しかし、どうなんだろ。
後醍醐天皇のやり方をみると、宋学という筋道の立った思想のほかに、
密教的というか呪術的な影響がみられるよな。
吉野へ逃れたときに活躍する山伏とか、真言立川流などという邪教など、
後醍醐天皇のまわりには、なにかドロドロしたものがあるように感じてならないんだが。