>>30
臣下出身の蘇我堅塩媛(欽明妃、用明・推古両天皇の母)がすでに皇太夫人となっているので
藤原宮子が臣下出身の皇太夫人初例ではないよ。
(日本書紀・推古天皇20年条。当時在位中だった娘の推古天皇が自分の母に皇太夫人の名を贈ったとみられる。
蘇我堅塩媛は欽明天皇の大后ではなかったが、推古天皇は父の陵墓に母を合葬してしまっている)
長屋王はこの例を出してきて皇太夫人の名を贈ることを言ったに過ぎない。

それに対して「大御祖」とは天皇家の祖先を指す名称であり(天照大神を大御祖神と呼ぶ)
聖武天皇は藤原宮子をこれから天皇家の祖先として敬おうと言っている。
つまり、宮子が産んだ一粒種の聖武天皇とその子孫だけがこの国の天皇となる資格保持者であり、
それ以外の皇統を排除せよという聖武天皇の意思が込められている。
長屋王や吉備内親王、他諸々生き残っていた天智・天武系諸王たちから反感を買う内容であったと思われる。