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日向国は7世紀中期以降、律令制の成立に伴って成立した[3]。成立当初は現在の宮崎県と鹿児島県
の九州本土部分を含む広域に渡っていた[3]。

大宝2年(702年)頃に鹿児島県部分の西部が唱更国(後の薩摩国)として分立した。和銅6年
(713年)4月3日に肝杯郡、贈於郡、大隅郡、姶羅郡(現代の姶良郡とは別)の4郡が、移管し
大隅国として分立した。以後、明治初期まで日向国の領域(臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、那珂郡、
諸県郡の5郡)に変化はなかった。ただし、米良・椎葉地域が肥後との間で近世初期まで曖昧で
あった等、領域の変化はあった[3]。