◆「皇室の無い日本」というのは自分の中では考えられないことだった。
皇室の歴史は即、日本の歴史であり、京都・奈良をはじめとして日本文化の中心に皇室が位置している。
皇室がなくなるということは歴史・文化の中でぽっかりと大きな穴が開く事を意味する。
数百年後の未来はともかく、我々の在世中においては全く想像できない話と数年前までは考えていた。
 この考えが少し揺らいだのは5年前、 東日本大震災の被災地を見舞う天皇に関するメディアの報道姿勢であった。
天皇は憲法上、「国民統合の象徴」と規定されている。
歴史学者では平安期に「象徴天皇制」の姿を求める意見もある。 『国民統合の象徴』というのは、
国家存亡の危機、国内の混乱という非常事態においてこそ強く要望されるものだと思う。
社会が安定し繁栄した時期には、国民統合というのは関心が払われることは少ない
。戦後混乱期を除き、最大の危機であった東日本大震災の直後こそ、人心の安定を図るために、
皇室の最大の出番であるとおれは考える。
 震災・原発事故・計画停電という三重の社会不安の中、天皇・皇后は被災地を見舞われた。
当然マスコミは報道したが、扱いが非常に小さかった。通常の地方巡幸のような報道ぶりで、
天皇の「お言葉」も通り一遍である。勝谷誠彦が憤慨したように全く軽い扱いである。
(続く)