神功皇后とは一体なんだったのか [転載禁止]©2ch.net
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神功皇后の非実在性の否定は戦後タブーとされた様に見える
朝鮮半島が倭人の女性、しかも妊婦によって征服されたなど日教組自虐史観においてはあってはならない事なのだろう おんな こども 白髪白髭の男 ・・・ 八幡宮って変な組み合わせの神様だな。 継体以前の記紀の記述は説話的な創作ファンタジーなが多いので、
その利用には禁欲的でなければならない。 息長帯媛命はいたけど神功皇后では無い。
朝鮮半島に無理やり出兵したのは、斯羅地域(後の新羅国)から渡来した祖先の天日鉾命(イザナギの1人)の遺産相続問題(新羅国の建国で先祖らの旧領地の権益問題)が拗れたため。 神戸・垂水の五色塚古墳は4世紀後半。
それまで大きな墳墓のなかった神戸に突然大墳墓ができる。
凱旋する神功皇后軍を迎え撃とうとしたカゴ坂皇子の墓で間違いないであろう。
やはり神功皇后は実在した。 帯をタラシと読むのは
同じく日本書紀の中で韓訓として付される帯山城(シトロモロノサシ)のシトロ(帯は中期朝鮮語でstyi、現代朝鮮語でtti)に少し似ている
tara-siとsi-toro
まさかな 息長帯比売は新羅の天日槍アメノヒボコの子孫ではなかったのか? 「古事記原文」
爾以其御杖、衝立新羅國主之門、卽以墨江大?之荒御魂、爲國守?而祭鎭、還渡也
(神功皇后が屈服した新羅王の門に住之江大神を祀って帰った)
これ事実。
・南解次次雄(ナンカイジジユウ)=ナカツツノオ(中筒之男)
この新羅2代目王・南解次次雄が娘婿にしたのが新羅4代目王・昔脱解
・昔脱解(韓国語でソクタレ、ソコタレ)=ソコツツノオ(底筒之男)
中筒之男から底筒之男へ、住吉大神の見事なリレーw >>289
>神功皇后が武内宿禰と不倫したのは有名だったらしい。
>仲哀が亡くなってから応神が生まれるまでの日数に記紀がこだわっている。
>石を重しにして産まれるのを遅らせたという伝承もある。
記紀はとある理由で応神天皇の時代をグーーンと古く引き伸ばしてる。
そしてそれ以前の天皇も百歳を超える。
そうすると人間が十月十日で生れる事と合わなくなる。
だから応神が生まれるまでの日数に記紀がこだわっている。
そして住吉神社のように「皇后はんはうちの神様とエヘヘ…」などという馬鹿もでてきた。
そのグーーンと古く引き伸ばした理由は、神武と卑弥呼の時代が合うからだ。
さらに帥升とスサノオの時代が合う事になる。
日本の歴史がスサノオ(帥升)という神の土下座から始まることになる。
プライドとしてそれを隠し国史編纂したのだ。 >>296
>高天ヶ原は任那だよ
>対馬には聖地である痕跡がない
高天ヶ原は葛城だ。
金剛山(高天山)の中腹、今も御所市高天という地名を残す。
高鴨神社という日本最古の神社があり、その御神域は径百余歩。
祭神は古事記で最高神「迦毛大御神」
別名はアジスキタカヒコネ、剣をもち暴れている。
すなわちスサノオ。
対で祀られてるシタテルヒメはアマテラスの原型だ。
帥升=スサノオが連れた160人の生口は、
高天原の麓、黄泉の国から連れていかれた。
20世紀初頭、その場所は部落解放運動の聖地となる。 ヤマタノオロチは、元々は丹後半島だろう。
王が殺されて、一族が畿内で逃げ延びた。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。 >>338
>そのグーーンと古く引き伸ばした理由は、神武と卑弥呼の時代が合うからだ。
違うな。
神功皇后を卑弥呼の時代に合わせるために伸ばしたんだ。
伸ばされなかった場合、神武と卑弥呼は近い年代となる。 >>334
西求女塚古墳、乙女塚古墳等があるけどな。 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じ景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にする。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは、王朝の始祖神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。 >>309
無関係の根拠は?
継体が下克上か侵略で王位を乗っ取ったなら、激しい争いが起きているはずだ。
だけど、そんな形跡は全くない。しかも、大伴金村他重臣もそのままだ。
・争いも何もなく、どこの馬の骨か不明なやつがいきなり王になって一族を詐称した
・王の一族から後継者を選んだ
どっちが「怪しい」かな。 すごく遠い親戚を引っ張ってきて天皇にしたと、記紀に素直に書いてあるだろ。
それより、本当に断絶していそうなのは応神だろ。 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
犯罪者キナイコシの、スレッドを荒らすやり方が、ますます悪質になってきているよ、、、 大国主とスクナヒコナが国造りを完成させた国、芦原中津國。
応神が生まれて喜ぶのは、スクナヒコナだからな。
芦原中津國は何処を指していたかだな。
壬申の乱で負けた難波は奈良時代は寂れていた。
弥生時代、古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども 神功皇后が三韓征伐に出立した謂れの残る和泉。
息長氏と関係がありそうな伊吹山〜敦賀。
スクナヒコナと関係があると思われるなにわ。
この辺が神功皇后、応神に何か関係ありそうだな。 >>342
それらは邪馬台国の隣にあった躬臣国の跡地
躬臣は意訳で本当はヲトモと読んで、これが大王の臣下という意味を持つ
大宝律令以降は雄伴郡として名を残し、その隣に菟原郡があった
菟原はウナヒと読みヲトモの女性形、すなわちウネメ(采女)の類語、女酋長を意味する ◎ここまでわかった日本書紀◎
2世紀末
倭国大乱と卑弥呼の即位
吉備・畿内同盟(百済、任那系)
考古学的証拠:墓、土器、特殊器台
文献的証拠:吉備に拠点を持つ孝霊天皇の娘モモソ姫が畿内の王大物主と政略結婚→大物主が死にモモソ姫が女王に
vs
山陰・北陸同盟(高句麗、新羅系)
考古学証拠:四隅突出墓の分布
文献的証拠:(3世紀後半だが)崇神代の記述 イツツヒコ「我の他に王はなし」
3世紀後半
台与の治世
吉備・畿内同盟
魏が滅び権威のバックを失い同盟が乱れ、崇神は大王位を失う
崇神、娘を宇佐の大王アマテラスの元に嫁入りさせる(トヨスキイリ姫=豊国の城に入った姫)
もう一人の娘を越の王大国魂に嫁入りさせようとするが失敗(ヌナキイリ姫=ヌナ川(越国のヒスイを産出する川)の城に入った姫)
(当然目的は山陰・北陸同盟の分断のため)
宇佐の大王アマテラスが死に嫁のトヨスキイリ姫が女王に 4世紀前半
神功皇后の登場
畿内王権の王子、山陰・北陸同盟の分断のため丹波・但馬・近江・若狭湾地域を支配する息長氏の王女と政略結婚
→山陰・北陸同盟を攻める→大王イトテが降伏し勝利
→息長の王女、さらに山陰・北陸同盟のバックにいる新羅・高句麗を叩くことを計画
→博多湾の王者住吉氏の王と相談→北部九州の有力者宗形氏、阿曇氏も協力を約束
→畿内の王子だけが反対する→畿内の王子、暗殺される
→息長の王女をリーダーに新羅討伐隊出発→新羅討伐に成功し帰国
→息長の女王、自らの子供を連れて畿内入り「これは畿内の王子の子供だ!だから王位継承権はこの子にある!」
→在畿内勢力「父親が死んでるじゃないか!誰の子かわからないだろ!帰れ!」
→仕方なく河内に王朝を立てる 女が王になるのは王である旦那が死んだとき、というのが古今東西の歴史のパターン
そして、日本書紀で「神」というのは「王」をぼかして書いた言葉であると見た
以上より卑弥呼、台与の正体と即位の流れは>>352のように筋道だてることができた そしてさらに同様のテーゼ「権力者である夫が死んだとき、嫁がリーダーとして事業を引き継ぐ」「『神』は王であり、『神憑り』説話も同盟国の王同士の相談である」をベースに神功皇后の生涯を>>353で書いた 卑弥呼は夫がいないから、そのパターンではないよ。
あと、応神は河内ではなく九州倭国。 >>356
間違い
魏の使者が来たときに夫はいなかったというだけ
「生涯夫がいなかった」とは魏志倭人伝のどこにも書いてない 結婚歴がないのは確認済みだし、次に使者が来たときは死んでるからね >>358
いや確認してないよ
子供がいなかっただけ
日本書紀でもモモソ姫には子供はいないから合致してる 旦那がジジイすぎて子供できなかったんだろうな
そのおかげで旦那がすぐ死んで、嫁である卑弥呼(モモソ姫)は長期政権になった 百襲姫しかいないじゃん。
鬼道を使って人心を惑わす王族って。
百襲姫は神懸かって、つまりトランス状態になって、ご神託する霊能者だし。 百襲姫は皇族が産んだ最高の霊能者であり、超能力者だったと思うぞ。
百襲姫は予知能力者で、未来の事が全て見えていたとの事。
これからの日本と中国の未来も、邪馬台国と狗奴国の未来も、
自分がいずれ日本の歴史から邪魔になる存在になる未来も、
日本の歴史から抹殺される未来も全て見えていた。
全ては未来が見えていた上での行動なのだ。
日本は百襲天皇が作ったのだ。 >>365
巫女的な認識しかできないと間違えるよ
鬼道ってのはマキャベリズムのことかもしれない >>359
巫女は神の妻だから未婚なんだろ
卑弥呼は三輪山の神の妻
神は妻の卑弥呼を通して愚民どもにありがたい声を届ける
百襲媛も夫は三輪山の神 >>367
神は王の言い換え
王に嫁入り→王が死亡→嫁が女王として即位
こういうパターンは古今東西でよくあるパターン >>362
神功皇后はじめ、神がかりはこの時代の女性首長は皆している。 >>367
三輪山の神に嫁いだ女性は子供を産んでいるから、畿内は当てはまらない。
未婚の女性首長は九州の文化。
後に伊勢などに伝わった。 >>367
何言ってるんだ
処女は天皇になれないからって一回だけやって処女喪失した女皇いただろが 風宮の神、ヤマタノオロチ、息長氏。伊吹山〜若狭。日本書紀にある伊吹山の荒ぶる神。
皇室の守り神、坐摩神、井戸の神。白鷺。
クナトの神、素クナ彦名。
神功皇后が三韓征伐に出立した和泉。
神功皇后〜応神にこの辺りの勢力が関係しそうだな。 >>367
日本神話は神の妻が子供を産んでるけどなw >>352
その時代には百済も新羅も存在してないけどな そろそろ頭の病院に行け、
いつまで負け惜しみのような事を言ってるんだ?
奴隷なら奴隷(倭人=日本?)らしくしろ!
と言ってる人もいたでしょ 数年前の陰謀スレだったかな、
予言スレだったかな
また原爆でも落とされるのか?
二度も三度も・・・何度も何度もやられるのか?
これだから日本人はバカなんだよ
このような書き込みがなかった? お前は、どこの人間なんだ、
テレビなどは観ていないのか?
バカにされているぞ、サルやら何やらと 『倭猿』
これは日本の作品ではないけど、
映画などw >>373
処女は天皇になれないから飯豊天皇は処女喪失したわけじゃないだろう
女は結婚してこそ、男とのセックスこそ女の幸せ、だというから一度経験してみたが
思ったほど良くなかった
これなら私は生涯男なんていらないわ、と思って生涯未婚を貫いた
女帝になるなら皇女の生まれで未婚か天皇の妻であることは必須だったが
処女は天皇になれないわけじゃない(元正天皇はたぶん処女、孝謙天皇も即位時点では処女) とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
G0W よくよく考えたら天皇の系譜自体もデタラメ
推古天皇なんてのもいなかったし聖徳太子も記紀の潤色
まともなのは天智以降から 白髭オヤジ武内宿禰とのセックルして生まれた子が応神天皇なら、ネトウヨは発狂www 【偽装された、ルーツ】 皇室はへブル語を公用し、公文で北イスラエル″を公言してる、嘘つきは廃止
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1534731623/l50
日本人がユダヤ人なわけない、嘘つきの天皇は廃止しろ! 成務と誕生日が一緒で
景行の命令で東国に行って武という名前を持つ
倭国の人間言うたら
武内宿祢とヤマトタケルのは同じと見ていいのでは?
仲哀の話が架空であり
ヤマト姫あたりが卑弥呼なんじゃねーのかな 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。 気長足姫尊が大和の女帝で女王卑弥呼にあたる可能性が高いから日本書紀に魏志倭人伝を入れたんだろう。女帝として漢風諡号神功は則天武后からあやかってるから。 神功皇后の実年代は卑弥呼の120年後の4世紀末だよ。 >>400
神功皇后というか、倭人伝と言う有史実年代を根拠にするなら
朝鮮半島進出の本格化は、韓4郡撤収後の313年からであって
三韓征伐ではなく、350年からの百済新羅の建国を後援したのが日本。
戦争の相手は高句麗であって、
この際に高句麗牧童や建築や金属精錬職工、鉱山技師工夫、
を連れてきて、牛馬の御牧経営や鉄の国内生産を成功に導いている。
神功皇后時代の事績としての半島進出は、倭の五王の400年では遅いし
313年以前に楽浪帯方に進出したんじゃ、高句麗の仕業じゃなくて
高句麗と四郡を挟み撃ちにした敵国として、中国史に残っちゃうよwww
記紀での天皇の誰が? は、記紀だから比定不能でも、
半島中央への進出は、313年以降360年以前。
七支刀の369年にはこれ確定してるし、この間しかない。 ごちゃごちゃしているが、要するに神功皇后は卑弥呼より後の人物ということだよね? >>402
その質問は、時系列に従う日本の古代史の話か 物語の話しか?
記紀は時空はともかく既存の物語とすると
時系列でストーリー把握するほど、ちゃんと読んでません。
卑弥呼は247年没。倭国大乱収めて190年からずっと王宮に引きこもってた、でしょ?
記紀のお話でだけどw 神功皇后は、超お忙し屋さん。
魏は238年楽浪帯方郡奪還。この年に卑弥呼朝貢で郡太守の紹介で洛陽に上った。
この、半島ー中国ー倭 の関係で 卑弥呼の邪馬台国 の三韓征伐は無い。
日本が半島進出を覚悟する理由は
この239年公孫氏滅亡。 246年韓王朝滅亡。 です。
倭人伝の 魏ー倭 外交が247年で終る。
そもそも、日本はBC200年以前から青銅を輸入していた。
魏が滅ぼした公孫氏や箕氏韓王朝と3〜500年近く緩い友好関係にあったと見て良い。
三国志終了で中原統一による辺境制圧への危機感が、
日本を古墳時代の軍事帝国化、富国強兵に導いた。
百済新羅建国〜傀儡化・・・ ・・・ 太平洋戦争に突入・・・
歴史認識がぁがぁ。 >>403
>時系列でストーリー把握するほど、ちゃんと読んでません。
把握しないで「神功皇后が云々」とか、無理でしょ。 「神功皇后のお話」を歴史の時系列に押し込むのが無理でしょ。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 国産みとかは絵空事だけど、神功皇后は倭国内で勢力争いに勝ったから、半島を攻めに行きましょうという程度の話だよね。
九州にはそれにちなむ神社、故地なども多く、普通に歴史の一部だよ。
それ以外の地域の人には現実感がないかもしれないけど。
それは、つまりはあなたが無知なだけ。 >>409
400年以前。神仙が人格の、古墳時代の神社って何? 仙境が日本だぞwww
それにちなむ神社、故地? 火山かよ? 記紀洗脳だろ。
自然神、地場神を書き換えた記紀神話や
明治神道の神仏分離の方が日本の宗教と歴史の改竄なんだよ。
地域の人には? 仏教公伝以前の神社なんて有んのかね? >>411
藁ぶき竪穴建築の社とか文字の無い時代の石碑とか、九州にごろごろですか?
土偶は神格化してるとは思えないけど、九州じゃ神格化された形跡有るかな?
神域に墓所は禁非だし、仏教以前は憑依シャーマン
地神の対象は火山や海岸、滝、自然石、あってもシャーマンの為の柱の結界では?
宗教観ってのは、歴史で洗脳されてんだよ。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>413
後世の撹乱によりわけがわからなくなっているのはあんただ。
何が竪穴式の神社だ。
アホか。
九州北部では、紀元前の吉武高木遺跡からすでに中心となる宮は高床式だよ。
土偶なんてもっと後世のものだろ。
なんでそんなものを持ち出すのかさえ理解できない。
墓所がなんだって? なんで三韓征伐で朝鮮に勝利し一時的に支配したと大嘘ついたのかな >>415
紀元前の吉武高木遺跡 には、確かに筑紫地域の王宮はあった。
古神道神社の発祥と土偶みたいな信仰の形は繋がらないけど
九州には、他の何でもいいけど 社に座る神格化した神の形跡があるか?
と言う話をしたが、理解できない、なら、九州に土偶は無かったのかも知らん。
墓は糸島の、奴隷労働には迷惑な 王家の谷であって、
黄泉の国から帰ってきても これも迷惑な話であって、神格化はしてないだろ。 >>416
好太王碑を読むと、倭が半島のかなり奥まで侵攻したことがあったのも確かだぞ。 >>417
高祖宮の祭神は日向王家の彦火火出見であり、仮に高祖宮がかつての高千穂宮であったなら、そのまま神格化した例じゃないの?
土偶はもっと後の古墳時代になってからの文化だね。
神道はもともと偶像を用いない。
天照は八咫の鏡を自らの分身だと思えという神勅を残した。
邇邇芸が筑紫の日向に運んだと伝えられるその鏡は高祖宮に近い平原遺跡から出土した。 >>416
古事記と日本書記を並べて読んでないんで、詳しいエロい人教えて君ですが・・・
唐は日本が百済復興で白村江海戦を全面後援したことは知ってるわけだけど
五経博士や仏教公伝、七支刀とか、百済から献上させたことも書いてあるんだよね?
で、
三韓征伐は、魏志倭人伝の247年より後なわけで、
百済と新羅は倭人の支援で高句麗越しに350年位に朝貢、建国している。
これ、合戦で征伐と言うより同盟?、むしろ冊封とか調服じゃないのかな?
663年以降の、対馬国境画定ってのが、対唐和平交渉の肝であって
この時の記紀は、百済、新羅に対して一時的に支配してた、って嘘、じゃなくて、
そもそも、建国から傀儡だったことを隠してると思うね。
以降の緩衝材、新羅温存も含めて・・・ >>419
話しが通じないのは、気付いているんだけど
土偶は埴輪じゃないです・・・
縄文の具像だけど神では無く、生命の源泉女性の象徴、珍棒とペアだったりw
>天照は八咫の鏡を自らの分身だと思えという神勅を残した。
これが、古墳時代に神社が無い、って事を具現してて
古墳に死者に添えて副葬されるものだった銅鏡を、庶民が礼拝する神に化かす
っていうのは、古墳時代を忘れちゃわないと出てこない信仰の形なんだな。
またエロい人の教えを請わんといかんけど
記紀ってのは、神話の主人公(被葬者)の古墳の特定してないよね。 神社の建物は弥生時代の王宮の形そのままだろ。
副葬された鏡は、生前は故人が使用していたのだろうね。 記紀はちゃんと天皇陵を指定しているよ。
ただ、それが実際のどこであるかがわからなくなったいるだけ。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>423 マジかよwww
少なくとも皇室古墳は現存するんだから250年以降の畿内前方後円墳と大型古墳
で、年代順にまとめて同定してみりゃいいのにね。 架空の人と・・・
この250〜400年の間って、応神天皇迄の3〜5代分くらいの古墳になるんじゃないかな?
記録が記紀だと4〜500年って決まってる倭の五王ですら同定不可能なんだな。
考古学って、学問としてはやる気ないんでしょwww 天照大神は則天武后何だろ
白村江に負けて日本は唐の属国になった
アマテラス何てそれまで誰も奉って無いのに急にありがたがり
日本書紀に古事記まででき、オオキミから天皇に呼称まで変わった
皇帝から天皇へ呼称を変えたのも武則天
時代的にも一緒 日本皇族の武則天への憧れは異常。唐から周になった混乱期は律令制完成させた日本にとって国際地位を上げるのにチャンスだったんだよ。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>425
記紀では、何々天皇の陵墓はどこそこの何々陵と書いてある。
ただ、それがどこなのか地名からしてわからなくなっている。
一応、宮内庁とかが「どこそこのアレだろう」とやったが、どうやら間違いだらけで混乱している。 >>429
記紀を創作した、日本の皇室が記紀を信じて真に受けたら自滅だろ?
由々しき事態だなw
宮内庁は仕事の仕方改めた方が良いと思うwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています