>>57
爵位どころか叙爵内規すら存在しない時期の願書にそれらを意識した理由を書くわけがないんだから、>>49の反論は的外れだと言ってるんだよ。
この程度のことも説明されないと理解できないのか。
それと嵯峨実愛は叙爵内規の存在も知らずに「何でうちが伯爵なんだ!」と内規の規定からすれば見当違いな文句を垂れていただけだよ(旧来の家格を考慮しろという主張としては正当と言えるが)。
そもそも叙爵内規は近世期の家格を十分に反映しておらず、それゆえ嵯峨実愛はじめ当事者たちの不満が続々と噴出する結果となったわけで、そうした不誠実で大雑把でその場しのぎな基準を持ってきて近世期の家格を云々するというのは不見識の謗りを免れない。

それと、在位、当職にある者イコール家督という素朴な思い込みは止めた方がいい(そもそもこの場合「家督」という語を「家督と隠居」のような近世的な意味で使用しているわけではない)。
例えば将軍義量の死に際して後継者が全く問題とされていないのに対して、室町殿義持不予の折りには(その間何年も将軍職は不在であったのにも拘わらず)急にそれが問題となっている。
また中世の王家・院宮家の伝領過程をまともに考えれば、その「家督」が天皇にではなく治天にあったと考える方が自然。
中世は隠居したじいさんが権力を持った時代ではなく、公の地位とその家督が分離した時代と言った方が正確。
そもそも「新しい歴史用語としての用法」などと、「室町殿」という地位・概念への理解が薄弱であることを自白しながら論じようというのは無謀。
また誤解がないように言っておくと、後継者が幼稚か不在のときには室町殿が将軍職にあることも勿論あるよ。
まあこう説明されてもピンと来ないんだろうけどね。