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官位とかについて緩く語ろう2、関連質問・雑談OK [転載禁止]©2ch.net
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0158日本@名無史さん
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2019/11/10(日) 08:18:09.74
蔵人とか?
0159日本@名無史さん
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2019/11/20(水) 06:52:09.32
明治から昭和頭の華族の爵位の公爵って、臣籍降下で一家も無かったんだね。
外国だと、王族やら近い分家やらは公爵なのに。
律令時代の頭の八色姓にも、氏族ランキングで、新しめの(=天皇との血縁の近い)臣籍降下の氏族は最上位ランクの真人姓で、
古めの臣籍降下の氏族は第二ランクの朝臣、譜代の中央豪族は第三ランクの宿禰……ってふうに王族との血縁の濃い方を上位
とする発想があったのにな
0160日本@名無史さん
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2019/11/28(木) 20:38:19.72
>>157
近世期なら禁裏御所の家政機関は口向役人(幕臣である禁裏附武家の支配)
禁裏御料の管理・徴税業務は幕臣である京都御代官

>>154>>156
地下官人の中には検非違使(7家ほどだったか)もいるが当然実務にはついていない
検非違使の中に口向役人を兼ねている人もいるのでその人はそちらの仕事ばかり
ただし儀礼的な場面で例えば牢屋で囚人に恩赦を宣告するなどの役割はある

>>159
実際に臣籍降下したのは宮家の当主の系統ではなくその次男三男
兄弟の中で侯爵は一人まで、それ以外は伯爵という基準があったようだ
公爵は伏見宮系の各宮家の当主(宣下親王五世の世代)の臣籍降下が予定されていたのでそのときに誕生したかも知れない
0161日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 02:18:53.77
>>160
収入に関することも幕府に牛耳られていたのか

そんな検非違使ってもはや儀仗兵とかわらんな

そのシステムだと元皇族の華族が大量に増えそうだな
増えすぎた華族を減らすためにさらにワンランク落として「准華族」みたいなのが必要になりそうだな
0162日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 02:36:53.32
地下家の一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

460余家あるらしい 多いんだか少ないんだか。
雇ってもらってたということは天皇から給料が出ていた? それとも自活していたのだろうか?

内訳は

・天皇の秘書
・その下の雑用係
・太政官の下の総務課?
・警備員
・音楽隊
・医師 薬剤師
・陰陽師
・大工?
・衣料品
・料理人
・上級公家に雇われている家司・侍
・寺院に雇われている侍

・・・・あたりか

秦氏だの佐伯氏だの紀氏だのは本当に何の権力も持てない下っ端ですなあ
駕籠かき とか
0163日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 02:43:42.82
駕輿丁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%95%E8%BC%BF%E4%B8%81
>寛喜の飢饉で在京の駕輿丁の大半が餓死し、周辺国の駕輿丁が行幸などで多用されている

駕輿丁も地下官人の端くれのはずだが、その大半が餓死するって、鎌倉時代になると給料が出ていなかった?
それとも、給料は出ていたが、その給料では食い物を調達できなかったのだろうか?

なんにせよこの結果、ネットワークや各種特権や持てる腕力を利用して商業に進出したのだろうか?
0164日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 05:48:07.33
平安後期〜鎌倉となると、「給与を支給する」というシステムは上でも下でも基本的には機能していない。その代わりに特定の国や荘園、関からの上がりや税金の免除特権などを与えて代わりに業務を請け負わせる、というシステムが主流になる。
0165日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 05:59:31.74
>>161
たしかに、戦前の体制が更に継続してたらそこらへんの矛盾は大きくなってたろうなあ。

准貴族というとイギリスの准男爵とか大陸諸国の世襲騎士身分とかが連想されるけど、彼らは貴族としての法的特権は無くても領地や荘園の所有者としての実力は持ってたからなあ。
日本の臣籍降下華族は、2世代も経るとほぼ全員が貴族的生活を維持する資力を失いそう。
0166日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 09:14:04.06
>>165
伏見宮系は邦家親王から五世(伏見家現当主の博明氏は四世)で全員臣籍降下の予定だったので一応それまでで打ち止め
ただしそれまでに東久邇宮など男子の多いところは伯爵がウジャウジャ輩出されていただろう
0167日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 19:07:39.04
ほかスレに誤爆したので貼り直します。

寮・司・職(京職ではなく修理職・大膳職など)って、それぞれ現代の省庁で言うところの省の内局の局に当たるの?
それとも外局の庁?
寮なんかは左右馬寮みたいに独立したところがあるから、金融庁やかつての防衛庁みたいに庁みたいな扱いなのかなとも思うんだけど、
一方で明治の警保寮は内務省の内局だったし、ということは律令の寮も省の内局なのかなとも思うんだけど。
0168日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 21:22:50.51
>>166
面白そうだったので昭和二十二年「皇籍離脱」がなく華族制度も存続していた場合に皇族出身の華族がどれだけ増加するかを想定してみた
※宮家傍系は成年時に臣籍降下
※宮家直系も五世は成年時に臣籍降下と仮定

伏見宮 博明王(四世) 皇族として存命 継嗣なく断絶予定

山階宮 武麿王(三世) 昭和六十二年継嗣なく断絶

賀陽宮 恆憲王(三世)
 長男 邦壽王(四世) 昭和六十一年継嗣なく断絶
 次男 治憲王 昭和二十一年臣籍降下・侯爵
 三男 章憲王 昭和二十四年臣籍降下・伯爵 今上天皇御学友賀陽正憲氏はその長男
 四男 文憲王 昭和二十六年臣籍降下・伯爵
 五男 宗憲王 昭和三十年臣籍降下・伯爵
 六男 健憲王 昭和三十七年臣籍降下・伯爵

久邇宮 朝融王(三世)
 長男 邦昭王(四世) 皇族として存命 薨去により皇族としては断絶予定
  長男 朝尊「王」(五世) 昭和五十四年臣籍降下・公爵
  次男 邦晴「王」 昭和五十六年臣籍降下・侯爵
 次男 朝建王 昭和三十五年臣籍降下・侯爵
 三男 朝宏王 昭和三十九年臣籍降下・伯爵

梨本宮 守正王(二世) 昭和二十六年 継嗣なく断絶
0169日本@名無史さん
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2019/12/06(金) 21:29:43.97
朝香宮 鳩彦王(二世)
 長男 孚彦王(三世) 
  長男 誠彦王(四世) 皇族として存命 薨去により皇族としては断絶予定
   長男 明彦王 平成四年臣籍降下・公爵

東久邇宮 稔彦王(二世)
 長男 盛厚王(三世)
  長男 信彦王(四世) 平成三十一年薨去により皇族としては断絶
   長男 征彦「王」(五世) 平成五年臣籍降下・公爵
    長男 (六世) 公爵継嗣
  次男 秀彦「王」 昭和四十四年臣籍降下・侯爵(実際は伯爵壬生基義養子)
  三男 眞彦「王」 昭和四十八年臣籍降下・伯爵
  四男 厚彦「王」 昭和六十一年臣籍降下・伯爵(実際は寺尾孝吉養子)
  五男 盛彦「王」 昭和六十二年臣籍降下・伯爵
 四男 俊彦王 昭和二十四年臣籍降下・伯爵(実際は多羅間キヌ養子)

北白川宮 道久王(四世) 平成三十年継嗣なく断絶

竹田宮 恆コ王(三世)
 長男 恆正王(四世) 皇族として存命 薨去により皇族としては断絶予定
  長男 恆貴「王」 平成六年臣籍降下・公爵
 次男 恆治「王」 昭和三十九年臣籍降下・侯爵
 三男 恆和「王」 昭和四十二年臣籍降下・伯爵 著名な竹田恆泰はその長男

閑院宮 春仁王 昭和六十三年継嗣なく断絶

男性で皇族として残っているのは伏見宮博明王、久邇宮邦昭王、朝香宮誠彦王、竹田宮恆正王の4名のみ
公爵が久邇、朝香、東久邇、竹田の4家
侯爵が賀陽宮系1、久邇宮系2、東久邇宮系1、竹田宮系1の計5家
伯爵が賀陽宮系4、久邇宮系1、東久邇宮系4、竹田宮系1の計10家
賀陽正憲氏や竹田恆泰(笑)の皇籍復帰が取り沙汰されることがあるがそもそもが傍系でとっくに臣籍降下している系統だということがわかる
0170日本@名無史さん
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2019/12/07(土) 06:41:33.57
>>164
いちいちもっと詳しく知りたいですなあ
ウィキペディアには駕輿丁は庸調免除って書いてあるけど、本当にこれだけかなあ?と思う
天皇を駕籠を一回担いだらいくらか手当が出たんじゃないのだろうか

他の役所についても知りたいものだ
0171170
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2019/12/07(土) 06:43:49.08
しかし駕輿丁の大半が餓死したというのはショックだった
中世に恐ろしいことが起こっていたんだな
戦国時代もあったのに日本人がよく絶滅しなかったものだ
旺盛すぎる性欲の賜物か?
0173日本@名無史さん
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2019/12/17(火) 06:31:04.37
「地下」ってネーミングは酷くないか?
自分で自分のことを「地下」って呼んでたんか?
「匈奴」「吐蕃」「東夷」「熊襲」「南蛮」と同じレベルやで
0174日本@名無史さん
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2019/12/17(火) 23:15:57.25
さらっとググったみたところ、「地下」に蛮族を表すような用法は見当たらなかったけど、
そういう用例あるの?
0175日本@名無史さん
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2019/12/18(水) 00:12:00.41
>>174
「匈奴」とか「南蛮」とか他人のことを見下した呼び名やろう

「地下」というのも見下してる感じがする
0176日本@名無史さん
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2019/12/19(木) 23:11:21.27
「匈奴」とか「南蛮」とかが見下した呼び名というのは知ってるけど、
「地下」がその類として使われたことがあるのかと思ったら“感じがする”かい。

単に「殿上」の反対で「地下」ではないの?
(「殿上」と「天上」をかけた……ってことはないか)
0177日本@名無史さん
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2019/12/19(木) 23:47:07.29
昔は身分格差が今よりずっと強かったから、言われた方でも侮辱とは感じなかったんじゃないかね。
院とか摂関クラスの貴人から見たら北面の武士でも「言ふ甲斐なき下郎」呼ばわりだし
もちろんその「言ふ甲斐なき下郎」も在所に下れば飛ぶ鳥を落とすお殿様なわけで。
0180日本@名無史さん
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2020/02/10(月) 20:31:42.70
天気予報なんかで鎧兜つけた冬将軍の絵が貼られたりするけど
征夷大将軍にしろ鎮守府将軍にしろ将軍職の人間が鎧兜つけたりするのかな。
0181日本@名無史さん
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2020/02/10(月) 20:46:13.67
家茂や慶喜だって着けてたし
鎮守府将軍なら普通に着けるわ
0183日本@名無史さん
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2020/02/14(金) 19:49:37.80
>>182
おまえが知らないだけだな
0184日本@名無史さん
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2020/02/19(水) 20:15:08.18
まあその「「清少納言」もペンネームで実際は少納言じゃないけどな
0185日本@名無史さん
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2020/02/19(水) 23:46:55.71
ペンネームじゃなくて女房名
0187日本@名無史さん
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2020/02/26(水) 01:43:10.98
源氏名じゃねえよ!
0188日本@名無史さん
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2020/02/26(水) 10:25:27.98
そもそも源氏名を名乗ってるのは源氏じゃないわけで
0189日本@名無史さん
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2020/02/26(水) 14:35:31.20
>>188

だよなw
0190日本@名無史さん
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2020/02/27(木) 12:06:36.72
源氏名を名乗ってるのは源氏じゃないということは、清少納言って、やっぱり源氏名なん?
八幡太郎とか新羅三郎とか鎮西八郎とか六条判官とかいうのは、源氏だから、源氏名ちがうんよね?
0193日本@名無史さん
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2020/03/04(水) 17:36:01.15
紫式部の娘
0194日本@名無史さん
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2020/03/07(土) 13:56:18.19
奈良時代に、官位の付くような人は名前短くしろ、みたいな命令出したのって、いつの何て言う命令だっけ
0195日本@名無史さん
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2020/05/18(月) 15:28:26.82
八幡和郎は捏造作家
0196日本@名無史さん
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2020/05/18(月) 16:49:54.26
>>190
源氏名って風俗嬢の偽名の事だぞ
0197日本@名無史さん
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2020/05/20(水) 08:47:50.45
なんにせよ位階の生前叙位なんて封建的身分制度がなくなって本当によかった。
0199日本@名無史さん
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2020/05/21(木) 13:51:20.39
>>196
> >>190
> 源氏名って風俗嬢の偽名の事だぞ


wwww
0200日本@名無史さん
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2020/05/23(土) 13:03:18.26
戦後も華族制度が残っていたら、田舎の放棄された農地を授けて、「〇〇伯」とか「〇〇侯」
などの爵位を授けて耕作をさせていたかも知れない。
英国でいうジェントリのような地位になるわけだ。
伯爵や侯爵になれるなら、農業をしてもいいという華族傍系の人は結構いるかも知れない。
0201日本@名無史さん
垢版 |
2020/05/23(土) 14:30:41.64
私人としての天皇個人が日本政府とは関係なしに、天皇家の私的称号として爵位を認定したり授与すればよかった。
0203日本@名無史さん
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2020/05/24(日) 09:18:54.07
>>200
農家は嫁が来ないという悩みがあるけど、伯爵夫人になれるなら嫁に行きたい人も増えるだろうな
0204日本@名無史さん
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2020/05/25(月) 21:55:12.00
>>197
近代行政官庁の名前を八省に倣ってつけたみたいに
位階を俸号か軍隊における階級みたいな公務員のランク付けかなにかに流用すればよかった。
というか位階のそもそも趣旨は個人の能力に対するランク付けだった。
だんだん意味なくなっちゃうけど。
0205日本@名無史さん
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2020/05/26(火) 20:25:09.62
>>200
ねえよ。
国造とか縣主とか、大化の改新以降は任命されなくなってんじゃん。1400年前の制度だぞ。
そこから300年くらいすると、国司が任地まで下向しなくなってたし。
大化の改新から1000年も経つと、一応、大名は江戸と領地とを行き来する統治者だったけれど、
領地の小さい旗本は領地に行くことは稀で、幕府の郡代に統治丸投げ。
0206日本@名無史さん
垢版 |
2020/05/27(水) 20:03:52.18
大国の常陸ですら常陸大掾が現地トップ
(常陸守は親王、常陸介は在京、大掾氏が戦国大名化する
佐竹は右京大夫で常陸の国司ではない)

下国の壱岐に至っては壱岐目が現地トップ(壱岐守は在京)
佐志氏が目だが松浦党(波多や峯)の下克上を受ける
0207日本@名無史さん
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2020/05/29(金) 11:42:29.59
なんにせよ華族だの貴族だの旧宮家だのが敗戦と民主化で吹っ飛んでくれて本当によかった。
0208日本@名無史さん
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2020/05/29(金) 12:43:09.04
在庁官人は中央貴族の国司や知行国主から見れば、はるかに格下に過ぎないが、その地方では
有力者であったし、独特の称号も保有していた。
今、地方が衰退して農業や養蚕業も後継者に困っているのだから、在庁官人としての称号を与えて
名誉ある地位を保証するのもひとつの政策だ。
0209日本@名無史さん
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2020/05/29(金) 17:12:21.75
信忠の出羽介(秋田城介)も大したことないようにみえて
2代将軍(越後介)・坂上田村正和と同格だもんな
0211日本@名無史さん
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2020/05/30(土) 20:14:52.41
越後屋光圀は越後介ではなく左衛門督
初任が従五位上と低いのは(外様の国もち嫡子でも正五位下にはなる)
御三家が将軍家・尾張家・紀州家とされた時代の名残りだろうか
0212日本@名無史さん
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2020/05/30(土) 20:39:53.93
武蔵守・三河守 原則禁止
山城守 原則禁止(例外あり)
加賀守 前田の独占(筑前守も使用)
陸奥守 伊達の独占
越後守 越後中将(のち津山)の独占
越前守 福井松平の独占(上杉と大岡は優先可)
肥後守 会津松平の独占
薩摩守 島津の独占(大隅守も使用)
尾張守・治部少輔 忌避
日向守 忌避に当たらず
0213日本@名無史さん
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2020/05/31(日) 09:08:17.99
知事は受領に任官してもいいかも知れない
福井県知事は越前守を名乗ったほうが権威が出る
ただし、あまり実力のない知事については、権介や目代くらいにとどめておいて
(愛知県知事は、三河権介、三河目代)総務省の官僚が遙任国司として三河守に任官
するというケースもあってよい
0217日本@名無史さん
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2020/06/03(水) 19:37:12.92
>>213
でねーよ。
ナンチャラ守ナンチャラ介なんて形骸化しまくって、夜盗どもが勝手に名乗る称号ごっこ。
まして現地に行かない行政官とか何になるよ?
律令時代に受領に乗っ取られて懲りてないの
0218日本@名無史さん
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2020/06/04(木) 10:27:22.72
知事は一律に在庁官人扱いでいいと思うよ
総務省から出向してくる副知事や部長が目代かな
0219日本@名無史さん
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2020/06/04(木) 15:31:04.83
遙任と受領と在庁の区別を理解できていない低能がいるな
0220日本@名無史さん
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2020/06/05(金) 09:00:26.50
遙任国司は総務省の中央幹部が任官するんじゃないの?
目代が県庁幹部として出向して県庁の在庁官人を指揮するのかと思った
0223日本@名無史さん
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2020/07/21(火) 17:21:09.34
極東共和国守バイカル郡司
0224日本@名無史さん
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2020/07/23(木) 04:31:39.08
国司に任官されたら蓄財できたそうだが、推定でどれくらい蓄財できたのだろうか?

あと、税をとられた住民は見返りとしてどういう住民サービスを受けた? まさかとは思うが財産を強奪されただけでおしまいではないだろうな?
0226日本@名無史さん
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2020/07/23(木) 17:57:24.26
更級日記では作者の父親が
上総介の任期を終えて都に帰ると(上総守は親王で在京)
内親王さまの隣に同じくらいの広さの屋敷を構えた
と書いてあるから
左うちわでガッポガッポ
次に常陸介になったが何故か実入りが極端に乏しく
側室(作者の継母)を離縁し作者(娘)あてに泣き言の手紙まで出している
0227日本@名無史さん
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2020/07/24(金) 06:27:43.02
>>226
取られっぱなしってアホみたいな話や
やりきれんわ
一般人はよく怒らなかったな
0228日本@名無史さん
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2020/07/31(金) 20:09:21.58
熊本藩は六公四民だったが貧乏大名として有名で
相撲や武芸者を集める馬鹿殿がいて借金が三十万両になりカネ返せの暴動が起きた
0230日本@名無史さん
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2020/08/03(月) 10:45:57.82
>>228
六公四民だから貧乏なんだよ。
武士はアホだから、稲も麦も田畑から自然に生えてくると思ってる。
立派なお侍(自己評価)が、地べたに這いつくばって泥だらけになりながら米麦を集めるなんてやってられんから
百姓ども収穫させてるけれど、それだけで四割も抜かれて目減りするなんて、百姓図々しい、とか本気で思ってた。

実際は、人の手によって耕して水引いて種蒔いて……ってせっせと土地に働きかけをした成果が農産物なんだよな。

高率の税というものは、課税対象となる行為に対する抑止抑制の効果を持つ。
米穀の生産に高い率の年貢を課すると、当然、米穀の生産を抑制してしまう。
米穀を基軸とする農本主義の経済構造で、米穀の生産に高率の課税をすれば、域内の経済が停滞する道理だ。
域内の経済が停滞しているときに、その上がりで暮らしている領主だか潤っている。なんてことは有り得ない。

肥後だけでなく、日本中で簡単なことが判ってないから、武家政権時代は、世界中で人口も産業も大きく発展していた中で、
中世の延長のような状態で、数百年の停滞をしていた。
0231日本@名無史さん
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2020/08/03(月) 14:11:42.88
公儀御料や旗本知行所の標準税率は三ツ半物成(35%)
しかも生産性が上がっても高直しはしないから実質税率は下がる一方
0232日本@名無史さん
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2020/08/04(火) 00:19:28.51
年貢を上げた織田家(有楽の子孫)預かり地の
大和国の百姓(天領民)は一揆を起こし
織田氏の支配をやめるようお上に要求
預かり地含めて10万石あった織田藩は1万石になってしまった
それを見た元々織田領だった1万石の百姓も
なんや天領て年貢低いやんけと騒ぎになり暴動が起きた
0233日本@名無史さん
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2020/08/04(火) 00:35:27.24
スケーターの織田選手に
ところでおたくの家の官位は何ですか
てきいてみたら面白いのに
0234日本@名無史さん
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2020/08/04(火) 06:16:01.85
祖父の名もわからんとか寝惚けたこと抜かしてるから無理
0235日本@名無史さん
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2020/08/12(水) 00:30:58.87
「よみがえる正倉院宝物−再現模造にみる天平の技−」を見に行った

復元された布に納めた人の?住所・名前が墨書で書いてある(これも忠実に復元)。
中には位階を持ってる人もいる。

こういう物を納めれる人ってそれなりのちゃんとした社会人という感じがする

ていうか、戸籍に登録されて口分田を支給されて課税される人ってそれなりの社会人(?)で
そうでない人は勝手に耕作等して無税だったんじゃないかなあ わからんけど
0236235
垢版 |
2020/08/12(水) 00:39:51.74
桓武平氏の平貞盛・平将門は桓武天皇の五世孫でまだ貴族扱いだったろうが、
ここから下の世代になると完全に庶人扱いで租庸調雑徭を課されたのか?と
思ったら、この辺の時代になるとこういうのが崩壊してしまったんだな

桓武平氏などよりも古い世代の皇別氏族の子孫は完全に庶人として埋没して
しまったのだろうか? 租庸調を取られて、雑徭でタダ働きさせられた?
0237日本@名無史さん
垢版 |
2020/08/12(水) 06:14:26.05
>>236

平将門は父親が鎮守府将軍で官位もしっかり持っていたから
貴族とまでは言えなくても
庶民ではないだろ。
0239日本@名無史さん
垢版 |
2020/08/14(金) 19:27:01.24
>>235
ネットに写真はないかと思って検索したがこれしかなかった

川島織物のサイト
https://shosoin.kunaicho.go.jp/api/bulletins/27/pdf/0000000051

讃岐国鵜足郡川津郷 土師部宮麿 調あしぎぬ 壱疋 長六丈 広一尺九寸 天平十八年十月
ご丁寧に讃岐国の国印が押してある
https://i.imgur.com/iKOhW7i.jpg
https://i.imgur.com/k4LHzWg.jpg

土左国吾川郡桑原郷 戸主 日奉部夜恵 調あしぎぬ 壹疋 長六丈 廣一尺九寸 天平勝寶七歳十月主當
これは国印の再現ができなかったので押印してない
これには国府の役人の連署(?)がある
国司史生 大初位 上田邊史祖父
郡司擬少領 無位 秦勝国方
https://i.imgur.com/FR6KeKd.jpg
https://i.imgur.com/ODBIwDf.jpg

伊豆国田方郡依馬郷 委文連大川 調緋狭あしぎぬ 壹疋
長六丈 闊一尺九寸 天平勝寶七歳十月主當
国司史生 正八位下 道租戸酒人
郡司主帳 外従八位下 矢作部上麻呂
https://i.imgur.com/ucwZRMw.jpg
0240日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/17(木) 12:47:48.96
なんで、摂家鷹司と、武家松平鷹司と、縁戚関係殆ど無いの?
容姿も婚姻も無いけど本家分家の意識が無かった?
0242日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/21(月) 16:03:41.11
>>241
坊主になるのが嫌だから姉の嫁ぎ先に頼って、結果、本家よりリッチになってるのか?
0244日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/26(土) 14:16:48.05
>>237
王孫なのに、田舎に織り込まれて、大臣の家来というか私兵。そりゃ、屈折するわなあ。
ってか、藤原忠平って、菅原道真に藤原純友に平将門に、恨み買いまくりじゃん。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/27(日) 07:15:33.15
王と呼ばれた皇族という本を読んだら奈良時代中期?〜平安時代中期頃まで諸王が500人ほどいた
そうなので与えるポストがなかったんだろうな ウィキペディアを見てたら無位の王がいたようだが、
どうやって生活していたのかわからない 無位でも諸王はある程度の給与は保証されていた?

王と呼ばれた皇族では権門と契約して事務仕事に就いていた例が紹介されているが、500人もいたん
だから落ちるところまで落ちて王でありながら庶民同然に暮らしていた者もいたかもしれない

王本人だけでなく家族と従者(←いたら)を合わせたらもう凄い人数になりそうだ

諸王の系図が残ってないらしく記録に残ってない諸王も多いようだ
平将門を焚きつけた興世王なんてたまたま名前が歴史に残ったけど、出自は不明であるらしい
0246日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/27(日) 07:38:17.71
清和源氏だけでも凄い人数だ
https://i.imgur.com/J2c1xjf.jpg
2世源氏だけでも12人いる。これで全員ではなくウィキペディアを見てたらもっといるようだ。
ウィキペディアを見てたら1世源氏もいるようだがこの写真には載ってない。

3世になると源経基の男子だけでも8人いるようだし、清和源氏全体だと100人くらいになるんじゃないのか

4世になると1000人くらい? さらに家族と従者(←従者がいるとして)を合わせたらものすごい人数になりそうだ

4世源氏になると1000人近くいるのに位階とか位田とか全員きちんと貰えるのだろうか? 官職はポストが
ないので貰えない可能性大

位階も位田も貰えなかったら落ちるところまで落ちて、ホームレスみたいになってる者もいたかもしれない
0247日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/27(日) 07:46:48.06
戦後日本の庶民だと5世で子孫が93人になっとる。
このうち半分が男だと45人くらいか

諸王が500人ってむしろセーブされてるほうだな。ほっといたら諸王だけでも1000人2000人
3000人って増殖しそうだ


姫路の空き家、相続人が93人 知らぬ間に所有権 神戸新聞 2020/9/13
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/0013691083.shtml
https://i.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/img/b_13691085.jpg
https://i.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/img/b_13691084.jpg
>兵庫県姫路市内に相続人が93人にも上る「特定空き家」がある。終戦直後に適切な手続きがとられず、
>枝分かれした子孫が自覚のないまま権利を分け合った結果、所有権は“原点”となる男性の5世代先、
>来孫(らいそん)(ひ孫の孫)にまで広がった。
0248日本@名無史さん
垢版 |
2020/09/27(日) 10:54:44.64
>>246
だから、河内源氏とか摂津源氏とかなんだろ。
都から追い出されて荘園の管理をやらされる。
槍刀を振って農民の反乱やら盗賊の侵入やらを抑え込む、汚れ仕事だよ。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2020/10/28(水) 00:08:06.05
摂津摂津司
0250日本@名無史さん
垢版 |
2020/11/10(火) 12:38:44.64
鶴太郎
0251日本@名無史さん
垢版 |
2020/12/05(土) 19:35:37.62
あべコロナの助
0252日本@名無史さん
垢版 |
2020/12/25(金) 16:28:55.14
ガースー「強盗トラブルでアベコロナが拡散してきよったな
よっしゃ、よっしゃあ」
0253日本@名無史さん
垢版 |
2020/12/30(水) 11:56:42.24
受領は相模守で十分、で、得宗になりかった(と呼ばれたかった)…orz
0254日本@名無史さん
垢版 |
2021/05/27(木) 02:13:59.53
高橋へ組の棟梁
0255日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/08(火) 01:55:26.83
おてもやん「マンボウやで全員集合」
0256日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 16:28:34.32
中納言って中国風の言い方で黄門なんだよね?
なんで小早川秀秋は金吾中納言なの?

中納言には黄門侍郎と執金吾の二種類があったって事なの?
0257日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/13(日) 20:28:38.09
>>256
小早川秀秋は中納言に左衛門督を兼ねていました。金吾は左衛門督のことです
0259日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/14(月) 10:38:38.98
>>245
歴史の舞台に出てくる清和源氏や桓武平氏の本流ばかり注目されるけど、諸王や賜姓源氏は
膨大な数でいたということだね。
これだけいれば貴族としての処遇はできないし、官位もない。
地方に土着して豪族として栄えたのも一部だけで、大半は庶人となって歴史の記録から消えた
のだろう。
貴族として残るのも地方武士として残るのも、ものすごい競争率だったと思う。
そう考えると、残った人たちの官位や所領への執着もわかる。
0260日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/14(月) 18:43:26.57
国持以上の大名は官位を兼ねてるだろ

下位は侍従と××守(あるいは××大夫など)
毛利秀就は右少将で長門守
細川忠利は少し上の左少将と越中守
上位は島津が琉球王を連れてくると
左中将に進み薩摩守
三家も紀伊は大納言のほかに常陸介を独占
(このため水戸は常陸介を使えない)
0261日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/15(火) 08:01:30.20
なんで尾張の信長が上総ノ介なの?
0262日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/15(火) 12:14:31.32
中将が左右で格が違うと思ってる低能
0264日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/15(火) 15:48:58.13
尾張守は縁起が悪いから
主君に兵を挙げた陶隆房を忌避した
0265日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/16(水) 15:26:47.23
左右で違うのは大臣だけだな
0266日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/17(木) 13:43:08.93
左近衛大将のほうが右近衛大将より格上と思っていたんだが、違うんだよな
0267日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/17(木) 23:21:48.85
>>266
左近衛大将は摂関家、右近衛大将は清華家の兼職が基本です。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/18(金) 12:35:25.08
その役職につける家系が違うっていうのは事実上その役職に差があるって事にはならないの?
0269日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/18(金) 20:55:00.03
天皇陛下は北に位置するから
近衛兵を北面の武士といい
日出ずる国では太陽の方角である東(左)を上位とした
左を虚しくするは上座を空けるの意味であり
左遷は日本語でなく中国からきた言葉(たぶん西の異民族である秦)
0270日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/18(金) 22:09:22.98
北面は天皇ではなく院の警衛供奉をする人
北面と呼んだのは院御所の北側に詰所があったから
基本情報も押さえずによく発言しようと思うな
0272日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/19(土) 09:14:53.22
>>268
右近衛大将から左近衛大将に昇進する、というようなことはなかったんだろうね
その意味で、左右の格付けはない
でも、左近衛大将になる摂関家のほうが家格が上ということは、やっぱり左右で
格差があったと思えるよね
0274日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/20(日) 17:28:21.92
前の王朝を倒したのに
躬(倒したのは夏)と楚(倒したのは秦)と順(倒したのは明)は
日本の教科書では認めない場合が多いな

同様に新たな王朝に屈しなかったのに
後梁(陳に従わない)・後元(後金に従わない)・後明(清に従わない)
も認めない場合がある
0276日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 00:38:53.75
格付け機能のある官職は摂関太政大臣左右内大臣大中納言参議のみで
常に左>右となるのは大臣のみ(勿論どちらかが摂関の場合は別問題)

同じ正二位大納言兼大将でも右大将を兼任している方が先任であれば左大将を兼任している方より上座であり
常に左大将>右大将ということにはならない

弁官は右少弁→左少弁→右中弁→左中弁→右大弁→左大弁と転任していくが
新たに右中弁になった人が従四位上でそのときの左中弁が従四位下だったら位階に従って右中弁が上座

武家官位の場合は中少将侍従にも格付け機能があるが左右の区別が上下の格差を表しているとする説明を寡聞にして耳にしたことがない

ところで>>260の誤認を指摘するとすれば
薩摩は琉球人を引率して来なくとも従四位上中将に昇進し薩摩守を名乗る
琉球人を三度召し連れたことで正四位に昇ったとする記述は同時代の出版物に見られるところではあるが
0277日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 01:11:34.69
尾張大納言とか水戸中納言も正規のやつじゃなくて武家官位だったんだ。

将軍と御三家は正規のやつだと思ってた。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 20:55:27.78
平安時代に太政大臣もいて関白もいた時期なかったけ?

その場合、宮中の席次はどっちが上だったのだろう?
0279日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/23(水) 21:13:05.32
生前叙位復活しないのかね?
今の位階制度はあってなきが如し
従三位内閣総理大臣とかカッコいい
0281日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/24(木) 12:24:00.44
庄内酒井が老中になって
従四位下左衛門尉になったら
従五位下右衛門佐の松平正綱より上座で

という尉官>佐官という逆転が起こる
0283日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/25(金) 01:09:02.22
>>277
武家官位は正規の官位だが
0284日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/27(日) 09:16:47.32
>>280
総理大臣の格によって、従一位に昇って太政大臣を兼ねる総理大臣と従五位下
受領クラスの総理大臣がいるイメージかな?
0285日本@名無史さん
垢版 |
2021/07/30(金) 04:23:40.74
明治に入ると従三位とか結構いるな。どういう基準で変わったのか。
0286日本@名無史さん
垢版 |
2021/08/03(火) 10:22:23.68
大学教授でも功績のある人は亡くなる際に従三位を贈られるケースがあった
自分の先生も従三位になった
0287日本@名無史さん
垢版 |
2021/08/12(木) 04:02:12.06
権官って実際には何と読みましたか?
例えば権中将はごんのちゅうじょう?ごんちゅうじょう?
0291日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/18(木) 16:57:39.66
>>290

喜連川さんは正式な官位を持っていたっけ?
0292日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/18(木) 20:00:39.46
大臣は官で将軍は職
官は任ぜられるもので職は補せられるものなので
官と職では兼任とは言わない

ただし徳川将軍は大臣(官)と大将(官)を兼任している
0293日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/20(土) 11:34:55.03
>>261
国司は、基本、遥任だから。
更級日記に登場する菅原孝標がすでに当時としては珍しい現地赴任。
そこから500年も経ってるんだからな。
0295日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/20(土) 18:52:57.64
1〜5万石級の大名が維新で一番得しているよな。
藩債は政府が肩代わり、子爵の体面を保つ補助金が出る、大名の間は五位どまりだったものが、
平堂上の家格と同格に扱われるようになったので公卿同格(最低従四位下総統にに格上)の扱で、
参内したり娘を宮中の女官に差し入れたり皇室とも縁組したりが可能に。

河内国丹南の高木家なんてその最たるものだな。
0296日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/20(土) 21:37:51.86
河内国丹南の高木家は定府で参勤交代の費用がかからないのに
なぜかえらい貧乏藩だたらしいなあ。
0297日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/20(土) 22:58:44.31
しかも統治が下手糞で、庄屋全員が離反、年貢のの封を拒否するような有様に陥ったり。
0298日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/22(月) 18:57:39.81
受領の存在を知らない低学歴
養老令当時の官位相当が近世に保持されてると思い込んでいる低学歴
官位の話が出来ない低学歴

昔の官位スレとはレベルが大違いだな
0299日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/23(火) 23:40:55.68
知っている者も知らない者も適当に雑談する場なんだからこれでいいだろ
官位スレがそんなにハイレベルだったのっていつの頃なんだろ
0300日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/24(水) 06:42:44.24
144 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/06/07(金) 17:37:08.60
戦国時代。
織田信秀が朝廷に献金して官位もらったという記録があるが。
尾張から京都までの間に敵国があるが、どうやって送金したのだろう? 



里見とか伊達とか龍造寺とかはどうやって京都まで送金したんだろ?
0302日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/25(木) 21:59:06.64
>>301

ぐぐってもヒットしない。もうちょいくわしくたのむ。
0303日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/27(土) 12:33:17.36
>>300
拍子抜けするくらい簡単な方法。
先触れを出す。

今から京の朝廷に献金を運ぶよ
って、目立つように触れてまわる。

それだけ。
0304日本@名無史さん
垢版 |
2021/11/30(火) 22:39:14.85
○○卿
○○公
○○閣下

敬称の付け方の違いを教えてくれ
0305日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/02(木) 02:07:00.66
摂関、大臣、准大臣 → 諱+公
大納言、中納言、参議、三位以上 →諱+卿
四位 →諱+朝臣

閣下は前近代の日本ではほぼ使われない
閤下であれば書簡の脇付として一般的で身分ごとに規定があるような類いのものではない
0306日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/03(金) 01:22:56.43
じゃあ、ほとんどの大名に、ナニガシ公 って付けるのは間違ってるの?
幕末に黒船が来たときには、マシューベルリは「へるり公」ってなってたよな。
遣唐使の正使は大体が従四位下、たまに従四位上で正五位上も散見。
対馬藩主、薩摩藩主が大体従四位下、松前藩主が従五が多かったので゛、
対外交渉役は四位か五位で十分って感覚だろうし、相手もそれくらいの格の人物を使わしてきている判断でいたろうに、
「へるり公」。
0307日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/04(土) 12:46:13.17
本来であれば水戸侯・水府侯や光圀卿とは言うが光圀公とはならない

通俗的な熊公・八公のような表現はあるが
0309日本@名無史さん
垢版 |
2021/12/23(木) 10:31:47.84
>>279
安倍首相なら正二位・右近衛大将・権大納言兼任
岸田首相なら従五位下・武蔵守・左馬頭兼任とかかな?
0310日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/07(金) 12:44:32.12
1年前に別のスレで同じようなこと書いて馬鹿にされたのにまだ懲りない低能がいるな


141 日本@名無史さん 2021/01/10(日) 11:36:16.65
今だったら、内閣総理大臣でも就任当初は従五位下左馬頭で、古参の県知事より低い官位だが、
在任中に次第に昇進していくという感じなんだろうな
安倍首相のように長期政権になると、退任時には従一位太政大臣で、没後には正一位を贈られる
といったところだろう
0311日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/11(火) 18:29:22.85
>>310
宰相なんだから、参議でなきゃあおかしいよね。三位以上。
奏上するんだから四位以上、天皇の国事行為に「内閣の助言と承認」が必要ってことは、
内閣の首座は内覧なんだから、大臣で二位以上・
0312日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/12(水) 04:24:32.27
貴族の系譜とかもこっちゃでええんかな。
仁明天皇裔・文徳天皇裔に、源朝臣と平朝臣と賜姓降臣があるけれど、それぞれ、ファミリー意識は、
仁明天皇裔とか雅望王裔とか文徳天皇裔の方の意識が強かったん?
それとも、源氏なら源氏どうし嵯峨源氏やら清和源氏と、平氏なら平氏どうし桓武平氏やらと仲間という
意識が強かったの?
もうこの時代になると源平藤橘はウジャウジャいるから、氏姓はファミリー意識にほとんど寄与しなくなってた?
0313日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/13(木) 11:45:03.97
戦前において内閣総理大臣の初叙は従三位という内規がある
従五位下とか言ってる奴は馬鹿
0315日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/15(土) 17:21:37.09
征夷大将軍は従五位下左馬頭から昇進していたので、内閣総理大臣も同様と考えたのでは?
最終的に三位に昇ればいいわけだからね
0318日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/17(月) 15:28:01.60
>>247
サウジアラビアのアブドゥルアジズ(初代の王様、1876年生)の父系子孫がざっくり3万人。
幕末明治の頭に大名・旗本の殆ど(正丁のみで8万人?)が徳川家康の子孫
0321日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/22(土) 01:10:46.50
>>320
旗本八万騎って言うじゃん?

人口比5〜10パーセントが公務員世帯、壬申戸籍でも士族戸の人口が7パーセントというから、まあ大体合ってる。
幕府直轄地が400万石だから人口400万人、その7パーセントが士分とその家族で28万人、3.5人に1一暗い成人男性とすると
まあ、大体そのくらいだよね?
0323日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/22(土) 08:10:31.70
旗本八万騎なんて俗称に騙されて実際のデータを参照できないのも馬鹿だし
(19世紀初頭で大名は260人台、旗本は約5200人)
大名旗本本人だけでなく家族も含めてるのも馬鹿だし
それらの殆どが(女系であれ)家康の子孫だとする根拠を結局何も提示できていないのも馬鹿
0325日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/22(土) 12:29:44.95
>>323
で、実際に、男系女系不問で徳川家康の子孫って、戊辰戦争頃に何人くらいになってたの?
0327日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/22(土) 22:25:12.79
「方丈記」の鴨長明は
「貧賤のまま生涯を終えた」
とされているが、従五位下だからいちおう貴族だなあ。
0329日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/23(日) 00:01:53.39
>>327
家職の継承に失敗したからね。
貴族社会からの評価もそんなもんじゃないの。
0332日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/24(月) 10:02:21.32
ODか非常勤講師みたいな奴が偉そうにマウントを取っているな
0333日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/24(月) 22:32:41.76
>>328
高等教育とやらでは家康の子孫の数を数え方とか具体的な数とか教えてるの?
0334日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/24(月) 23:40:55.01
高等教育をまともに受けた人間はおまえのように証明責任を相手に転嫁するようなことは恥ずかしくてできなくなるよ

何を言われているかも理解できないだろうが
0336日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/25(火) 09:15:03.79
低学歴「幕末大名旗本の殆どは家康の子孫で8万人いる」
「↑根拠は?データは?」
低学歴「じゃあ何人なんだよ!」


低学歴の知的障害者って生きてる意味あるのかね
0337日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/27(木) 07:28:51.31
日向伊東氏は石高の割りには官位が高いんだっけ?
0338日本@名無史さん
垢版 |
2022/01/27(木) 09:16:47.32
近世になれば官位なんか意味がなさそうなのに、それでもみんな官位が欲しかったのかな?
石高とか幕臣や藩士としての地位があれば十分のようにも見えるんだけどね
0339日本@名無史さん
垢版 |
2022/02/06(日) 16:04:30.16
>>338
江戸城での席次や扱いが違う
4000石の吉良が50000石の浅野をいじめていたと言われるのは官位が浅野よりも高かったから
0340日本@名無史さん
垢版 |
2022/02/07(月) 08:32:06.37
江戸時代の公家は頭中将になれば殺されると言われたけど下の奴らからのイジメが主じゃね?
0341日本@名無史さん
垢版 |
2022/02/07(月) 19:34:55.46
>>339
高家と大名の関係は先例を知ってる奴に手数料(賄賂)を払わないと円滑にいかないって図式だから、官位はあまり関係ないかな。
>>340
公家の蔵人頭は仕事が多い。頭弁は文官キャリアでそれまで蔵人をやっているから、その蓄積でなんとかなるけど、頭中将は武官で蔵人所との接点がないから地下家の蔵人に払うもの払わないとやられたらしい。
0343日本@名無史さん
垢版 |
2022/02/07(月) 21:49:16.94
堂上家は家礼や親戚関係で付き合いがあるだろうからイジメの主犯は地下だと思うよ。
下橋敬長の聞書にも平堂上を馬鹿にして地下官人が全然仕事しないって記述がある。その時はたまたま相手が摂家家中だったから大変な騒ぎになったらしいけど。

最初にこの話を読んだ時、太秦の時代劇スターは大部屋俳優にきちんと奢らないとうまく斬られてもらえず映画にならないというエピソードを思い出した。我々の精神構造はなかなか変わらないらしい。
0347日本@名無史さん
垢版 |
2022/04/13(水) 13:28:25.23
>>338
江戸幕府が自分で官位を決めて、幕臣や大名の序列を決めればよかったのに
武士はやっぱり昔ながらの朝廷の官位が欲しかったのかねぇ
0348日本@名無史さん
垢版 |
2022/04/15(金) 10:44:36.06
新井白石と荻生徂徠という幕府のブレーンとも言える学者が口を揃えて幕府独自の序列基準として大昔の勲位を用いるべきだと提言している

徂徠の提言内容によると↓
勳一等 宰相/大老
勳二等 中將/大老
勳三等 少將/老中
勳四等 侍從
勳五等 四品
勳六等 諸大夫/高家
勳七等 布衣
勳八等
勳九等
勳十等
勳十一等
勳十二等

御三家は勲一等の更に上だったか
0349日本@名無史さん
垢版 |
2022/04/15(金) 19:15:21.03
>>348

その意見が採用されなかった理由は?
0351日本@名無史さん
垢版 |
2022/04/25(月) 09:24:33.92
忍びの者その正体という本を見たら渡辺囚獄佑という人物が紹介されていた

ウィキペディアにも載ってるんだな
囚獄佑とはなかなかユニークだな

しかし、渡辺一族ものすごく多いな 平安初期に大量臣籍降下させられて初代は
皆、高い地位に就けられたというのは大きかったか
0352日本@名無史さん
垢版 |
2022/04/25(月) 09:29:47.52
歴史群像に官位について解説してるコーナーがある。
それはいいんだが、何故、日本中、皆が位階を貰ったり官職名を名乗ったのか
という解説がないな どの本も含めて

当時、官職名を名乗らないと何かできなかったのだろうか?
0353日本@名無史さん
垢版 |
2022/04/25(月) 15:29:25.19
長い日本の歴史の中で「当時」というのが何時頃を指すか意識して質問しろよ
0354日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/03(火) 08:38:23.01
天皇・朝廷の統治権力が衰えた時代でも皆が朝廷の位階・官職を欲しがったということは、
天皇が国王という認識があって国王の家臣になりたいという願望があったんだろうな。

というか、実際に家臣になってなくても自分の心の中では家臣になっていたのかもしれない

大石内蔵助も浅野内匠頭も「自分は天皇の家臣ですよ~」という名乗りだからな
0356日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/06(金) 09:49:26.31
>>355
成人したら天皇を頂点とする朝廷の組織表を見せられて、
好みの現業官庁の次官名を通称にしろって言われるんやろ。
主君が長官名(かみ)だから、家老は次官名(すけ)にしろ
と指示されて

それで、自分は経理に興味があるから「内蔵助」にしようか・・・と
いう感じで名乗るんやろ

そのときに、将軍や大名よりもさらに高貴な存在である天皇・公家・
朝廷の存在を意識するんとちゃうか

それで、「名目上とは言え、天皇の部下にもなるのか」というようなことも
意識するはず。内蔵助とはそういう意味の名乗りだし
0358日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 07:40:13.46
松永久秀も官位もらっているな。

将軍は殺したが、天皇にはまったく逆らっていない。

逆らう必要がなかったというのもあるだろうが。
0359日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 07:53:31.85
松永久秀が官位を貰っているという周知の事実がトピックになると思ってるって相当の無知だな
0360日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/08(日) 00:53:10.40
名字+官職(もしくは官職由来の通称)って匿名性が高いな

関ヶ原の戦いの直後、俺の地元にあった摂津国柱本村は東軍側の武将から禁制を
貰ってるんだが発給者が「羽柴左衛門太夫」と「羽柴三左衛門尉」なんだわ

当時、これだけで誰なのかわかる者ってどれくらいいたのだろうか?
今もよほどのマニアじゃないとわからんと思う
0361日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/08(日) 14:58:49.79
現代の視点で物語る愚劣さよ

福島正則だの池田輝政だのが正式名称で
羽柴左衛門大夫だの羽柴三左衛門だのが通称だとでも思い込んでるのか?

むしろ当時はそれらが正しい名前として出回ってたのだから
それをわからない者がいたと考えること自体バカ丸出し
0362日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/10(火) 02:48:51.07
しかし、官職名って普通名詞やしなあ。普通名詞やから似た名乗りの人があちこち大量にいて区別が
つきにくかったんとちゃうか。「衛門」に「大夫」だの「三」だの付けても大して変わらない

しかも、戦国時代だと名字をコロコロ変えるし、通称もコロコロ変えるし、ある時点で「羽柴左衛門太夫」
であっても次の日には全然違う名乗りになっていることもあるだろうし、こんなんで円滑に日常生活が
回っていたのかと思う
0363日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/10(火) 12:37:52.26
「吹聴」という慣習がある
名前が変わった、官位が昇進した、加増した、国替したなどのときは関係各所や主だった家に連絡して
「以後そういうことでよろしく」とやるのが普通だし当たり前

○○守やら○○左衛門のような名乗りは近世には完全に固有名詞のバリエーションとなっており
「内蔵助とは元々こういう職掌の官職で~」などと意識することはなくなっているから
これらを普通名詞と考えるのは端的に認識不足
0365日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/27(水) 21:16:20.89
>>361
何が通称か本名かというのは難しい問題だよ。

今でも、芸能人、僧侶、相撲取、古典技能の継承者とか、作家とか、所謂「本名」ではない方が有名な人が少なからずいる。
こういう人らは、生活の殆どが、芸名、僧号、法名、四股名、名跡、筆号……等々で認識されていて、戸籍に載ってる「本名」なんてそれこそ
役所に出す書類以外で使う場面が無かったりする。

戸籍に載っていて役所の書類に書く名前が「本名」というなら、封建時代では、朝廷に出す書面に書く名前が「本名」だろう。
左衛門太夫ということは、六位もしくは五位の叙爵を賜ってるはずだから、豊臣朝臣ナニガシという名前が本名よ。
朝廷に出す名乗りは、氏姓+字だけど、武家社会では氏姓よりも家名(采地名、苗字)+字が基本で、武家では官位官職東百官が号として用いれ、
また、武家と庶民では、諱、字、号の区分が曖昧というか殆どゴッチャ。
氏姓があまり重視されないから、たとえば、徳川家康は、藤原朝臣→源朝臣→豊臣朝臣→徳川朝臣→源朝臣と、氏姓を度々変えている。
家名の方も、松平→得川→松平→徳川と変えているし、字も、元信→元康→家康と変えていて、時々で名乗りが変わっている。
※ 家名(苗字)の「徳川」と、氏姓の「徳川朝臣」と、どっちもあった。
おそらく、年長の近親者からは諱の「竹千代」として認識されていただろうけれど、諱は公の場で名乗るものでもなく、元服後は殆ど使う場面が無い。

大体、偉くなってくると、名前自体呼ばれなくなる。官位官職だったり、城や屋敷の場所だったり、或いは敬称だけになったりで。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/28(木) 08:09:19.41
左衛門「大夫」が六位でもありうると思ってるし
諱と字と号の意味と区別を全く理解していないし
家康が字で竹千代が諱だと思い込んでるし
徳川朝臣などと口走ってるし
低学歴の低能のゴミ知識だな
0367日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/17(水) 15:29:23.70
>>365
> また、武家と庶民では、諱、字、号の区分が曖昧というか殆どゴッチャ。


おまえの脳内がゴッチャゴッチャなだけだろw
どや顔で長文解説して内容がめちゃくちゃとか恥ずかしい奴w
0368日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/30(火) 01:57:12.70
西遊記ってあるやん
西遊記って天上界にも皇帝(天帝)がいて朝廷があるという設定になってる。

それで、孫悟空は斉天大聖という官職を貰っていて、猪八戒は天蓬元帥という
水軍の将軍職を貰っていて、沙悟浄は捲簾大将(近衛大将?)の官職を
貰っている。

その後、地上界に追放されたけど、堺正章・夏目雅子のテレビドラマ版を見てたら
皆、追放されてるのにこれらの官職名を頻繁に名乗るんだな。確か原作でも
割と官職名を名乗っていたような気がする(大昔に読んだので記憶が薄いのであるが)

前天蓬元帥、前捲簾大将とか言わないので一度官職に就いたらそれを名乗り
続けてもいいということなんだろうか。そうか地上には追放されたけど官職は剥奪
されていないとか・・・・。

官職を名乗るということが社会的に意味のある行為だったんだろうな。
原作が書かれた元?明?の頃は
0369368
垢版 |
2022/08/30(火) 02:23:09.20
それで、西遊記のウィキペディアを見たら「実名敬避俗」によって
原作の中では孫悟空は孫行者と呼ばれて、猪悟能は猪八戒と
呼ばれて、沙悟浄は沙和尚と呼ばれたと書いてある。

確かに俺が大昔読んだ原作でもそうなっていたと今思い出した。

じゃあ自分で自分のことを名乗る時、原作ではどう言っていたか・・・・
記憶がない(笑) 忘れた。堺正章のドラマでは「斉天大聖 孫悟空だ!」
と実名を名乗ってたけど、これは嘘ということになるな

それで、またまたウィキペディアの「諱」の項目を読んだら漢字圏において
実名は徹底的に使わずに実名の代わりに

・字 ・号 ・諡 ・官職(現職、前職は関係ない そのうち詐称も登場)
・支配している土地の名前 ・排行
・・・と使ったと書いてある

色々あるけどこれはすべて「実名を隠す」という一点で考え出されたわけだ。
0370368
垢版 |
2022/08/30(火) 02:36:47.58
なお、実名敬避俗によって「斉天大聖」「捲簾大将」などと官職を名乗る場合は
単に実名を隠すだけではなく、「俺は貴族」「俺はVIP」と他の奴らに対して
マウンティングしてるんやろな

ドラマの水戸黄門で印籠を出して「さきの中納言 水戸光圀公にあらせられるぞ」
というのも嘘で、実際は「さきの中納言 水戸の西山殿にあらせられるぞ」くらいが妥当か。
0371日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/30(火) 05:45:33.19
水戸黄門はフィクション
0372日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/30(火) 07:11:16.09
真田幸村は関ヶ原のあとで九度山に流罪になったが
官位(従五位の下)は剥奪されていないんだな。

本人も堂々と名乗っているし、幕府サイドもクレームつけていない。
0373日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/31(水) 00:26:01.98
仮に名乗るとしたら「水戸前中納言」だけ
外部に対して自分の主君を「公」だの「殿」だのと呼ばないし
「あらせられる」のような尊敬語も使わない

「水戸前中納言であるぞ」くらいが適当

西山のようなペンネームを名乗るなんてことはあるはずもない
0374日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/01(木) 07:05:19.62
>>373

> 「あらせられる」のような尊敬語も使わない


武士に対してはそうだが、町人に対してはどうなんだろ?
0377日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 04:34:02.95
皇親と公家の上下関係はどうやったの?
例えば親王なら一品みたいなやつがあるし
諸王も多分普通に官位あるよね?
皇親より官位が高ければ臣下でありながら皇親に対して恭しくはしなかったの?
0379日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/19(水) 11:10:53.33
ウィキペディアの「王(皇族)」の項目を見ているがよくわからんな。

「六世以下の皇胤であっても、臣籍降下しない限り、「王」と
称することが許されていた」・・・・と書いてある。
皇親ではないが臣下でもない存在?

時代が下ると王氏が減ったそうだが、「六世以下」ということは
七世・八世・九世・・・・になっても「○○王」って名乗ってもよかったん
じゃないのか?
0380日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/20(木) 00:25:41.61
興世王とか、系譜すら不明。
本流からかなり離れても王だった者が、かなり居たワケだ。
0381日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 20:32:04.52
>>379
別に問題ない。古墳時代とかに遡るといつまでも王を名乗ってる奴らばっかり。

律令制、特に平安以降になると無官の王では飯が食えずに出家するなり何なりで家が断絶するから二世王とか三世王が珍しくなる。

世襲親王家の跡継ぎとかは継ぐまでは王なんじゃない。
0382日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 00:41:46.71
>>381
農家やりながら○○王 商人やりながら○○王っておってもよさそうやのに聞かんな。
農家で「源朝臣」「藤原朝臣」というのをあまり聞かないのと同じか。

皇族の子孫でも貴族の子孫でも何世か経る+無位無官になった時点で朝廷との繋がりを
示す「○○王」「○○朝臣」というのは名乗れなくなったのかもしれんな。
名乗れたのかもしれんけど、誰にも相手されなくなるんやろな

「山田」とか「田中」のような名字は名乗ったのかもしれんな。
落ちるところまで落ちたら名字も失ったのかもしれんけど
0383日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 01:19:10.03
>>382
・・・・と、ここまで書いて思ったのだが、位階を得られるくらいの軍事貴族・
武家・地方領主に成長した王氏の家がなんでなかったのだろうか?
0384日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 06:31:46.47
そんな大族になる前に臣籍降下させるからじゃないかね。
無品の王って、要は誰にも臣籍降下の面倒も見てもらえない人って事だから。
0385日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/26(水) 13:14:01.55
島津氏と伊達氏は官位の上では同格?
伊達氏は島津氏と同格と思ってて
島津の官位が上がるたび自分もと幕府にせがんでたらしいけど
0386日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/27(木) 19:28:07.32
>>377
中世(弘安書札礼)では親王は摂関と同格
近世(禁中並に公家中諸法度)では親王は現任大臣の下、諸親王は前官大臣の下

諸王は官位順で諸臣に交じる


>>379>>382
その辺りは赤坂恒明『王と呼ばれた皇族』(吉川弘文館)に様々な実例が紹介されているから一読を薦める
王氏のまま土着した家系などについても言及あり


>>381
律令の規定について語るのに律令以前の古墳時代がどうのと言い出すとか知能が低すぎるな
そもそも天皇号成立以前の時代だから後の天皇に相当する地位でさえ「おおきみ=王(大王は美称)」だ

400年も続いた平安時代を前期中期後期末期と分けずに語るし
世襲親王の跡継ぎも親王宣下されれば親王だし
こんな低能が何故発言しようと思ったんだろう 
0388日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/28(金) 10:49:08.17
親王は摂関や同格だったり大臣の次に格付けられたり最初から高位なので
親王の品位は親王間の序列を決める機能しかない
0389日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/07(月) 14:00:03.21
>>96
大正天皇も勧修寺家・柳原家を介して織田信長の子孫だからモーマンタイ。
勧修寺家は明智光秀の子孫でもあるしな。

お公家さんお武家さんは殺した殺された両方の子孫多いから一々気にしてられない。
0390日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 00:38:01.57
皆さんが望む官位は何ですか?
私は、三位中将くらいですかね。
0391日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 05:33:14.78
>>390

従五位下で十分
0392日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 22:00:58.35
ウィキペディア見ると義太夫の名人は戦後でも朝廷から官位をもらってるんだね
掾号というらしい
能や歌舞伎はそういうものはないようだ
0393日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 23:10:01.45
>>390
三品で良いわ
0394日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/24(木) 10:23:27.31
木下藤吉郎秀吉
明智十兵衛光秀

織田家の重臣なのに官位なし
(後に貰った)
0395日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 08:10:37.42
大名の家来が官位貰う方が稀だし
羽柴筑前守や惟任日向守は正式な官位じゃないし
0396日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/26(土) 17:40:22.58
秀吉さんはともかく光秀さんは生涯無官のまま落ち武者狩りの竹槍で終わってしまったのか
切ないね
0397日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/30(水) 22:40:44.37
官位とは天皇が臣下に与えるもの

松平ごときの土豪が与えた武家官位に何の価値もない
0399日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/12(月) 07:56:42.63
>>388
親王から大臣出たりするのに、親王に既に自動的に大臣よか格上のが居たりすると困るじゃん。
0400日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/26(月) 23:08:13.31
>>386
「諸親王」って聞いたことないから何なのか?と思ったら3世以下の親王のことを指すのか。
世襲親王家の親王とそれ以外の親王を分けて、前者の方が後者より格下ということにしているのか。
細かいな。ここまで区別せんといかんという家康の考えなんやろなあ。
https://kotobank.jp/word/%E7%A6%81%E4%B8%AD%E5%B9%B6%E5%85%AC%E5%AE%B6%E4%B8%AD%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%BA%A6-1525613

しかし、禁中並公家諸法度の第一条「天皇は学問しろ」というのはわかるけど、第二条で親王と
政権幹部の序列を決めるって違和感があるなあ。親王の序列ってそんなに大事なんやろか?

そもそも序列ってどこでの序列なんやろう? それがわからん。

あと、前官大臣ってとある官職を辞任した者なんやろうけど、辞官した者がどういうふうに
朝廷の政治(?)(というか儀式?)に参画してるんやろう?
0401日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/27(火) 12:07:06.58
諸親王=三世以下というのは橋本政宣が言ってるんだけど特に根拠は示されていない
個人的にはガチの皇子である親王ではない親王家の当主とその後継ぎのことだと解釈している

序列というのは宮中の座次のことで
豊臣時代に摂関・親王・大臣の座次相論が激化してそれに決着を付けるという意味合いがある
中世の書札礼だと親王は摂関と同格だけど
摂関が公家社会を統括する役割を担わされた以上摂関が上の方が都合が良い

近世にあっては摂関・武家伝奏・議奏などの職にない公卿は総じて無職みたいなもので
現任・前官の区別は座次を決定する機能しかない
0402日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/27(火) 14:53:43.35
平安時代に太政大臣と関白が(兼任ではなく)併存した時期があったと思うが。

この場合、どっちが席次が上なんだ?
0407日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/28(土) 11:31:26.56
皆さん、ちょっと違うよ。
どんな場合でも太政大臣が一番上。
摂関と左右大臣の比較では、位階が上の方。位階が同じならば摂関が上。
内大臣でも位階が負けれいないければ、ただの左右大臣より摂関が上(そんなケースは極小だが)。

これ、藤原忠実の昔語り等で明らかにされている。(吉川弘文館の近刊本は必読)
0408日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/29(日) 22:34:36.74
それ平安中期~後期限定の話で
中世以降には適用できない
0409日本@名無史さん
垢版 |
2023/02/01(水) 00:09:23.24
まずは20代で従四位侍従、少将、30〜40歳で従三位中将又は中納言に任じられたい。
0410日本@名無史さん
垢版 |
2023/02/10(金) 17:20:45.03
>>385
同格
だからこそライバル意識も出るというもの
0412日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/12(水) 07:51:30.41
なんで正一位すぐ死ぬの?
0413日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/23(日) 22:10:00.50
課長になったら従五位下・受領、部長になったら正三位・右近衛権大将くらいかな
名刺に書いて、取引先からは官位で呼ばれるとか
0414日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/24(月) 19:03:48.57
諸王というのはどういう社会的地位だったんだろうね
摂関はもちろん公卿のほうが格上で、下級貴族みたいな感じだったんだろうか
0415日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/28(金) 16:10:20.77
文官というか事務官のイメージがあるが。
0416日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/29(土) 22:18:25.63
島津斉興が参議にまで昇進してるのは謎だ
徳川松平一門、前田家以外では唯一の例か?
0417日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/31(月) 00:33:11.64
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担
0418日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/31(月) 14:43:11.84
>>416
島津斉興がなかなか隠居しなかったのは従三位への官位昇進を
狙っていた為という。このため、隠居しても官位昇進が可能
だと知るとあっさり隠居したという。
(ウィキペディア)


官位への執着心が強かった人みたいだな
0419日本@名無史さん
垢版 |
2023/08/02(水) 12:50:00.46
元和元年(1615)(元和偃武)~明治二年七月七日(百官受領廃止)に公卿に昇った武家一覧(德川苗字以外)

越前
參議從三位 松平越前守忠直
參議正四位下 松平伊豫守忠昌
從二位權中納言 松平中納言慶永

越後(絶家)
從三位右近衞權中將 松平越後守光長

會津
參議正四位下 松平肥後守容保

加賀
權中納言從三位 加賀中納言利常
參議從三位 松平加賀守綱紀
參議正四位下 松平加賀守吉德
參議正四位下 松平加賀守治脩
正三位權中納言 加賀中納言(のち前田中納言)齊泰
參議正四位上 松平加賀守(前田宰相中將)慶寧

薩摩
權中納言從三位 薩摩中納言家久
從三位左近衞權中將 松平薩摩守重豪
參議從三位 松平大隅守齊興
參議從三位 島津宰相中將久光(部屋住厄介)
參議從三位 島津宰相忠義

仙臺
權中納言從三位 仙臺中納言政宗
參議正四位下 松平陸奧守慶邦
0420日本@名無史さん
垢版 |
2023/08/02(水) 12:50:39.60
會津(絶家)
參議正四位下 松平下野守忠郷

因幡
參議正四位下 松平宮内少輔忠雄
從二位權中納言 池田中納言慶德

筑前
參議從四位下 松平美濃守齊溥(のち黑田宰相長溥)

安藝
從二位權中納言 淺野中納言長勳

長門
從二位權大納言 毛利大納言敬親
參議從三位 毛利宰相廣封(のち元德)

秋田
參議從三位 佐竹右京大夫義堯

肥前
從二位權中納言 鍋島中納言直正

阿波
參議正四位上 松平阿波守齊裕
從二位權中納言 蜂須賀中納言茂韶

土佐
從二位權中納言 山内中納言豐信

宇和島
從二位權中納言 伊逹中納言宗城
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