下層の人たちが源・平・藤原などの姓を詐称した→下層なので領地は持ってないから、
苗字はまだない→そのまま鎌倉後期を迎えた

このような人たちが、当時は相当数いたということか。
そして、頼綱もそのひとりであったと考えてよいのか。

確かな血統を持つ御家人たち(とりわけ源氏御門葉)は、頼朝の家人であることを
明確にするため、苗字を称することを命じられているから、高い階層の御家人では
ほぼ苗字がある。一方、その家人クラスになると、かえって本姓を公称する状態が
残ってしまっていたということなのだろうか。