南北朝は祭祀の破壊とは正反対の事例だよ。
ひとつの祭祀をめぐってどちらが祭祀の主宰として正統なのかという争いだ。

河内古墳群の規模の大きさからして、当時の余剰経済力のありったけをあの稜に
注ぎこんだのは間違いなく、当時の国家の政の根幹を成していた可能性が高い。
なのに、100年後の仏教伝来時の論争にはこれらの古墳群についてまともな言及がない。

古墳の墓守が間違えたとかいうくだらん問題じゃないんだよ。