 >>187
中国から風習が入ってくる以前の時代のモレヤ氏の男系継承の系譜は仮冒ということか >>189
可能性はゼロではないでしょう。
中国でも姓は「女」という偏が使われていますし、
周の王は「姫」、斉は「姜」、秦は「嬴」とみな女という字が含まれています。
だから中国ににさえ女系継承の習慣があった可能性があります。 .
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糞スレ終了
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. >>184
おまえがなぜ「縄文人は女系社会」って思えるのか謎w
縄文社会が女系だったなんて考古学的な考証は聞いたことがないんだが。 諏訪大祝の先祖は阿蘇大宮司の氏神から別れたのでは? >>194
なにいてもいいけど、珍しいことをいう時には推測の根拠をあげろよ
つっこみようがねーじゃねーか 国津神の嫡流は三輪氏か諏訪氏
諏訪氏で、今も社家をやってる分家ってあるのかな? >>196
三輪氏の本家は高宮家
跡継ぎは女子しかいなかったような…
従兄弟とかいるかもしれんが >>198
江戸中期に高宮氏へ養子に行ってた、島谷氏の・・後の最上徳内。 小笠原諸島探検・巡検使隊隊長だった、松浦党の島谷市左衛門が父島に祀った、大神山神社。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷出雲守。
元播磨で素戔嗚尊=新羅大明神祭神を祀る、新羅神社廃社で上記と同じ京丹後の神社、大宮売神社の宮司と成った、島谷宮司。
大坂此花区の島屋を埋め立て新田開発をし、産土神社を祀った、島屋市衛門。
徳川譜代の家臣阿部氏と安倍宗任末代の松浦氏松浦党関係の謎の氏族・・島谷氏 >>200の修正。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷祠掌。
京丹後の分宮神社神主の島谷出雲守。 国津神の嫡流って神武天皇の奥さんの父、事代主神の末裔で太田根子を出した三輪氏の方じゃないの
諏訪氏はいわゆる分家でしょ 事代主神はどっちかっていうと本人が分家の初代だろう 出雲も諏訪も守屋も縄文系の土人というわけではなく、
天津神の先遣隊といったところだろう。
本体の天孫族を迎えるために土地を切り開いて水や食料を確保。
歯向かう先住民を追い払って、都を移す準備をしたのだ。
それも恐らく数十年をかけた大事業で、
自分達が切り開いた土地を譲ることに同意しないものもあらわれた。
しかし、所詮は身分の低い派遣労働者だし、正規軍を従えた大王が渡来すれば、
都を作る候補地、畿内を譲るのは当然なのだ。 むしろ、出雲や諏訪は弥生系で、
天孫が南九州の土人でしょ 諏訪の祖神である建御名方命は天孫に国譲りした国津神なのに何で天津神の先遣隊だよ。
神話では出雲から諏訪へ逃げて来たのに。 一大縄文文化圏でミシャグチ信仰の残る諏訪が弥生系とは
考えたこともなかったわ >>207
天津神、国津神ってのはただその場での便宜的な言い方だよ
先遣隊の中でずいぶん先に地上に来てたのが国津神
今さっきあまくだってきたのが天津神
>>208
ちなみに縄文か弥生かって線引きとは関係ない。
諏訪にかぎらず日本はどこも縄文系弥生系両方のハイブリッド
若干どっちが濃いか薄いかってのがある程度
これを二元論にするのは現実無視の電波説な >>209
国つ神と天つ神が同祖だというならその実体はどこから来た何なの? 中世の諏訪神社の縁起とか思いっきり諏訪大神を天津神として書いちゃってんだよな
記紀神話と異なる伝承が現地にあったのか、それとも歴史が忘れ去られて
神仏習合の時代にそういう伝承が改めてできあがってたのかどっちなんだか 映画天と地とで、諏訪軍が太鼓や笛を鳴らしながら戦場にいたけど、あんな悠長な感じだったの? >>209
違うつ〜の。
天津神ってのは、大和朝廷側の呼称で、天野山の麓の勢力が起源だから
そのように故障している。
国つ神ってのは、それ以外の勢力で、もともとは
天津神とは独立していた勢力のことだよ。
つまり、徳川政権に例えるのなら、
天津神=幕府、親藩、譜代
国つ神=外様
ってだけの話。 本当ならば、天津神も、多くの国つ神と一つだったんだよ。
そして、そのトップに出雲の大国主がいた。
しかしながら、天津神は自分たちのことを特別視するから
天津神と分けて考えた。
それだけの話だ。
天津神とは、文字通り、天の豪族のことをいい、
この天は、天野山からきている。
天野山も、文字通り、天の山って意味。 大国主系よりも天孫降臨につき従ったことにされている久米氏の方が縄文人らしい風采をしてるし、
天津神・国津神なんて当時の朝廷の感覚だけで分けられたんだろう 最近、言われているのは、陸稲は遅くとも5000年くらい前
水稲は3000年くらい前には始まってないとおかしいらしい。
弥生開始時期を水稲からとすると、
卑弥呼のいた時代ってのは、弥生時代が始まって1000年以上
経過した時代の話だよ。
ましてや、農耕が始まってだと、それ以上の時間が経過している。
そんな時代に縄文も弥生もあるかよww 天津神、国つ神とかいっていた時代は
おそらく2000年前。
日本で農耕が始まったのは、おそらく5000年以上前で
弥生時代の開始時期とされる水稲でも、おそくとも3000年以上前らしい。
だとすると、天津神、国つ神を、縄文対弥生って
例えることは、どれだけ無意味なのことか分かるだろうw?
出雲国譲りの時代ってのは、日本が弥生時代になって1000年くらい
時間が経過している。
ましてや、農耕時代だと3000年以上の時間が経過している。 ミシャグジ(御石神)って、呉音で割合新しいものに見える 人類学(神話学)では、神々を天の神々と地上の神々の二大系列にわけて考えて
両者の戦いとその後の和合によって現在の世界秩序ができたというのは
世界の神話に共通する物語の類型・構造であることがわかってる。
日本神話もその典型的なパターンであって、たかが2000年か3000年程度の
最近の歴史を反映してるとはまったく考えられてない。
天津神を海外からの侵入勢力、国津神を先住民勢力、とみる発想は十九世紀的な途方もない勘違い。
海外の学界ではそういう発想は相手にされてない。
ただし日本では左翼が70年代に所謂「先住民史観」を創作して盛り上げたので
その頃の歴史ブームから出てきた老害歴史ライターがトンデモ本を出し続け、
70年代の時代遅れの説にハマるアホがいまだに量産されとるw
邪馬台国関係のスレにいくとその手の既知外が山のように集結しててウンザリする
あいつらは団塊世代じゃないとしたら本当に今のヤル気のない出版界の被害者だなw >>220
だからこそ、はやく
邪馬台国畿内説で決着しないといけないんだがな。
畿内説の考古学者の先生も、なにせ、あくまでも考古学に限定されているから
あと一歩のところで、検討違いの説ばっかり言っているんだよ。
狗奴国濃尾平野説とかww >>221
畿内説の学者って考古学専門が多いせいか
ろくに漢文のニュアンスわかってない人が多いんだよね
狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに 結局、研究が進むごとに魏志倭人伝とはなんだったのか状態になってくるべ >>167
微妙にスレ違いかもしれないが、守矢氏の次代はまだ未定だけど
直系の候補者はいるとのことで、早苗氏が閉じる決断をしない限りは続く模様。
しおりには、明治維新のごたごたと当主の交代で守矢一族の秘儀が失われてしまった
とあるけれど、単なる想像だけど、江戸時代までに口承は少なからず散逸していたんじゃないのかな。
歴代当主でいろいろ備忘録書いているところを見ると、書くことはタブーというわけでもなさそうだし。 長野市のはずれに住んでるけど、
うち家系も遡ると本家はここだわ。
諏訪神家党にある珍しい名前だし、
先祖代々ここに住んでるから間違いないと思う。
恐らくこの辺に住んでる人はほとんど
国津神の子孫なんじゃないかなw 阿蘇家、諏訪家、千家家、北島家
いずれも天皇家よりも古い。 天皇家ばりに史料批判されたら、ボロボロになりそうw >>222
邪馬台国九州に未だ未練持っているのかよ?
3世紀紀年鏡が西日本一帯に分布していること、及び年輪年代学により
3世紀が前方後円墳の時代であったことが確実なことにより、
ほぼ全員の研究者が「邪馬台国=畿内」という心証を持っている。
「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えたただけのこと。
古い「魏志倭人伝」が、邪馬台国=大和と判断できる記述になっていたのは、
正しい地理感を持っている隋書倭国伝に「(倭国は)ヤマトに都す。すなわち魏志のいわゆる邪馬台なるものなり」
とあることからも確実
ただ狗奴国は熊本菊池地方でよい。魏志に書かれているのは大和と熊襲の戦い。
内藤湖南説と笠井新也が正しかったってこと。 >>230
いや、俺は最初から畿内説だが?
俺は漢文から入って畿内説になったタイプで、考古学畑じゃないんだよ。
でも畿内派ってどっちかっていうと考古学得意な人のほうが多いじゃん。
あと、おまえさんの言ってることは2ヶ所除いてほぼ同意
>「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えた
>狗奴国は熊本菊池地方でよい。
↑この2ヶ所は同意できない。
狗奴国は球磨郡(人吉盆地)が本拠で菊池は北の前線基地だろう 大祝になった諏方家は15代目で断絶となりましたが、
江戸時代に分家などは無かったのでしょうか? そう考えると、直系を名乗る神社の神官より、早い時期に分家した名も無き諸氏の中に、高貴な男系の血が残っている場合が多いでしょうね。
そして何かのきっかけで、鳶が鷹を生むような豪傑が生まれる。
世の中そういう具合にできげいるような気がします。 漢文ねえ
全然当てになりそうもないわ
妄想の範疇として捉えさせてもらいま >>234
当てになるも糞も、漢籍はそもそも漢文よめなきゃ話にならんだろ
アホは無理して話にまざらんでもいいんやで 美穂須々美命が建御名方神と同一神って説は何か根拠あるの? >>127
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm
↓
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命−八島士奴美神(八島篠)−布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)−D深淵之水夜礼花神−淤美豆奴神−F天之冬衣神−G大国主神−H鳥鳴海神−I国忍富神−J速甕之多気佐波夜遅奴美神−K甕主彦・・
向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富−L田干岸円味−N布忍富取成身−O簸張大科戸箕−弩美宿祢(野見宿禰)−飯入根
神門臣家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−
E八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−G八千矛(大穴持・大国主)−伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能−J速甕之建沢谷地乃身−K甕主彦−M身櫓浪−P遠津山崎帯−Q振根=倭健(日本武?)−伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島−島谷(散自出雲族?))
宗像家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−E八束水臣津野−吾田片隅−田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。 >>236
>>237の
>古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
>http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
>古代出雲王朝系図
>※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
この熊野大社司祭家の向家旧家伝の神代系譜では・・
美穂須々美命と建御名方神は兄弟神と成っている。 神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。 諏訪氏の男系は、子爵の小林家によって維持されているはず。 オードリー春日も諏訪系なんかね?
さよなら人類の知久も諏訪系なんかね? 江戸時代分家して旗本になった諏訪氏は男系で続いているのでしょうか >>244
朝鮮人は朝鮮人だからな
縄文=後の日本人 朝鮮は朝鮮、中国人は中国人
縄文系=縄文時代(縄文以前か?)〜現代2015年まで、
日本に住み続けている人々だと思うけど よくわからないが、チェーンソーゲーム?
あれは猟師のような話でしょ
モンスターハンターというゲームも
石器とか縄文の暮らしだよ 縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
古代日本列島人の核ゲノム解析
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=1
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=2
Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対 うちの親戚に、天皇家より古い伝承だっていうのがある。
もちろん分家の分家の分家・・らしいけど。
で、その故地では、稲作が始まる前から住んでいて、稲作を始めて山から
降りたという伝承が有る。
その近隣の地域では、弥生中期の広大な水田跡が発掘された。 縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
古代日本列島人の核ゲノム解析
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=1
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=2
Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対 一度諏訪に行ったことがある
田舎だ田舎だという先入観があったけど、思ったより田舎じゃなかった、というか
家が密集していたね
考えなおすと、地面を掘ると石器や土器がボコボコ出てくるくらいに、昔から多くの人が暮らしていたから、豊富な伝承や遺跡も生まれたわけだった 諏訪氏の男系を維持している子爵の小林家って当主だれ? まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり (Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
ネトウヨは架空の中で生きています
ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑) 江戸時代、大祝の家系だった諏方家には分家は無かったのでしょうか? 古代日本では、褐鉄鉱による鍛鉄が作られていた。
これはインド、東南アジア、中国江南にある技術で、火山国の日本は
金属資源が豊富だった。
最も古い有力氏族は阿蘇氏と諏訪氏で、褐鉄鉱の鉱山を持ち、
共通の神話を持つ。
阿蘇黄土・含鉄率69% 諏訪鉄山・含鉄率45%以下。
神武天皇は阿蘇氏。高天原は阿蘇山。
神武天皇の妃は姫蹈鞴五十鈴姫という製鉄にかかわる名を持つ。
日立金属冶金研究所が、奈良の古墳出土の刀剣等106点を化学分析
した結果、原料は赤鉄鉱・褐鉄鉱と判明した。
褐鉄鉱は朝鮮では使用されていない。
伊勢神宮内宮のもとの神職は宇治土公。宇治氏は阿蘇氏の子孫。
ところが途中で中臣氏に代わっている。
外宮の神主は尾張氏の系統。
熱田神宮の元の神職は尾張氏。途中で藤原氏に代わっている。
扶余人藤原氏に大和朝廷がのっとられた。
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇治阿蘇といい、阿蘇氏。
蘇我氏は阿蘇氏で元の天皇家。
中大兄皇子は万葉集に皇族として歌が掲載されていないことから
皇族ではない。 諏訪近辺に住んでます。
家紋は梶の葉。
阿蘇氏と共通の神話の内容を教えてください。 九州の伝説によれば、阿蘇外輪山の内側はかつて広大な湖でした。そこで健磐龍命が山を蹴り崩し、水を海に流して土地を開いたといいます。
似たような伝説が諏訪の北、糸魚川・静岡構造線上の松本平にも伝わっています。それが泉小太郎伝説です。
景行天皇の時代まで、松本から安曇野にかけては広大な湖でした。その湖を泉小太郎とその母犀竜が、山を崩して日本海に水を流し、土地を拓きました。
http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen_suwa/ 諏訪大社の大祝(諏訪神職の最高位)として君臨した諏訪氏(上社神氏、下社金刺氏)の先祖をさかのぼると、
武五百建命(タケイオタツノミコト)という人物に行き当たります。
この人物は別名を健磐龍命(タケイワタツノミコト)といい、阿蘇神社の祭神であり、またその大宮司家である阿蘇氏の祖先でもあります。
つまり、信州の諏訪氏と九州の阿蘇氏は、先祖が同じなのです。 >>262
そもそも、宮崎に神門神社がある時点で、邪馬台国論者が、九州を出雲臣族支配地を否定するからややこしい
南九州が渡来勢力の拠点だったから、、九州が邪馬台国と渡来勢力のモノで、本州・西日本の出雲地域周辺だけを出雲臣族支配地と誤認してしまっている。
大昔から、本土全域と九州は、出雲の領地。
そこに、渡来勢力の天津神族の祖神が遣って来て、南九州を天皇家の祖、物部印恵・・と、丹後地域を徐福である物部開祖の饒速日が支配した。
※千家の祖が天穂日で、印恵(イニエ)と徐福の饒速日の祖父が・・天若日子。
関東の南国造家は、神門臣家の出雲族出身。
東北より以北は、同じ出雲族の向家の子の富家(登美・鳥海)の一族が開拓していた。 諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏とゆかりのある方、DNA検査をしてみませんか?
私は諏訪氏系で名前にあるY-DNAの結果が出ました。
他にも諏訪系と思われる方のY-DNAが「C2e1a」です。
個人的な研究で申し訳ありませんが、
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏の繋がりを
Y-DNAから探れればと思っています。
「梶の葉」「鷹の羽「亀甲紋」の家紋を持つ方は是非!
検査費用は負担できませんが、、、
http://genographic.nationalgeographic.com/
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1439360578/ 最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
諏褐鉄の鉱訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。 最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
褐鉄鉱の諏訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。 ↑こいつはいつもの 台湾 褐色ブタ広鼻土人。
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの
約半分は中粒種である。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、
鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの約半分は中粒種。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に 伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 それでどんな祟り神信仰なんかと結びつくんかな?
首塚信仰(平将門)とか稲荷信仰(淀君)みたいな話 稲荷社そこら中にあるから豊臣淀君なんかも神様になってるわけでな いわゆる隠れ御祭神みたいなもんだから気づかないやつ多かろ 安倍氏だったっけ?元は出雲と同じだとされてるけど、奈良の富家が本家に見放されてアベを名乗ったとされるのだが・・
陰陽のアベとどうかかわってるのかは知らんが、信濃に痕跡は沢山ある
・木曽の新開にある、清博士
・木曽福島にある清明神社
・上松の若宮神社の葛の葉神事(鏡文字で句を書いて最後に星を描く)
たぶんみんな知ってると思う。
更に、辰野病院の近くの諏訪神社。その西に墓地がある。その西に鳥居だけの神社があり清明不動の石碑がある
これは封印か監視を表すのではと。
奈良の出雲氏が山の祭祀から追い出されてダンノダイラに行き、西側にはアベ氏が住んだとされるのだが
神武天皇の碑の周囲に四角い石が7個。福井の土御門の京都からの疎開先のあの石と同じだ
更に拝殿の右にある崇敬会の建物の名前は清明殿
穂高神社と同じく陰陽師は諏訪・出雲の封印に関わっていたと妄想している。 物部守屋氏について調査が終わったので書き込むことにする。
数年前、諏訪の記念館に奈良からの来訪があった。その人は家系図を持っており、何とピタリと一致
物部守屋の二男さんが諏訪に血を残したという伝承はホントだった。
実は物部守屋が滅ぼされなかったのには理由があって、守屋のお姉さんが蘇我のお嫁さんだったから相続する必要があったらしい
一番の拠点は四天王寺だかに上書きされたが、長男は奈良に残り、二男さんがこっちに来たという事
「むらやにいますふつひめ」神社が今も守屋家が守る神社。諏訪にきた宮司さんもまだ存命だよ。御朱印貰うなら今のうち
守屋山の歴史が何度か上書きされているらしいが、奥社の家紋が諏訪梶でない理由、守屋神社が御柱を建てない理由はそこにあるのだろう
諏訪氏や諏訪の守屋家と、出雲の向井家には一定の距離があり、それで諏訪の神様は出雲に10月に行かなくとも良くなったのかもしれない
物部氏は九州から東征して出雲を攻撃したから長い年月と言うのは感慨深い。
今の諏訪の宮司さんは北島家から来ているし、東信の熊野神社は本来は仇敵の八咫烏でありながら周辺の諏訪神社の管理をしている。 >>279
いわゆる「すくも」と呼ばれる「茅:かや」の堆積物が多いです。
なので隣りの市は茅野市なのです。 長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。 御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。 出雲の国譲りのルートって何気に謎だよね
まず、延喜式名なと、南方富の神の社、だったっけ。これは富家の正当を名乗ったという事
と、中央から目を付けられた存在ともとれる
富家伝承だと、出雲帝国は新潟まで伸長してたとあり、母方の血筋をたどり糸魚川から長野に入ったと
松本市山辺はタテミナカタ降臨伝承があるのだが(薄水神社奥社は扉温泉近くにあり)小野神社よりはるか南
辰野病院の諏訪神社は、タテミナカタのおばあさんが葬られている
伊那谷を通らず、塩尻から辰野に行き、岡谷周りで諏訪に入り布陣したという事になると、有賀峠ルートの伝承と若干矛盾する
有賀峠ルートは南下すると「石船渡」釜口水門近くには結界の境を指す「小坂」地名がある
船渡=クナトの大神だから有賀峠ルートも捨て難い
話は変わるが、富家の家紋が×印になり御柱にはその刻印が明治まで刻まれていた
今、御柱にその刻印をしてるのは宇宙飛行士の出身地の村のとある諏訪神社くらいかな ナガスネヒコの苗字?地名?も鳥見(とみ)だった。
たしか阿蘇氏の子孫に「富」という文字を含む苗字の子孫がいたと思う。
何か関係や意味があるのでしょうか。 トミのナガスネヒコは男系で言えばスサノオですね。
磯城王朝は大和の富家の分家(磯城冨家)から嫁さんを貰う習慣があったので圧倒的に冨家の血が濃くなったが、あくまで親戚
磯城王朝は結局出雲の一部の土地を侵攻したが、ナガスネヒコが物部にやられた時に何と冨家に助力を依頼
冨家側はヒボコの出雲侵攻を予想しており、助力する力は無いと判断。その際に冨家を名乗る事を禁じ、ナガスネヒコは安倍を名乗る事になった
アベ=正確にはスクナ彦の系統。
ちなみに大和の大神神社の祭祀をやってた(もしくは出雲で捕虜になった)出雲族は後に大神神社の東側に追い出される
そのあとに住み着いたのが阿部家(崇敬会の建物は清明殿・三島由紀夫の由来で曖昧にしている?)
安倍=陰陽っぽいね。後に物部=スサノオ系と血筋的にやり取りがあったのかもね 本当具体性ないよなあ、射精エベンキさんって
692 日本@名無史さん sage 2015/12/31(木) 13:52:13.56
>>691
うん、完全論破されても勝利宣言しちゃうような狂人だからね。
確実に明日はそんな書き込みをすると思うよ。
論点がないまま論争するとか、この狂人のアタマの中身は本気で理解不能。
論点がないなら双方の意見が一致しているわけで、そもそも論争自体が存在しないだろうによ。 長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。 諏訪氏が建御名方神の末裔だと名乗りだしたのは
皇別の多氏系の金刺氏への対抗からでしょう?
だから、過去に言っていることが二転三転している。
源氏だと言ってみたり、実は金刺氏の一族と言ってみたり。
建御名方神の末裔でないことは確か。 >>295
その通り
諏訪氏は血統上では源氏になってるでしょ。
源氏の血が入る前は金刺氏。
建御名方神の子孫って話はかなり後になって作られたよね ひょっとすると
相武国造のほうが建御名方神に近い? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>296
源氏を名乗ったのは一時的なもので、金刺氏は多氏、阿蘇氏と同族だよ。
諏訪の神が建御名方神になったから建御名方神の子孫を名乗ったけど、元々祀られていたのは縄文の神でしょ。
言うなれば建御名方神は名前を借りているだけ。 諏訪氏系の皆さまGeno2.0でハプログループを調べて見ませんか?
俺は諏訪氏系で名前のハプロが検出されました。
信州では大規模なYハプロ調査は行われていませんが、
俺を含め諏訪氏に繋がる苗字からC2eが検出されてます。
2008年に行われた20都道府県のYハプロ分布は以下になります。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org703282.png 縄文も弥生も関係ないよ。
Y染色体の分岐状況からみて、弥生時代の開始時期は4000年前くらいに
遡れる状況になってきたから。
つまり、西暦57年の奴国王の金印の時代ですら2000年時間が経過している。 >>302
過去の系図に婿養子できた人とかいないか? >>304
系図上は養子の痕跡は見られないけど、絶対とは言えないですね。
祖父曽祖父といとこ婚なほど閉鎖的な部落(今で言う集落)なので、
養子を入れたとしても同じ部落内ではないかな? 九州の阿蘇を本拠地とする阿蘇氏は、意外と全国へ広がっている。 どなたか教えてください。
名字を神と言います。
私の祖父が生前先祖は長野方面から来たと言っていたらしいのです。
神氏はのちに諏訪に名を変えていますが、今も神氏を名乗っているということはその前に分家していたということでしょうか?
家紋が梶の葉なので諏訪大社とか長野に関係しているのではと思っていますが・・・
室町時代東北討伐をした南部氏の家臣に神がいるのでそこがルーツなのかなとも思っています。
どなたかお力をお貸しいただけると嬉しいです。 >>309
言い伝えレベルしかないなら難しいよ
GENO2.0NEXTで遺伝子鑑定してみれば
上の人みたいにC2eが検出されるかもね 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? 諏訪氏は元は異なる家系だったものも
中世になってから神氏として統合された集団らしい。
だから、同族だと思っていたら、異なる系統だったというのも
珍しくないかもな。
中国の孔子の末裔も同族だと思っていたら
異なる系統が3つだったらしいから。 >>309
諏訪大社は上下に別れているが、宮司家も同じように別れてたっけな
神子氏と金刺氏。金刺氏は出雲の神門家系らしい。神子系は守矢と習合。
ちなみに守屋神社の鳥居額「物部守屋神社」に書いてある名前「従六位物部連比良麿謹書」から、
「物部神社(石見国一之宮)の歴代神職が金子家」である事も添えて置く。現在は他の家が宮司家になっている。
かつて物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲であるが、のちに和解。
美穂神社の千木は物部の横削ぎ、出雲の縦削ぎが両方存在する。
あと、出雲の宿敵であるヒボコの家も神床家である。(実際にはヒボコに嫁をやっただけらしい)
神の字だけでは情報が足りないと思われ。
物部の守屋の系譜は養子に入った時に他の親族も来たらしく、神社の南の部落に守屋性が残っている
守矢の家紋は丸に十。そのことから原始キリスト、失われた十氏族を連想する人が居るのは確か。 >>309
梶の葉紋はまず間違いなく諏訪と関わりがある。
そういや安倍首相の家紋も丸に梶の葉だったな。 >>315
電波を振りまいて一般人を汚染するのはやめなさい。そのうちバチが当たるよw >>317
ちなみにどの辺が違うと思う?個人的に裏付けとって有る部分もあるから。 >>318
>物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲
山幸彦が物部だという根拠は?
>出雲の宿敵であるヒボコ
>ヒボコに嫁をやった
出典は? >>319
おお、レスポンスがあった。嬉しいよぉ〜
出展は「出雲と大和のあけぼの」他、出雲の向王家の末裔の書いた本だよ
数十年ぶりだ。徳間の「謎の出雲帝国」以外で出雲王家の証言が本になったのは
一応偽書とされているセンダイクジホンギの内容は知ってる?
アメのホアカリニギハヤヒは同一名で書かれてるから、二人は同一人物論ってのは一般にあるよね?
向家伝承ではその同一人物が徐福になっている。
東征伝説がある二つの一族は共通の証がある事を確認し、手を結ぶよね?
出雲の王族にはそれに関する伝承がきちんと残ってるって事だよ。
山幸彦と海幸彦の血族が結婚してアメノ村雲が生まれた。一般に言う神武だが
伝承によればその6代前からの神武と出雲は争ってたらしいね
因みに富のナガスネヒコは正確には冨が付くが、母系で三代続けて出雲から嫁が行ってるだけなので正確には出雲系ではない。 金刺氏についてはその後勉強したらどうも天武系の指示でこっち来た人らしいね
どうりで今回地震で倒壊した阿蘇神社との関係が話されている訳だ
つまり700年代に下社は出来たのだが、上社から別れた訳ではないらしい
阿智村には古い家系があって、もともと諏訪の監視の最前線がその一族の住んでた阿智との事
だからあんな山奥に天孫の伝承、恵那山があるのだろう。
「坂の上の田村麻呂が参拝したらご利益ありました=諏訪神社→俺様天皇、これからは信濃の国全体で諏訪神社を普請しなさい」ではなく、実際にはワサビの大王様を穂高と共同で挟撃した事が原因で手打ちがあったのかもしれない
タケミナカタが連れてきた神様は御舟様=クナトの大神であって自分自身ではない
日本全国に仏教、修験道が一気に広まった600〜700年代に神様が変わったのかもね
主祭神を変えるにあたって阿波から諏訪神社を勧請した伝承って本当かもね 私が裏をとったのは物部神社関連。出雲の○浜神社まで行って宮司さんにも話聞いたよ 金刺氏関しましては金刺親王=天皇家の親族説と、阿蘇神社(まだ調査不足)系の二つの伝承がありますね
知人が温泉寺の関係の人で、御柱にも乗る人なんですが、ご先祖はかつて偉い人と一緒にこっちに来たらしいです
いきなり金刺氏単独で下社勢力を形成したとなれば氏子さんたちが良く従ったと、相当のカリスマの持ち主という事になりますが
集団移住があって、上社対抗の組織(出雲に対する千家国造家による祭祀乗っ取りのように)が形成されたとなると腑に落ちますね
金刺氏は結局武田と組んだ事が引き金となり、上社系の大祝家、惣領家により大幅に勢力を落とします。確かお家断絶も大祝家よりも早かったかと
上社系も結局、大祝家=お坊さん=神仏習合系と惣領系、落ち延びて高遠家になった元大祝家で三つ巴の戦いになり勢力を落とします
一度断絶して武田家により大祝家の傍流から党首が出たと記憶しています
明治の廃仏毀釈により政府の尖兵として諏訪に来たのは、何と三代前の出雲王族の口伝の伝承者である冨村雄氏です。
一時は隆盛を誇り出雲と同じ神有月まで存在した諏訪ですが、出雲王家とどのような事情があったのかはまだ分からないことが多いです タケミナカタさんは、その後千葉の方に行ったという伝承もありますね。
氷川神社、香取神宮、鹿島神宮。この位置から昔戦いがあったと推定されています。
どなたかご存知の方いらっしゃいますか? イザナミ(幸姫→後のアラハバキ)、イザナギ(サイノカミ)=道祖神は、出雲の王族も言及してるけど
ミシャグジ=サイノカミ説もあるんですな。
その仮定で行くと、糸魚川を経由して上田のイクシマタルシマ神社に入ってきた時はサイノカミを奉じてた(これは出雲口伝の本にも出ている。そもそも自分を祭る筈がない)
790年代に征夷大将軍がやってきて、ワサビの大王様を成敗した
桓武天皇がこれからは国を挙げて奉仕するようにと決め、親戚の金刺親王を常駐し、下社を新たに建てた
同じく780年代にタテミナカタの諏訪神社が阿波から勧請されたという伝承(東山道の麻績は忌部氏に近い地名)
奥様の八坂の姫は安曇(一説によると諏訪の監視役)の王族とも言われてる
つまりはだ、ミシャグジをタテミナカタが成敗したのではなく、一度天皇系が長野を平定して、それを隠して比喩にしたという事も考えられる
でなければ前宮の祭神がタテミナカタではなく八坂姫である説明がつかん気がする
遺跡的にも一度諏訪は青銅器よりも先に鉄器が入ってきている
その後、祭祀と深い関係がある青銅器の時代に上書きされているちょっと珍しい地域なんだそうだ
600年代後半から700年代の間に相当の出来事が日本中で起きたのではないか? 杵築大社。そう、出雲大社は当初は地名で呼ばれ明治になってから出雲の名を関する事になった
700年代当初、大宝律令により国の造制度は廃止され、大領が中央から任命された。
しかしながら、大領は次に命じられない限り元国造家は失職の可能性があった。
よって、天のホヒ家(千家)が向家と宝筋に依頼し、共同運営の神社を条件付きで作る事になった
710年の平城京完成から実に6年で杵築大社は完成。(古事記は712年完成)
資金の殆どは向家。資材と人足は神門家が出したため、本殿の所有は神門という形でスタート
主祭神が大国主になった理由は三屋神社から遷座された事によるとの事。神紋が二重亀甲に剣花角になったのはそれが理由
六角で囲われる神社の神紋で、オウ六社以外にこの紋を持つのはあの近辺では出雲大社のみである。
出雲大社の外に向かっての表紋は、明治時代に変えられたが元々は「大」という字。これは元々の出雲王家の神社である熊野大社と同じである。
出雲大社の鳥居を入って右側に「宝物館」がある。あそこに、伊勢と一緒で神様が使われる調度類は先祖ごとに変わるのだが、その代ごとに展示してあります。その箱に螺鈿(貝細工)
があり、神紋も書かれている 出雲大社の大国主の封印説、怨霊説はどうして出来たのか?
798年に国造・群領分離令により正式に国造職は廃止となった。
天のホヒは物部と組んで出雲を滅ぼしたから荒御霊を恐れる風潮があったらしい。
出雲系が多い関東系、例えば秩父国造等もこれに習ったと考えられるが、その際に記紀などに出てくる神に軒並み変更し恭順の意を表した
それに従わない勢力が征夷大将軍により平定される。
一応伝承によれば806年に信濃の八面大王を平定。
つまりは、その近辺で下社が作られ、御柱神事が始まったという事なら、御柱はタケミナカタもしくは出雲の血筋を封印するという意味が仮説として挙げられる事になる
死体、黒不浄を好む鉄の神様の炉の周りの四本の柱説もあるが、一応公式には遷宮御柱祭は天武天皇の時からとなっているので
因みに、当初はサイノカミ三神を祭っていた熊野大社は現在では素戔嗚が祭神になっている。宮司は何と千家。本来の向家でも、熊野家でもない。
一時ガクエン寺の所有になった出雲大社が寺と縁を切るきっかけになったのは出雲大社が素戔嗚を祀ろうとしたためらしい
彼らホヒにしていれば素戔嗚(向家文書だと、徐福の和名。除猛とも言う)を祭る事は悲願であったろうからね。
祭祀が大庭から杵築に移った事が古事記では国譲りに比喩されたとされる。
では守矢とタケミナカタの戦いは何の比喩であったのだろうか? 監視用に下社作るとき上社から不満出んかったんやろか?(・ω・) 実際にはある説があって
守矢氏が元々の出雲系の住民。そして今でいう諏訪族が後から入り込んで旧出雲を併呑し、出雲出身を偽装した説
ミシャグジ様=サイノカミ=クナトの大神なら元々の出雲の系譜。
出雲は海を渡って本州北から南下し、出雲に居ついたとされる。つまり旧出雲系は最初から諏訪に居たのではないか?
桓武天皇は数々の呪詛に怯え、京に都を作るにあたっても相当の仕掛けをしたようだ
八坂の奥さんは突然出てきた神様で一説によると穂高の党首の妹との事である。
前宮の祭神がどういう訳か八坂の姫。天皇が作ったとも言える下社も八坂。
穂高の隠された任務は諏訪の監視という事だから、ここでも出雲を千家が乗っ取っとり、自分たちが元から居た出雲大社とした様な構図を妄想することが出来る。
船渡=クナトの大神を消し、阿波からタケミナカタを持ってきて、安曇の力で封印した。
元出雲を平定し、出雲と天孫を逆にした。だから、鉄と藤でいつでも確認が出来る様に比喩としたのではないか?
伊勢津彦も結局は国譲りになり、信濃に逃げ込んだ。出雲の系譜も、最後の天孫との国譲りが諏訪で起きたのではないか?
封印には同じ血が居る。だから出雲から流れてきた阿蘇の血が必要だったのだろう。阿蘇の系譜の中に安曇氏がある。宗像家は出雲の親戚だからね 出雲大社が716年完成。古事記は712年完成。この時間差の中で出雲大社の祭神が大国主の尊になった
古事記とともに各地の歴史や伝承を集め風土記を編纂させる動きがあったのだが、当初、千家果安は素戔嗚を祭神としようとして
出雲風土記でも万端の準備をして素戔嗚を大国主の舅という事ににしていた
それが編纂係の太安万侶にバレてしまい、やむなく大国主=八千鉾を勧請したんだとさ。
上社の神庭で三つ鳥居があった事が最近分かったけど、三つ鳥居は大神神社と同じでサイノカミの象徴
諏訪でも同じ偽装で神を上書きするためにタケミナカタを持ってきたのかもしれない ミシャグジ=クナトの大神であるが、東日本地方の濃密な分布は、出雲族国造の分布とほぼ一致する気がする
併せて諏訪神社の東晋地方の分布も諏訪地方より多い
出雲系国造は記紀に合わせて祭神名を変更。タケミナカタの兄妹のミホススミの命は美穂津姫となり、父である事代主=八重波津身を弔うために出雲に残った美穂関の美穂神社ですら例外ではない
千家の勢力は大きなもので、ホヒの系譜を偽装して家系図を改ざんした家もあった。木曾地方は大社教の影響が大きく、何処とも知れぬ処から各家に配られる大黒様、恵比寿様の絵には千家の花押があるのでびっくりする
出雲族のトテームは蛇であり、龍蛇族とも言われていたが、ミシャグジ神は諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある[10]。
諏訪地方に於いては太古の昔からのミシャグジ信仰に後から来た建御名方神が習合、同一視されるに到ったともいわれるが、元々諏訪地方の土着神だったミシャグジ神が記紀神話に取り入れられて建御名方神になったという説もある[11]。WIKIより
諏訪族には口伝は無く、出雲王家と守矢家には口伝があった。AD200年代には出雲で国譲り。文字は無かった時代である ここのHPは実に興味深い。私程度の仮説になら既に到達している様である。
ttp://www.geocities.jp/mb1527/N3-09-2higasinihon.html
阿智神社は上古信濃国開拓の三大古族即ち「諏訪神社を中心とする諏訪族」と「穂高神社を中心とする安曇族とともに国の南端に位置して開拓にあたった阿智族」の中心をなす神社とし
てその祖先を祭り、「先代旧事本紀」に八意思兼命その児 表春命と共に信濃国に天降り阿智祝部(はふりべ)の祖となるとあり
ここのページを「建御名方」で検索して反転させると読みやすい。
抜粋
「甲斐国の開拓が軌道に乗った時、饒速日尊(海幸彦+山幸彦=物部合流→天孫)が次に進んだのは、信濃国である。信濃国は後に越国を統治していたはずの建御名方命がやってきて
開拓を行っている。建御名方命がやってくる前に諏訪大社の位置には事代主命がいたようで、建御名方命は事代主命から統治権を譲り受けているようである。信濃国には謎が多く、まず、神社の実態をそのまま示すことにする。」
つまり、出雲族と諏訪族なのか、諏訪族を偽装した「天孫」と諏訪族なのかは解らんが国譲りがここでも起きたという事は確かな事であるようだ。最後の仕上げの国譲りは天孫がやったという事が書かれている
国造、大領と時代を経る中で徐々に諏訪の力は削がれていったようである。信濃の国は穂高神社(神紋が菊)と阿智によって監視から支配に変わったのかもしれない
これなら冨村雄氏が廃仏毀釈に乗り込んできた時にためらいが無かった理由にもなるかもしれない
さて、スレタイに対する返答ではあるが、国津神の嫡流って、国譲りを考えない場合、事代主=出雲族と思われる
諏訪族に関しては記紀の様な改竄があり、諏訪族=出雲(タテミナカタ)とは限らない、となる 向家文書では、タテミナカタは、八代目スクナ彦の八重波津身の息子である
それが諏訪まで行った。手長足長族を平らげたとあるが、それがソノウ神の事かもしれない
つまり、守屋家そのものが本来のタテミナカタであり、信濃で起こった最後の国譲りによって、タテミナカタを祭る代わりにサイノカミ信仰を捨てさせ恭順を要求した
そんな気がするね。
古代の鉄は「水辺の鉄」(赤鉄鉱、褐鉄鉱)。本州北から南下したクナト族は出雲で川砂の砂鉄を発見した。そして出雲の元になったイズメ国を作った
国譲りが古代鉄が破れ、藤(原)に敗れた比喩だとすれば作成年代からしても私の後付け妄想も満更ではないかもしれない
出雲の嫁を三代貰った葛城王朝も安倍となって奥州に逃れ、嫡流は前九年の役で滅んだが、阿部の系譜は津軽にまで及んでいる。
伊勢津彦も東北まで逃れたのだが、事代主の縁を頼ったのではないのか?
結局物部氏も蘇我氏にやられ、出雲王家と物部は和解して美穂神社、カモス神社を作ったが、秋田にまで物部氏は及んでいるからね
辰野の信濃の国二宮である小野神社は諏訪系。隣の弥彦神社は隠されてはいるが弥彦は物部のゆかりの名前 太古から出雲に伝わるとされる出雲地伝酒。
通常の日本酒は酸性。出雲地伝酒は大量の木灰を加え、微アルカリ性。
灰持酒(あくもちしゅ)と呼ばれ、熊本、宮崎、鹿児島で見られる。温暖な気候による酸敗を防ぐため。
個人的には出雲より先に熊本があったと思う。
「関裕二説は、蘇我は素鵞で出雲」で、葛城襲津彦は蘇我氏の祖先武内宿禰の子で、
関裕二は「襲は熊襲の襲」という説を紹介していた。
武内宿禰は熊襲で、神武・阿蘇氏の末裔ではないか。蘇我氏は武内宿禰の子孫で、
神武・阿蘇氏の末裔ということになる。
だから出雲に灰持酒があり、太古から出雲に伝わるとされるのではないか。 NHKスペシャル見てここに辿り着いて最初から見たんだけど
家康の松平が大田田根子の末裔なら
神君家康の神君は「みわのきみ」と読んでも
強ち間違いではないのか?と思った 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) >>336
神君で三輪君=大物主神→意富多多泥古だからそうかもね。 名古屋の大須に三輪神社があるんだけど
そこに江戸時代には徳川の弓の訓練場があった
で、その界隈が矢場町なった
そして、大須には大直禰子神社もある 三河、尾張、美濃には加茂郡がある
三輪姓が多いのもこの地域 現在でも、皇室における新嘗祭(にいなめさい)では、古代の製法で醸造した白酒(しろき)、黒酒(くろき)という二種類の酒が供えられる。
黒酒とは、白濁した白酒に、久佐木と呼ばれる草を蒸し焼きにし、その灰をまぜこんで黒くした酒である。
これは、黒みがかった古代米で造った古代の酒の色を伝承していくための工夫の結果であろうと考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E6.9C.9D.E5.BB.B7.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E9.85.92.E9.80.A0.E3.82.8A
『延喜式』によれば、白酒は神田で採れた米で醸造した酒をそのまま濾したもの、
黒酒は白酒に常山木の根の焼灰を加えて黒く着色した酒(灰持酒)であると記載されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%85%92
灰持酒(あくもちしゅ)熊本、宮崎、鹿児島で見られる。温暖な気候による酸敗を防ぐため。微アルカリ性。
本来の天皇家が、多氏・阿蘇氏だったため、現在でも、皇室に黒酒(くろき)という灰持酒(あくもちしゅ)があるのではないか。
阿蘇氏は多氏や火君、大分国造と同じく神武天皇の第二子神八井耳命を祖と称している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E6%B0%8F 蘇我は素鵞で出雲で、蘇我氏の祖先武内宿禰は熊襲で、神武・阿蘇氏の末裔なら、諏訪氏の祖先が建御名方神
であり、同時に阿蘇氏であるという2つの伝承が成り立つかもしれない。 ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 出雲に国なんかなかった、と決めつけられていたことで、出雲族の研究が進んでいないそうですね。 鳥取・青谷上寺地遺跡「弥生中期末}BC1、隼人の盾出土。
熊襲特徴の渦巻き紋2個、下部に複数の山形紋、赤色顔料で塗られている。
大隅半島ではこの紋様の棺桶飾りで死者を供養する風習が最近まで続いていた。
この紋様は浙江省や雲南省などや南部少数民族でみられる。 >>349
考古学的証拠は分子人類学の登場によって、仮説が補完されるか、覆されるかでしか無くなった
今盛んに古代人骨から核ゲノム解行ってるから、そう遠くないうちに、熊襲や隼人、出雲、諏訪の関係性が明らかになるでしょう。
中国なんかは周遺跡の人骨から支配層のハプロが判明して、現漢民族と繋がりが薄いことを公表した。
清いと感心したけど、日本は皇室の硬い扉を開けるか疑問ではあるね。 ハインリッヒ・ハーラーの「チベットの七年」の中で、家を新築するとき、材料の太い丸太を、
なぜか、車を使わず、人々の手を煩わせて、地面を引きずってくるとあり、これは、
長野県の諏訪大社の御柱立てと全く同じであり、チベットの風習なのである。神に人の誠意を伝えるには、
風習として、車で運ぶわけにはいかないのである。
このように、日本の文化や風習は、神々とともにチベットからもたらされた。言語もそうである。 ここがアマテラス皇族さえも敵わない、
わが国における、
真の王族のスレか・・・
>>3
>天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてない
(知られてない)
んじゃない
「知らせていない」
「知らせるべきものか、と妨げられてきた」
な
伊勢神宮はじめアマテラス軍門の神社、
日本仏教、
旧公家、
薩長藩閥、
全ての権威も資産も、そして現存する人脈や権力が
ぶっ壊れるからな
彼らが今更逆賊に没落するのを甘受するわけがない >>6-7
証明されたら、
簒奪不敬をオオクニヌシに働いた今の王朝は、
用済み廃朝だな
>>16 >>22 >>25
文献や物証で証明できないなら
キミの妄想レベルだな
三輪氏もオオクニヌシの直系
>>33
記紀の基本
前提条件も知らない人が
この高尚なスレに参加したらダメだよ >>350
楽観しすぎ
家系を各代逐一完全復元できるくらい
氏族当時の本人遺骨を現物で採集できないと
遺伝子なんか当てにならん
古代どころか
足利義満の墓さえ不明なんだぜ
遺伝子傾向がーなんて
血液型占いくらい眉唾すぎて
草生えますわwww >>355
皇族も元々
「九州地方王族」だな
全国を暴力で虐殺した野蛮軍団
やっぱり、三輪諏訪氏こそ
正統王朝 >>356
元々地方王族でも律令国家の天皇になった時点で日本の正統。
三輪諏訪なんちゃらは郷土史レベルで話してくださいな。 >>357
強盗信者おつ
簒奪に正統もヘッタクレもねえよ
アマテラスは強盗のチンピラ・邪神、
オオクニヌシこそ古式ゆかしき正統
全ては先行王朝こそ正義なり 建御名方神はかなり恐れられた神だったのだろう。
立派な社の四隅に御柱を立てて、結界を作って封じ込めている。
フォッサマグナ近くの大地震で建御名方神が暴れているという
伝説でもあったのではないか。 >>351
魏略・晋書・梁書に、倭人は、周の太伯の子孫。姓は姫。木氏はその末裔。
呉を作り、越に敗れ、船で日本へ逃げた。紀元前473。倭の5王はその末裔。
たぶん九州王朝系。だから漢字の音読みの1番古いものは、呉音。それ以前、
縄文時代に日本語は確立していたから、訓読みがあって、日本語の基盤。
周の始祖の母は姜原という女神。姜は羌と同じで、東北チベット人の西戎。
巨人の足跡を踏んで妊娠。鹿児島、宮崎、愛知、岐阜、富山、静岡などあちこちに、巨人伝説。
捨てるつもりだったが、鳥獣が保護するので、棄(き)と名付け育てる。
犬戎は西戎の一部族でチベット人。南西諸島から南九州、千葉まで、犬祖伝説。苗族などに先祖の一人は犬という伝承。
狗奴国、狛犬とも関係あるだろう。江南の細長い人骨は北方系ではなく、チベット。
数詞は日本語とチベット語でほぼ同じ。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
台湾のクッサイ汚らしいブタ広鼻に突顎、巨大タラコ唇をしたボルネオニグロを帯びたハッカク臭いブタ顔ブタ原人の汚物の方。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く答えろよ台湾のブタ顔汚物。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと答えろよ華南ブタ原人が祖先の台湾ブタの方。 >>360
エヴァ初号機は巨人の犬。
「論衡」に紀元前11世紀周朝二代目・成王の時、「倭人が暢草(大麻)を貢した」とある。
「貢」は国レヴェルの交渉があった時のみ適用。ここに書かれた倭人は縄文人のこと。
縄文時代、すでに国があった。この倭人が周人だとすると、周人が周人に朝貢したことになり、おかしい。
植物の知識に長けた森の民は幻覚作用のある植物を利用して、長江の神獣人面文様や、
アンデスのランソン像、縄文の火焔式土器を生んだ。チャビン遺跡には、コカインを鼻から吸う
人頭像がいくつもある。
日本では、福井県三方町にある鳥浜貝塚から、紀元前8000年頃の「麻縄」が発掘されています。
紀元前8000年、いまから約1万年前。 和紙は「麻紙」とも呼ばれていました。楮紙より麻紙が古い。
神社のお札を大麻というのは、もともと本物の大麻で、縄文時代からのもの、という説がある。 だから朝鮮系や朝鮮と違って倭系呼称を中共は煽り言葉に誘導しないのよ >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
はよ答えんかい台湾のブタとボルネオ原人の合いの子みたいな顔面の方。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く答えんかいブタブタしい顔をしたタイワネシアのハノイ方。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと答えんかい台湾のブタ広鼻に巨大タラコ唇のベトナムくさいブタ顔の方。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く答えろよ台湾のブタみたいな顔をした東南アジアの方。 >>360
チベットのカンバ族の服装は弥生時代と同じ。頭髪は左右に分け、紐で結び、垂らしている。
筒袖の着物は前合わせ。ズボンは太く長い。フェルト製の長靴は、つま先が持ち上がっている。
チベット系のイ族は面長で長身、髭が薄く、四肢が長い。チベット系の特徴。
騎馬民族を黒イ族、水田稲作民を白イ族という。同じイ族だが、黒イが白イを奴隷にした。
そうではない白イもいる。イ族の2千年前の銅製の家は急勾配の屋根、千木、高床式。
鹿児島県鹿屋市に、正月に、飼い犬に、床の間で、最初のご飯を食べさせる慣習があった。
イ族では、新米を最初に食べるのは、犬。ヤオ族などに、犬が稲を運んだという神話。狛犬と関係。
伊都国、倭国、邪馬壹国などのイはイ族のイ。にほんは呉音。 >>372
もともと日本の馬は南方からの小型馬。沖縄、奄美、壱岐、対馬、長野、千葉などで出土。
蒙古からの中型馬は平安以降。騎馬文化はチベットの黒イ族から。
朝鮮語で馬はmal、満州語とモンゴル語はmorinとr音があるが、
日本語にはない。中国語のmaの借用だから。馬は中国から直接きた。
「韓伝」に馬韓は牛馬に乗ることを知らず 屠殺するとある。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
はよ答えてみいブタみたいな顔したベトナム人みたいな台湾の方。 >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
詐欺だから何も答えられない台湾の淡褐色ブタ広鼻巨大タラコ唇華南ブタゴリラw >>360
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと答えんかい台湾のクッサイ汚らしい醜悪極まるベトナムがかったブタ顔土人の方。 >>360
米は呉音のマイの他に、訓読みのコメがある。米は縄文以前から日本にあった。
米はマレー語でkemu、ベトナム語でkom、台湾のピウマ語でkomai、ミクロネシアのヤップ島でkome。
米は南洋から来た。種子島で3万年前のプラントオパールが出ている。
縄文土器に稲籾の圧痕があることが、電子顕微鏡で確認されている。
芋は呉音を含め、音読みはなく、訓読みだけ。芋は縄文以前からあり、長江流域には、
日本の芋に対応する芋が、弥生時代には無かった、ということになる。 >>377
その圧痕な、イネにあるはずの禾(ノギ)の部分が無いとの事で崩れたんだよ。
長い間ご苦労さん。
菜畑より前のイネの証拠現物は一粒もない。 だからな稲は植物生態学的にはツングース諸派や新モンゴロイドの生業
にはなりえんのよ南だあんたの言う豚土人な 長江下流域はただ単に稲作の発祥地なだけで、日本稲作とは直接的な関係は一切ない。
最古の炭化米の形状を見ても、最古の農具を見ても、最古の炊飯器を見ても、日本稲作は2兆%朝鮮南部から導入したもの。
日本稲作が長江だの江南だの言ってる悪徳考古学者など一人も存在しない。 >>360
江南で、紀元前1000年、大量の縄文土器が出土。
呉越は高台居住と高床式。断髪、抜歯、黒歯、文身、混浴、左前。鳥信仰。
呉では白鶴舞。鶴信仰。呉越で高品質の銅、錫を産出。剣を好む。
呉の春秋晩期の墓から中国最初の鉄、鋼が多数発掘される。鉄を銕と書くのは、
鉄の使用は東夷が最初だから。楚では、春秋晩期から鋳鉄、鋼がある。
殷周時代の洞庭湖の青銅器は山頂、山麓、水辺に埋納され、楚にも受け継がれる。
日本の弥生時代と同じ。南九州の横穴墓から、大量の鉄製品が出土。
九州では、火山の影響で、砂地に大量の砂鉄を含む。 >>381
楚王の名。穴熊、熊麗、熊狂、熊勝、熊渠、熊厳、熊通、など。楚は大国で、南蛮、東夷、西戎、越などを含む。
阿蘇氏の子孫宇治氏について、内倉武久先生によると、ウチのチは氏族を意味し、
ウは禹の可能性。楚王は禹の末裔を名乗った。
阿蘇には、健磐龍命がカルデラ湖を蹴破って、排水したという伝説があり、事実、かつて湖。
安曇野では、かつて湖だったのを、泉小太郎と母の犀竜が、山を崩して日本海に水を流したという。
諏訪氏の先祖、武五百建命。別名を健磐龍命、阿蘇氏の祖先。諏訪氏と阿蘇氏は、先祖が同じ。
蜀の初代王開明は、大洪水のとき、玉塁山を切り開いて排水。
禹の洪水神話の変形。大洪水で世界が水没したとき、禹が排水。
楚の祖先祝融は鳳凰。太陽を運ぶ鳥であり、丹朱。古代の墓や神社の水銀朱と関係か。
熊には輝くという意味があり、太陽だとすると、熊本と日本は同じ。
熊襲は楚人。阿蘇氏は楚王で夏の禹の末裔の可能性。大和朝廷系。伊勢神宮内宮の元の神職は宇治土公で阿蘇氏。
外宮の神職は尾張系。楚人だと、畿内を超えて名古屋へ行き、畿内へ戻るという回りくどい行き方。
弥生時代、東海の人口が最も多かったから、尾張氏はたぶん縄文系。楚人なら、2系統建てる必要ない。 >>382
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇知津阿曾といい、阿蘇氏。 >>381=382
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ遺伝子真っ赤っかのブタみたいなクッサイ汚らしい顔面をした台湾ブタホラフキン。 >>381-382
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ淡褐色、エラ張り短顔、ブタ広鼻、突顎、巨大タラコ唇をしたクッサイ汚らしい醜悪極まりない台湾のブタ南方人の方。 >>381-382
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ遺伝子真っ赤っかの淡褐色でブタ広鼻に巨大タラコ唇をした台湾のブタボルネミーな方。 >>381-382
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよクッサイ汚らしい遺伝子真っ赤っかのハッカク臭が漂う華南ブタロイドの台湾ブタ原人の方。 >>388
食事の前に徐福様に感謝するんだ、江南詐欺ブタ >>389
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよブタブタしい顔面をした華南ブタロイドが祖先の台湾ブタ原人の方。 >>389
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよクッサイ汚らしいボルネオがかったブタ顔からハッカク臭を漂わせている台湾ブタゴリラの方。 >>389
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ半ブタ半ボルネオニグロのハッカクくせえ台湾の遺伝子真っ赤っか原人の方。 >>389
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよブタみたいな顔をした遺伝子真っ赤っかの東南アジア華南ブタ原人が祖先の台湾の方。 三輪氏は神話では大物主神の子ってことになってるが
通常の神別氏族は大昔に◯×△って人がいて(神代に◯×△って神がいて)
その遠い子孫という設定になってるのに
三輪氏の場合は完全に神話上での話=人代になって起こった神婚譚、異類婚になってる。
から、大物主は目に見えない神であって三輪氏が生まれた時点でとっくに人間でない。
これはいわゆる神別氏族の由来とかなり異質で、大物主は肉体をもたない設定だから
その血筋というのもへんだ。
カバネが君(きみ)だからな実際には開化天皇系の皇別なのじゃないの? >>389
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよブタみたいな顔をしたベトナム人みたいな醜悪な顔面をした遺伝子真っ赤っかの台湾ブタ広鼻ハノイハノイピーノの方。 >>397
で、済州島に徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は? >>397
で、済州島に徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ淡褐色エラ張り短顔ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇をした遺伝子真っ赤っかの華南のブタとボルネオニグロの合いの子みたいな顔をした台湾の方。 >>397
で、済州島に徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよブタと黒人を足して2で割ったみたいなクッサイ汚らしい醜悪極まる顔面をした東南アジア華南の遺伝子真っ赤っかブタが祖先の台湾の方。 >>397
で、日本と済州島に徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよボルネオがかったブタみたいな顔面をしたクッサイ汚らしい遺伝子真っ赤っかの東南アジア華南の半ブタ半ニグロが祖先の台湾のハノイひと。 >>397
で、日本と済州島に徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ黒人みたいなボコッと突き出た口元に巨大タラコ唇をした東南アジア丸出しのクッサイ汚らしい遺伝子真っ赤っかの華南ハノイ原人が祖先の台湾のブタ広鼻の方。 日本には来ていないと言ってる人に
日本に来た証拠を出せと言ってるのか
恐ろしいな >>404
だから済州島も入れてあるだろ。
済州島の証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体を出せば良いじゃねえか。
日本語が読めない東南アジア台湾のボルネオがかったブタ広鼻のハノイ方。 >>404
で、日本と済州島に徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよボルネオがかったクッサイ汚らしいブタ顔をした遺伝子真っ赤っかの東南アジア華南の半ブタ半ニグロが祖先の醜悪極まりない台湾のブタ汚物の方。 >>407
で、日本と済州島に徐福集団が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ東南アジアくせえブタみたいな醜悪な顔面をした遺伝子真っ赤っかの華南ハノイピテカントロプスが祖先のクッサイ汚らしい台湾ブタロピテクスの方。 >>407
で、日本と済州島に徐福集団が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよハッカクくせえブタみたいな顔をした遺伝子真っ赤っかな東南アジア華南のハノイがかったクッサイ汚らしい半ブタ半ニグロが祖先の台湾のブタ広鼻ピテカントロプスの方。 >>407
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ淡褐色エラ張り短顔ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇をした東南アジア華南なの醜悪極まりない半ブタ半ニグロが祖先の台湾の遺伝子真っ赤っかブタロピテクスの方。 >>378
野生の稲は稲籾の先端の芒が長く伸びており、栽培種の稲は退化して小さくなっている。
縄文土器の稲籾の圧痕は栽培種。縄文稲作の証拠。 >>411
で、徐福の恋人の名前がお辰だと何で分かったの?
どうやって分かったの?
>>412
禾(ノギ)が小さくなっているんじゃなくて無いの。
禾が無いの。
だから崩れたんだろうがカス。
で、菜畑より前のイネの現物証拠は? >>411
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよニグロがかったクッサイ汚らしいブタみたいな顔をした東南アジア華南の遺伝子真っ赤っかな醜悪極まりない半ブタ半ニグロが祖先の台湾のブタ広鼻ピテカントロプスの方。 >>411
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ黒人みたいなボコッと突き出した口元に巨大なタラコ唇とブタ広鼻をしたクッサイ汚らしい遺伝子真っ赤っかの東南アジア華南の醜悪極まりない半ブタ半ニグロが祖先の台湾のブタ広鼻ホッテントットの方。 >>411
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよブタとボルネオニグロを足して2で割ったようなクッサイ汚らしい
醜悪な顔面をした東南アジア華南の遺伝子真っ赤っかなブタ広鼻ピテカントロプスが
祖先の台湾のブタ顔原人の方。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ >>411
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ東南アジアくせえブタみたいな醜悪な顔面をした
東南アジア華南のクッサイ汚らしい遺伝子真っ赤っかなブタ広鼻ハノイロピテクスが
祖先の台湾のブタ顔ホッテントットの方。 >>411
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよマニラのスラムに漂う腐った屎尿臭のようなクッサイ汚らしい
ボルネオがかったブタみたいな醜悪な顔面をした東南アジア華南の
インドシナ褐色ブタ原人が祖先の台湾の遺伝子真っ赤っかブタロピテクスの方。 >>378
検証の結果、何の圧痕だったの?
芒の先端の圧着が浅く、末端が深いと、芒の圧痕は着かないかもしれない。 >>378
訂正
検証の結果、何の圧痕だったの?
稲籾の先端の圧着が浅く、末端が深いと、芒の圧痕は着かないかもしれない。 >>422
文科省に聞けやカス。
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ84才の朦朧ジジイ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ虚言家のボケ爺さん。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよサギサギ老害。 https://goo.gl/MFkghn
これ本当だったら、普通にショックじゃない?? >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよサギサギ台湾ジジイ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよウソばっかりコいてる詐欺ジジイ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよボケ老害。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよサギサギ台湾ブタゴリラ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよサギサギジジイ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよサギー台湾ブタ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよサギサギ台湾ブタ広鼻半ニグロのおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよサギサギ台湾ブタジジイ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ台湾ブタの詐欺師。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ華南のブタ広鼻ベトナピーノが祖先の台湾の方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよボルネオニグロみたいな醜悪な顔面をした台湾ブタ広鼻原人の方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ東南アジア華南の遺伝子真っ赤っかな半ブタ半ニグロの台湾の方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ遺伝子真っ赤っかの台湾ブタ広鼻。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ黒人みたいな突き出た口元に巨大なタラコ唇をした台湾ブタホッテントット。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよブタみたいな顔をしたベトナム華南のブタロピテクスが祖先の台湾ブタの方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ黒人みたいな突き出た口元と巨大なタラコ唇をした台湾のブタ広鼻原人の方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ東南アジア華南のブタゴリラが祖先の台湾のブタ顔ブタ広鼻の方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ遺伝子真っ赤っかの華南ブタ原人が祖先の台湾のブタ顔をしたハノイ方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよ醜悪極まりない東南アジア華南ブタ原人が祖先の台湾ブタのおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよ短褐色エラ張り短顔ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇をしたクッサイ汚らしい華南ブタが祖先の台湾の方。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 徐福が日本に来たなんていうのは、おとぎ話みたいなものでしょうね。
結構、日本海側には伝説みたいなものは、有るけどねぇ もともとは中国人の妄想だったものが、江戸時代頃に日本に伝わり、
まことしやかな創作になっただけだよ。
日本の考古学者はもちろん、中国の考古学者に聞いても鼻で笑われる創作です。
「何で原始漢字や餃子の一つも伝わってないの?」と。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
早く言ってみろよおまえ。 >>422
で、徐福集団が日本と済州島に渡来定着したという大嘘狂言詐欺を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、
そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言ってみろよおまえ。 >>360
>>372
和服を呉服という。
吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により前2世紀頃中国江南に飼われていた四眠蚕の絹であることが分かった。
当時の中国は蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じており、
世界で最初に国外に持ち出された場所が、日本の北部九州であり、考古学的に証明された。 >>360
>>372
福岡県糸島市の三雲・井原(みくも・いわら)遺跡で、弥生時代(紀元前4世紀〜紀元後3世紀)
のものとみられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。
「魏志倭人伝は伊都国で文書が取り扱われていたと記しており、裏付けにつながる」として、
日本の文字文化が伊都国から始まった可能性を示す史料と位置付けている。
http://www.sankei.com/region/news/160302/rgn1603020009-n1.html
種子島・広田遺跡
貝符全体に、精緻な饕餮文、爬虫文、き龍文が彫られている。
貝に彫られた隷書体の山字文。
中国で饕餮文、きりゅう文が現れるのは、紀元前12〜紀元前4世紀。
遺跡の炭化材をC14で測定、紀元前12〜紀元前3世紀。
中国では、紀元前8世紀以前から、日本でいう須恵器の生産が始まっている。
支石墓や甕棺墓は中国では紀元前4000年前から存在する。
支石墓は浙江省以南の沿岸部でも数多く見つかっている。
漢字は江南の呉から来た。 >>360
>>372
中国江南地方 ウトン遺跡 春秋戦国?漢代の人骨(30体)は、同地方の新石器時代人とは大きく異なり、
日本のいわゆる渡来系弥生人にその形態的特徴が酷似することが初めて明らかにされ、同時に、
劉王城遺跡出土の春秋時代末期の人骨2体から抽出されたミトコンドリアDNAの塩基配列が、
北部九州弥生人のそれと一致することも判明した。
風習的抜歯痕が確認され、この風習でも日本の弥生人集団との共通性が認められた。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-08041152/RECORD-1585774/
種子島・広田遺跡。饕餮文、爬虫文、きりゅう文の貝符。
中国で饕餮文、きりゅう文が現れるのは、紀元前12〜紀元前4世紀。
遺跡の炭化材をC14で測定、紀元前12〜紀元前3世紀。
広田人骨、片側の側切歯と犬歯だけ抜歯。
片側抜歯は一般的でなく、江南のウトン新石器人にその例がある。
名古屋大学は、7500〜8000年前の家畜ヤギのDNAを抽出・増幅してその系統の解析に成功したと発表した。
当時の家畜ヤギの骨を採取。この骨からミトコンドリアDNAを抽出・増幅し、
現生ヤギの参照DNAを用いて系統解析を行った。
http://univ-journal.jp/7689/
渡来系弥生人骨とされる人骨は、チベット人骨。 アナタ プノンペン カエル カエル
プノンペンタイワン カエル カエル カエル
アナタ ニホン デテク デテク
ニホン デテク デテク デテク 静岡県三島の116人のミトコンドリアDNAは62タイプ。12万5000年前で大きく2つのグループに分かれる。
グループ1は18%。2は82%。
沖縄の82人のミトコンドリアDNAは39タイプ。同様に2つのグループに分かれる。
グループ1は5%。2は95%。
弘前の61人のミトコンドリアDNAは43タイプ。同様に2つのグループに分かれる。
グループ1は28%。2は72%。
浦和の5900年前の縄文人骨のミトコンドリアDNAはグループ2.
埼玉県戸田の6000年前の縄文人骨のミトコンドリアDNAはグループ2.
北海道高砂遺跡の3000年前の縄文人骨3体のミトコンドリアDNAはグループ2.
アイヌ人6体の縄文人骨のミトコンドリアDNAはグループ2.
最終過程で分岐した現代日本人15人と同じクラスターに縄文人4人、アイヌ人2人、東南アジア人3人が含まれる。
このクラスターの祖先は縄文人。
全ての縄文人とアイヌ人はグループ2に含まれる。 静岡県三島の116人のミトコンドリアDNAは62タイプ。12万5000年前で大きく2つのグループに分かれる。
グループ1は18%。2は82%。
沖縄の82人のミトコンドリアDNAは39タイプ。同様に2つのグループに分かれる。
グループ1は5%。2は95%。
弘前の61人のミトコンドリアDNAは43タイプ。同様に2つのグループに分かれる。
グループ1は28%。2は72%。
浦和の5900年前の縄文人骨のミトコンドリアDNAはグループ2。
埼玉県戸田の6000年前の縄文人骨のミトコンドリアDNAはグループ2。
北海道高砂遺跡の3000年前の縄文人骨3体のミトコンドリアDNAはグループ2。
アイヌ人6体のミトコンドリアDNAはグループ2。
最終過程で分岐した現代日本人15人と同じクラスターに縄文人4人、アイヌ人2人、東南アジア人3人が含まれる。
このクラスターの祖先は縄文人。
全ての縄文人とアイヌ人はグループ2に含まれる。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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78H シカの生首を神にささげるのは出雲と諏訪だけだろう。
どちらも殷(商)か周の祭司を受け継いだ風習らしい。
縄文人アラハバキと渡来人が統合されたのではないか? 諏訪は初期のヤマト政権を作った勢力の一つ
元々は美濃辺りにいたんじゃないかな
建御名方、たけミノ方
纒向遺跡からも生贄に使われたと思われる鹿や鳥の残骸が見つかっている
殷系の渡来人とそれらに与した一部の縄文系勢力かな 建御名方尊は大国主尊の次男だろ?
出雲の支配地は奈良、近江、美濃、諏訪まで
広がっていたから大国主と呼ばれていた。 【 &⇒ふ 】 御用学者が漢字由来と捏造中のカナ文字、実は <へブル文字> だと知ってましたか?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532140889/l50
『 ふ 』って変な文字だね? 本当に日本語かな? 諏訪大社と出雲大社は鹿の首を神に奉納する殷の祭祀を引き継いでいる。
出雲に定住した殷の一族で箕子朝鮮の準王の末裔は、荒脛巾の諏訪氏と
婚姻により連合国家を作り、奈良の土蜘蛛とも婚姻で連合している。
さらに美濃・近江・若狭他のあちこちにも連合国家を作った。
そこで大連合国家の盟主は代々大国主尊と呼ばれて尊敬を集めた。 名字が神の人は諏訪氏か三輪氏の子孫の可能性が高いの? >>477
出雲の支配地域全体を大国と呼んだんだよ >>481
@出雲大社から出た諏訪神家の子孫。
A三輪氏と起源をともにする。三輪氏族の子孫が神氏を呼称。神の鎮座地などが由来。
B後世には中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)の神氏もみられる。 >>485
諏訪氏も三輪氏も同族みたいなもんじゃないの? 諏訪氏はピュアな縄文系で
三輪氏は大国主の神官だから半分は中国入ってる >>488
海軍の神少将は鹿児島じゃねーか、バカヤロー 諏訪氏の子孫は残ってないの?
神さんはやはり諏訪氏の子孫? 神姓は1万4000人もいるみたいだけど
まだ一人も会ったことないな >>499
諏訪氏は清和源氏を称してたし
そういう説もある ○○源氏なんて後の時代の箔付けでしかないでしょ
諏訪氏の方が清和天皇より古いと思うよ 諏訪氏は殷王朝とも交流してたから5000年単位
そこまで古いのはアジアでも10系統ないんじゃないかな
周王朝系殷王朝系
いまのすめらみことが九州ウガヤ系だとしたら同じくらいの古さ >>496
その中でも激レアなのが神(みわ)さん。
本当にいるのかどうかも分からない。 神姓が諏訪氏の子孫だとすると
いつ頃別れた家系なんだろうな? 家康の麾下にいた旗本の神忠次なんかは間違いなく諏訪氏の末裔だな
諏訪氏の通字の「忠」も受け継いでるし なんで神の名字な青森に多いんだろうか?
諏訪氏の流れなら長野に全然いないのも変だ。 ルーツが違うんじゃないかな?青森北海道あたりの神氏 調べたらすぐ出てきた
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11176973821
>由来は門(かど)の神、にもとづくもので、青森の一部の地域にあります。
>すべて庶民ですので、地域性によるだけで、先祖は関係ないようです。
だそう。
都会に居るのも明治以降に出稼ぎに出てきた神さんかもしれない
うちの親もそうだけど東北の人相当都会に移り住んでるからね
長野周辺に居る少数の神さん(ランキングサイトのデータでは20軒、実際もっといるとは思うけど)は諏訪の神さんだろうけど >>520
鎌倉時代に東北討伐をした南部氏の家臣に神がいる 諏訪
全国順位 695位
全国人数 およそ28,300人
@現長野県である信濃国諏訪郡が起源(ルーツ)である、諏訪神子孫の天下の大族、
A文殊子孫。
B敏達帝子孫。
C平氏説。
等もみられる。
全国に広く分布している。 諏訪氏(すわし/すわうじ)は、日本の氏族の一つ。諏訪大社上社の大祝(おおほうり)、または信濃国諏訪郡の領主を司った家柄である。神氏(みわし/じんし)とも。
中世以降の通字は「頼」(より)。ただし、江戸時代以降の諏訪藩主家は「忠」(ただ)を通字としている。 神氏(諏訪氏、神人部氏)は代々、諏訪大社上社の大祝を務めてきた一族である。
出自については諸説あり、大神氏または金刺氏の支流と考えられている(詳細は後述)。一説では洲羽国造を務めていた氏族ともされている。
家伝では諏訪大社の祭神・建御名方神(諏訪明神)あるいはその神に選定された童男に始まるという。
後世には桓武天皇を祖とするとも清和源氏の源満快を祖とするとも称したが、皇胤や摂関家をはじめとする公卿の末裔を称する武家が多い中で祭神の血筋を称しながら極めて尊貴な血筋としてとらえられた特異な家系といえる。
諏訪氏は武士と神官双方の性格を合わせ持ち、武士としては源氏、執権北条氏の御内人、南朝方の武将、足利将軍家の奉公衆を務めるなど、ごく一般的国人領主である。
しかし、大祝としては信濃国および諏訪神社を観請した地においては絶対的神秘性をもってとらえられた。信濃国一宮として朝廷からも重んじられたこともあるが、諏訪明神が軍神であることから、古くから武人の尊崇を受けていたことも大きく影響している。
故に諏訪大社の祭神の系譜を称し、上社最高の神職である大祝を継承し、大祝をして自身の肉体を祭神に供する体裁をとることで、諏訪氏は絶対的な神秘性を備えるようになったといえる。
代々の諏訪氏当主は安芸守などの受領名を称したが、大祝の身体をもって諏訪明神の神体とされることで正一位の神階を有し、高い権威を誇示した。
宗旨は曹洞宗。菩提寺は温泉寺 (長野県諏訪市)、宗湖寺(茅野市)、頼岳寺(茅野市)、吉祥寺(東京都文京区)など。 自分が神とつく名字だから、
こじつけようと必死だな。
どんな名字も遡ればみなそんな由来
だからといってその古代の由来が藩主でも大宮司でもないお前らに直接起因なんてするわけがない
諏訪も地域では非差別のとこもある
あくまで藩主に連なる核がそうだというだけ。
勝手にすべてのこの名字のやつがそうだとこじつけようとする気違いはやめるべき >>536
俺がいつ必死になった?
なんか勘違いしてるようだが なってんじゃん、今ですら
灯台もと暗しはお前みたいなのから出来た言葉と勉強になるわ
材料ありがとう >自分が神とつく名字だから、
>こじつけようと必死だな。
このスレ民の名字が神ってのの根拠は?
脳内妄想全開で決めつけちゃって必死じゃない? >>538
まともに会話もできてない基地外だったか… 自己弁護が酷いなあ
少しは自分を見つめ直す機会となることを祈るよ >>541
言っておくが俺はただの一度も名字云々の話はしてないからな
お前が勝手に妄想を繰り広げているだけのこと
少しは自分を見つめ直す機会となることを祈るよ そうか、
ただ、神は、諏訪は、○○
てあたかも諏訪は全てそう的な話ぶりだったから、私がそう思ってしまったのかもしれない
誤解があったなら訂正しよう、神さん 諏訪って地味に老中出してるんだな
松平定信の外孫だからという理由で >>553
賀来氏(かくし)は、豊後大神氏一門戸次氏または佐伯氏の支流で、12世紀に現在の大分県大分市賀来の地(豊後国賀来荘)を本貫とした一族である。 江戸時代に諏訪家は本姓をなんと名乗ってたんだ?
神氏?金刺?源氏?平氏? 諏訪氏みたいに出自が曖昧なのに、
神秘性をもって地方では権威があった氏族は珍しい。 源平藤橘よりも古豪なんだから詐称しないのなら
そのままが氏でしょ 567
武田信玄と諏訪頼重の娘から生まれたのが武田勝頼だろ
勝頼の元の名は神 四郎 勝頼
神氏自体の一族が名乗っていた姓が諏訪氏、高遠氏
諏訪谷を拠点に栄えた一族やよ 戦国時代の諏訪の名跡を継ぐやつが神氏の宗主の血統として栄えた一族 三輪(神)氏って名跡の名残りがあるな伊勢あたりやないかい?
諏訪にきてから諏訪姓を名残ったと言われる
つまり祖先らが大和や伊勢あたりに住んでいた時代に名乗っていた姓が三輪(神)氏
三輪氏は藤原氏なんかよりはるかに古い神代からある氏族の姓やで そいから大国主って?
それを歴史的事実と捉える現実なんかないぞ 天皇家より藤原氏のが古いんだよ
さらにその藤原氏より古いのが三輪氏 >>567の意味は
現在、名字としての神(みわ)さんは実在するのかという意味です。 アマテラスの男系男子=Y-D1a2系
ツクヨミの男系男子=Y-O2a2系
スサノオの男系男子=Y-C2c1系 >>365
その通りだよ
乾燥大麻を絞って有効成分を抽出した後の残りが注連縄になった 使用のために抽出した後の大麻〆縄でも虫よけ効果あったからね 藤原創始は初代が藤原不比等やからな
中臣鎌子が藤原鎌足名乗った事績あったっけ? 581
三輪氏だよ
神氏と書いてみわ氏とも読む
ジンて使う場合もあるがどちらも諏訪氏のこと 鎌倉時代だって諏訪は宗教的な信仰の中心地やもん
天皇家ですら手はだせないわ
天皇家より古い時代から存在しとるでな 藤原朝臣て書いた石碑が群馬から出たろ
藤原朝臣て名乗ったのは藤原不比等しかいないだ
そんで藤原不比等は持統女帝の政権基盤を築いた参謀って呼ばれてるだ
不比等に命令出せるのは持統女帝だけ
この功績により藤原氏が台頭した >>583
諏訪氏の子孫が神(じん)で、
三輪氏の子孫が神(みわ)かと思ってた。 >>582
藤原鎌足が中臣鎌子を名乗った事ならある 三輪姓の名残りは伊勢大和あたりにあるわな
諏訪では初めから諏訪だしな、その系列に高遠氏がいる 藤原朝臣名碑もでたろ
藤原朝臣つまり藤原不比等に命令だせるの持統天皇だけなんだな 諏訪明神の御神体、タケミナカタ神だろ
諏訪系祀ってるとこはこれが御本尊だったんだわな
大国主神の子供がタケミナカタ >>590
南部光行に同行した家臣の中に神氏が居たから、恐らくその子孫だろう。 諏訪氏は本当は金刺氏という説もある。本当に謎の氏族。 蘇我馬子の命令で大神比義(おおみわひさよし)が豊後に入ったとあるが?
西暦568年 まあ古代氏族やからぬ
まだ源氏も平氏も藤原氏もいない時代の話 宇佐八幡にからむ伝説が存在するなこの大神比義の話があるからなんだとさ 日本書記が書かれたんが800年ころだべ
つまり230年後だ
豊後にいたな大伴氏だよな
230年前の大神比義の話は当時の連中ら知っていたんじゃね?
そんときは大神よし 大神良臣って人物がいたらしいが朝廷から大神朝臣てのもらったんだとさ だいたい古墳時代を代表する古代氏族どんなんがいたか知ったるか?
蘇我氏、物部氏、、三輪氏=大神氏、吉備氏、毛野氏、秦氏、中臣氏(後の藤原氏)、太氏(多氏、飯富氏のこと)あたりが名前が残ってるだ
漢(あや)氏ってのは蘇我氏の被官として仕えていた loserの将棋ブログ読み聞かせボイスきちゃああああああ 613
知ら〜ん
諏訪の名称が有名になるの戦国時代やからな 鎌倉時代の北条氏が真っ先に盟約結んだのもそいや〜諏訪やったな
北条の落人は諏訪に逃げていただよ 諏訪氏あたりの力を借りて信濃で挙兵
そんで足利が支配していた鎌倉にそのあと進撃した
そのあとは南朝の後醍醐天皇が足利尊氏と戦っていたろ
南朝方に下り南朝武将として北朝と戦ってた 北畠顕家が南朝方武将として各地を転戦したでしょ
こんとき顕家の武将として参戦していたのが東北の伊達氏、そんで一緒に武将として同伴していたのが執権北条高時の子供の北条時行
顕家軍が瓦解したのと同時に行方不明 伊達氏は南朝方だったがそのあとは東北で逼塞
京都の将軍家と鎌倉御所(将軍家の弟の家系)の争いが京都と関東の間で起こった争い
そんときは将軍家の方に付いてそのまま戦国時代入り
足利将軍家と同族の出羽管領最上氏や陸奥管領の大崎氏らと争った こんときに京都将軍家に申請して陸奥守護職もらっただ
守護と管領の争いになったんだな 源氏と平氏と言えども元を辿れば天皇家なんたら言ったらまた変な妄想抱くんだろが別系図を辿ったてだけで天皇家と格的には同格なんだよ
つまり皇族王として独立政権を主張すればそれは認められる 地味すぎるって?
バカなんじゃねこいつ
625
日本語ですがな
なんで意味が分からないのか不思議ですが? 仮冒と判明したならそいつら抹殺でよい話よな(╹◡╹) そいから宗像氏って?
それ五島列島あたりの話じゃないの?
平氏か源氏どちらかに連なるならまだ凄いがな 天皇家と源氏と平氏
血統的にはどれも同格なんだよ(╹◡╹) 624日本@名無史さん2020/01/17(金) 22:47:42.03
源氏と平氏と言えども元を辿れば天皇家なんたら言ったらまた変な妄想抱くんだろが別系図を辿ったてだけで天皇家と格的には同格なんだよ
つまり皇族王として独立政権を主張すればそれは認められる 今どきこんな(╹◡╹)顔文字書いてくるとかオタクってすげえな 諏訪氏が諏訪名乗る前の名乗りが
神氏(じんし!か、みわし!か知らんが)でしょ
豊後(大分県)に蘇我馬子の命令で行ったのが大神氏(おおみわし)でな
普通に考えるなら大和(やまと)にいたときの名乗りが三輪氏(みわし)だろ
三輪山、崇神天皇の伝承ある地じゃん 諏訪氏を名乗る前に諏訪の地で名乗ってたんが神氏でよいんか?
諏訪の名前が出るの戦国時代やからな〜 姓がそのまんま
神
そんで
神 頼高 だの 神 頼綱 だのってだいだい名乗っていたわけやな 641
豊後に下向した大神比義(おおみわひさよし)が三輪氏の一族だって話だろ >>646
いや、俺の名字は神だからまだ広い意味では終わっていない。 断然したんか?
西暦568年
蘇我馬子一大神比義
西暦888年
清和天皇一大神良臣
それぞれ使えていた主従関係 アボンしちまったな
それぞれの主従関係
西暦568年
主君、蘇我馬子一家臣、大神比義
西暦888年
主君、清和天皇一家臣、大神良臣 自分の名字「風間」なんだけど諏訪氏の子孫なのかな? >>647
神は藤原氏の末裔も名乗ってるからな
スサノオ→大国主→お前であることを証明する何かを持ってるのか? 諏訪家の男系子孫は養子に出された子孫が残ってそうだけどな 諏訪家が断絶したのは実に惜しい。
日本史の中で間違い無く悲劇である。 >>664
そこから更に養子縁組繰り返して
諏訪家はもはや雑系と化している 諏訪家はどうせなら島津家から養子を迎えれば良かった。 >>667
渡来系に乗っ取られることになるじゃないか あれ?😃藤原を仮冒した連中らってのもいるのかい?
あんな戦いに弱い弱者の家名なんか名乗ってるんかい? だいたい反乱起こして負けて武将として軍を率いたら負けて戦国乱世なら間違いなく滅亡真っしぐらの家系名乗ってるんかい? すげ〜な〜
源平くらいしか戦いの天才や英雄現れないのによ あの人らは権威とか貴族とかであり続けることができるから生き残れるわけでな 藤原氏の場合、武将としてはほとんど残ってないんだぞ
全滅率90パ超えや 武将として強いってならやっぱ平氏強いわ😃
源氏の連中らも強いがどっちもな >>671
神姓の人で男系で諏訪氏の流れを汲む人は今でもいると思う
特に青森あたりは神の名字が多い
南部光行が信濃から陸奥へ移った際に神という武士も同行している もしかしたら仙台藩の家老を務めた諏訪家の子孫が残ってるかもしれん 私の名字は諏方です
当たり前ですが諏訪氏とは何の関係もありません 偽物だから滅んだんやで
本物は今もずっと隠れてるぞ
カミノオオキミ
カモオオミカミ カモノオオミカミ
カモノオオキミ
国譲りを迫った天皇側と同じくオオミカミ、オオキミと称されてる血統が本物やで
キミ?カミ?オオカミ?全部偽物やで | / \, ∨ || || .|| .|| .|| .||
,, ,,, ,,,, |  ̄ ̄~~ || || .|| .|| .|| .||
,,, ,,, ,,, | _____ , || || .|| .|| .|| .||
| ,┃‖‖‖‖┃ || || .|| .|| .|| .|| 春は特に
,,,, ,,,, , | ,┃‖‖‖‖┃ || || .ii‐ii‐ii‐ii 嘘つきチョンコは次から次へと
∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧.|| .|| .|| 湧いて出てくるな・・・
<#`Д´><#`Д´><*`∀´><#`Д´>l=||=|| ____
∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ .|| .|| .|| ヽ=@=ノ ∧_∧
<*`∀´><#`Д´><#`Д´><#`Д´>|| .|| .|| (´⊂_`;) <`Д´# >
∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧∪.|| .|| .|| ( y つ∝∝∝⊂)⊂) )
<#`Д´><*`∀´><#`Д´><#`Д´> 、!!、|| .|| | | | | | |
(∪ ∪ (∪ ∪ (∪ ∪(∪ ∪'.;'\!!、|| (_(__) 〈_〈__〉 ┌─┐
│先│
│祖│
│代│
│々│ . /⌒ヽウタメニダ〜
│ば│ / `∀´>
│か│ | J J
┌┴─┴┐∠__ノ
│| 三三 |│
 ̄.凸( ̄)凸 ̄ 俺の名字は大神(おおみわ)だけど、
大神氏や諏訪氏の子孫なんだろうか? ,___
o'⌒) `ヽ
(i:i:i:i:i:☆i:i) 朝鮮ヒトモドキの良い所を3つ言え
( ´・ω・)
( ∽) (~)
) ノ γ´⌒`ヽ
(_ {i:i:i:i:i:i:i:i:} えっと、、、
[il=li] (ω・` ) マ○コが・・・
)=(_ (:::::::∪) キモチイイ
(-==-) し─J くらいかな
`ー‐'' >>690
大神なら大神氏の方が可能性が高いだろう
少なくとも諏訪氏ではない 諏訪神タケミナカタは出雲神オオクニヌシの息子
天津神タケミカヅチが出雲で国譲り迫った時、
オオクニヌシはそれに従ったが、息子のタケミナカタは従わずタケミカヅチに戦い挑んだ
が、敗れて諏訪まで逃げて殺されそうになったが、
諏訪から出ません!といって命救われた 諏訪は大祝が現人神を名乗ったりとか昔から胡散臭いというか尊大な神社ではあったな
やっぱ歴史が古いし大和系の神に敵対した神が祭神だったから
どこか朝廷に対抗してるような所があったのだろうか 俺のうちは常陸国だが、代々諏訪の氏子で家紋も丸に梶の葉。
もしや、諏訪神族の末流だったりしてと思って今自分の家系を調査中。
多分、諏訪神族であったとしても、嫡流の諏訪子爵家とは何百年もかなり前から離れていることになるが。 諏訪神社は古代ユダヤ(現在のユダヤ教とは違う本物)の風習に則って祭祀が行われている
古来から日本の神獣とされている「鹿」は
古代イスラムの神獣でもある
古代から伝わる諏訪神社の祭祀では
鹿の生首を数十個並べるという儀式があった
(最近は動物愛護的な意味かやらなくなった)
古代ユダヤの儀式と同じである
御柱祭も同じである 諏訪で少年が行方不明になった事件があった。
行方不明の間に記憶喪失の少年に食事を与えた幻覚をみた人がいたり各地で目撃証言があったが、後にすべて虚言や間違いであるとされている。
そして捜査もしたはずの諏訪湖から遺体は見つかる。
珍しく美しい御神渡りのあった年であった。
少年が不明になったのは凍る直前であり、遺体は御神渡り直後に発見されている。
古くから生贄を必要とする歳神のいる土地であった、現代での実話である。 あ、
茨城県の諏訪氏さん、
いらっしゃるんだ。
俺、
ワールドメイトという宗教で、
諏訪神の由来である、
素戔嗚尊だと言われてるんだが、
本籍が、
茨城県日立市諏訪町なんだよな。
もしかしたら、
直接的には、
諏訪神なのかもしれない。
諏訪神って、
長崎肥前国一之宮、
諏訪神社など、
全国的にあって、
風の神とされている。 諏訪さん何て全国に掃いて捨てるほどいるな
本当の諏訪氏の子孫は絶滅したんだよ 諏訪大社って何でこんなにスピリチュアルな奴等を引き寄せるんだろう。 諏訪大社は数年前に初めて行ったが、それまでは一つの神社がドーンって建ってるのかと思ってた
実際行ってみると諏訪湖を囲むように四つの社に分かれててそれら纏めて諏訪大社と呼んでいることを知った ミシャグジ信仰は本当に興味深い。
諏訪大社にも関わりがあるしな。 . ¶ (´⌒;;)
|| llll 馬鹿チョンコ!
|], ∧日∧ 糞食いや糞酒なんて止めろ!
|] (`ω´# ) 大日本帝国民になりたいんだろう?
人 [||と // )
(._ ). Д | | |
(__ ) (_(_.)
。゚<;゚`Д⊂ヽ
( ) ウリの唯一の楽しみを奪う日帝はなんて酷い奴等ニダ!! アイゴー!!
でも日本人名カッコ良いから名乗りたいニダ
1,200年も奴隷国家だったから宗主国風の名だったニダ
アイゴー! アイゴー!
∧_,,∧ アイゴー! 。 ∧_,,∧ 。
〃,<;∩Д´> :∧,,_∧: < ゚`Д⊂ヽ
/(_ノ ィ \ :<、 ⌒ヽo: ( ノ
⊂こ_)_)`ヽつ :(_,,ィ、__つつ ム_)_) 御柱祭って毎回死者が出てるんだよな
それでも諏訪人は祭を続けている
実に凄い覚悟だ 大名家は男系途絶えた。旗本は3家位あったが残っていないのかな? そう言えば、守矢氏って大名家の諏訪氏に分家が仕えてたりしたのかな。
家臣構造がどうなってたとか読んだことがない。 ぜってえどっかのバカが勝手に勘違いして言い出したのが始まりだぞ
シナあたりくせえと思いんだがな
やつら女ら使って家系を盗むだのやりそおだからな😊
バカだからよ
そいつらがやってるの他国の歴史破壊と同じことをやってるわけよ
その代価はそいつらの死をもって償ってもらおうや😀 やつら大量に殺しても構わねえわ
歴史に泥を塗ってるんと同じだからな 諏訪湖が凍って氷が盛り上がる御神渡りってやつ
あれ建御名方が建御雷神に掴みかかったとき、建御雷神の腕が氷の刀になったっていうのと関係してんじゃない? ◆六国史終了時の神階・延喜式神名帳によるランク◆
━━ 別格(S) ━━
伊勢神宮(三重)
━━ 神宮と名乗れる(A) ━━
鹿島神宮(茨城・正一位勲一等)、香取神宮(千葉・正一位勲一等)
━━ 正一位勲一等/一品(B) ━━
賀茂別雷神社(京都)、賀茂御祖神社(京都)、春日大社(奈良)、宇佐神宮(大分・一品)、伊弉諾神宮(兵庫・一品)
━━ 正一位(C) ━━
松尾大社(京都)、平野神社(京都)、大名持神社(奈良)、大神神社(奈良)、石上神宮(奈良)、枚岡神社(大阪)、日吉大社(滋賀)
━━ 従一位(D) ━━
葛木御歳神社(奈良)、高鴨神社(奈良)、宗像神社(奈良)、大和大国魂神社(兵庫)、住吉大社(大阪)、廣田神社(兵庫)
諏訪大社(長野・建御名方富命神)、氣比神宮(福井)、気多大社(石川)、高良大社(福岡)
━━ 正二位(E) ━━
月読神社(京都)、多度大社(三重)、熱田神宮(愛知)、南宮大社(岐阜)、諏訪大社(長野・建御名方富命前八坂刀自命神)、宇都宮二荒山神社(栃木)
日光二荒山神社(栃木)若狭彦神社(福井)、熊野大社(島根)、出雲大社(島根)、熊野速玉大社(和歌山)、大山祇神社(愛媛)、宗像大社(福岡)、阿蘇神社(熊本)
━━ 従二位以下(F) ━━
その他 石上宮は?
かなりえこひいきみたいのが見えるな
選んでたメンツの好みがでたんだろお ◆近代社格制度によるランク◆
━━ 別格(S) ━━
伊勢神宮(三重)
━━ 勅祭社・官幣大社(A) ━━
鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)、氷川神社(埼玉)、明治神宮(東京)、熱田神宮(愛知)、近江神宮(滋賀)、上賀茂神社(京都)、下鴨神社(京都)
石清水八幡宮(京都)、平安神宮(京都)、春日大社(奈良)、橿原神宮(奈良)、出雲大社(島根)、香椎宮(福岡)、宇佐神宮(大分)
━━ 勅祭社(A-) ━━
靖国神社(東京)
━━ 二十二社・官幣大社(B) ━━
松尾大社(京都)、平野神社(京都)、伏見稲荷大社(京都)、大神神社(奈良)、石上神宮(奈良)、大和神社(奈良)、廣瀬大社(奈良)
龍田大社(奈良)、住吉大社(大阪)、日吉大社(滋賀)、廣田神社(兵庫)、八坂神社(京都)、丹生川上神社(奈良)
━━ 二十二社(B-) ━━
大原野神社(京都)、梅宮大社(京都)、吉田神社(京都)、北野天満宮(京都)、貴船神社(京都)
━━ 官幣大社(C) ━━
札幌、月山、安房、日枝、三嶋、浅間、諏訪、気比、建部、多賀、国懸・日前、竈山、熊野本宮、熊野速玉、丹生都比売
白峯、吉野、枚岡、大鳥、生国魂、水無瀬、伊弉諾、赤間、宗像(福岡)、筥崎、阿蘇、宮崎、鵜戸、霧島、鹿児島
━━ 国幣大社(D) ━━
気多大社(石川)、南宮大社(岐阜)、多度大社(三重)、熊野大社(島根)、大山祇神社(愛媛)、高良大社(福岡)
━━ 官幣中社以下(E) ━━
その他 >>690
関係あるかもしれないね
神って書いて「みわ」と呼ぶ
諏訪の御神渡りも「御みわ渡り」と言う
たぶん物部で繋がると思うよ >>697
御柱祭をする時に神を降ろす依り代として少年に神を降ろすんだけど
その神を降ろされた少年は祭りが終わると行方不明になったり原因不明で死んでたりという事が多い
多いというより毎回そうなった
という伝説はある
今は少年を柱に縛る祭りと同じように少年に神を降ろす事もやってないと思うが
明治維新で国有化されて諏訪本家も神家一党三十三氏も神社界から出たので
復帰した人も居るけど、やっぱり明治維新でだいぶ変わったんじゃないのかね >>12
大国主の嫡男はタケミナカタと考えて良いんじゃないかね
大国主の出雲大社とタケミナカタの諏訪大社と皇室
この三系統だけが現人神として成立してきたし >>681>>698
たぶん純度の高い諏訪家だね
苗字なんか庶民が持てるようになったのは明治時代だからな
しかも勝手に名乗って良いタイプの苗字じゃないし >>11
難しいね
諏訪本家と大祝家を兼任した時代もあるし
別々だった時代もあったよね
ただ、大祝を継承してしまうと諏訪から出られなくなるので
その時は大名自身が戦争へ出かける事が出来なくなるから、自分の子息や支族である神家一党三十三氏の代表者に諏訪の軍勢を率いらせたりしたようなので
兼任しちゃうとだいぶ不自由になったんだろうな >>663
断絶と言えるかどうか結構微妙だね
大祝も皇室と同じで血族が継承したケースもある
皇室で言えば宮家みたいな
藤沢政頼が大祝になってる
その諏訪氏の血族も神家一党三十三氏って普通に増殖してるし >>694
>やっぱ歴史が古いし大和系の神に敵対した神が祭神だったから
>どこか朝廷に対抗してるような所があったのだろうか
ちょっと諏訪は謎が多過ぎるんだよ
神無月も出雲だけは神在月って言うだろ
出雲だけかと思ったら諏訪もその時期は神在月って言うんだよ
諏訪の神は、諏訪に居ながらにして出雲まで首を伸ばして参内するから
諏訪に神無月は無い。とか
諏訪に神が集まってきたんだとか諸説あるけど、ちなみに諏訪にも神在月で集まった神が帰る時に見送った神送り遺跡ってあるんだよな
ヤマトの時代はヤマトから独立して数年で元に戻る家出少年みたいな事もしてるし 本来、朝廷に逆らったら「まつろわぬ者」として鬼や土蜘蛛のように扱われてきたんだけど
タケミナカタって日本史上で初めて皇統に逆らったとんでもない大罪人なはずなんだよね
酒呑童子も朝廷に逆らったから鬼にされたでしょ
阿弖流為も朝廷に逆らったから大した神社なんか無いんだよ
それが諏訪大社って、俺が確認した最も古い時期で従五位だったかな
それから鎌倉時代に手柄を挙げてどんどん神社としても出世していくんだけど
さらに征夷大将軍の坂上田村麻呂が、東北の阿弖流為たちが朝廷に盾突くから
「とんでもねえ野郎だ」という事で成敗しに行くんだけど
その時に諏訪大社に戦勝祈願してんだよ
おかしい話なんだよな
諏訪大社のタケミナカタは国譲りで皇統に盾突いてタケミカヅチに負けて諏訪まで逃げた負け犬だぜ?
そんなやつに異民族討伐の阿弖流為退治の戦勝祈願しないでしょ
神道的な見解から見ても諏訪ってやっぱりおかしくて
日本て神道の概念で死とか血は穢れなんだよ、だから日本の歴史で革製品て輸入にばかり頼っていた
革製品は一部国内でも生産してたんだけど、穢れだから、そういう仕事するやつは部落に住んでろ!汚いんだよ!というのが神道の価値観でしょ
そうすると、御頭祭ってなんだよ、て話になるんだよね
ちょっと諏訪は従来の日本の歴史的な価値観から考えても、かなり異質な存在なんだよな 現人神として日本の歴史で成立してきたのも
皇室と、出雲大社と諏訪大社の司祭だけだし
ちょっとやっぱなんか変なんだよな
天孫降臨は恐らく稲作文化を持った人達の伝来なんだよ
瓊瓊杵の杵はキネって字で脱穀を意味してるでしょ
諏訪は日本で稲作に最後まで抵抗した土地なんだよな
なんかここも関係ありそうなんだけどな うちの家系が諏訪神党の家だから
自分の家の事が気になってあれこれ調べてたんだよ
某神社の宮司さんが歴史家で大学の教授をやりながら自分の家の神社も代々継いでるんで聞いてみたんだけど
その神社も日本で最古レベルに古い神社なんだけどな、知名度は無い小さい神社だけど
「〇〇(俺)さん、貴方渡来人ですよ。貴方の苗字はラテン語で〇の意味、身近に〇があるでしょ」
と言われて、確かに俺の家の苗字って日本人ぽくない響きがする苗字なんだよ
学生時代に初めて会うやつから「え?外人?ハーフ??」とか言われるくらい日本人らしからぬ苗字
で、〇という意味だと、調べてみたら確かにラテン語で〇という意味の単語に俺の苗字は響きが非常に似ている
ああ、確かに内の家系は代々〇を大事にしてきたな、ラテン語で〇の意味だから〇を代々守ってきたのかと
うちの家系の人も明治維新で神社から関われなくなったけど
また神道界に戻って諏訪関連の古い神社で宮司に復帰した人も居るわ 諏訪氏の宗家は有員より前に金刺氏に男系が入れ替わっている
より初期の分岐であればむしろその家系が諏訪氏男系を継いでいるかもしれない
諏訪氏は早く三韓征伐でかなり活躍したみたいだね
武人としての評判はそのころからあったのかもしれない 諏訪は須佐之男って理解すると、
その神は地球の神、よって樹木の神だから、稲作をすると倒木しなきゃならないから、須佐之男は稲作に抵抗したとサイトで読んだな
木を切ると、当然酸素が薄くなるし、また、木は知恵を意味するらしいんだ。聖書にも、禁断の知恵の実ってあるでしょ?そんな感じ。
一応、禁断の木の実とは、善悪知る木、つまり、人類が神との分別知を持ったということなんだけどね。 諏訪氏ってC2だし弥生以降の渡来人はほぼ確定だよな
C2はまだ一個も古人骨から採取されていない
国津神とは一体…? D系じゃないということは縄文時代にはいなかったということ 諏訪ガイジの特徴
・諏訪神党に縁があるらしく関連スレに出没
・諏訪氏がハプログループC2であることにコンプレックスを抱く
・自身が渡来系である可能性に不安を抱き皇族以外は日本人じゃないと主張
・言動は典型的な高齢ウヨクで皇族信者
・誰でも知ってるような浅い日本史知識を披露する
・アンカー付けずに番号だけで返信する
・今じゃほとんど使われない古い顔文字を使う
・他人の都合悪いレスは全部妄想で片づける バカだおめえは
自分の気にいらないことを信者だの言ってるなら話にならねえ うちは名字が神で、神家が諏訪に名前を変える前に分家をしていたのかもしれない。
青森の神家は源頼朝の奥州征伐で由比ガ浜から船で北上し、そのまま残ったので名字が残っているのかもしれないね。
家紋は丸に立ち梶。諏訪とのつながりあるんじゃないかなと思ってる。 >>1
残っているのは神長官家の守矢家だけになってしまいましたね ただ、ずーっと思ってたんですが、タテミナカタの直系って、守矢家じゃないの?
ほれ
https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/tikatousin.htm
昔は政治と宗教が一致してたから祭祀や神を奪う事は、基本的に重要事項
生島足島神社から諏訪入りしたとも言われるタテミナカタだが、系図を見る限り、普通に守矢家の先祖がタテミナカタでしょ
大祝家の諏方氏は、嫡流ではないと思いますが
現在のようなタテミナカタを祀るようになったのは幾度となく行われてきた日本書紀風の神への上書き、神改めによる物
桓武記辺りという説があります
それまでは上田の生島足島神社では、出雲大神である幸神三柱。今で言う道祖神を祀っていたそうです。
あと、中央から人が派遣されて、温泉寺あたりに住み着いたという伝承もある
あのあたりの人は世襲で御柱の神事の一部を今でも担ってた気がする
金刺氏あたりが後から入ってきてて、下手すると日本書紀の役割分担で別の家が諏方氏を名乗った可能性がある
政治を乗っ取ろうとして失敗したのが、上社、下社の結果になったのではなかろうか >>3
現在の皇室は、一般には蘇我系と言われていますが、継体天皇は、事代主系の家の養子でした
段階を辿ると、出雲向家に繋がりますので、別に敵対も何もしていません
継体天皇の時代で男系の物部の血は途絶えています >>7
その諏方氏だけど大祝以前の事が分からないんですよね
国津神、タテミナカタというのなら守矢家かと >>14
いる。
出雲大社上官家筆頭は現在は千家に追い出されていて空席だけど、その家が東出雲王家、事代主家系で現在でも続いている
しかし、本スレに関係する書き方だと、事代主は二人の奥さんがいて、奈良の神武の奥さんになったのは三島家系の事代主の家系
タテミナカタは、越国、ヌナガワ姫系の事代主家系 >>16
三輪氏は出雲系
太田氏が大神神社の社家。加茂氏の分家 >>20
出雲の王様は交代制でした
主王を大穴持
副王をスクナヒコ
そう呼んでいました。国譲りの際の事代主は副王の向家。
八重波津見が、第八代の国譲り事件の際の事代主で、タテミナカタのお父さんです。
妹にミホススミ姫が居ます >>21
須佐男は記紀作成の時に新しく作られた神様
元々出雲には須佐男は居ませんでした
風土記を作った現在の出雲大社の宮司家の千家と、出雲に国司として赴任してきた忌部が、八年ほどかけて記紀の前半部分を担当した際に、千家の祖人を神様に格上げした物です
千家にとって記紀の演出の最大の演出は、背乗りの事実を隠し、出雲に無関係だった須佐男を出雲舅にし、血縁を強引に作り出す事だったのです
故に、出雲王家の初代のBC 7世紀を隠すため、BC660からの歴史が記紀に編まれました
徐福時代の渡来者であるアメノホヒ系の千家では、皇室と同程度の歴史しかない >>22
記紀によれば神武朝は三代にわたり出雲から嫁を貰ってる
既に有力な豪族になっていたんだよ、奈良では >>24
奈良はマジで山に囲まれたど田舎
事代主系の磯城登美家が、ホアカリ系と姻戚関係を結び、奈良の沼地を開拓した
記紀には隠されているけどBC2あたり
奈良の御所にはその頃の大規模な水稲遺跡がある >>27
諏方氏が、金刺氏説とか、阿蘇関係者とかそういうのに繋がる説ですよね
実際には、守矢系図にタテミナカタが出ていますので、千鹿頭神から祭司を奪い、女系に押し込め、祭司を奪ったような系図になってる
つまり、守矢がタテミナカタで、諏方が、その分家か、出雲における千家のように、集合することにより、いつのまにか家系図にタテミナカタを入れたのではないか、という仮説に辿り着くわけです
温泉寺のあたりは後から来た人たちが居着いた場所と言うことになっていますよね、地元では >>28
コレが分からんのです。
代数が40代前後のはずなんですよ
元々は熊野修験の流れを汲む武甲山の社家が、守屋家でした
物部守矢の次男さんは、神長官家に養子入りしています
守矢と、守屋は区別が必要なんですよね、厳密には
一説によると、諏訪の物部守屋系という話をどこかで見た事があります
向こうの神社も雰囲気的に物部の色彩を感じます >>353
ミワ氏は朝廷に諏訪の直系としてお墨付きなんて出してないよ
向家の八重波津身の子供には磯城登美家系と、タテミナカタ系がある
前者は八重波津身の息子のクシヒカタが祖であり、賀茂氏も磯城登美家の分家
故に、京都の賀茂神社は三島の姫を祀っている
タテミナカタはヌナガワ姫の系統の息子だから腹違いの家系
クシヒカタは初代神武系の母系。卑弥呼の家系。
故に三輪山祭司を世襲でやってた。
今はどうか知らんけど、魏書の未婚の卑弥呼は太田氏の弟に世話されてた。太田氏は三輪山の社家
本質が違うよ。 >>36
当の守矢の家系が、タテミナカタそのものの祭司を乗っ取ったような家系図になってる
守矢がタテミナカタ系統なのでは? 諏訪氏となったのが金刺氏で実際には建御名方の子孫じゃないってことか >>38
大物主は、事代主だよ。
三輪山の祭祀は、出雲の太陽の女神が最初で、後にクシヒカタの子孫が事代主を合祀した
所謂邪馬台国事件の際に三輪山の祭祀は奪われて、最終的に伊勢に落ち着く
、その際に残った男神を大物主に名を変えて祀った。
故に、三輪山祭司が奪われたことにより、登美の霊璽が二箇所になった。 >>41
その通りだけど、本家の向家はまだ続いているから、分家に過ぎない。
登美家の嫡流は、太田氏ではなく賀茂氏
ミワとは、酒造りからきているらしい
本来の奈良の出雲族は、カモ「神」族
葛城高鴨神社(神門臣家・大国主八千矛)、鴨津波神社(向家の分家、磯城登家・事代主八重波津身)
それが加茂氏になった >>60
太田タネコの頃が、和歌山から物部氏が入り込んだ最初の東征時期、倭国大乱期。160年代
この頃の葛城国の大王がクニクルで、息子に大彦がいた時代。
実は、大彦は二世紀の人。180年代には阿部氏と名を変えて琵琶湖後面に拠点を移した。
磐余彦の勢力と戦った、初代の神武の家系が葛城国で、物部の血が入ってない純粋の神武の家系が彼
記紀においては2回の物部東征を一つにまとめているので、大彦が神武の前に来るなどしている >>57
加茂氏系だから、大事にしたのかもしれない >>59
出雲は主王と副王が交代制でやっていましたが、国譲り事件の際は、西出雲王家の神門臣家が大国主。東出雲王家の向井家が事代主をやっていました
両者ともに葛城地方に分家が移転してきたので、鴨氏と呼ばれていました
事代主の向井家は冨家とも言われ、大彦がトミノナガスネヒコと名乗ったのは冨家の血筋を尊重していたからとされます
ヤマトトビモモソヒメは、二人の人物の名前で、トビは、冨です
事代主家系はヤマトで建飯勝の代から磯城トビ家となっています
出雲系は国津神というのは本当は正しくありません
天クシヒカタは出雲系ですから。
おそらく妹の多々良五十鈴姫を村雲王に嫁に出したから天が付いたと思われます
また、出雲の国は17代まで続きますが、天冬衣の様に記紀の都合で天が割り振られているケースもあります >>68
そのまま素直に読んで問題なし
事代主=大物主だから >>72
本当の歴史を受け継ぐ出雲族なら、タテミナカタの父親が事代主、八重波津身である事を知っているはず
家系図を見る限りは、本当のタテミナカタの家系は神長官家の様に思える >>84
基本的に、鏡は物部、勾玉は出雲、剣は尾張氏に起源があるそうです >>87
西出雲王家の神門臣家は、出雲大社のお抱え大工でしたが、今では千家に追い出されちゃって担当してません
事代主の向家は出雲大社の上官家筆頭でしたが、昭和の時代にその職は無くなりました
出雲大社は、大国主と事代主が作った訳です
千家は雇われ神主で鍵も大国主の分家が管理してて勝手に大社に入る事すら出来ませんでした >>120
和名ホアカリは、出雲大国主娘を嫁にもらい、一度大陸に帰国
和名ニギハヤヒは、再渡来後に、九州の出雲の分家である宗方のアタカタスの娘、宗方三女神のうちの、市杵島姫を嫁にもらい、彦ホホデミを設ける。コレが物部氏。
ホアカリの子供は丹後に移住して、更にヤマト入り
その際に血筋を濃くして先祖返り
物部の姫を貰い、男子を産む。コレが村雲。
村雲以下、尾張家の大王は三代に渡り事代主系の姫を嫁にもらった。
コレが神武朝
物部と、東征で負けた神武は親戚 >>123
実は、建ミカヅチは、建飯勝こと、磯城登美家の出身
九州の多臣家とも親戚で、それ故に藤原氏にも元々関係のある人物だった
多氏や、太安万侶、藤原不比等は、親戚関係で、初代神武の系統の古い家柄
渡来だったのは中臣家の方。
辰韓の時代の渡来者らしい >>127
記紀編纂後に古事記を担当した綾部家出身で柿本家に養子入りした柿本人麻呂と、日本書紀を担当した太安万侶は中央から遠ざけられたとされます。
太安万侶が出雲に流されていた時、向家を呼び出して、記紀編纂の内情を伝えたそうです。
記紀には歴代の大国主17人全ての名前を入れる方針は太安万侶の考え方だった様です
BC600年代の初代、管八井耳から、最後の邪馬台国時に滅んだ山崎帯まてが記紀には書かれています >>163
千家は向家の野見宿禰を家系図に入れて、自分たちが出雲王家の先祖である様に家系図を誤魔化している
出雲を滅ぼす手引きをしたとは言え、他の家の家系まで組み入れる、女系も男系もないやり方は凄まじいの一言である 嫡流が断絶した故に魂は嫡流を離れてあちこちに転生しておるのだな >>222
大彦が作った国がクナト国
九州ではない >大彦が作った国がクナト国
>九州ではない
そうなんだ。
そんなマイナーな国もあったんだな。
>狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに
そうだね。 >>133
諏方氏同士で争っていたから、落とし所として権威を利用して神長官が出張ってきたという構図でしょ >>142
須佐男は記紀の都合で作られた新造の神で、昔は存在していなかった
故に神長官家の家系図にはタテミナカタしか出てこない >>184
神長官家には物部守屋の次男が養子入りしてるから途中から男系になった可能性はある >>263
邪馬台国事件なんて、ただの親戚同士のお家騒動だよね。
当時の有力な豪族は、機内にも九州にも両方拠点を持ってた。
違いと言えば、水銀。
あれだけは圧倒的に九州の方は物量が足りなかった。
自分たちの国さえできればいいのなら畿内など無視しておけば良かったのにそうしなかった理由がちゃんとある。
九州論者は、畿内の勢力が九州にもあった事を認めないから笑える 阿波猿よ
阿波岐原が筑紫だと記にあって、オメエの小豆脳みそのいう阿波のわけ
がねえ。オメエの小豆脳内が盲象暴象してるからすぐに松沢病院に行ってこい。 >>468
武内宿禰が作らせたとされる三角縁神獣鏡も、呉の三角縁仏獣鏡の技術を使って大型化したという伝承がある
呉は仏教の国
仏教伝来は曽我氏が最初から絡んでいるのかもしれない >>475
確か、手長神社か、足長神社のどちらかはアラハバキ信仰だったらしいね >>730
タテミナカタは、奈良にに大王家ができる前に出雲から出ている
千家と、千家が手引きした徐福集団にやられた >>733
なるほど、そういう事で混同がおきるのか だいたい朝貢だの知らんやつらに対して起こるわけないからな
なんで中華とやらに朝貢やらなきゃならねえんだよ?アホくせえ 歴史書に須佐男が出てたら記紀編纂以降
これは一つのベンチマークになる 【悲報】伽耶諸国で倭人がエベンキを奴隷とし殉死させていたことが発覚
大凌河
@C1a1_M8
韓国の伽耶古人の論文をもう一度読んで、いくつか特別なものを発見した。サンプルAKG_10203(D1a2a1-Z1625)は武士か下級貴族かもしれません。
金海大成洞古墳群の検査結果のあるすべて女性は殉死者(Sacrifice)である。O1b2a1a2a1b1-PH40の男性も殉死者です。 初見さんのために一応貼っとくかな
日本史板常駐の諏訪ガイジの特徴
・諏訪神党に縁があるらしく関連スレに出没
・諏訪氏がハプログループC2であることにコンプレックスを抱く
・自身が渡来系である可能性に不安を抱き皇族以外は日本人じゃないと主張
・言動は典型的な高齢ウヨクで皇族信者
・誰でも知ってるような浅い日本史知識を披露する
・アンカー付けずに番号だけで返信する
・今じゃほとんど使われない古い顔文字を使う
・知性が無いので反論になってない反論をする 信仰が民族を形作る以上、信仰ない民族は他宗教民族に乗っ取られる >>741神姓=諏訪氏ではない
諏訪氏以外にも神姓を名乗る家系は全国的には多数ある
地元諏訪で守矢氏の存在が広く知られたのは1990年代から
それまでは知名度低く軽んじられていた
金刺氏は下社大祝、上社と混同すべきではない >>741神姓=諏訪氏ではない
諏訪氏以外にも神姓を名乗る家系は全国的には多数ある
地元諏訪で守矢氏の存在が広く知られたのは1990年代から
それまでは知名度低く軽んじられていた
金刺氏は下社大祝、上社と混同すべきではない >>741
諏訪家の神姓だったら大祝神氏の系図に載っているはず
諏訪神党ですら神姓は名乗れない なぜか辺境の薩摩に諏訪神社が多い
やはり信濃に所領を得た島津氏の影響なんだろうね 神長官の守矢某も神姓で書簡書いてたなあ
ソースは守矢史料館のいつぞやの展示 幕藩時代の諏訪高島藩主と大祝ってどんな関係だったんだろう? 神長官守矢氏は、代数が87だいほどで、圧倒的に系図が足りない
出雲の向家が130数代で、
新潟の二田物部神社の三嶋家で130代で2000年の歴史
国譲りの千家が80数代
明らかに守矢家は系図を失っているか、物部守屋が系図を乗っ取りしている。
タテミナカタの時代で80代は明らかに少ない >>696
諏訪の神って、エソウらしいよ
調べてみ 知り合いに神(みわ)さんがいるんだけど
諏訪氏と関係あるのかな?それとも三輪氏? >>794
>諏訪氏がハプログループC2であることに
これって有員由来ということになるんじゃないのか? >>696
古代墳墓の四隅に木を建てる風習の名残だと聞いたことがありますが、本当でしょうか?
なおミシャグジ、アラハバキ、クナト神、またイスラエル氏族、縄文人、そして出雲族が諏訪エリアを一時的に支配(統括)していたとの伝承についてその信憑性は如何でしょうか? >>806
青森県人だが神姓で「みわ」読みの人には会った事ない。
みんな「じん」 守矢家にはミシャグジの秘法は絶やさないで貰いたかった… 中沢新一著「アースダイバー神社編」に
諏訪湖周辺にまず先住民そこへ出雲、安曇が流入とあり、
上諏訪下諏訪で棲み分けなどとても興味深く感じました。
またYouTubeでみました、
諏訪大社周辺の語り部という方のお話も貴重に感じながら聞きました。
自分は近畿地方の人間で恥ずかしながら
伊勢神宮が1番偉い
天皇が長くいた京都が大きい顔ができる
ぐらいの認識で30年間以上生きてきまして、
とあるきっかけで出雲の存在に興味を持ち
国譲り神話についてちゃんと考えた時点から
古代史沼にハマっています。
そして諏訪に興味を持つに至り、この夏電車で3泊4日で諏訪を訪れようと思っています。
ここは行った方が良いよという所が有りましたら
是非参考にさせていただきたいです。
長文失礼しました。読んでいただいた方ありがとうございます。 >>814
ありがとうございます。
霧ヶ峰と聞くとエアコンを思い出しました。
ググってみたらまさに縄文なんですね。
行ってみます! 全板規模の荒らしによる重複スレが立てられたので
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