圧倒的な武力を背景にした権力を持った将軍が、摂関を上回っていたのは事実だ。
しかし、その将軍も自身の権威付けとして将軍位他の官位を受けている。
公家官位の外なら、それ程権威・権力のある将軍の力をして就任時にいきなり、
極位・極官の従一位太政大臣にならないのか?大将だって左大将を取ればいい。
しかし、実際は正二位・内大臣・右大将という典型的な清華家の官位でしかなく、
ここに将軍の地位の限界と矛盾がある。
武家の家格は三家・三卿・国持ち・城主など領国規模に関わる家格があるが、
この家格はほぼ変動する可能性は少なく、従って大名達の関心は官位の上昇に向く。
固定された封建体制下において、可能性のある自家官位の上昇志向は凄まいものがあり、
有名な会津松平家と井伊家の四位・中将の先任争いなど、その一例だ。
封建下の武家統治方としての武家官位はもっと研究されるべき。