>>74-75
だから、そういうIFそのものの想定が、論理必然で、絶対に無理なんだ。
これは、戦国武将でも、伊達政宗に特有の現象に近い。
繰り返しになるが、
政宗が、浜通りを除く福島を一気に制圧する前提として、
1580年代中葉になって、奥州の武将間の馴れ合いが解消しつつあった、という条件がある。
これは、1570年代に、「大物同士の予定調和プロレス」だった中部地方の権力状況が
畿内を押さえて中央進出した尾張政権の圧力を受けて、あっという間に激変し、
その影響が、越後筋と関東筋から、奥州に波及してきたことによるもの。
東海勢の圧力で、社会の仕組みを組み替えられ、なりふり構わなくなった佐竹・北条・上杉の
間接的影響があってはじめて、政宗の一刀両断が可能だった。

ところが、同じ1585年には、秀吉は西国向けの私戦禁止令を出していて、東国に出されるのも時間の問題、
つまり、関西の中央政権は、東北の馴れ合いが解消したその時には、さらに次のステップに進んでいた。
政宗は、これを横目に見つつ、ギリギリまで、戦国型の私戦による領土拡張を目論んで、
その結果が、あの最大版図と、尻拭いのための、「首の皮一枚の綱渡りパフォーマンス」だったわけだから、
史実以上の領土獲得は無理。