力の強い順、あるいは金のある順でいったら、顕如、義昭、正親町天皇の順になるだろうな。
信長からのやられ方もこの順にひどいな。
顕如をリーダーと仰ぐ本願寺門徒は数万人焼き殺されたというし、
本拠である石山本願寺は海上封鎖されて兵糧攻めにあって落城した。
力に抗するに力をもってした悲劇だな。
義昭の方は最初は信長のお蔭で将軍になったが、たんなる精神的権威としての立場がつらぬけず、
妙な政治的画策をして、信長を裏切ったので、結局追放されてしまう。
義昭は見通しの悪さで亡びたという印象だ。
正親町天皇となるとこれはもう、自分を信長に利用させるだけで、それで安泰だった。
何しろ正親町天皇は貧窮して、践祚してからもお金がないために3年ほど即位できなかったからな。
御所の塀がくずれたまま直せないので、三条の橋の上から中の灯りが見えたというほどの暮らしをしていたのだが、
自分の利用価値を正しく認識していたので、あわてずさわがず、戦乱の世に処したのが成功したわけだ。
さすがに権威の総元締めはかしこい。
義昭や顕如にはまだまだ伝統の知恵が足りなかったな。
しかし信長という人も偉い人だったね。
当時天下を取るにはいくつかの方法があったと思う。
一つは北条早雲のように、関東に武家政権をうちたてて鎌倉幕府を踏襲しようとするもの。
もう一つは、まず自分の領国を固め、生産を高め、武力を蓄えた上で次々に隣国を攻めていくやり方。
いろんな天下争奪のプランがある中で、最初から京都に目を向けていた信長が結局は天下をとった。
これは偶然じゃないと思う。