織田信長が本能寺を脱出していたら?
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燃え上がる本能寺から信長様は雑兵に化け見事、数名の家来と
ともに安土城に帰還されました。
その後どういう展開になっていたのでしょう みつ「細川を仲間にしたらさくせんをかんがえてもらおう」 >>194
柴田勝家軍は崩壊してないぞ
本能寺の時には上杉景勝の反撃に遭って急には北陸から離れられなかっただけ
滝川も軍そのものの崩壊ではなく信長の死を聞いた北条が俄然やる気になって
猛反撃してきたために離れられなかっただけだな
両者とも信長の命で上杉・北条と戦っていただけなので
光秀のために戦っていたわけではない
柴田勝家は清州会議に真に合っている
軍が崩壊したのは信孝&丹羽のところだけだろ
それも家康接待中の軍崩壊のために家康に黒幕説が出るわけだが >>196言われてみると 多少脱走兵が出たくらいで 崩壊するほど織田軍はヤワではないか(いざとなったらそれぞれの領地の留守部隊を主力に使えるし)
やっぱり>>195な感じの行き当たりばったりな作戦かな 信長は慢心、奢るタイプの人間だろうから、英雄だろうけど誰かに必ず寝首かかれて結果は変わらないな。 信長は天下統一前に夭折して、統一後の仕組み作りが憶測でしか語れない。その信長の下で働いた秀吉が天下統一したけど、統一後の仕組み作りで失敗。
その2人の失敗を教訓できた家康が、仕組み作り完成。
歴史は楽しいわ。 >>119
憶測と言うよりも妄想のレベルだけどね。
井沢とか桐野とかって史実の信長が好きなんじゃなくて信長で妄想するのが好きなだけだよね。 >>201
安価ミス
× >>119
○ >>199
もうしわけない なんか上の文読んでたら、信長と三国志の孫策って似てるなぁと思った。
孫策も国を広げることに関してはピカイチだったけど、国内であっけなくやられた。 >>112
たまにっつーか上司からもディスられるくらい頻繁じゃなかったっけ >>174
そんなこと言ってたら高知に伝わる勝頼一行(快川含)が落ち延びて
云々話はもっと信憑性高くなるけどなw
落ち延びた勝頼が長曽我部と組んで本能寺を起こしたともされていて
最近急浮上した四国説とも一応はつながる話ということでw その土佐へ落ちて話はロマン通り越してイラっとすらしたなあ
潔く田野で果てとけよってね
別にのっけから信じている訳じゃないし勝頼を嫌いとかでもないんだが
読んだ後になんでここまで後味悪いんだ?って感じで
落人伝説のようなロマンある話は大好きでもこの伝説だけは
理由不明でまじで受け付けなかった
本能寺絡みも仇討ちできて良かったね(棒レベルだな もし本当なら景徳院や妙心寺の墓は破棄でいいよ
高野山の過去帳からも削除 へー、そう(^ ^)
じゃあ高野山破棄でいいかな?
必要とされてる順番を間違えていないかぬ というか本能寺の絡みがマジだとしたら松姫が可哀想かつ悲惨すぎだろ 同意。
山中ともなれば残雪も多くまだ冷え込む陽気の中で幼子であった
勝頼の娘と信茂の孫(←最近はこっちが有力らしい)まで連れて山深く
入っていき武州まで落ちて未婚の夫死後はまだ若い身なのに出家のあげく
実家や未婚夫(舅姑や義弟も?)を弔いながら子供達を養育までして
立派な家に嫁がせてもいるのだからな。
伝高知という温暖な土地で平々凡々と暮らしてたどっかの誰かとは大違いw 働き者な姫さんだったみたいだからもし嫁いでいたら信長にも
気に入られたかもしれないだろうにな まあ愛用品に槍があるような姫だから普通に気に入ったであろうよw
実物を見たことあるが長さは男仕様か?みたいにかなり長めだが
柄の細さでみれば女仕様でかなり本格的なものだった 桧原村に伝わる話だと落ちる途中に休憩所として部屋を貸してくれた家に
お礼として愛用の手鏡と一緒に「愛用の太刀」も置いていったそうだぞ なんつうか三法師は松姫に預けるべきだったんじゃね?
盛信は家臣の中でも腕っ節のいい奴を共に付けたともいうしさ マジレスすると仮に松に養育してもらいたいという話が出たとしても
秀吉も家康もそれは全力阻止方向で意見合致だろ
秀吉→傀儡にしにくく織田家を乗っ取れない
家康→武田遺臣が離れる恐れあり
加えて於松は北条家が滅ぶまで北条家の保護下にあったも同然だから
北条家が利用しないとも限らない 秀吉に利用はされたけど一応大名にはなったし
親戚もたくさん豊臣に残ってるんだし秀吉の所でも別にいいんじゃない? 話の流れからして信長や信忠の血を引く武将としてという意味ではないのけ?
>>216
あれ?保護したのって徳川じゃなかったか? 武田討伐時の武蔵落ちで最初に辿り着いた金照庵は心源院の末寺で
その後向ったのが心源院(諸説あって心源院→金照庵とする説も)
本能寺勃発後に松姫が戻り出家及び修行したのがこの寺で当時は八王子城の
城郭内に位置し氏照の祈願寺で住職と氏照はマブダチのような関係でもあり
氏照は小田原も承知だったのか独断だったのかは不明ながら松姫達を
援助(保護)していたそうな。
その後北條討伐の年に理由は諸説あるが心源院から独立して金照庵の
あったところに庵を結び以後死ぬまでそこで、家康が保護したのは
江戸転封後しばらくしてからのこと。 へぇー心源院が城の中にあったとは知らなかったわ
それじゃ家康が血眼になって探しても見つかるわけないよねw >>219
庵を結んだのは金照庵のあった所じゃなく御水所という所
噂では武田家の位牌に混じって信忠をはじめ織田関係の位牌も
数体あるらしく調査が待たれるところ
ぶっちゃけ信長の位牌もあったらおもしろいんだがね 氏照のところにいたなら一応知る手立てはあるのではないかな
もしくは真実は小説より展開で伝説奇説が実はだったりするとか 信長の位牌を作るんなら穴山のも作らんとなー。庵の中は位牌だらけ 凄い亀レスで申し訳ないんだが,上にあった「信長の本能寺脱出云々の件」で
本能寺って半要塞化された寺だったんじゃなかったっけ?
中に蓄えてあった火薬のせいで信長をはじめ自決した人たちの遺骸は爆散したって思ってたんだが,
これは間違い? >>221
信長もおもしろいだろうけど養華院があったらなおだろうな。
とりあえず岡田はガッツポーズということでw
だが確か武田家の位牌所は非公開で調査も×と聞いた記憶あり。
向嶽寺も記録はともかく伝でも話があって然りなはずなのだが頑なに
ないの一点張りで研究者は頭を抱えているっぽい。 まあ過去史は悲惨な殺し関係だの宗教絡みだってのは世界共通だからな つか文屋のみのエサ場って感じがしないでもないけどなw
また変な学説となえるクルクルッパがでてくるのかぬ? >>224
信長は信忠の父親だからまだわからなくもないが
穴山にそこまでの義理なんて於松にはないだろ
むしろ憎しみに近い感情すらあったかもしれない まーでも梅雪は松姫の従兄弟で義理の兄だしな。梅雪を憎んだら信忠も憎たらしくなってきそうだしw どう考えても穴山がそうなら信忠もなんていう式にはなんねーだろw
でなくても穴山は長篠で前科持ちかつ武田討伐時は離反者
それなら北條頼らずに穴山へさっさか行っただろ
>>229
以前読んだ同人SSの松姫が信忠と嬉しくない再会をした時に
松が勝頼達を惨めな死に追いやった直前離反者や織田の名を勝手に
使って勝頼を翻弄した穴山や徳川の処罰を織田に頼むという設定が
妙に新鮮だった…。 最後に勝頼を裏切って、ついでに織田に処刑された小山田の娘香具姫
勝頼と正室北条夫人の娘貞姫
信忠に攻められ討ち死にした仁科盛信の娘督姫
とりあえず信忠夫人だけど10年以上前に手切れになってる松姫
実にびみょ〜んな逃亡メンバーズ というかありきたりな言い方だがそれが戦国時代だからな
その松だって督にとっては仇になりうる可能性もあったのだし
>>231
なんつうブラック松姫wなんだが武田の娘ならそれぐらいのことを
言ったとしてもおかしくはあるまいて 信長には天下取りの野望はあっても、天下を取った後、日本と言う国をどうやって統治していくのかといったビジョンがなかった。
秀吉は政治を私物化し王になろうとした。
多くの大名が徳川側についたのは、その統治力に期待したからだ。
信長は、戦国の世を終わらせ天下を統一するまでの捨て駒。いつ死んだかは、さほど重要ではない。 >>236信長や秀吉に限った話ではなかろう
ぶっちゃけ家康も天下統一後の予定なんて作ってなかったろう >>226
>信長もおもしろいだろうけど養華院があったらなおだろうな。
>とりあえず岡田はガッツポーズということでw
そうなんだが反面もし信長の御台で信忠養母を示唆する裏書の位牌が
見つかり表の戒名が全く違う人だったらもうどん底だろう。
その場合どう反論するのかかなり興味あり。
それとスレチですまんが家康が松姫を側女にしていたという記録が
徳川家が家譜を作る時参考にした文献に書かれてあると知って驚いた。
それによると信吉生母も信玄の娘(松を姉としているから多分玉田寺門跡)
なんだとか。信憑性評価は?な文献ではあるけどなんつうか
徳川って織田を利用して武田家乗っ取りを画策してたんかなとちと思った。 織田信長/年表でみる戦国時代
ttp://www.geocities.jp/hosinoufo3/oda-nobunaga.html
1551年 (18歳)父、信秀の死により、家督を相続する。
1559年 (26歳)岩倉城の戦で織田信賢を攻め追放し、尾張国を統一。
1560年 (27歳)桶狭間の戦で今川義元を討ちとる。
1567年 (34歳)この頃、近江国の浅井長政と同盟。
1568年 (35歳)足利義昭を奉じて上洛を果たす。(信長の上洛戦)
1573年 (40歳)武田信玄の病死により、危機を回避。
将軍足利義昭を河内国に追放。室町幕府滅亡。
越前国を攻め、朝倉義景を自害させ、越前国を支配下に。
小谷城の戦で、浅井長政を自害させ近江国を支配下に。
1575年 (42歳)長篠の戦で甲斐国武田勝頼に大勝。
1578年 (45歳)家臣、荒木村重の謀反にあう。
1582年 (49歳)甲斐国へ侵攻し、武田勝頼を攻め自害させる。(天目山の戦)
中国への出陣途上、京都本能寺で明智光秀の謀反にあい自害。(本能寺の変)
以上で31年間
毛利・上杉が協力したから天下統一は速やかに進んだ
毛利を滅ぼすつもりならどれくらい余計にかかったか
本能寺の変以後の滝川、丹羽、明智、柴田軍団の壊滅でロスした時間とどちらが長いか
朝鮮征伐に空費した時間と兵力をスペイン・ポルトガルにまわせるかどうか勝てるかどうか 乗っ取りというより
【ぼくが一番甲信を上手く統治できるんだからね】
みたいな感覚というべきか。
んで穴山とそこらで意見合致して内部から崩しに入ったとか?
http://www.uraken.net/rekishi/reki-jp37.html
1587年 バテレン(宣教師)追放令
1588年 イギリス軍、スペインの無敵艦隊を撃破する。
1590年 豊臣秀吉、天下統一。
http://ywhc.ken-shin.net/bunroku_keityou.html
1592年 文禄の役
1597年 慶長の役
1598年 秀吉死亡
スペインとの同盟に失敗した秀吉は、明がスペインに征服されるのを黙って見ているよりも、
機先を制して自分が明を征服してしまう以外に、
我が国をスペインによる侵略から救う道はないと覚悟を決めました。
全国を統一した彼の兵力は、全体で数十万人にまで膨れ上がっており、
これらの精鋭を投入すれば、我が国単独での中国大陸の征服も不可能ではないと考えたからです。 >>240
もともとは親織田派だった勝頼とその織田の血もひく信勝が
とにかく邪魔だったのだろう。
もうお松や織田と接近することに異を唱えない家臣達連れて
和睦じゃなく絶対臣従しますと信忠びとこへ出奔してしまえば
おもしろかっただろうに。 >>238
もしその松姫話が事実なら残酷すぎだ
輝政もはらわたにえくりまくっていたろうに… 戦国板に長安と輝政が協力して松姫を家康の正室ないし側室にしないよう
動いていたという逸話のことが書いてあったが関係してそうな感じやね
秀次事件が家康と輝政を接近させたようにこの件が輝政と長安のつながりを
より強固なものに変えていったのかもしれぬ >>243
残酷だが真実は時に残酷な場合があるという言葉もあるからな・・・ >>238
そこで本能寺の変ですよ
影で何かやってたとすれば遺臣達や松あたりからバレルのも
時間の問題なんで計画に乗ったか唆したかしたんじゃない? 案外とラスボス(本能寺の変立案者)は本多正信だったりしてな 近衛前久や足利義昭の冤罪が晴れたと思ったら 今度は本多正信かい 信長は光秀のこと好きだけど
光秀は冷めた目で信長のことを見ている。
信長さん、とりあえず本能寺脱出したら平成へタイムスリップして下さい。
そして、会社を立ち上げて働かせて下さい。
私は過労死で死にます。 >>250
しかし本多正信だからな…
突然復活してきたと思ったら本能寺が起きて以降の活躍はご存知のとおり
なんかタイミングが良すぎのような気がしなくもない
本多と利三の関係を探るとおもしろいこと出てくるかも? >>243
だからこそ244氏が言うみたいになっていったんだろう
思うに大久保長安事件はただの公金横領なんていう上辺の話じゃなく
武派と文派という単純なものでもなく実際はもっと根深いものそれこそ
本能寺つうか織田と武田つうかその頃の何かが潜んでいるんじゃなかろうか。 >>244>>253
>信忠の未婚の正妻であるあの松姫こと信松尼の庵_現信松院で輝政も度々訪ねていて
>家康の側室?御台?にされそうになるのを長安と組んであの手この手を使って
>必死で止めたという話もあるとかなんとか。
これって何の史料に載ってるの?
この板の濃姫スレでも無関係に松姫の話ばっかりしている基地外がいたけど。 スレチどころか板をまたぐってどっちが基地外なんだか…。
あとそれは史料出典ではなく伝承逸話の類だろう
だからあるとかなんとかとぼかして書いてあるんだろ
まあ輝政が訪れているのも家康から守ろうとしたのも
あり得なくもない話とは思うけどね。 >>255
戦国板と板をまたいだのは君なのにねw
基地外呼ばわりされて逆切れ?
根拠のない話を史実のように書いて
自分で自分に自己レス気持ち悪い >>253
なるほどおもしろい視点だな。
長安事件は謎だらけの気味の悪さすら感じる上に秀次事件で誤解を
されやすい三成と違ってもう擁護のしようがないほどに本多の本性が
表れたような事件だからひょっとするとひょっとするかもしれぬ。
誰かこういう路線で研究している人いないかな。 >>252
本多と利三というと春日局の乳母推挙絡みがあるんだっけか
正信の継室とも春日局は仲良かったようで寺の土地を広くしてと
2人して家光に頼んだという話もあるらしいしうーむ 信長が生きていたら、大坂城を築き、信長が移り住んで天下布武の拠点とする。
安土城に嫡男信忠を配置し、京都朝廷に睨みを効かした上で
信孝を尾張清須城へ、信雄を美濃岐阜城へ配置する。
そして、天下統一が成った暁には、朝鮮征伐へと動くだろうな。 信孝と信雄は美濃尾張にはまずいや絶対に入れなかったろ
火種になりそうな2人だからね
もし信忠を安土に移すのであれば岐阜は信房、清洲は信包など
一門じゃなかろうか。
しかし美濃尾張は本拠でもあるし東国も見据えるなら信房より
下の子がある程度育つまでは信忠(美濃)と信房(尾張)で
がっちり守らせたと思う。 不気味さを感じるのはある意味すべて裏で仏教やら公家やら絡んでるからだよ
秀吉の刀狩りの兵装目録だのなんて話がでてきたなw
とつぜん京都だの言い出したり断末魔って感じになってきたな、お前らな >>259
生きているといっても、燃える本能寺から裸で逃げ出し、部下もいないのにどうすんだ?
それに、仮に味方の軍と合流できても、また裏切り者が出て天下統一なんて無理。 信長って、言ってみれば国内予選ですら突破できなかったレベルなのに、
世界に通用するはずないだろって話。 つーか、信長の一武将時代から
【儂は…明国を…ぶっ壊す!】とか考えてた秀吉がとんでもない 264
明は潰れたぞ
朝鮮出兵のときは朝鮮兵はほとんど最初は日本軍に寝返りを打ってる
風向きが変わったのは明が出兵してきて朝鮮兵なども造反した
その後は明国内でも内政などに対する不満が高まり後金(女真)が独立
して護明派と言われた勢力も5万人の兵力しか集めることができずご覧
の清国建国、朝鮮の運の尽きは護明派だったこと
で例のあれ なんやかんやで江戸幕府によって国家再建を果たした日本とはエラい違い
明 中国は異民族の攻撃を受けるからな
日本より統治の難易度が高い 織田信長は本能寺の変の後、徳川家康と入れ替わったという説があるね。
本能寺の変で死んだのが家康で実際は信長がいきていたという説があるみたいだね。 まずは明智光秀を切り刻むだろう
次に敵を取った秀吉に家督譲るかもなしれないな >>273
外洋どころか瀬戸内海でも航行できないくらいだもんなw >>240
信玄を継ぐのは自分の方が相応しいなんじゃね? 明智光秀は千切りにされて、料理されて、犬にでも食わされていただろうな 本能寺から逃れても土民の竹槍で刺殺されるのがオチ。
あそこで死んだからミーハーなヲタがいるんであって、カッコ悪い死に方してたら日本の董卓と呼ばれていたことだろう。
実際に信長は董卓に似ているけどな。スケールの小さい董卓ってところか。 家康は服部半蔵の手下が護衛したおかげで無事伊賀越えすることができた。
信長は伊賀攻めで忍者たちの怨みを買っているのでノコギリ挽きの刑になる。 今の皇族があるのは、光秀のおかげだね。
信長は、天皇を近江に追いやり、主権を奪おうとしてたから!
まあ、信長が生きてても天下統一は、微妙じゃない? まだそんなこと言ってるのか
光秀が朝廷のために信長を殺す、と思ったとしても
部下たちに反対されたら終わりだろ
部下たちが「嫌です、やりません」と言ったら実行は不可能
部下たちのことはどう考えてるの 部下たちはよく分かっていなかった
よほどの近しい部下以外には信長を殺すという狙いをギリギリまで隠したからだ
なので部下は家康を殺すだとか、ただ単に信長の検分を受けるだとか勘違いしてた
敵は本能寺にあり!とは、
そうした隠した状況の上での言葉だからインパクトがあったのだ 信長は結局部下に殺されて天下統一なんかしないで終わるよ >>287
安土城の本丸御殿が内裏に似た造りをしていたというだけだろ
あの当時の一級建築は天皇の住まいなのだから金を持った為政者が
良い御殿に住もうと思ったら内裏に似るのは当たり前
当時の一次史料に天皇が近々近江に行幸になる
といった記事は出てこない >>288
信長が何をやりたくても部下に反対されたら終わりという理論を信長ヲタは絶対に肯定しないんだよね。
「信長が死ななかったら世界制覇していたニダ!」みたいな馬鹿がいてわらえる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています