>>125
古事記では応神崩が甲午、これを214年とすれば
その直後、大山守の乱=倭国乱れ相攻伐すること歴年
大山守皇子は呉派で仁徳と宇治若郎子の兄弟が魏派
その後で仁徳と宇治若郎子が譲りあってきまらず
后妃か皇女が中継ぎで立った可能性がある、これが卑弥呼
卑弥呼の後、男王を立てしも国中治まらずってこの男王が宇治若郎子
宇治若郎子は魏から転向して蜀に付こうとしたのではないか
それで降ろされて台与が立った
台与は応神の皇女(仁徳と宇治若郎子の姉妹)だろう
台与の後で仁徳が即位