>>802
ほいから、こっちものう。
http://park11.wakwak.com/~siori/dansyoku.html
「男だけでつくりあげられた戦士の集団には、つねに潜在的に同性愛の原理に
つらぬかれているのだ、ともいえる。未開社会の戦士集団であろうと、ギリシアや
ローマの古代帝国の軍隊であろうと、中世の封建社会にできあがった騎士道や
武士道の世界であろうと、ことの本質は変わらない。戦士たちは、たがいに
同性愛的な友愛の精神に導かれ、自分の生命をいとも簡単に投げ出して、自分の
恋の相手に殉ずることをも、いとわなかった」…
日本の場合は、より濃厚に、近世までそういう傾向があったように見受けられます。
 民俗学者フリードリヒ・クラウスは、1907年に刊行した「信仰、慣習、風習から
た日本人の性生活」の中で、日清・日露戦争における日本軍にふれ、
「男子同性愛が兵士や士官の間に非常に蔓延していることは、他のことから裏書き
された。皮相な観察者さえも、日本の兵士たちが、われわれ一般人よりもはるかに
情愛がこもり、友情的な態度でお互いにつきあっているのに、驚くだろう。…
 新羅の花郎(ファラン)集会は、名門貴族の子弟の中から選ばれた15、6歳の美貌の
少年を中心とする、青年戦士集団でして、義兄弟的な同性愛が、ごく普通に営まれて
いたといわれます。
日本の古代に、文献資料として、男色の記録は少ないのですが、万葉集には、
それらしき歌が散見されるそうですし、ヤマトタケルが女装してクマソタケルを
討つお話は、あきらかに男色を暗示しています。}
ブログ主の南方誘致は妄想で、年齢階梯概念はウイグル族のように中央アジアの方が
東南アジアたぁ顕著じゃし、同性愛戦士集団も、ユーラシア東西文化の中で生まれたと
する解釈が正解じゃろう。ヤマトタケル神話のトランス女装も男色と共に中世の
西洋騎士も現代なら女装に近い衣服で、日本の武将の薄化粧と云い戦士集団は、
新羅の花郎道と同一よのう。
しかも、戦乱期の古新羅時代に後世の士大夫文臣じゃのトンデモネトウヨ妄想じゃの
通用せんし。