今の東北民の先祖は蝦夷征伐時の移住者か蝦夷なのか [転載禁止]©2ch.net
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ラモスや在日1,2世以外は両方入ってるだろ、どこの日本人も。 現代日本人の形質
現代日本人の一般的特徴は、身長が世界の中位の上(男子平均約170センチ)、
頭示数(頭長に対する頭幅の百分率)は約84で短頭群に属し、皮膚は黄色、頭
髪は黒く直毛で体毛やひげは少ない。眼瞼に蒙古襞があり、耳垢は乾型が多い。
血液型はA型がもっとも多く、O、B、AB型の順に少なくなる。しかし前述のように
かなり大きい地方差があり、ある特定の地域の集団をもって日本人全体の代表
とすることはできない。とくに目だつことは、近畿、山陽地方を中心とする西日本
型あるいは中心型と、関東、東北、北陸、山陰、および九州、四国の一部に及ぶ
東日本型あるいは周辺型との差である。前者は一般に身長が高く、より短頭、高
頭であり、後者はこれと対照的な傾向を示す。昭和20年代に行われた上田常吉、
小浜基次を中心とする全国的な生体計測の結果によれば、頭示数は前者が83〜
86、後者が75〜77で、この差は相当に大きいといえる。また血液型については、
A型遺伝子の頻度が西日本で高く(約29%)、東北で低く(約24%)、明瞭な勾配
を示す。さらに指紋においても、西日本では渦状紋が多く、東日本では少なくなる
傾向がある。このような地方差からみると、現代日本人は完全に同質集団である
とはいいがたい。 日本人って予想外にあちこち移動しているよね。南総里見八犬伝の里見氏は群馬から来た
らしいし、足利高氏は栃木がメインの領土だが、愛知県にも所領を持っていて視察の旅にも
行っていた。朝敵会津藩主の松平氏は徳川家の親戚だから元を正せば愛知県だ。美人が多い
秋田県の藩主佐竹氏は家康によって茨城から僻地の秋田に左遷された。
支配者階級と被支配者階級の差別はあっただろうが、下級武士なんかは地元民と結婚したりして
遺伝子が混じり合っているんだろうな。どっちでもいいってことだよ www 小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号
畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)
(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授) 東北の支配者階層は欧州藤原を代表に征伐側征服側だよな
問題は民衆 その民衆の中には、武士とともに移住した職人や商人もいたんだろ。
武士でも家督を継げなかった者は農民化して庄屋などになったとか。
こうして土着の農民は次第に隅っこに追いやられて行ったんだろうな。
だが、鎌倉幕府も徳川幕府も永続したわけじゃないから、時代が変わる
と再び土着民の末裔が勢いづいたりしてw 東北地方にアイヌの足跡を辿る: 発掘人骨頭蓋の計測的・非計測的研究
http://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/117/2/117_2_65/_pdf
川久保善智
D2でもMMDでも,縄文人に最も近いのは北海道アイヌであったが,東北地方の
古墳時代人(計測的分析では古代人も含む)がこれに次いでおり,古墳時代でも
江戸時代でも,九州→関東→東北→北海道アイヌまたは東日本縄文人という,
明瞭な地理的勾配が観察された。同様の地理的勾配は,判別分析においても
確かめられた。 東北の支配層は藤原氏の枝と源氏の枝でほぼ全て
ついていったのもその支配下の農民とかだろう
そうなると土着の東北人は殺されるなり追放されるなりして東北から消えてるんじゃないか 日本独自のD2はアイヌの遺伝子。
アイヌの9割がD2系統。近畿のD2は被差別部落民。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2/D_keitou_no_bunnpu_to_idou.jpg
日本人(関東)D2 48.2% O2 30.7% O3 14.5%
日本人(関西)D2 26.8% O2 37.1% O3 23.9%
Nonaka 2007
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x/full
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している
(池田次郎・京都大学名誉教授)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い
(中橋孝博・九州大学大学院教授)
アイヌと近畿人と朝鮮人
http://www001.upp.so-net.ne.jp/study-shiomi/images/ep61.h7.jpg
http://i.imgur.com/DUcTfTp.jpg
http://i.imgur.com/bqzuUet.jpg
近畿人と朝鮮人が非常に近いことが目立ち、縄文人(関東)とアイヌは違いを見出せない。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1-thumb.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-mL7QoD2Ihjs/T9vfny4AC8I/AAAAAAAAAFA/jbBsU8mTa2A/s1600/15xweb6.gif 朝鮮の話題が出ると途端に不機嫌になる人は学問に向いてないから、
この板には来るな。ニュー速に張り付いていろよ。
俺は純日本人だけどなw 朝鮮の話題が出ると途端に不機嫌になる人は学問に向いてないから、
この板には来るな。ニュー速に張り付いていろよ。
俺は純日本人だけどなw 『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)2011
日本人の成り立ちについての3つの仮説(P173)
縄文人と弥生人の関係については、これまでに大きく分けて3つの仮説が唱えられてきま
した。「置換説」「混血説」「変形説」です。
(中略)
では、今はどうかというと、「置換に近い混血説」が主流です。(中略)
その後、侃々諤々の議論が繰り広げられましたが、今では「大陸から渡来した弥生人が、
もともと日本に住んでいた縄文人と混血しながら広がっていき、かなり置き換わったのに
近い状態になった」と考える人が多いのです。
私が行った、頭蓋の7つの計測項目による多変量の距離分析でも、西日本の古墳時代人は
弥生人に似ているけれども、東日本の古墳時代人は縄文人と弥生人に同程度に似ていると
いう結果が出ています。 いや東北と蝦夷の話題のスレなのに朝鮮や畿内のコピペしてくるやつはただのきちがいでしょ >>14
そうかね
それなら東北民は容姿でほかの地域の日本人と区別がつきそうなもんだが 小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号
畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)
(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授) >>1
取りあえず、恵美押氏の藤原南家以外の渡辺氏と、その渡辺の近縁の藤原氏系は、平安時代の入植側だろうね。
安倍氏や清原氏に関しては・・古代渡来人の説も・・
古代渡来ならば、蝦夷地開拓国造家は、白村江の戦いに負け、渡来した、百済人なのは間違いない。 百済人に関しては、倭人で、蘇我氏の近縁を謳っていて、その根拠が
三韓征伐の武内の一族としている点・・武寧王(武内王)後の代で倭史・和史を名乗って居る・・。 因みに新羅は、神武天皇の兄、稲飯命の国で、昔氏や新羅王子、天日槍命(神床氏)が稲飯命の裔と称して居る。
出石族・・神功皇后・応神天皇の祖。 蝦夷が築いた東北や関東の古墳を見たらわかるが、
蝦夷は馬を引き連れて朝鮮から来た北方モンゴロイド。
もともと日本列島に生息してなかった馬を朝鮮から連れてきた張本人が蝦夷。 西は肥沃な稲作地帯だったが
東は火山灰土壌で農業が不可能だったので、耕作放棄地が広がっていた。
そこへ騎馬民族が侵入してきたので東には馬の痕跡が圧倒的に多い。
耕作放棄地にも雑草は生えていたので、
そのような草を馬に食わせる牧畜が東では盛んだった。 >>22
その古墳時代の蝦夷は、秦族の出雲臣と出雲臣と同化した先住の大国主や事代主の一族 なんだ秦族ってよ?w
またまた造語つくってるのかよ
キチガイだな〜 最後に、日本における馬と人との交渉の変遷について概観する。前述したように中新
世の地層や沖積層の地層から馬の化石骨の出土はあるが、明らかに縄文、弥生時代の
馬と推定できる馬骨の出土は一例も無く、この頃日本列島に馬は棲息していなかった
と考えられる。現在の在来馬にいたる日本の馬は、4世紀末から5世紀頃に乗馬の技
術や飼養技術とともに持ち込まれた家畜馬が起源と考えられている。
現在では、野沢謙により提唱されている説がより現実的であるとされている。彼は現
存する東アジア在来馬の血液蛋白を指標とした遺伝学的解析をおこなった結果、日本
の在来馬は古墳時代に蒙古系馬がモンゴルから朝鮮半島を経由して、九州に家畜馬と
して導入されたものが起源であるとしている。
http://uma.equinst.go.jp/jiten/equus/caballus/1-1-9.htm >>19
安倍氏って孝元天皇から分かれた氏族だし清原氏は天武天皇からわかれた氏族じゃん
そんな珍説ありえない 傍系の皇族や貴族が家来や民引き連れて蝦夷追い出して入植して土着したのが東北だろ
東北の大名も源平藤でほぼ占めてるし 安倍氏も出羽清原氏も最近だと
中央官人の末裔説が有力らしいな 意外なことに津軽の下北半島には江戸時代中頃まで蝦夷(アイヌ?)が住んでいた
津軽藩の同化政策で消滅していったらしいが >>27
皇統系譜は、姻戚関係で縁結んだと言う目録に過ぎない。
氏姓の社家の祖が本当のルーツ。 徐福(饒速日)秦氏の出雲族渡来以前、向家(事代主筋)と神門家(大国主筋)の2交代王朝制度。 出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm
建速須佐之男命−八島士奴美神(八島篠)−布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)−D深淵之水夜礼花神−淤美豆奴神−F天之冬衣神−大国主神−H鳥鳴海神−I国忍富神−J速甕之多気佐波夜遅奴美神−K甕主彦・・
向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富・・
神門家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−E八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−G八千矛(大穴持・大国主)┬伊佐我(伊佐波)
└阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能−J速甕之建沢谷地乃身−K甕主彦・・
大国主−阿遅須枳高日子(阿遅須枳高日子=櫛玉・出雲建子=伊勢津彦=櫛瓊・伊佐我が同一神。)
大国主−阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能(長髄彦)−古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美(速甕之建沢谷地乃身)(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)−甕主彦・・
甕主彦・・・・十代目:出雲(神門)阿多−十一代目:出雲(神門)振根=(倭健)日本武−十二代目:出雲(神門)鹽手=伊賀曽熊で、伊賀曽熊子筋が・・
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王の和史氏・高野氏など・・
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家大宮・氷川神社祭神などが百済渡来の島族。
※島族には、応神天皇の時代に渡来した、秦の始皇帝7世・弓月君の惟宗・島津氏と秦族司馬氏も含む。 出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16408628.html
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承A - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16560282.html
能舞台に封印された花の記憶
http://nami-no-kai.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06
古代出雲王朝と神話ゆかりの地を訪ねて 10.大和葛城地方へ移住した出雲王朝の人々
http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/kodaiizumo/2013/02/post_638d.html
出雲王家と親族神代系譜。
http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2013/02/13/photo.jpg
「ここがふるさと」八上姫物語
http://www.ncn-t.net/ss151123/chiikiokoshi/kawahara/yakamihime.html
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
出雲大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE
大国主命と多紀理姫命との子神、阿遅須枳高日子命の裔が神門氏、神門の語源は、阿遅須枳高日子命が先祖代々から受け継いで身に着けていた、神度剣由来だそうだ。
※神度剣=大量剣は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される伊耶那岐命の天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣)=天羽々斬剣。
石上神宮には、配神を両刃の伊耶那岐命の天羽々斬剣と主祭神として、片刃の布都御魂剣の2刀を祀っている。
阿遅須枳高日子命から神門振根に受け継がれた神度剣が、石上神宮配神の両刃の天羽々斬剣と思われる。
神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。 最後に、日本における馬と人との交渉の変遷について概観する。前述したように中新
世の地層や沖積層の地層から馬の化石骨の出土はあるが、明らかに縄文、弥生時代の
馬と推定できる馬骨の出土は一例も無く、この頃日本列島に馬は棲息していなかった
と考えられる。現在の在来馬にいたる日本の馬は、4世紀末から5世紀頃に乗馬の技
術や飼養技術とともに持ち込まれた家畜馬が起源と考えられている。
現在では、野沢謙により提唱されている説がより現実的であるとされている。彼は現
存する東アジア在来馬の血液蛋白を指標とした遺伝学的解析をおこなった結果、日本
の在来馬は古墳時代に蒙古系馬がモンゴルから朝鮮半島を経由して、九州に家畜馬と
して導入されたものが起源であるとしている。
http://uma.equinst.go.jp/jiten/equus/caballus/1-1-9.htm んなもん、どっちの血も入っているでしょ。
俺の近所みわたしても、それは明らか >>29
そうだね
中央貴族の庶子とか中央貴族の一族の傍系の者が中央だと冷や飯食いなので地方に赴任したのが土着して地方豪族化したというのが最有力 いや、仮にそうだとしても、いずれにせよ地元民の血は入っているし(小野小町はこれで京都で美女と言われた)、
自ら蝦夷の出自を主張したのだから、結局はアイデンティティは蝦夷。 奥州藤原氏四代
長幅示数 血液型
藤原清衡 80.0 AB
藤原基衡 81.3 A
藤原秀衡 77.9 AB
藤原泰衡 79.0 B
頭示数的には畿内人(85程度)と蝦夷人(75程度)の中間
おそらく混血 東北の内陸部の住人だけどハゲ率が異様に低いことに気づいた
農業関係者の集まりがあって
60歳以上が40人ぐらい集まってハゲてたのは
たった一人だけだった
あとはフサフサ それはないw
>>30
下北半島は南部藩の方。東側の半島だ。
江戸時代の「蝦夷」は明確にアイヌ人だよな。しかも多分、ギリヤークなどの北方民族との混血も考えられない。
ちなみに、江戸時代の蝦夷は、下北半島の他に津軽半島や夏泊半島にもいた。
津軽半島の方が有名なのは、有力な家老が明確に同化を許可する命令を出したから。
下北の方は、自然に同化したんじゃないのかな? 平安時代はその言い分が成り立つが、江戸時代はさすがに同じ。 東北地方にアイヌの足跡を辿る: 発掘人骨頭蓋の計測的・非計測的研究
http://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/117/2/117_2_65/_pdf
川久保善智
D2でもMMDでも,縄文人に最も近いのは北海道アイヌであったが,東北地方の
古墳時代人(計測的分析では古代人も含む)がこれに次いでおり,古墳時代でも
江戸時代でも,九州→関東→東北→北海道アイヌまたは東日本縄文人という,
明瞭な地理的勾配が観察された。同様の地理的勾配は,判別分析においても
確かめられた。 ★各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…西南九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
▼札幌医大・松村博文先生(兵庫県出身)
http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1721.pdf
『近畿人は胴長短足、朝鮮人も胴長短足』
『近畿人は短頭、朝鮮人も短頭』
『近畿人は乾燥耳垢、朝鮮人も乾燥耳垢』
『近畿人は耳たぶが痩せている、朝鮮人も耳たぶが痩せている』
『近畿人は髭が薄い、朝鮮人も髭が薄い』
『近畿人は一重まぶた、朝鮮人も一重まぶた』
『近畿人は蒙古襞、朝鮮人も蒙古襞』
『近畿人と朝鮮人は歯の形が同じ』
▼形質学から求めた朝鮮人との遺伝的近似性(小浜基次・大阪大学教授による)
頭示数 比肩峰幅 比上肢長 比下肢長
蝦夷人 76.55 23.65 44.60 55.14
東北人 80.16 23.07 44.46 54.33
畿内人 84.98 22.67 43.99 54.23
朝鮮人 85.16 22.35 43.30 53.48 関西からすると、東は富山、岐阜、静岡の西部あたりまで、
同胞と言うか同じ民族って感じはする。 関西視感てやつ?
まあ歴史教育の賜物って感じかな? 「エミシ」という言葉が、はっきりと「エミシ」と訓むべき言葉として出るのは、
『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年十月の条に載る久米歌の中においてである。
資料1.
愛瀰詩(えみし)烏(を) 毘ダ利(ひだり) 毛々那比苔(ももなひと)
比苔破易陪廼毛(ひとはいへども) 多牟伽毘毛勢儒(たむかひもせず)
訓読
えみしを 一人(ひだり) 百(もも)な人(ひと) 人(ひと)は云(い)
へども 抵抗(たむかひ)もせず (岩波古典文学大系本による)
歌の大意は、「えみしを人は一人で百人にも相当する強者(つわもの)だと言っているが、
俺たち皇軍には抵抗もせずにやられてしまった」というほどのことである。これは道臣命
(みちのおみのみこと)が大久米部(おおくめべ)をひきいる神武の軍が、ヤマトに入る前に、
忍坂(おしさか)(=現桜井市忍阪。奈良盆地の南東隅)で敵を宴会に招き、敵が酔いつぶれた
ところで一気に剣を抜いて殺してしまった後、戦勝を悦んで久米の子ら(=久米部の祖ら)が
歌った歌である。思いもかけぬ強敵を倒せたことの悦楽が歌われている、と言えるであろう。
「皇軍(みいくさ)大きに悦びて、天を仰ぎて咲(わら)ふ」と言われているのである。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/emisi.htm 東北はアイヌどころか、新羅人の移民も多い。その名も「金」氏
たとえば金為時(こんの ためとき)とかね。
後に「紺野」氏になったらしい。 歯が語るアイヌの先住性 講師 松村博文(札幌医科大学)
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1721.pdf
人には絶壁頭という頭の短い人と、才槌頭という頭の長い人がいます。
近畿地方を中心として圧倒的に頭の短い人たちが多く、東に行くほど頭が前後に長い人が多くなってくることがわかりました。
大阪大学の小浜基次はもともと頭の長いアイヌ系の人が広く日本に分布していて、朝鮮半島から短頭の人が流入してきたというふうに考えたのです。
比上肢長という体に対する腕の長さの比と足の長さの比をみると、アイヌ、東北人、畿内人の順に長い。
つまり、アイヌの人たちが一番腕や脚が長く、畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。
朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。
男性の髭は北海道と琉球でよく発達しており、近畿地方の人や朝鮮半島の人ではさほどでもありません。
蒙古襞が発達しているのは近畿の人たち朝鮮半島の人々です。
琉球と北海道の人は目がぱっちりしていて、涙腺がまぶたであまり覆われていません。
いろいろ見ていくと、畿内人と朝鮮半島の人々は北方アジア的な寒冷地適応型の体の特徴を持っている。
沖縄とアイヌの人は似ている。それから東北人はアイヌに近い特徴を示す。
といった共通した地域差の傾向がみてとれます。
頭骨の形の地域性は1980年代に埴原和郎が明らかにしています。
やはり畿内の人々は平均的な日本人とは全然違う人たちだということがはっきりしました。
どういうふうに特殊かというと、顔が面長で平たんな顔といった渡来系の弥生人の特徴を濃厚に持っているのです。 >>56
東北で金(こん)姓が多い地域は金が多くとれた地域
新羅は関係ない >>56
(前略)小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘されておられます。
その中で私(網野善彦)がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びととがきわめてよく似ており、形質上は同じであると指摘されている点です。
そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人との違いに比べて、はるかに大きく、
東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。
これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、さらに衝撃的だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。
小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、
被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、関西では少なからずあったと思います。
これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、
差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。
小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。
(網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)137-138頁) >>56
知り合いに東北出身の今野ってやつがいるわ。
金って字を使うのはおこがましくて今や紺に変えたんだろうな。 >>61
何がおこがましいんだ?
>>56のガセを鵜呑みにすんな >>60
文系は統計学とか科学を理解できないからw
だから必ず間違う
なぜ間違うか
自分の仮設似合う事例だけを調べ
合わないものを無視するから
これは科学ではなくてオカルトの範疇だよ 俘囚は畿内に移配されていない
これ重要な
だから蝦夷は関東や九州には移住したけど
畿内には移住してないんだよ 古代の半島南部の人は全身に入れ墨をしていた
つまり縄文人 61: 日本@名無史さん [sage] 2014/12/25(木) 22:42:32.19
>>56
知り合いに東北出身の今野ってやつがいるわ。
金って字を使うのはおこがましくて今や紺に変えたんだろうな。 >>66
たしかに畿内に俘囚が移配された記録は見当たらない。
調査での長頭傾向から蝦夷に近い集団と判断されただけ。
ちなみに一般の流刑先として使われていないのは、
五畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉)と九州(筑前本土、筑後、日向) 人それぞれだから断定は出来ない。
文字や手紙が書けたのか、読めたのか
一昔前の都市伝説によると 〜は読み書きできない そう言われてみると
例えば旅芸人でも良い、当然脚本家はいるだろう、
台本のようなものがあり、それを読み、台詞を覚える… 京都盆地から遠ざかるほど「縄文的特徴」が増えて行くわけだし、
大方の東北人も関東甲信越人と同じく、現地縄文系と、
近畿からの移住者の混血と見るのが自然。
典型的日本人とされる南関東人ですら、三分の一程縄文人らしいし。 俘囚は海賊対策で瀬戸内海に多数配置されてた
筑前にも防人として一度に数百人単位で配置されてる
大伴部阿弖良(アテラ)の妻子親族66人が日向国に配流された
畿内にも状況的に移配されていた
日本史のひとつと言ってももう終わりにした方がいいかもしれない もう覚えてないけど
数年前に2回くらい見た事があった、謎のアニメ
神婚合体したんだよ こういうこと
「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科、総合研究大学院大学
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土
人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国
人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html
遺伝子解析による日本民族と周辺の民族との近縁性
http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017172022_1.jpg 「この世界は代理人が治めている」
という説を見たことがあるくらいだから
「代理」の存在が神婚合体したんだろw 小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号
畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)
(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授) >>84
だから朝鮮人形質というのが科学的でない
今の朝鮮人と古代の朝鮮人が同じという前提が間違い
弥生人はつり目ではないから
朝鮮人形質になったのは更に後の時代だぞ
あと長頭短頭という分類はもやは科学的とは言えず
今は無視されている
なぜならうつぶせ寝だと長頭、仰向け寝だと短頭になるからw
双子の調査でも育てからで大きく変化する
もはや遺伝的な調査としては馬鹿にされているレベル こういうこと
「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科、総合研究大学院大学
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土
人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国
人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html
遺伝子解析による日本民族と周辺の民族との近縁性
http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017172022_1.jpg 歴史的に最も長頭だったのが鎌倉武士
>>1の件は微妙
蝦夷成敗も移住もなかった青森県も弥生顏が多い
しかも美人多し
弥生時代に東北まで移住が終わっていたようだ >>59
太田亮「姓氏家系大辞典」見てみな。
東北に多い「金」氏は奈良時代に移民した新羅人の末裔って書いてあるからw
で、紺野・今野はその子孫ってわけ。
紺野さんは「金さん」ってことだよ。
よかったなw 高句麗人蘇我氏
蘇我韓子
蘇我高麗
蘇我馬子
蘇我蝦夷 >>91
蘇我氏は、おそらく、百済王族の出自
百済王族が祖を武内とし、第25代百済王・武寧(武内)王と名乗って居る事から武内の一族で
その百済王の一派が日本に帰国し、武内末代の紀氏に籍を移し、蘇我稲目と成ったと推察する。
渡来した新羅の王子、天日槍命が神武の兄、稲飯命の子孫で帰国したのと同じ。
半島植民地の在地官人が王族化し、数代経て、王位継承から外れて、帰国したパターンだろう。 歯が語るアイヌの先住性 講師 松村博文(札幌医科大学)
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1721.pdf
人には絶壁頭という頭の短い人と、才槌頭という頭の長い人がいます。
近畿地方を中心として圧倒的に頭の短い人たちが多く、東に行くほど頭が前後に長い人が多くなってくることがわかりました。
大阪大学の小浜基次はもともと頭の長いアイヌ系の人が広く日本に分布していて、朝鮮半島から短頭の人が流入してきたというふうに考えたのです。
比上肢長という体に対する腕の長さの比と足の長さの比をみると、アイヌ、東北人、畿内人の順に長い。
つまり、アイヌの人たちが一番腕や脚が長く、畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。
朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。
男性の髭は北海道と琉球でよく発達しており、近畿地方の人や朝鮮半島の人ではさほどでもありません。
蒙古襞が発達しているのは近畿の人たち朝鮮半島の人々です。
琉球と北海道の人は目がぱっちりしていて、涙腺がまぶたであまり覆われていません。
いろいろ見ていくと、畿内人と朝鮮半島の人々は北方アジア的な寒冷地適応型の体の特徴を持っている。
沖縄とアイヌの人は似ている。それから東北人はアイヌに近い特徴を示す。
といった共通した地域差の傾向がみてとれます。
頭骨の形の地域性は1980年代に埴原和郎が明らかにしています。
やはり畿内の人々は平均的な日本人とは全然違う人たちだということがはっきりしました。
どういうふうに特殊かというと、顔が面長で平たんな顔といった渡来系の弥生人の特徴を濃厚に持っているのです。 実は関東のほうが近畿より短頭だった!
河内まき子は昭和57・58年に3000人の学生を対象に頭示数を調査している。
それによると,30年間に小浜氏の結果よりも5単位ほど頭示数が高くなっていること,
また短頭の中心が山陽・近畿地方から北陸・関東・東海地方へと移動している事実を見出している。
この結果から生活条件の変化にともなって短頭化がおこなわれてきたと考えた。
すなわち,かつて短頭の中心が山陽・近畿地方にあったのは
その地域が長い間文化の先進地域であったことの反映であり,
最近になって短頭の中心が東日本へ移動したのは,
生活条件の変化がこの地方まで及ぶようになってきたためであるという。 現代日本人の形質
現代日本人の一般的特徴は、身長が世界の中位の上(男子平均約170センチ)、
頭示数(頭長に対する頭幅の百分率)は約84で短頭群に属し、皮膚は黄色、頭
髪は黒く直毛で体毛やひげは少ない。眼瞼に蒙古襞があり、耳垢は乾型が多い。
血液型はA型がもっとも多く、O、B、AB型の順に少なくなる。しかし前述のように
かなり大きい地方差があり、ある特定の地域の集団をもって日本人全体の代表
とすることはできない。とくに目だつことは、近畿、山陽地方を中心とする西日本
型あるいは中心型と、関東、東北、北陸、山陰、および九州、四国の一部に及ぶ
東日本型あるいは周辺型との差である。前者は一般に身長が高く、より短頭、高
頭であり、後者はこれと対照的な傾向を示す。昭和20年代に行われた上田常吉、
小浜基次を中心とする全国的な生体計測の結果によれば、頭示数は前者が83〜
86、後者が75〜77で、この差は相当に大きいといえる。また血液型については、
A型遺伝子の頻度が西日本で高く(約29%)、東北で低く(約24%)、明瞭な勾配
を示す。さらに指紋においても、西日本では渦状紋が多く、東日本では少なくなる
傾向がある。このような地方差からみると、現代日本人は完全に同質集団である
とはいいがたい。 日本 人集 団の生体計測値 について, 河内 まき子 (1983) は松村瞭 (1925), 西成甫
(1944) お よび日本人生体計測班 (1950-52) が収集した データの比較研 究 を行 った。
これ らのデータは いずれも日本の各地から集められたもので, 現 代 日本人の地理的
変異 を分析するための基礎的 資料 である。 また被験者 の出生年代 は松村資料 が
1880-90年 代, 西 資 料 が1916-26年, 計 測 班 資料が1890-1930年 代となっている。
河内はこ れ らのデータによって地理 的および年代 的変化 を分析し, 西日本の形質が
徐々に東日本に浸透 しつつあることを確 かめた。 とくに地理的変異 が年代 ととも
に変化 す ることは, 出生年代 にほ ぼ30年 の開きがある松村資料と西資料との比 較で
明らかに認められる。この結果は, 東西 日 本の集団の間で今 もなお混血 が進行中で
あるこ とを示 している。つ ま り縄文系 と, 弥生時代お よびそれ以 降に来た渡来系
集 団の形質の差 がこ んにちの地域差を生じたことになる。日本人は 文化 的に も生
物学的 にもよく均質集団 といわれるが, こ
の考 え方 は誤 っている。
今でも、朝鮮人が関西から関東に進出中だ。
関西人に気をつけろ。 >>88
金や金野という苗字は金が多く取れた地域。
自分も東北人だがウチの辺りにはこの手の苗字はいない 頭蓋計測7項目から求められた地域集団間の距離関係
www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1721.pdf
http://i.imgur.com/IClQm.png
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