天正18年に近衛信尹が菊亭宛に、
関白職が豊臣氏の世襲になるなら、
代わりに内覧職を私が任命されたいと申し出てるね。

ここから察するに武家関白なんて概念は近衛信尹にすら無いわな。
関白の位置づけは全く変わってない。
武家関白という表現は単に、秀吉が武家に対して官位を任命する形に対して学問的に命名した用語に過ぎない。
もちろん秀吉は関白として公家に対しても官位許認可権を保持しているので公家関白としての当たり前の権利もある。