日本語の起源 [転載禁止]©2ch.net
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>>285
第一波の話だからこれでいいんだよ
第二波、第三波は別ルートだから 樺太からの伝播もあるしな。
日本語と朝鮮語の開きは少なくとも5000年以上だとか。
つまり、少なくとも5000年以上経たないと日本語と朝鮮語ほどの差は出ないんだそうな。 日本の縄文時代っていうのが、人類言語の起源なのになんで伝搬が必要だよ。
弥生土器渡来人が独自集団形成して繁殖したって説はおかしいと思うぞ。
明治維新で薩長が主流になっても、江戸言葉が標準化しただろ。
琉球やアイヌのローカル性から標準化の歴史すっ飛ばして
縄文人語の起源に届くのかよ。
日本にはローマ帝国やモンゴル帝国支配下で言語文化が途切れた歴史なんて無いヨ。 日本語族は現存する世界中の他のどの言語よりも古くに成立した世界最古の言語系統であり日本列島で独自に発展したものである 縄文時代って言葉一つじゃないだろ。
同じ時代に、ニューギニアとかみたいに、谷筋川筋ごと浦ごと浜ごと別の言語、尾根二つ三つ越えたら掟やお祭りが全く違う、みたいな
状況だったんじゃないの? 日本はそこまでひどかった痕跡はない
縄文時代には交易圏が海を越えて築かれていた
隣同士で殺し合うニューギニアとは全然状況が違う
ていうか琉球諸島ですら隣の島や下手すると島内でで言葉が通じなくても語族は同じ日本語族だぞ >>293
交易なんて最前線の少人数だけが商いに必要な単語だけ知ってたらできるで。
白海・北極海沿岸で盛んにラップランド人やノルウェー人と交易したロシア人の一派のポモール人とか、商いに必要な単語だけ
ノルウェー語やサーメ語から導入した単語と同義語を複数併用してた。
どうかすると、言葉なんか通じなくても、提供できるものを並べて、欲しいものを指さして、やりとりするだけ。
キャプテンクックがハワイに到達したときも、そうやって、釘等金属片と食料を交換している。
北米西部のインディアンも相互に言葉が通じない部族どうしが、お互いに出会わないようにしながらも、交易していたことが
19世紀に到達した白人に観察されている。
やり方は、見通しの良い場所に相手の喜びそうな産品を置き、一旦去る。それを見た交換相手の部族が自分の方の産品を
携えてその場所へ行き、見合った分量・品目を置いて去る。それを見ていた最初の部族の者が交換品を回収に行く、というやり方。
互いに見合う品目・数量でなければ次の交易が期待できなくなるので、交易が途絶えること恐れて十分な財を渡し、また
過度に得ることも戒められるので過分な量なら持ち帰らず残して合図したという。
或いは、話す言葉の違う異民族が隣合って住んでいたり、同じ町に混ざって住んでたりなんて、歴史上いくらでもある。
邑里国家時代の古代ローマが、言語の系統の全く違うエトルリア人とラテン人が一つの城市に混ざって住んでいただろ。 >>294
海洋民族が船を使って各島を行き来する日本列島をコーカサスやニューギニアみたいな交通が極めて不便で非常に特殊な状況だった語族蝟集地帯と一緒くたにしたらいかんよ >>295
ニューギニアのメラネシア人もマレー人もミクロネシア人海洋民族ですけど。 >>297
ニューギニアは違うゾ
主に5万年前に陸地だったスンダランドを歩いてきて島内に定着してきた無数の民族集団だゾ 古文ってさ
今の日本人には勉強してなきゃ読めないわけだが
あんな古文が当たり前の時代の日本語が
現在の日本語と同じとは思えない なにいってんだ
記紀の文章の中にすら今使っても完全に通用する言い方あるだろ >>298
歩いて来れるはずねーだろ。
でなきゃあ、ウォーレス線みたいなもの無いわな。少なくとも、新生代に入ってからは陸続きになってねーよ。
人間が出てきたのは、新生代の後半の第四紀以降だで。 >>303
論点はそこではない
サフルランドへ渡る海峡部は葦船を使っただろうが渡海はそこだけだ
ニューギニア原住民が遠洋の島々に渡ったことはなく、彼らはどう考えても海洋民族とは呼べない >>304
別に遠洋に行かなくても、地続きのニューギニア島内で数十の語族に数百の言語があるじゃん。
あんたの言う「ニューギニア原住民」が何を指し示すか知らんけど。
ニューギニア島の東西には、海洋民族のマレー人、メラネシア人、ポリネシア人がいて、ニューギニア島にも渡ってきて住み着いてる。
ラピタ文化圏の範囲だし。 >>305
オーストロネシア人はニューギニアの原住民ではなくつい数千年前に沿岸や周辺島嶼に住み着いた新参でしかないだろいい加減にしろ! 数千年も住んでりゃ、立派な原住民だろうて。
そもそも日本語だって、そんなに遡れないだろ。或る程度まとまった形で概要が判るのが1300年前、
支那の記録に出てくる地名や人名や高位者の称号やらの断片的なものから単語が何となく日本語っぽいなあでも2000年は遡れていない。 匈。日本語は、華夏語。高句麗語では無いね。句は白人のこと。ドル語。 匈奴(ガド)族が華夏に文明を築き、イスラエルに移動して文明を築いたってこと。
華夏が文明の地。
キリスト者は逆を教えられてるねんね。 >>308
パプア諸語に大きなものが4〜5語族と、系統関係不詳の言語が40以上。 >>314
ニューギニア島は、せいぜい日本の二倍くらいの島だよね。
なんで、そんなに言語が多様化したんやろ?
それとも、研究が進んでなくて、相互の関連性が未だつかめてないだけとか? 渡来は先住民の文化に呑まれたではなんでいけないのかね?
アイヌは先住民の言葉が渡来の言葉に呑まれたんだろ? アイヌは縄文人とオホーツク人の混血で
アイヌ語はどちらの言語が主かは不明 >>315
もともと、そういうのが当たり前。
ローマが邑里国家レベルだった時代にも、言葉の違う異民族が7つ8つアペニン半島に居たことが出てくる。
農牧業・金属器の使用で軍事圏や政治圏の拡大で、たまたまその中の中核的な集団の用いていた言語によって
多数の小集団の言語が塗り替えれてしまった。
ニューギニア島は熱帯多湿気候で農牧業の生産性が低くとりわけ穀物の生産貯蔵に向かず、近世まで人口希薄。
人が少なすぎて、銅器・鉄器を作る文化を維持できない、広域の軍事圏・政治圏を形成せず、小集団がそれぞれに
違う言語を持った状態を保っていた。 先史時代だからといって他民族分立が当たり前とは限らないけどな
非文明的な生活を営んでいても広範囲に分布する語族は少なくない
結局は気候や地形に左右される >>318 なるほど、サンクス。 >>319 貴方の見解も参考にします。 中国ですら秦の始皇帝が文字の統一を命じてから、言語の統一も進んだという
日本語も漢字という文字が初めて導入されたことで、言語の統一が進んだのではないか?
古文書の書簡をみても、話し言葉は方言が強くても、書き言葉では方言が出てこない場合は多い 電車のなかで、何語かききとれないとき、
ハングルと日本語がいつも間違うくらいイントネーションっていうか、アクセント似てる
学術的に違っても本当に似てる
中国の言葉は間違えないくらい日本語とは異質なくらい違う 中国語はむしろ漢字表記の字幕をみたほうが、意味が少しわかることがある アクセントの形式でいえば日本語とアイヌ語と朝鮮語と呉語とチベット語とパンジャブ語が同じトーンアクセントの仲間なんで
これらの言語は聞いた感じは似てると言える 上代時点で縄文系の語彙+中国南方から渡来した人々の語彙+アルタイ系の語彙&文法
かな? 縄文語の発見って本に
日本の方言から比較言語学的に縄文語を
再構すると、縄文語は
九州縄文語と裏日本縄文語になって
九州縄文語が琉球方言と表日本縄文語に分かれ
表日本縄文語がいわゆる関西弁になったという。
関西弁のアクセントは、
中国語の四声の影響であろうだそうな。
九州に中国語を母語とする人たちがやってきて
彼らが縄文語を習得するのに、母語の四声を活用して縄文語の同音異義語を区別して話すようになった、という。
すると
なぜ素の縄文語が裏日本縄文語 いわゆるズーズー弁と分化したのか不思議で本には書いてなかったのだが、
これまた最近、モンゴル人力士が喋る日本語はズーズー弁になりがちと聞いて
まだ→まンだ となるこの音韻対応は
アルタイ語であるモンゴル語の影響であろう
ということを耳にした。
出雲の古伝によると
出雲人はインダス文明のドラビダ人でシベリア
アムール川を下って日本に来たらしいから
一応、つじつまが合うなぁと。 >>325
弥生人と江南人は無関係
Y染色体ハプログループが全然違う
江南に多いO1b1と日本と朝鮮に多いO1b2の分岐年代は二万年以上前に遡り
しかもO1b2の比率が最も多いのは縄文系形質の強い南琉球人だ
縄文人は自ら大陸に航海して江南の稲作を列島に持ち込み、朝鮮半島から有用な人材を徴用して自らの血に取り入れた >>328
江南から朝鮮半島に稲作文化伝播→朝鮮半島から日本に稲作文化を持った朝鮮人渡来の流れが今の主流じゃん
江南から朝鮮を経て稲作文化と共に言語も伝播したってだけで遺伝形質まで伝わったとは俺も思ってないよ >>317
古代東北のエミシもアイヌ系統の言葉を話していたと思われるからアイヌ語は縄文人の言語を受け継いでると思う >>329
朝鮮のような寒冷地に稲作文化などないだろいいかげんにしろ!
朝鮮人が稲作を伝えたニダだったら米とか農機具の名前が朝鮮語と同じになるはずだがそんなことは全くないだろ
一応石包丁は朝鮮半島と共通のものを使ってて
名前も칼 khar(刃)や갈다 kar-ta(研ぐ、すりおろす、削る)と刈る kar-uとか낫 nas(鎌)と鉈 nataなどは似てるし、
遼寧式銅剣も伝わってて倭人が鉄を三韓まで取りに行ってるから刀工文化に関しては朝鮮半島経由と認めるがな >>329
朝鮮半島にも中国から渡来定着した痕跡たる三足や耳の付いた中国系生活土器と
土壁の中国系住居の痕跡遺構がない。
従って、朝鮮半島の稲作は遼東半島から導入したものと考えざるを得ない。
それと、日本の最古水田の弥生人たちは朝鮮土器を一切作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
従って、稲作は弥生人が彼ら自身の手で朝鮮南部から導入しただけだと考えざるを得ない。 朝鮮南部から、じゃなくて江南から
朝鮮南部は経由地に過ぎず、海上交通により倭人は韓人よりも先に中華文明に接触している(山海経の地理の記述に倭があっても韓がないのはそのため)
倭人は江南から導入した稲を朝鮮と同様の形式の刃物で刈って縄文から独自に単純化した形式の弥生土器で炊いて食べた
もちろん騎馬民族征服説などというのはウソッパチで実際は倭人の方から主導して主に朝鮮半島から職人や美女を連れてきて混血していたというのが事実 >>331
クワは朝鮮語でクウェンイと言うんだが。
クワは稲作が日本に伝わった当時の中国にはない農具。
中国にはない農具が日本最古の耕作用農具として最古水田に伝わっている。
しかも石刃の中国系耕作用農具ではない。
しかも中粒種のイネがない。 >>334
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具は?
. シャセーエベンキがが出てくるとややこしくなるからすっこんろ
괭이とやらは日本語からの借用だろ?
中期朝鮮語での対応語がないし、wiktionaryの用例も戦後のものばっかだ
https://ko.wiktionary.org/wiki/%EA%B4%AD%EC%9D%B4 >>336
文盲は死んでろ
石刃はチョンコランド型だっつんだろこの腐れエベンキ顏 >>338
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具は?
早く出せよおまえ! >>339
ゼ、ゴンボグバンバサゾグビュグギダヂュグシュグギュンギベドギギザンヂュグゴブベギボグガブジョグボググパ?
ザジャブザゲジョゴラゲ! >>340
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠は?
さっさと出せよおまえ! >>341
ゼ、ゴンボグバンバサゾグビュグギダヂュグシュグギュンギベドギギザンヂュグゴブベギボグガブジョグボググパ?
ザジャブザゲジョゴラゲ! 言語は遺伝子に乗ってるわけではないしなあー。
アメリカとか血の量ではアングロ系2割よか少ないのに、英語が一番通じるだろ。 有史以前の日本列島はルネサンス期の新大陸みたいなもんだからねえ 日本列島は新大陸ほど他の地域からの交通が不便ではない
独自性を保つのに充分でなおかつほどほどに人が行き来できる程に大陸から隔たっている
病原菌が入り込まなくて原住民が抵抗力を持たなかったために原住民が大幅に数を減らしたとか、外来の民族に乗っ取られたということはなかった
日本語や弥生文化は日本列島内部で発生したものであり、日本列島外から来たエイリアンなどではない
もし外来の民族がそのまま日本列島に定着し原日本人を駆逐したのであれば大陸の一地域の言語や文化がそのまま移入されていなければならない
それにも拘わらず実際には弥生人は北方と同じ形式の石包丁で南方の稲を収穫して食べている
江南や南朝鮮と繋がりのある南方系支石墓の被葬者は縄文系の形質が強い
これは日本列島側の住民の手によって日本列島へ選択的に文化や血統が移入されたからに他ならない >>345
江南との関係を証明できる中国系土器や中国系耕作用農具などの中国系文物が
何一つないため、結局、支石墓は全て朝鮮南部から導入したと考えざるを得ない。 >>342
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は?
今すぐ出せよおまえ! >>306
ニューギニア先住民はメラネシア人だな。 >>347
支石墓は朝鮮半島から導入したので間違いないだろう。
農具の類似性等も考えれば、半島南部以外には考えにくい。
ただし、ではその半島南部へ誰がもたらしたのか?はまだ不明である。
そして、当時の半島南部が「先進地域」だったわけではないということだ。
出てくる遺跡は少ない。そして、半島南部には縄文人の痕跡が多数存在する。
九州の支石墓には縄文系の人が葬られている。
中国東北部から南進した人々と半島南部の倭人が出会い、そこで水稲を受容したことも考えられる。
農耕そのものは、もっと以前から行われている。
「半島南部にいた縄文人(倭人)が稲作を受容し、日本列島へ持ち帰った」
というのが最も矛盾が少ない。
北方モンゴロイド形質が増えるのは、後の時代の移民によって。 >>315
ニューギニアにたどり着いてからの年月が長いこと(4万年くらいじゃないかと)
「高地」で谷ごとに言語が違うこと
つまり、交流できないほど隔離された土地にばらばらに住み着いて長い年月が流れたこと
が原因だろうと言われているね。
彼らは低地には行かなかったらしい。低地にはマラリアやその他危険な生き物がいるから。 ニューギニア高地の「村毎語族」は相互に交易もしてるし戦争もやってる
交渉があれば言語の均一化が進むという理屈の貴重な反例 >>353
朝鮮半島の支石墓は遼東半島から伝わってきたもの。
支石墓だけでなく、土器や稲作や金属器など、ほとんどのものが遼東半島の
影響を受けて先史時代の朝鮮半島の文化は成立している。
朝鮮半島に縄文遺跡はないし、最古水田の土器はすでに弥生土器である。
黒川式縄文土器が山陰方面から流れてきた山ノ寺式弥生土器に押し退けられるのと
ほぼ同時に最古水田が現れるのである。
しかし、最古水田では朝鮮系土器が全く作られなかった。
従って、稲作は九州北部の弥生人が彼ら自身の手で朝鮮南部から取り入れただけだと
考えざるを得ない。 朝鮮半島に、日本に文化や人間を大量に送り込むような土壌があったのならば、その痕跡が
あるのならば何の問題もないんだよ。
それが存在しないから、今に至るまで「弥生人はどこから来たか?」とか「稲作はどこから来たか?」
と議論になってるわけだ。
だけど、半島で古い遺跡は僅かしかない。日本に大量に移民を送れない。
言語が全く無縁である。
中国の史書が書くのは半島南部は倭人が住んでいるということ。
半島南部から伝わったことは間違いない。だけど、それはそこに住んでいた倭人が持ち込んだ
ってことになる。じゃあ、人体の形質が変わるほどの移民はどうなったのか?
分かることは
「水稲稲作を持った弥生人が渡来して弥生時代が始まった」とが間違いだってことだ。
100万人説は現在では否定されているにも関わらず、カルト信者が存在する。
騎馬民族説と同じだ。 範東アジア語の中から縄文語が生まれ、そのベースの上に耕作に関わる単語が
取り入れられて現在の日本語に繋がった。
本来なら、朝鮮語はもっと近くてもいいはずなのにそうではない。
ということは、稲作が伝わった時代の半島南部の言葉と今の朝鮮語は別物なんだろう。
新羅の言葉が起源らしいが、彼らは秦の使役から逃れてきた人という伝承がある。
いわゆる「漢人」ではなく、周縁の民族だった。
稲作を伝えた時代にはそこにはいなかった訳だ。
遺伝子的に日本人と韓国人が近いのは確かだろう。
だって「半島南部」は倭人の国だったわけだから。
遺伝的には「朝鮮人」というのは、中国人と倭人と扶余系のミックスだ。
日本人の先祖が朝鮮人だからではない。逆。
白村江で取り残された倭人系の人々が後の朝鮮人の一部になった。
言語学者によれば、中国語はアジアの言語の中では異質らしい。
中国語だけが変わっている。 >>357
朝鮮半島には縄文遺跡も弥生遺跡もない。
単に交流や交易を通じて、支石墓や稲作や金属器などの文化や技術を
弥生人が取り入れていただけだというのが実態である。
渡来人は縄文晩期の山陰あたりにせいぜい数人から数十人規模の渡来だけだろう。
農耕を取り入れた事で安定した食料確保が可能になり、日本の中で人口爆発しただけなのである。 >>355
それは個々の民族集団が長距離の移動をしないからだな
隣村同士で交易するのと海を渡って遠くの島と交易するのとでは訳が違う >>358
汎東アジア語なんてあったとしても3万年前とかそこらだろ
稲作とか全然無関係
祖語があった根拠はないが仮に非常におおざっぱに分けるとして、
日本語朝鮮語アルタイ諸語は印欧語などの同類であるユーラシア大語族、中国語はデネ・コーカサス大語族
この時点で東アジアという枠組みからは大きく外れているし、それらをまとめるノストラティック大語族となるとユーラシアアフリカ北米に跨るとんでもない広範囲に及ぶ 不思議なのは、「目」や「手」「芽」「根」「葉」のような基礎語彙と思われる単語が
南方と似ていること。縄文語にそれがなかったとは思えないが。
それとも、モンゴロイドが分岐する以前から使われていたのか、それとも栽培が
始まった頃にすでに使っていたのか。縄文中期にはすでにゴマやひょうたんを作っている。
すべて「日本が教えてもらった」というのが正しいのかどうかわからんが。
耕作の用具に関する言葉は朝鮮語と似たものがあるらしい。
現在の朝鮮語に残っているということは、新羅の支配層は農耕民ではなくその言葉を
持っていなくて他民族の言葉を取り込んだのであろうということ。
まあ、現在の朝鮮語の多くは中国語になってしまってるけどな。
「山」「川」も中国語だもんな。漢江とか。
近代語は日本語で。 >>362
「目」「芽」
これらは日本語と朝鮮語で共通して同音異義語
me(<*mia)とnunなので祖型で*mnarみたいな形が想定できる
「葉」
これは平らな物体を表現するための擬態語パラパラ(*par)の仲間だろう
南方に限らず全世界的に普遍
「根」
ne(<*nai)はナル(生る)やナラス(均す)やナヰ(地震)の仲間で地面と関係する
朝鮮語のnada(生える)やnara(<narah;国)、ツングース語のna(土地)に類似語を求めることができる
「手」
スタロスティンはこれを朝鮮語やモンゴル語の単語と同祖と推定している
http://starling.rinet.ru/cgi-bin/response.cgi?single=1&basename=%2fdata%2falt%2faltet&text_number=+362&root=config
どれも特段南方と共通とは考えられん
日本人は南洋の人々と共通の祖先をもちたいという願望が生み出した幻だろう 南洋って、ポリネシア人か?
なら、アウトリガーカヌーが伝わるだろうし、ポリネシア人自体、
3000年くらいの歴史しかない。 >>335
道具の言葉は似たのがあるらしいな。
だけど、それって「朝鮮語→日本語」っていうのは確実かな。
道具の言葉の故地(今は消えた言語)→半島南部(倭人の言葉)→後の朝鮮語
という可能性を否定できない。
何故なら、稲作と一緒に伝わったのなら稲作に関する言葉も似ていなければならないが、
それは全く別物なんだよな。 >>363
日本人学者に、「南方に願望がある」とは到底思われないけどなぁ。
村山にしてもそうだけど、南方説をとる人ですら、最初は北方説の研究をしていたが、
北方説の筋の悪さに絶望して南方へ目を向けたという例が多い。
南方寄りといっても、最初は(文化的共通点がある)長江流域との関連を探る人が多く、
こと言語では北アジアの比ではない筋の悪さ(華南の諸言語なんて日本語との関連性は壊滅的)に絶望して、
大野のようにインドまでぶっ飛んでしまう人も出てくる。
オーストロネシア語との比較なんて、文化も遺伝子も何もかも、傍証となる共通点が全く無いのだから、
そのゆえに、比較言語学としては予断の入りにくいわりとまともな学説が展開されている。
おまえさんの*mnarのようなあまりにもふざけた例は、村山などは決して言ってないw >>361
いや、祖語はあるよ。あるに決まってるw
ただし、古すぎるけどな。
出アフリカの時点で、言語は一つだろう。 >>326
その本は知らんけど、ズーズー弁は出雲弁って説があるらしいな。
要するに、今の東北にはアイヌ語に関係する地名が多いが東北弁はアイヌ語に近い訳じゃない。
東北弁は、後から移入された。
どこから?
国譲りで追い出された出雲人が東北へやってきてズーズー弁を持ち込んだ、と。 >>368
ですね。
出雲口承によるとブリヤート人に連れられてアムール川を下ってきたそうだし、
出雲人は東に北に追いやられたそうなので。
考古学者に言わせると旧石器時代の
使用石器分布と方言分布が重なるから
日本語につながる縄文語はかなり古く
安定して存在したと言えるだろう、だそうです。 ズーズー弁は土着のアクセントだと考えた方が良い
沖縄、鹿児島、高知、山陰、そして東日本一体という広がり方を考えると
ある地点からズーズー弁が広まったと考えるより
日本はもともとズーズー弁の地域で後から瀬戸内海中心に非ズーズー弁文化が栄えたと考えた方が自然だろ ところが、通時的にはいわゆるズーズー弁は比較的近年の発生なんだよなあ。
江戸中期ごろの山形県内陸付近が文献上の初見で、
それ以前には、いかなる文字資料もそのような発音の存在を示唆しない。
桃山時代の宣教師文献ですら、東日本や九州の発音の差異については詳細に記述しているのに、
東国で母音の音価が違うとは一言も言ってない。 googlearthを見ていて思うことだが、日本のムラには二種類ある。
近畿圏のように、家がくっついてムラがキュッとまとまってるやつ。
家がバラバラに建ってるやつ。
砺波の散村とか特殊なやつだけかと思っていたら、関東以北は家がばらばらだ。
砺波の散村まではいかないけどね。
オレは関西の田舎人だから、「ムラ」っていうのはこれでもか!というくらいきゅっと
詰まってるもんだと思ってた。
で、出雲もバラバラなんだよね。
「ムラ」というか「集落」なのに集まっていないというか。
関東も東北も、近畿のムラからみれば、うまく表現できないが不思議な感じがする。
土地が広いからかと思ったけど、奈良盆地は土地はそれなりに広いがムラは詰まってる。
島根は山の中は土地が広いわけじゃないのにバラけてる。
東北でも、日本海側はまたちょっと違う。
京都、大阪、奈良、滋賀、兵庫、福井、石川、新潟、鳥取、岡山・・あたりは固まったムラ。
岐阜や静岡がバラけてるのが以外だったけどな。北陸は富山だけがちょっと違う。
九州はちょっとわからん。平野部は都市化しすぎと、干拓地とで。
でも、朝倉あたりは詰まってるな。
開拓大平野あたりはばらばらになってるところが多いらしいが、愛知の様に江戸時代にすでに
大干拓地だったところはわかりにくい。 >>366
正確には「日本語が朝鮮と関係ないどこかの言語と関係していることに願望がある」だな
最も似た言語を話す朝鮮を嫌い蔑むあまり冷静な考察力を失って日本語を朝鮮半島を飛び越えたツングースと南方の隣人オーストロネシアのアマルガムにしようとする
だがそれらの試みは悉く失敗に終わる
なぜなら日本語(の語彙)が縄文人の血統と同じくらい古くからの独自性を持っているからだ
日本語の語彙のオーストロネシア語起源説なんか今日日言い出したら一笑に付されるレベルだ
あれくらいの一致ならドラヴィダ語はもちろん印欧語でも見つかる >>372
出雲平野(宍道湖西岸)の散村は、そんなに古いもんじゃないよ。
あと、松江城下町の「孤立した東国風味の文化」も、そんなに根が深いものじゃない。
松平の殿様が意図的に導入したものだから、それほど根が深くない。
この松江の東日本風文化の到達域は、本当に松江城から半径数kmぐらいの範囲だけで、
そこを出ると、「やっぱりここも中国地方である」という文化になる。
出雲地方はたしかに独特の文化をもつところだが、
その「なんちゃって東国性」は、実際に訪れるとあまりに過大評価されすぎのようにも思う。 >>366
>おまえさんの*mnarのようなあまりにもふざけた例は、村山などは決して言ってないw
比較言語学の大家であるスタロスティンが日本語と朝鮮語とモンゴル語の「目」を意味する語を同源認定している
http://starling.rinet.ru/cgi-bin/response.cgi?single=1&basename=%2fdata%2falt%2faltet&text_number=1473&root=config
Proto-Altaic: *ni̯ā̀
むしろ逆に「目」が南方の言語に似た語彙のなどあるのか示して貰わなければクッソふざけてるのはおまいさんなんだってはっきりわかんだね
あば・あふ
あばら骨 あばら家
暴れる あばれる
暴く あばく
焙れる・炙れる あぶれる
溢れる あふれる
敢ふ あふ 堪える。我慢する。持ちこたえる。 沿海州の少数民族の言語との関係をもっとよく調べるべきだろう。 >>374
出雲平野のは新しいと思った。
そこじゃなくて、山間部のことだよ。 >>366
日本と反対側のオーストロネシア諸語の分布の端っこにあたるニューギニアら辺は、系統不詳の言語が40とか50とかあるよ。
縄文時代・弥生時代の日本もそんな感じで、オーストロネシア諸語のいくつかが流れ着いてナンボか影響したのかもしらんけど、
全く違う系統の言語が多数ひしめき合っていて、その中の一つの日本語の祖にあたる言語が或る時期に急伸長して樺太・千島・
北海道を除く日本諸島の大半を覆うようなことが起こったんじゃなあの? >>369
ブリヤト人自体が12世紀〜14世紀くらいに言語をモンゴル語に切り替えてる集団だからな。
それ以前に何語を喋っていたかはよく判らない。
モンゴル帝国の拡大に伴って、北地タイガ地帯の産の貂皮や鹿茸を食糧や金属器に交換する交易の利のために
言語自体を切り替えた結果だ。 >>354
交易できないほど隔絶はしてないだろ。
バナナ、甘蔗、サゴはニューギニア内陸原産で、紀元前には熱帯アジアに広まっている。
逆に、中部の高地地帯にも、域外の原産の甘薯、檳榔、カヴァが入ってきているし、内陸のパプア諸族と、
北東沿岸部のメラネシア系諸族との身体的な差異も殆ど無い。 >>381
遠くへ行けない
ニューギニア高地が独自の文化圏になっているのは
周辺の低地が疫病の蔓延する不潔な土地である上に見知らぬ人間はとりあえず殺す狂暴な人食い族だらけだからだ
こんなところではせいぜい隣同士で物々交換を繰り返すしかない
オーストロネシア人もニューギニアには沿岸のごく一部にしか入植しなかった
>>379
ありえないな
縄文人の文化程度を過小評価しすぎだ
もしそうだったら縄文時代の遺構から遠方との交易の証拠が見つかるなんてことはないだろう
日本列島は清潔な環境であり、海上交通が容易
縄文人の殺人の発生率も極めて低く平和な時代であったことも判明している
ニューギニアやコーカサスといった言語蝟集地帯とは全然状況が異なっているのだ ニューギニアから渡来定着したら、南方の石器や土器があるはずだろ。
馬鹿は死ねよ。 >>373
>>375
スタロスティンだって、アルタイ仮説以前に、まともな日朝祖語の構築すらできてないじゃないかよwww
北アジアプロパーの問題はともかく、こと日本語に言及するなら、
大家も権威もへったくそもあるものか。その程度に過ぎん。
小泉保が晩年発信した電波本(ここで言及されてるww)よりはマシだろうけど。
そもそもだなあ、
日本語の起源に取り組もうとするすべての比較言語学者は、「朝鮮語に絶望する」ところから始まるんだぜ?
これは「全員」といっていい。全員が全員、
「日本語と朝鮮語との比較言語学的関係の厳しさに絶望する」ところから始まる。
一見よく似ているようで、実際に比較言語学の方法論を適用すると、不漁も不漁、網になにも引っかからなくなる。
せいぜい指折り数えられる程度の借用語だけの世界で、これではアイヌ語と変わらない。
北方説も南方説も果てはインド説まで、「朝鮮語との間は系統関係無理」という話の先にあるものだ。 >>385
朝鮮語に絶望するがそれ以外に求めようとすれば更なる絶望を味わうのだ
日本語族は他に類を見ない太古から独立した言語、それでいいじゃないか
ナンバーワンよりオンリーワン!
使用人口一億二千万人だぞ、全世界の言語を語族別に話者カウントしてったら
印欧、シナ・チベット、ニジェール・コンゴ、アフロ・アジア、南島、ドラヴィダときて
テュルク語の次に多いぞ
http://www.vistawide.com/languages/language_families_statistics1.htm 約35000年前に朝鮮半島から旧石器人が入ってきたときにはもう言葉を持っていたんジャマイカ?
朝鮮語との開きが約35000年もあれば、もう何ら接点もない言葉になるだろ。
そこに樺太から侵入した旧石器人の言葉と沿海州方面からの弥生人の言葉が混ざれば、
もう朝鮮語との関係は全く無くなるだろ。 >>382
文化圏を形成するということは、そこそこ往来が盛んな証拠じゃんよww ヒトビト、ヤマヤマ、等の重ね言葉による複数表現は南方にしか見られない 35000年前は北方にもあったのではないか?
それか、日本列島内で独自に作り出されたか。 >>382
なんであり得ないの?
本州の広さが大体23万平方キロ、差し渡しが距離が1200キロ。
規模が近い、イタリア半島(面積25万平方キロ、差し渡し距離1000キロ)が、地中海圏と地続きのヨーロッパとから影響受けまくってなお、
邑里国家を建設する段になっても、多民族割拠状態。
古代地中海の二大海洋民族から文化的影響受けまくりながらもエトルリア語は結構遅い時期(紀元前1世紀後半=帝政期の頭くらい)まで
残っていた。
紀元前5世紀にはラティウム地方の1つか2つかの邑里でしか使われていなかったラテン語がその後急伸長するけどな。
日本語も似たような過程で、大和盆地か河内方面から、政治圏・軍事圏の拡大に伴って急伸長して塗り替えていったんじゃないんかよ? 35000年前、朝鮮半島から侵入した旧石器人が遺した日本列島最古の人類の足跡は
日本列島のはるか北西にあるアルタイ地方から入ってきた石刃技法という石器である。
その後、弥生期が終焉を迎えるまで日本には南方や中国から入ってきた石器も土器もない。
弥生末に中国からもらってきた金印と銅鏡があるのみである。 >>391
面積の問題ではない
イタリアは外部と陸続きであるためつぎつぎといくつもの民族が外部から入って来る
ローマ帝国が健在な間ですらもゲルマン人に侵入されていたことからもそれは明白だ
だいたいイタリア半島には地形的な独立性があまりない
一方で日本列島は海によって大陸と隔てられており、それを渡るためには造船技術と材料と人手が必要となる
そのため民族丸ごと渡って来るなどという事態にはならず、少数の外来民族が多数の在来民族に同化するのが常だ
日本本土に渡るためには朝鮮半島からも沿海州からも3つの広い海峡を渡る必要がある
日本列島は単一民族を形成するのに世界で一番適した立地と地形だ 縄文晩期の渡来人は海峡を渡ってない気がしますね。
そのままダイレクトに日本海を縦断して山陰に来た気がします。
なぜなら、その後の飛鳥時代以降に沿海州方面からしばしば日本まで渡来してくる
人々はみな、日本海縦断で来ているからです。
沿海州方面から佐渡島だったり、渤海使などは着岸地が東北から山陰まで
いつもバラバラです。
海峡を渡ってないのですよ。 >>394
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は?
今出せよインドシナ中華ブタ。 >>391
概ね同意かな。ただ、日本語族の発祥地は、大阪奈良ではなく、北九州だろうと思う。
具体的には、遠賀川式土器を作る集団の言語で、これが弥生文化とともに一気に広まった。
更に突き詰めれば、おそらく福岡市板付遺跡の部族の言語だっただろう。
言語は、放っておいても通時的かつ内在的にどんどん多様性を増していくものだが、
1万年の縄文語云々を言うにしては、日本語族の多様性は、琉球方言まで見ても、それほどでもない。
日本語全方言が系統的に1点に収束する祖語の成立時を、
せいぜい2000年から2500年前とみるのは、妥当な線と思われる。 >>397
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は?
早く出せよブタ広鼻インドシナ中華。 >>98
証拠は?
畿内なのか九州なのかとか割れてる時点で考古学的証拠がないからテキトーなことぶっこいてるんダルルォ
だいたい件の板付遺跡だけどさぁ
同時期の稲作遺構は岡山まであるし、稲の取引は畿内まで及んでたこと判明してんだよなあ
最低でも北部九州から瀬戸内を経て畿内に至るまでの範囲に縄文時代晩期までには盛んに行き来があったことがはっきりわかんだね
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03/tottaimonnki_no_inasakuiseki2.jpg >>400
単に稲作ガーという話じゃないよ。弥生中期に、板付遺跡で、日本式稲作のプロトタイプが確立する。
農具から圃場のスタイルまで、ここで今につながる日本式稲作の基礎が完成する。
縄文農耕とも、弥生前期の北アジア風の渡来要素を強く残す農法とも大きく違う。
これが、隣の筑豊に波及し、更に遠賀川式土器とともに西南日本全域に広がる。
おそらく、これを確立・拡散した部族集団と日本祖語が不可分一体。 >>402
別語族どころか通じない程離れた方言を話していた証拠ですらないな
交易に従事するために共通の言語くらいあるだろう
農耕や国家を取り入れなかった筈のアイヌですら樺太北海道千島本州北端に及ぶ広大な同一言語圏があったというのに
それよりも有利な状況の倭人が地域ごとに言語がバラバラであるなどという道理がない 北米大陸の先住アメリカンやオーストラリアのアボリジニはそれぞれ民族的には親しく
物資の流通からして巨大な交易圏があったが
SVO/SOVやら「主語」があるないやら膠着屈折孤立やら格の配分やらの
よく言われる基準で言えばばんらばんら
単語単位ではそれなりの近似性はあるんだけどね >>404
いうほどバラバラではないだろう
オーストラリア原住民の言語の大部分はパマ=ニュンガン語族
北米も数えられる程の数の語族でしかなく、アルゴンキン語族、ナ・デネ語族、ユト・アステカ語族など広範囲に分布のある語族は多い
あれだけ広大な土地で新たな人の流入がある大陸を日本と同列にはできぬな
日本と比較するならアフリカ大陸の傍にありながら長らく無人で、近隣のバントゥー系でななくより遠方の東南アジアからやってきたマレー・ポリネシア人が最初に住み着いたマダガスカルの方が状況が近い マダガスカルの人種系統は長い間、謎とされていたが、土器の系統でスラウェシ辺りのインドネシア近辺と最終決定されたとナショナルジオグラフィックで前に言ってたわ。
そこに後から入ってきたアフリカ黒人と混血して今に至るのだとか。
土器系統の精度はまさにカミソリの刃のよう。 最終決定は土器のはず。
これは世界考古学で一致している。
中国から来た来た詐欺の中華サギブキよ。 という事は板付遺跡の土酋の子孫が神武天皇なんですか!?
神武東征は弥生人全国拡散過程の関西ルートのお話だったという事ですか? >>393
独立性あるの?
土人の丸木舟で容易に渡れる距離だし、朝鮮海峡、対馬海峡、壱岐海峡、関門海峡、津軽海峡、宗谷海峡、間宮海峡、それぞれ
対岸に陸のあること容易に肉眼で視認できる。なんの障壁も無いのと同じ。
むしろ、南から海洋民族が入ってくる方が難しいじゃん。目視で陸が視認できない距離の海があるから、向こう側に陸が有る確証を
持ってないと渡航が不能だ。 >>403
言葉なんて通じなくても交易くらいできるしなあ。 >>405
広域の語族がある一方で、カリフォルニアだけで40くらい語族・孤立語があったからなあ。
16世紀からのヨーロッパ人の侵略と、銃器・馬匹の持込に伴って、社会が激変して、滅亡した言語とか言語的独自性を失った部族とかが
多数あったんじゃないの? >>412
丸木舟は比較的高度だぞ
もっと容易な葦船が一番土人な船な
対馬海峡は3回も渡海が必要
縄文時代の時点で既に倭人は黒曜石を日本海の向こう側に、沖縄特産の貝殻を中国大陸に輸出していた
航海術を持たない大陸民族は朝鮮半島でドン詰まり、選ばれた人材だけが海洋民族である倭人に連れられて日本列島へ渡りそこで混血する
それが渡来人の実態だ
>>413
どちらにしろ稲作の伝播と日本語族とを結びつけるのはナンセンス
本土の日本語と琉球諸島の言語は紀元前2世紀〜6世紀の間に分岐したと結論付けられているが、琉球諸島で稲作が開始されたのはそれより後の8世紀〜10世紀だ
板付遺跡(弥生文化)と日本語の起源とは無関係と言わざるを得ない >>415
極東の葦は濡れると水を吸って沈むので船にはできません >>416
バカいうな
実際に作って実験して台湾から与那国島まで渡っておるわwwwww 弥生時代の新言語が日本語であるならば、それが日本列島全体に波及した時期と状況が問題になる。南西諸島には弥生文化は及んでいない。モノ、技術及び日本語が個別に南西諸島に普及したとき、日本語は外来語として、と言うに止まるだろう。
しかし実際には与那国島にまで日本語族が伝わっている。日本語族の広がりは相当に不思議な現象だと思う。 日本語を日本列島外のどこか特定の言語と結びつけるという行為自体がもう無意味
日本語族は世界中に数ある語族のなかで使用者数上位を占める有力な言語群であり、
大和言葉の様な開音節の言語もあれば宮古語の様に子音のみで単語が構成されうるものもあり、音韻体系の多様性に関しては両極端の広がりがある
我々の言語が他に類を見ないものだということをいい加減認めるべきなのだよ >>415
埴原和郎の人骨の形質のコンピューター解析によると、渡来系弥生人骨は朝鮮人には
全く似ておらず、北方の沿海州のウリチなどの北方民族の人骨に極めて近い数値を
示すんだよ。
縄文人がわざわざ沿海州に何度も何度も出向いて連行してきたとは思えないね。
それに渡来系弥生人は縄文系弥生人と別々に住んでいた事も分かっている。
そこから考えると、渡来人はかなり差別的な集団だった事が伺える。 >>417
航行断念したんじゃなかったっけ?
救命伴走してた船で曳航して海岸付近だけ葦舟で漕いだせたけの。 中国南部に由来する可能性が高いもの。
銅鐸、下戸遺伝子、国生み島生み神話のモチーフなど。
これらは大阪湾に分布の中心を示す。
春秋時代と同時代の弥生時代前期末、環大阪湾の風習は一変する。
淡路島でBC4世紀の銅鐸が出土。
銅鐸などの金属加工の技術、金属器を使った製板技術が必要な木棺、方形周溝墓、井戸の技術、灌漑技術を伴った水田、分銅の製作などが一斉に認めるようになる。
方形周溝墓、木棺も畿内中心に広がっていく。
九州を素通りし、渡来人が中国大陸から畿内に直接渡来したと考えられる。 >>421
台湾から与那国は知らんが
高知から伊豆諸島は葦船で渡ったらしい
http://kamuna.net/
1996年より古代の民族移動が葦船により海を超えていた可能性を検証する国連の公式プロジェクト”EXPEDICION MATARANGI””に参加。
南米チリからマルケサス諸島まで葦船8000kmの航海、バルセロナから大西洋上のカボ・ベルディ諸島まで5000kmの航海など太平洋、大西洋をのべ13,000km航海。
2005年には自身のプロジェクトで高知県から伊豆諸島まで葦船で日本初の外洋航海を行う。 >>423
で、中国南部で出土した銅鐸の証拠現物は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と飲食器が中心の中国系青銅器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
. >>422
で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は?
さっさと出せよインドシナ中華ブタ広鼻タラコ唇ハノイ原人 ネトウヨの多いスレだな
常識的に考えて、半島南部の韓族から稲作を伝授された九州の倭人が日本語族の発祥に決まっているだろう。
いや古代日本の賎民制から勘案するに一種のカースト文化が想定されるから、韓族が天孫族で倭人がシュードラの部民だったのかもな シュードラとか言ってる時点でウンコエベンキの妄想なんだよなあ
稲作と無関係に日本語族が分布している事実から目を背けるな >>429
どこのゴキブリなのか知らないけど、
そろそろ頭の病院に行ったほうが良いんじゃないのか >>428
当時の半島南部に、「日本よりはるかに進んだ文明の痕跡」がないんだけどね。
あったら誰も文句は言わんよ。
当時の半島に「韓族」なるものの文化は存在しない。
「ひとかたまりの進んだ文化」が移入された痕跡はない。
日本の弥生時代は、少しずつ新しいものが増えて少しずつ変化していく。
突然鉄と文明を持った支配層が現れるわけじゃない。
水田を作っても、相変わらず竪穴住居に住み、どんぐりを採集し、環濠集落は徐々に
大規模になる。
土器も縄文系の土器を相変わらず作り、少しずつ変化していく。
遠賀川式土器を人の移住だと決めつけるのは正しいのか?
それ以前に突帯文土器が広がっている。
何かが広がったら、「渡来人がやって来てムラを作った!」というならば、玦状耳飾が
日本中に広がるのは渡来人じゃないのか?
まあ、縄文人は新しもの好きの好奇心旺盛な民族だったんだろう。
旅が好きで、あちこちに出かけ、旅人を歓迎し、いいものはすぐに受け入れる。
縄文と弥生の明確な区別は、おそらく意味のないことで、現代に残る「渡来人」の
遺伝的影響は、1500年に渡る少しずつの移民の影響だろう。 そこにない技術があったとしてそれが全体として優れた文化かどうかは別の問題
稲作は効率の良い食糧生産の手段だったから移入されたというだけ
どちらにしろ日本語の起源とは無関係 記紀の記述は、日本海側が結構多い。
水田を作るには「水」が必要だ。現在の「大平野」を見て勘違いしてるやつがいるけど、大平野は新しい。そして危険だw大雨が降ると洪水になる。
洪水になるほど水があるから田んぼを作れると勘違いしている。
大量の水は制御できない。関東平野が今のようになったのは江戸時代だ。
江戸時代、大きな町は日本海側に多かった。知らんやつも多いけどな。
あの雪深いど田舎が何故?
平野があっても水がなけりゃ水田は出来ない。関東平野の台地は広々としているが
水田は作れなかった。山の上まで耕した「千枚田」は西日本の日本海側に多い。
あんなところに作らなくても、千葉や茨城の大平原に移住すれば良かったじゃん?と思う。だけどやらん。出来ない。
雪はダムだ。冬に水を溜め込み、少しずつ下流に流す。
豪雪地帯に古代の人口が多いのは「水」がありダムがあったから。
古墳時代、越(福井から新潟)、丹波(京都と兵庫の北部)、因幡〜出雲の記述が多く、「ど田舎」で大平野もないのに何故?と思うのは、そのへんを知らんから。
ああ、滋賀も出てくるな。滋賀も豪雪地帯だ。伊吹山の10mは有名だ。
制御可能な水がある地域に水稲稲作が広まり、人口を増やした。
「渡来人」が軍事力で植民した痕跡はまったくない。
日本語は。日本列島にいた縄文人の言葉であり、「方言」はありながらも国家が税を
徴収するために文書化した大和言葉で一体を保った。
「ラテン系言語」が、ローマ崩壊後にばらばらになり、後に「国家語」として
「独立」したのとは別の道を歩んだ。 日本人の古来の世界観にインドとシナはあってもチョン半島はシナの一部で存在しないので、チョン半島起源の日本文化はありません。残念でした。 >>428
最古水田の弥生人たちは朝鮮土器をさーっぱり作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一点出土しただけ。
最古水田に韓人なんて居ない。
沿海州から渡来した北方系弥生人が第一倭人。
縄文系弥生人が第二倭人。 >>427
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と飲食器が中心の中国系青銅器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
早く言えよクッサイ汚らしい台湾のブタとボルネオニグロの中間種。 >>414 アマゾンのあたりの先住民の言語状況はどうなってんでしょ?
ジャングルの中に生きてるから、ヨーロッパ系勢力の影響を
あんまり受けていないのではないかと勝手に推測しとるんですが… >>414も言っているけど歴史的に言語の統合が進むのは
外部からの強力な圧力が原因である可能性が高い
粒状の語族間の交易があるだけでは言語の統合が起きないというのは
ニューギニア高地が良い例 >>431
九州北部から山陰で北方モンゴロイド形質の渡来系弥生人骨が数千体出土してるから、
渡来人があった事だけは確かなんだわ。
ところが、この渡来系弥生人骨をコンピューター形質解析にかけると、朝鮮人骨とは
全然違っていて、沿海州の北方民族に近い形質の数値を示してくる訳だ。
それに朝鮮系土器がメインの弥生遺構もないんだわ。
一番多く朝鮮系土器が出土した遺構でも全体の3割ほどで、オリジナルの朝鮮土器とは
かなり違った作りなので、これらの作り手は弥生人自身だろうね。
搬入した朝鮮土器を基に弥生人自身がコピーしていただけ。
渡来人自身の土器は最初の弥生土器である刻目突帯文土器で、沿海州南西部の
青銅器時代頃の土器文化と文様の特徴が一致している。 ベンベンは鴨緑江と豆満江の区別もできない池沼だから黙ってろンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
オベンキランドブタニガーとは無関係 日本語族は日本語派と琉球語派とに分かれ
琉球派語は北琉球語群と南琉球語群とに分かれる
日本語派と琉球語派の分岐年代は大和王権の成立・拡大の時期と重なり、境界線も大和王権の支配が及んだ限界(トカラ列島と奄美諸島の間)に一致する
北琉球語群(奄美語、国頭語、沖縄語)はかつて縄文文化があったが大和王権の支配下になかった地域に分布し、
南琉球語群(宮古語、八重山語、与那国語)は縄文文化がなかった地域に分布している
少なくとも8〜10世紀のグスク時代初頭まで下らないと琉球諸島で稲作は開始されない
もし琉球の諸言語が日本本土が稲作を受容した以降の新しい時期に初めて琉球諸島にもたらされたものだとしたら、
現在の北海道方言の様に各地の方言が混ざった没個性的な新方言となることだろう
しかし実際の琉球の言語は本土と比較しても琉球諸島内各地域を比較しても非常に異なっており、グスク時代の入植者によって初めて日本語族が琉球諸島にやってきたとは考えられにくい
稲作の普及・弥生文化と結びつけることができるのはあくまでも日本語派(日本語、八丈語)だけであり、日本語族それ自体は弥生文化以前から存在していたと考える他ないだろう 最新の遺伝子解析の結果、縄文人の遺伝子は周辺国の遺伝子よりも古く
それとは大きく異なってることがすでに判明しているのだから
日本語の起源といっても単純な話ではないことはわかる
さらに、近年神社を中心に岩に掘られた文字が多数あらためて発見され
海外からシュメール文字との同一性が指摘されるなどしており
従来の歴史学からは何も見えなかった世界に
多様な分野からの総合的なアプローチが問題の核心に迫ろうとしている 要するに日本語が一番古いから、手掛かりが見つからんのだわ。 >>442
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言えよ台湾ブタチックトムヤムクン。 >>445
神代文字はトンデモだが日本語の起源は世界一と言って過言ではないレベルで古いというのは事実 >>445
いわゆる「ペトログラフ」は田舎史家の暴走だから捨てとけ 最大の「論拠」がムーの連中にんなこと言ってもねえw >>403
アイヌは、わりと歴史が新しくてね。よくいわれる13世紀以降だけの話ではない。
あれはアイデンティティの問題で、言語系統の問題とは必ずしもリンクしない。
北海道の続縄文文化自体が、やはり2000年ぐらい前に北海道道央付近で発生して、
まずは5世紀頃を中心に道南・東北を南下し、北上する大和民族と東北南部で衝突した後、
大和との戦いに敗れて、今度は北方に移動し、北海道道北を押さえて、樺太や千島へ広がっていく。
アイヌ語も、おそらくこの2000年前前後の道央文化の担い手の部族の言語が一気に広がったものだろう。
軍事衝突とは言っても、民族レベルでの文化交流はかなりあり、
8世紀頃の道南・道央では、大和の影響を受けてかなりレベルが高い農耕も行われていた。 >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! 素戔嗚命の話、酒を飲ませて酔いつぶれる隙に八岐大蛇の寝首を掻くというような発想が出る時点で、
日本人は神代から酔っ払い易い体質なんだよ。
酒飲んでヘベレケで寝潰れたりしない人はガリなら、そんな作戦思いつかない。 >>453
>北海道の続縄文文化自体が、やはり2000年ぐらい前に北海道道央付近で発生して、
>まずは5世紀頃を中心に道南・東北を南下し、北上する大和民族と東北南部で衝突した後、
>大和との戦いに敗れて、今度は北方に移動し、北海道道北を押さえて、樺太や千島へ広がっていく。
>アイヌ語も、おそらくこの2000年前前後の道央文化の担い手の部族の言語が一気に広がったものだろう。
>軍事衝突とは言っても、民族レベルでの文化交流はかなりあり、
>8世紀頃の道南・道央では、大和の影響を受けてかなりレベルが高い農耕も行われていた。
よく東北の蝦夷は先住民と言われるけども、あれは半分でまかせだよね。
弥生時代の稲作農業は青森県北端まで達していたのだが、古墳時代初期の寒冷化によって稲作が不可能になって、弥生文化は宮城県南部、つまり多賀城付近まで後退する。
恐らく東北弥生人は死滅したか、土地を放棄して南に移住していったのだろう。
そして入れ違いに無人化した東北に入ってきたのが北海道の続縄文・擦文文化人。
これが後に蝦夷と言われる人達となる。
西欧で4世紀からの寒冷化がローマ帝国を南に退かせたのと同じような構造だ。
南に撤退した弥生人が倭人で、北海道から移住してきた人が蝦夷。
古代の大和政権には往古の昔に日高見国を服属させたという伝承があり、東北蝦夷から日高見国つまり東北地方を奪い返すのは征服ではなく自分たちの権利の回復と考えていた。
弥生時代に東北地方を蝦夷に奪われた記憶が神話化して弥生人達に残っていた証拠なのだろう。 続縄文文化がアイヌだか知らんけどよ
エゾ(蝦夷)ってのが樺太アイヌを指すエンチウ enciwと同じ語だって説はどこまで信じれるんかね?
もしそうならエゾの初出である平安時代中期になって初めて大和朝廷の支配域とアイヌの領域が接することになったと言える訳だがどうなんだろう
811年の「三十八年戦争」終結から2世紀以上の長きにわたり秋田と気仙を結ぶラインから北には郡が設置されていなかった様だが、
その頃の北東北は原アイヌだけの土地だったのかそれとも元は倭系民族の住む土地だったのが混住地となったのかどちらなのか 恐らく「えみし」はアイヌ語のenchu。上古の関西方言で訛って発音されたもの。そして「えぞ」は平安時代の東北方言でenchuを鈍って発音したもの。
両者同じものの可能性高し。 >>457
奥羽のエミシは縄文人がアイヌと弥生人に分岐する前のまま取り残された連中だから
強いていえばアイヌと和人の中間。移行形態。 今の東北人は蝦夷と混血しているものの基本は大和政権が送り込んだ移民の子孫。
北海道アイヌはあの広い土地に住んでいたにも関わらず、全盛期でも人口は3万〜4万ほど。
ちなみに江戸時代末期の衰退期の北海道アイヌは2万強。
江戸の街だけで150万人いた倭人と混じったら消えてしまうほどの少数民族。
農作してない民族は農作民に吸収される運命にある。
それは人口比が比較にならないから。
東北蝦夷は農業をしていた移住民に同化されたと思われる。
マタキなどの山岳民に一部に蝦夷の習俗を残してね。 エミシに蝦夷の漢字が宛てられたのは何ででしょうか。
文献的にたぶんこれかなとあてはめたのか、より根拠があるのか。 もしかして「蝦」が「エビ」だから音の似てる「エビス」「エミシ」に充てたってオチか? >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>458
エミシ emisiとエゾ ezoとエンチウ enciwの原型を考えるならemciwとかそこらへんだろ
元々何語なのかすら謎だけどwwwww アイヌ語のユーカリも倭語で起源譚をあらわすユカリ(縁起)と同語源だよな
倭語とアイヌ語で言語同士の借用は結構あると思うわ。 その系統の語で一番有名なのが「カムイ(神)」だな
神(カミ)のミは乙種なので元はmuiだったと想定されている
原日本語を原アイヌ語が借用した例だと思う(「上」「被る」「皮」「壁」など上部を意味する似た発音の語があるので日本語側の発祥だろう) 北海道のど真ん中に江別古墳群という遺跡がある。
ここは大和政権から下賜されたと思われる品々が大量に出土している。
まだアイヌ文化が生まれる前の時代、本州以南が奈良時代・平安時代だった頃の話だ。
恐らくアイヌは巷の想像以上に大和からの強い文化的影響を受けている。言語面でも日本語とアイヌ語には単語レベルで色々と関わりが見られる。
そもそも大和文化の影響が無ければ、続縄文文化からアイヌ文化への変遷もありえなかった。
相当古くから大和文化が入り込んでいたことは間違いないだろう。 俺は江別古墳群は倭人の遺跡ではないかと思ってる。
江別古墳の副葬品も土師器や須恵器などもある。
アイヌ人ならば擦文土器を用いていただろう。
江別古墳群や茂漁古墳群の構造はアイヌの墓と若干異なっており、道外から渡った役人や有力者じゃまいか?
飛鳥時代の阿倍比羅夫は渡島の後方羊蹄(しりべし)に郡領を置いているし。
北海道の石狩平野のどこかに大和政権の政庁があって、江別古墳はその官人の墓か何かじゃないのかな? 縄文時代には北海道と本州以南とで原日本人と原アイヌとして区別できる文化の差異はあったんだろうか?
長きにわたる縄文時代の間にそれら2言語集団へ収束していった形跡があれば完全に日本語族は日本列島独自のものと言い得るのだが アイヌは縄文人+オホーツク人で
どちらの言語の文法が優先されてアイヌ語になったのかは不明
日本人は縄文人+弥生人+渡来人で
どの言語が優先されて日本語になったかも不明 >>468
> 飛鳥時代の阿倍比羅夫は渡島の後方羊蹄(しりべし)に郡領を置いているし。
そんなことまでしていたのか。もっと知れ渡るべきだよな
あさ、ひる、よる の 「ひる」
血を吸う「ひる」
怯えたりする意味の「ひる」
この三つはどれも同じ語源だろうか 日本語の起源は韓半島です。
今でも福井弁などは韓国語に似ていると思います。
もののあはれ の あはれ と
あばれる の あばれ は 語源が同じなのかどうか >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えこのサギ中華ブタジジイ! >>1 アヴェスター語。イタリア語ケルト派。ケントゥム語。
文法もSOVだし。
閉鎖性のあるウラル、アルタイ系の中華系言語は明確に違う。銀行員と喋ったら一発でわかる。 兄弟というか親戚言語の古代朝鮮語が失われてるのが辛すぎるな。
中国側文献にまとまった朝鮮語資料は無いのかね?
燕とか幽州牧の文庫に朝鮮の通詞用の資料があったり?
日本にやってきた渡来人も、自分用の覚え書きを百済語で書かなかったのかしらん?
百済寺や金剛組の文書に百済語の日記とか残ってないの?
兵火で失われたのか。 百済語は王都からの木簡が見つかって
一部は判読されてる
数詞がやっぱり朝鮮語に近いってことまで判明してる
詳しくはこのカイカイchのスレを見てくれ
https://kaikai.ch/board/10116/ 古代日本は百済や高句麗とは通訳不要だったというのはヨタ話だったか 通訳不要だったら一々別の民族名で呼んでない
三国史記の高句麗語だとされている日本語に酷似した地名も黄海道から京畿道にかけての沿岸部に集中しており、おそらくこれは「帯方界」に攻め入った倭人が付けた地名であり本当の高句麗語ではないと思われる >>482
最初に接触したところとか、有力な一邦とかの名前で呼ぶことはよくあるじゃん。
最初に接触したのが伽耶だったから、全部ひっくるめて「カラ」。
意味が最大に拡大したときに「カラ」の範囲は支那圏のすべてで、「唐」の訓まで「カラ」。
その「唐」も、日本が交流を持った中では有力の度合いが抜きん出ていたので、「唐土」「唐人」「唐辛子」「唐物」「唐黍」等々、
漠然と外国を指し示す意味合いが付いている。
ずっと新しい時代にもこういう癖は治ってなくて、UKがイギリス、Netherlandsがオランダ、明治のころはDeutsches Kaiserreichが
プロイセンというふうに、最初に接触したところか最有力支邦かついつい呼んでしまう
しぼむ 萎む すぼむ 窄む
しぼる 絞る すぼまる
しばる 縛る しびれる 痺れる
しぶい 渋い しべ 蕊・蘂 日本語族の発祥地は、北九州だろう。
紀元前8〜9世紀に縄文と弥生の混合文化が北九州の玄界灘沿岸に発祥し、わずか400年で彼らの文化は西日本一帯に急激に広がっていった。
そして濃尾平野近辺で拡大が一時停止(東日本系縄文人との葛藤か?)して数百年後、二回目の拡大が起きて今度は青森県北端まで稲作文化が広がる事になる。
この日本最古の農耕遺跡で縄文と弥生の混合文化だった菜畑遺跡や板付遺跡には、朝鮮半島南部の松菊里文化と共通する家屋が出土している。
右派の人の気分を害するかもしれないが、日本の農耕は恐らく半島起源だろう。
縄文時代1万年の歴史にしては、日本語族は琉球方言まで見ても、それほど多様性があるわけじゃない。
もし日本語が縄文語の末裔ならば、日本各地の言語はパプア諸語のようにバラバラだった筈だ。
という事で、日本語の祖語は今から3000年ほど前の福岡市板付遺跡の部族の一言語であったろう。
彼らは遠賀川式土器を作る集団の言語で、これが弥生文化とともに一気に広まったという訳だ。
日本神話で天孫降臨は筑紫のクシフルタケとある。
天孫降臨を弥生文化の誕生と捉えれば、これは非常に意義深く歴史的示唆を与える話であろう。 わかりやすく言うと一番偉い人がいたでしょ、
半島周辺に住んでいたんだよ
半島=本国、本拠地 >>485
弥生文化が朝鮮半島の影響で産まれたのは間違いないだろうが、松菊里つまり韓国の無文土器文化人が韓族であるとは考えにくい。残念ながら、韓国の歴史教科書には絶対に載せられないような話なんだわ。
wikipediaに上手くまとめられているので以下抜粋だ。
朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。
これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。
またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。
これは自分の所感に過ぎないが、日本語はウラル諸語の故地である遼河流域から朝鮮半島→日本列島に押し出されたウラル語族の縁戚ではないのかな。
韓族は日本語族を半島から追いやった女真系統の侵略者だと思うわ。 >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
早く言えサギサギブタチーノ! >>485
>日本神話で天孫降臨は筑紫のクシフルタケとある。
>天孫降臨を弥生文化の誕生と捉えれば、これは非常に意義深く歴史的示唆を与える話であろう。
記紀にいう『筑紫の日向の久士布流多気(くしふるたけ)』は、宮崎県じゃなくて、菜畑遺跡の近くの福岡市西区日向峠のクシフルタケの事なんだろうね。
天孫降臨が弥生文化の渡来を象徴していたとは面白い話だ。
となると、ニニギノミコトは菜畑遺跡の酋長、高天ヶ原は朝鮮半島の事か!? >>485
一つの村の人々が自民族語だけでなく隣接する民族のことばを3つも4つも使って意志の疎通を図るニューギニア島の状況は極めて特殊なだけであり
それを日本列島に当てはめることはできない
縄文文化ははじめ9つの文化圏がありそれが晩期には4つに収束した
それらが別々の語族なのかは不明だが、土器などに一定の様式がみられる以上それに見合った濃密な交易や人の行き来のあったブロックが形成されていたことは間違いない
>>487
日本語族日本列島外起源説は全く信用できない
もしそのような民族が直接日本列島移住してきていたとしたら作物の他、什器、墓制、住居などの様々な事物の作り方がそのまま移植されていなければならない筈だ
だが実態は明らかにそうではない
また板橋義三が高句麗語として抽出した日本語に類似した三国史記における地名は黄海道及び京畿道に集中しており、松菊里のある忠清道の地名にはその様な傾向は見られないことも、松菊里が倭人の遺跡であることを否定する材料として挙げておく >>485
稲作は2万%朝鮮南部からで正しいが、稲作をもたらした集団も菊里型住居を
もたらした集団も朝鮮土器を全く作らない、あるいは搬入土器からコピー土器を
少量作るだけで、朝鮮土器がメインの集落遺構じゃないんです。
全ては九州北部の弥生人が朝鮮南部からパクってきただけ。
渡来人を知りたいのなら、彼らがメインで作っていた刻目突帯文土器を追いかける事。
刻目突帯文土器は九州北部で稲作が始まる少なくとも50年以上前のBC11C頃に
島根あたりの山陰に伝わった土器。 >>493
ああ、それか。
それは華南半ブタ半ニグロの台湾ウンコ色ブタ広鼻チーノ。 EEのか?
EEんやで
※EE=射精エベンキ(Ejaculation Evenki) >>1 スキタイ語。アルタイにも近い。それをトルコ人が解釈したのが音読み。 >>495
ボルネオ黒人をウンコ色というか、黄褐色にしてブタ広鼻にしたような
醜悪極まりないインドシナ中華ブタというか、
ブタみたいな顔したベトナムがかった人種というか、
ベトナムっぽくてブタみたいな顔した人種というか、
華南人な。
とにかく見ただけでクサい。ハノい。 全然ヘイトではなく、見たまんまの形容。
もっと簡単に言うと、ブタゴリラみたいな顔な。
見ただけでクサい。
クッサイ汚らしいハノいものです。 全然ヘイトではなく、見たまんまの形容。
黄褐色、エラ張り短顔、ブタ広鼻、突顎、巨大なタラコ唇。
ブタとベトナム人の中間種。
見ると、ハッカクくせえウンコのニオイを嗅がされたような不快な気分になる。
クッサイ汚らしいハノい醜悪極まりないものです。 日本の歴史は、朝鮮の歴史。マジで驚くほど似てるから。 見た目でいうと
背が高くて色白の韓国人が一番カーストが上
東南アジアはアンタッチャブルだね
ジャップはその中間かな で、実際にカンコックに行ってみると、背の高さも肌の色もほとんど変わらないが、
顔の彫りがちょっと浅くて、頬骨がボコッと飛び出て角張った、輪郭がやけに
カクカクと角張った味気のない、つまんねえ顔した貧弱な顔立ちの中央モンゴロイドがそこにいるだけw
カンコック人は顔がぼやけていて、日本人の方が顔面偏差値が10くらい高いですw 面白いブログを見つけた
ウラル諸語やベトナム語との関係を論じるのは新鮮に感じた
http://www.jojikanehira.com 【韓国起源説】「グラ」の語源は日本語か、韓国語か 韓国語の世界はいっそう豊かになる
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1529810579/149
149 名前:(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 13:45:29.57 ID:9NM7CJ0M
嘘(うそ) - 語源由来辞典 ttp://gogen-allguide.com/u/uso.html
だと、平安前期には「空言(そらごと)」、平安末期から室町後期に「うそ」になったとある
類語でおもいつくのは、「疑う(うたがう)」と「違える(たがえる)」
つまり、「う」は強調の接頭辞ではないだろうか
「絵空事(えそらごと)」、「う+空言(そらごと)」
絵空事を言うな、う空言を言うな →縮まって、うそらをいうな →うそをいうな
ちなみに
「空(そら)」は「から」とも読む、「から」とは「空虚」、何もない、いつわりの意に通じる
となると、「いつわり」・「つわり」なんかも関連性があるのだろうか
ほかにも、こういう言葉が見つかるかもしれない
う・で、う・なじ >>372
昭和50年代の大阪府北部、豊中市上新田とか吹田市山田西とか、要は千里ニュータウンの開発から除外さた隣接地区や
箕面市粟生や牧落、旧西国街道山崎路に沿ったところは、田んぼや果樹園に家がポツンポツンというような散村だったけどな
豊中市熊野町あたりだと、すでに田んぼがつぶされたところに家が建て込んで、もとの兎川沿いの集落と、東豊中町や西泉丘
の新しい街区との境が分からなくなっていたけれど、あきらかに広くて古い家が、新しくて小さい家の間にまばらにあって、
そこがもともとの熊野田の農家だったことが分かった。
朝倉あたりが詰まってるって、それって、甘木だけだろ。親戚が筑前町四三嶋とか石櫃にいるけど、家が詰まってるのは駅か
386号線の役場や学校が詰まってる近辺だけだぞ。
3軒4軒集まって建ってるようなところは相続で分割したもともと1軒の家の跡だし。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
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