神武天皇の畿内での嫁さんの記述が
古事記と日本書紀では違うだろう?
そのへんが大きなヒントだと思う。

古事記のほうでは、神武さんは大物主の娘と結婚したとある。
一方、日本書紀のほうでは、神武さんは、事代主の娘と結婚したとある。

古事記のほうが正直で、日本書紀のほうは、政治的に作ったと思う。

だとしたら、
古事記のほうでは、神武天皇は、ただの三輪山(大物主)の神主の娘と結婚したが
日本書紀では、前の天下を牛耳っていた大国主の孫娘と結婚したことになる。

日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
政治的にする必要があったのでは?