【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】
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河尻秀隆もこんな未開の地に赴任するとか信長を呪っただろうな 信長が死んだ途端になぶり殺し(笑)
家来共々
手足の指を切断され、背中の皮を剥がれ、言語に絶する拷問をうけて悶死 >>296
小山田と穴山に常に気配りしないと武田支配体制を維持できない なるほど
女を献上される側は立場が上なのが普通だわな。
小山田も穴山も親子続けて武田から女を献上されたわな。 主君の姉妹を妻にする事を
「女を献上された」
と解釈できるのだな ふむふむ
織田信長が妹の市姫や娘の五徳姫を配下武将に献上するなど有り得ない話だよね。
貴重な手駒を使うなら、政治的に同盟関係を交わす安全保証としての婚姻だよな。
そう考えると
武田、穴山、小山田とは主従でなく、同盟関係に近い間柄だったと理解して良いのかな。
相模、駿河と婚姻を介しての同盟関係だった様に。 >>314
武田家側からすると裏切りなのですが、
穴山、木曽、小山田の側では「同盟を結んでやってた」くらいの感覚だったのではないでしょうか。 国境付近の国人には血縁で縛るしかないな。跡継ぎ不在なら実子をねじ込む >>318
源氏は新羅三郎義光じゃなく八幡太郎義家だ。 >>323
将門は村岡五郎以外の叔父と喧嘩をしてた。
そういえば清盛は忠正と喧嘩したな。 農民が武装しだしたのが武士の発祥でしょ?
んで土着した(元)高貴な血統を御輿に担いで武士団に。
話し合いで済まない土地争いを武力で解決してきた人々だから荒っぽいのは当然。
同じ源氏平家でも西日本と板東じゃ全く違うよな。 >>321
八幡太郎は河内源氏の嫡流ってだけだ。その弟の新羅三郎も歴とした源氏の一員だ 平安初期ころの東日本での朝廷勢力が及ぶ範囲がフォッサマグナとほぼ一致する。
このラインから東に掛けてアイヌの地名が多く残っている。
天智天武の時代は濃尾が最前線だったのが平安初期までには富士川まで。
この時期に亡命百済人や大陸からの帰化人のうち土木や軍事に特化した集団を対アイヌ第2戦線である峡国に大量入植させた。
現地人と帰化人で郡部を形成できる人数なので新たに高麗郡とした。
平安中期に食い詰め貴族が田舎に次々に落ちていった。
やがて常陸国で「下手うち」した乱暴貴族が罪人として峡国に流されてきた。
峡国の武装農民は渡りに船とばかりに、この罪人乱暴貴族をリーダに祭り上げた。
この罪人乱暴貴族は前に住んでた土地の名を号した。
源次郎逸見冠者武田義清......と。
甲斐源氏武田氏の興りである。
という小説を書いてみた。
合ってる? >>330
源氏という貴種ではあるけど
官位が高くないので貴族では無いな 織田徳川連合軍の攻撃、武田家滅亡で武田菱が途絶えた
子孫もいないようだし・・・ >>334
平家も清盛までは従三位は超えなかっただろう。
頼義も義家も忠盛の一階下の正四位下。 >>336
安心して、武田菱は消えてはいない
山梨県警の機動隊はジュラルミンの盾に「武田菱」のマーク
付けてるよ >>343
我が郷土の、光秀公に並ぶ英雄ですぞ
丹波の亀岡市に墓所が有るよ >>344
稲川会 山梨一家 佐野組も武田菱を使ってるずら >>343
清和源氏では摂津源氏が嫡流だぞ。河内源氏の祖は三男坊だ 摂津に....、いまの池田市だが
多田神社って在って「源氏本貫之庄」って看板が173号線に建ってるぞ ちゃうわ、隣の川西市やった
頼光廟って在ったような記憶が 亀岡市の9号線沿いには細川勝元の墓が
細川も源氏だろ やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい(現在スレが荒されてますので、テンプレと87の連絡先さえ確認して頂ければokです)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/1-87 源頼光は摂津源氏、源三位頼政の先祖。細川も足利氏の支流だから当然源氏。吉見も阿野も頼朝弟の子孫だから源氏。
江戸より前は生まれ順というより母親の実家次第で跡継ぎは決まっていたらしい >>336
陸上自衛隊北富士駐屯地にも武田菱の幟が立ってる 甲斐源氏....という概念
韮崎に土着した武田氏だけじゃ無いんだよね。 新潟県警の機動隊、上杉謙信の旗印だった毘沙門天の「毘」の文字を盾に書いてる
京都府警機動隊「誠」の文字 たぶん新選組を気取ってるんだろう 実は......さ、
割り菱は武田家のフォーマルな場面でつかう家紋じゃ無いって知ってた?
いわゆる武田菱ってカジュアルな紋様なんだぜ。
都の勅使や将軍に拝謁する場面では違う紋様を使うのさ。
((( ̄へ ̄井)ふん! 武田一族は清和源氏の流れを汲んでおり、長元4年(1031年)3月には清和源氏の惣領・源頼信が甲斐守として着任した。
以後、彼の子孫が名馬の産地・甲斐国高麗郡を占拠するようになっていくのである。
頼信の子・頼義、孫の新羅三郎義光はいずれも関東地方に国守として就任しており、
義光次男の義清のときには高麗郡(こまごおり)の市河荘、青島荘の下司(=管理人)として土着するようになる。
そして、義清と子の清光は高麗郡北部の逸見郷で荘園を成立させていった。
この清光が甲斐源氏の祖といわれており、その子供たちが甲斐国を発祥として武田一族をはじめ多くの諸氏族を築いていくのである。
光長(長男):逸見氏の祖。逸見荘を守って逸見太郎と称す。
信義(次男):甲斐武田氏の祖。武河荘の武田に住し、武田太郎と称す。
遠光(三男):加賀美氏の祖。加賀美荘に住し、加賀美次郎と称す。子は小笠原氏・南部氏・秋山氏などを興す。
義定(?男):安田氏の祖。加納荘に住し、安田三郎と称す。
義遠(?男):浅利氏の祖。八代郡浅利郷に住し、浅利与一と称す。 >>276
南部って戦国時代に青森岩手にいた南部氏発祥の地だっけ? 甲斐発祥の南部氏も北奥に転居になってラッキーだったな。甲斐に留まっていたら風土病で族滅してたw >>367
村上はちょつと毛色の違った清和源氏だ。 >>368
一瞬だが都を制圧占領したからなぁ
信玄より遥かに日本史に影響を与えてる >>375
残念
甲斐の山賊領が近すぎて、全てを失った >>375
宗家を滅ぼされ、宗教祭祀を奪われ、姫を拐われ服従させられ、残った血縁を謀略で殺され、反抗した衆は街道に並べた杭に張り付け放置
鬼じゃ!
武田は、武田は鬼じゃ! 大国主命の息子が祀られてる、皇室より遥かに歴史ある大社を護ってきた諏訪氏を滅ぼしたんだもん。
大国主命ファミリーは「怨霊」世界のトップでしょ。
それに手を懸けたんだから武田は滅ぶしかないね。 武田家は江戸時代、幕府では格式ある【高家】として旗本になっていた
武田家清和源氏義光流。
甲斐の戦国大名武田信玄の次男海野信親の子孫である武田信興を初代とする。
徳川綱吉に召し出される。500石。
明治維新後、東京府士族。 >>381
途中、他家から養子とってるからねぇ
松山藩士の秋山家から婿入りした なっていたってその前に大島へ流罪になってるじゃん
しかも赦免されて本土に戻っても支援したのは小山田の娘が
側室として入った内藤家で赦免も主に動いたのは保科や池田両家で
綱吉による抜擢では柳沢と岡山池田が動いた
周りの御膳立てなかったらそのまま流罪だった可能性だってあったよ >>374
源氏としては山奥の田舎暮らしでしょ?
中央の鎌倉に君臨した頼朝とは格が違い過ぎるよ。 高家(こうけ)は、江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。また、この職に就くことのできる家格の旗本(高家旗本)を指す。
役職としての高家を「高家職」と記すことがある。高家旗本のうち、高家職に就いている家は奥高家、非役の家は表高家と呼ばれた。
≪高家≫
有馬、一色、今川、大友、織田、吉良、武田、土岐、畠山、最上、六角・・・
≪高家並≫
山名・・・
などの室町幕府足利家に仕えた名家が高家として明治維新まで存在した >>388
木曽地方に領地あるから木曽氏なんでしょう? >>387
高家だったら、斯波、赤松、北畠、少弐、菊池、三好
当然入ってるはずですが >>389
平家全盛期に木曾の山中で幼少期を過ごしたから木曾冠者だぞ。 源太郎伊沢冠者武田清光 は、子供時代を石和温泉で過ごしたのだ >>394
甲斐氏って菊池氏の一族で一族と喧嘩して東国に逃げてきて甲斐に落ち着いたからとれを苗字にしたと聞く。 所詮アレだ
“甲斐”源氏と言ってる時点で既に主流では無い >>396
地名みたいなモンか。
元の勝浦に対して、那智勝浦とか
高田に対して、大和高田、陸前高田とか 多田源氏、摂津源氏、近江源氏、村上源氏、土岐源氏、光源氏、若狭源氏、
安芸源氏、大隅源氏、嵯峨源氏、丹波源氏、那珂源氏、河内源氏.......
なんだか和牛みたい >>399
越後新田党って越後源氏を名乗らなかったんだね。 十両力士☆貴ゲンジ関
ゲンジ蛍
上野の焼き鳥屋「玄治」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています