>>266
以前にもどこかに広幡家は大将が兼ねられないという書き込みがあったけど、
豊忠、前豊、基豊、忠礼は右大将になっている。
ただ、経豊は内大臣になっているにも関わらず、大将を兼ねられなかった。
これは、先任の大炊御門経久が右大将を兼ねて内大臣になり、続いて久我通明が、
すぐに右大将を兼ねて内大臣になった。
そして、その後を受けて経豊が内大臣になったが、兼ねられるべき右大将は、
大納言の鷹司輔煕のところに行ってしまい、珍しい例になった。