>>112
しかし、幾ら幕府の“萌芽”といえるような制度を含んでいたとしても、それは恐らく公式の制度や地位では無かったはずだ。
あくまで平家は幕府では無いのだから、朝廷の官位を蔑ろにして幕府のようにおおっぴらに守護地頭の設置は難しかったんじゃないか?
頼朝が征夷大将軍を望んだのも、独自の裁判権を持てる=独自の組織や官位をクリエイト出来るということだからね。
だから、やはり平家が朝廷の国司を飛び越えることは難しかったんじゃないかな。
と、なれば伊勢平氏による政権ではなく、同じ平氏系の一族に政権を禅譲し、ある意味平氏政権が続くといった形が精一杯ではないか。
同じ平家が幕府を開けば、平家は続いたという事が出来る。
そうなれば、現代には福原時代(六波羅政権→福原幕府)と表記されることになるだろう。
天下人の称号は征夷大将軍ではなく、畿内総官職になるだろうが。