大塩平八郎のことを調べてたら、養子縁組によって当時の武士の家格の考え方が
透けて見えるように思う。

大塩の祖父は、徳島藩筆頭家老稲田家の家臣真鍋家の生まれで、つまり陪々臣の出。
一旦、同じく稲田家の家臣塩田家に養子に入った後、更に大坂町奉行組与力(抱席御家人)の
大塩家の養子に入っている。全て知行200石相当だ。与力は蔵米支給で、現米80石という
表現になってるけど、禄米二百俵と同じく4公6民で知行200石と同じ扱い。
平八郎の親戚や弟子に養子縁組した人間は多いけど、堺奉行組与力や大阪定番組与力、
大和郡山藩家臣といったように、直臣陪臣の区別なく、知行200石相当の家同士で
行き来している。もちろん、同役である大坂町奉行組与力の間での養子縁組がダントツに多いけど。

これが大名旗本ともなると、同じ大名旗本からって話で別枠になるだろうけどね。お上から
かなり厳しく監視されるし。しかし御家人であれば、陪臣とかそういうのはこだわらないようだ。
あくまで家格は知行高相当で決まるらしい。

ちなみに、もう一段格下の同心(抱席御家人)ともなると、裕福な町人とか農民とかと平気で
養子縁組してる。