邪馬台国近畿説 [転載禁止]©2ch.net
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外れなのでわざわざ筑紫の日向と注釈つきになるのでは? 筑紫以外の日向は何とか銀座とか何とか富士同じで、あやかっているだけ。
他にたくさんあっても、筑紫日向なら高祖山を含む福岡市の西部から糸島平野にかけて。 すこしサービスしますね
[竺紫][日向]之[橘小門]之[阿波岐原]
【小門】
https://www.google.co.jp/maps/place/〒819-0001+福岡県福岡市西区小戸/@33.530207,130.288056,12z
【高祖】
https://www.google.co.jp/maps/place/〒819-1571+福岡県糸島市高祖/@33.530207,130.288056,12z
【吉武】
https://www.google.co.jp/maps/place/〒819-0036+福岡県福岡市西区吉武/@33.530207,130.288056,12z
【三雲】
https://www.google.co.jp/maps/place/〒819-1583+福岡県糸島市三雲/@33.530207,130.288056,12z
【井原】
https://www.google.co.jp/maps/place/〒819-1582+福岡県糸島市井原/@33.530207,130.288056,12z
[竺紫][日向]之[橘小門]之[阿波岐原]
【日向峠】
https://www.google.co.jp/maps/place/33.530207,130.288056/@33.530207,130.288056,12z 最後のはあかん。
日向は日向でも、橘は岬のことで、小戸は今でも海沿いのところ、あはき原の原は国邑のこと。もっと平地で海沿いを指す。
日向でも高千穂のある日向峠付近からかなり離れている。 [たかす]高祖山
吉武高木
高木~ =熊曾~←高良~
高御産巢日~
建彌馬 帥 ~ >>626
住吉神社から那珂川を少し遡った福岡市南区多賀ですね。 宮崎、熊本、諏訪、滋賀などにも同名の神社がありますが、地名となっているのは福岡市だけかな?
イザナギゆかりの住吉神社や小戸の橘も近く、筑紫から全国に派生したのでしょう。 故其伊邪那岐大~者 坐[淡海]之[多賀](たか)
(モロミ川河口左岸か)
[多賀](たか) → [岳山村]、[鷲尾山](地名のマスキング)
[高](たか)
[竹](たけ)(たか)
[武](たけ)
[岳](たけ)
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/tikuzengunezu/img/h5-3.jpg 室見川(むろみがわ)のことを[モロミ川]と書いてありますね 叶岳までしかのってないので、ギリギリでこの地図の外ですね。
福岡県で多賀といえば直方市の多賀神社のようですが、福岡市から少し遠いですね。
あれ?
別のスレで直方がどうとか騒いでいる人がいましたね。 南区多賀の遺跡はうまく見つかりませんが、南区高宮には高宮八幡宮というのがありますね。
でも祭神は玉依姫です。
伊邪那岐の墓は団地になってしまったのでしょうか。 伊邪那美の墓は福岡市南区繪原、比婆山?
ググると、橘は福岡市東区の立花山のふもと、小門は多々良川の河口の港、伊邪那美の禊は粕屋郡の御手洗、あはき原は博多区青木の青木ヶ原とする説がありました。
もっとも、西区にも御手洗神社があるようなので、難しいですね。 ちなみに
高木~=熊曾~←→高良~=玉垂命
の構図からすると
侵入者の玉垂命=息長帶比賣命の年代相が300年代後半であることから
卑弥呼は熊曾の女大酋長とする宣長さんのが正解だという論理的帰結にはなる どっから神武は筑紫国に向かったんやろな
福岡中心地だけ筑紫国?
それとも古事記や日本書紀の虚偽? 日向を筑紫國内に比定するには
古事記や日本書紀の解釈に説明つけんと無理だわね だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!! >>640
高木の神=熊襲の神はどこから来たのでしょうか? >>644
この丹が辰砂であると断言も出来ないし
辰砂は日本では奈良県、徳島県、大分県、熊本県で採れるから
「其山有丹」は何の決め手にもならないの、ホント馬鹿だな。 >>649
卑弥呼の時代、有るところには有るんだよ。ホント馬鹿だな。 丹には水銀、鉛、鉄、植物系のものがある
倭人伝では水銀系を真朱、鉛系を鉛丹、植物系を丹木と呼び
鉄系のものは特に呼び名が無い
つまり倭人伝で単に丹と言、当時もっとも多く使われていた鉄系のものを指している
「其山有丹」は辰砂ある山ではなく鉄系の丹のある山と判断される。 丹には水銀、鉛、鉄、植物系のものがある
倭人伝では水銀系を真朱、鉛系を鉛丹、植物系を丹木と呼び
鉄系のものは特に呼び名が書かれていない
つまり倭人伝で単に丹と言えば、当時もっとも多く使われていた鉄系のものを指している
「其山有丹」は辰砂ある山ではなく鉄系の丹のある山と判断される。 >>650
あるところにはないと真朱で塗られた墓とか見つかってるんだから塗れないよな >>652
悪足掻きはもう、いいから! ごくろうさん。 古墳で使われている朱の殆どはベンガラで頭部とか重要な所しか真朱は使われていない。 >>654
倭人伝では当時最も多く使われていた鉄系の丹を何と呼んでいるか?
君は答えられないだろw >>657
水銀系を真朱、鉛系を鉛丹、植物系を丹木で
当時最も多く使われ、最も多く目にしたはずの鉄系の丹だけ無視した?
何も付けずに単に丹と呼んでるのが鉄系の丹の事ですよ
倭人伝に書かれていないとか絶対にないですよ
同一の文書の中で同じ物を真朱と書いたてみたり丹と書いてみたりはしません
「其山有真朱」じゃないと山で辰砂が採れるってことにはなりません
根拠もなく自分の都合の良い様に理解しても駄目ですよ。 >>659
>当時最も多く使われ、最も多く目にしたはずの鉄系の丹だけ無視した?
そんな、なんの変哲もない、くだらん物を、わざわざ倭人伝に書くかい! あほんだら!!
そんなくだらん物を魏の皇帝に献上するとでも言うのかい? 首を洗っておくように。
根拠もなく自分の都合の良い様に理解しても駄目ですよ。 あほんだら!! >>657
>>>656
>そんなものは倭人伝に書かれていない。
根拠もなく自分の都合の良い様に理解しても駄目ですよ。 あほんだら!!
救いがたい馬鹿www そんな、なんの変哲もない、くだらん物を、わざわざ倭人伝に書くかい! あほんだら!!
そんなくだらん物を魏の皇帝に献上するとでも言うのかい? 首を洗っておくように。
根拠もなく自分の都合の良い様に理解しても駄目ですよ。 あほんだら!! 救いがたい馬鹿www >>662
言い張るだけで何の根拠も無いじゃんwww >>663
そんな、なんの変哲もない、くだらん物を、わざわざ倭人伝に書くかい! あほんだら!!
そんなくだらん物を魏の皇帝に献上するとでも言うのかい? 首を洗っておくように。
根拠もなく自分の都合の良い様に理解しても駄目ですよ。 あほんだら!! 救いがたい馬鹿www 辰砂のことが丹って言うのは日本の用法だからな
赤降汞や辰砂、鉄丹、鉛丹は全部中国の用法では丹
辰砂でも黒辰砂は中国の用法では丹ではない >>666
倭人伝に真朱や鉛丹と書いてあるだろ
何を間抜けな話をしてるんだw >>668
そんな、なんの変哲もない、くだらん物を、わざわざ倭人伝に書くかい! あほんだら!!
そんなくだらん物を魏の皇帝に献上するとでも言うのかい? 首を洗っておくように。
根拠もなく自分の都合の良い様に理解しても駄目ですよ。 あほんだら!! 救いがたい馬鹿www 「丹」は列島では[に]と呼び習われてきた
糸島市には「おに」地名が残っているらしいけど
なかみは「尾丹」で尾根先端にあって「丹」が豊富なところらしい
「鬼前太后」の「鬼」は糸島市の「おに」地名関連かともいふ
「おに」地名の「丹」は「水銀朱」ではなくて「赤い土」ならむ
「木の実」と「赤い土」を口に含むような風習もあったげにおもわれる >>671
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!! 「其山有丹」の「丹」が確実に「水銀朱」であることの論証は不可能
「其山有丹」の「丹」が「水銀朱」であるといいはるのはルールにもとるからもおやめたら 丹木犭付短弓矢 は
丹木短弓矢 赤漆塗り木製の短弓+矢
丹短弓矢 赤漆塗り
木短弓矢 木製
狛短弓矢 貊弓(=樂浪檀弓)のことだろう
名[樂浪人] 爲[阿殘]
[東方人]名 我爲[阿]
[樂浪]に残った[阿殘]の作れるものは
[半島南部]から[列島]に移動した[東方人]たる[阿]に作れてもあたりまえ
昌原茶戸里1号墓からは
+漆塗長弓(1,700×30mm)1+漆塗短弓3+矢柄束+漆塗筆 なども出土している 丹鉱物が取れる山があったんだな
支那書である限り汞にこだわる理由はないからな
和書ならこだわるべきかもしれん >>676
「其山有丹」の「丹」が「水銀朱」であると証明してから言えよwww
幾ら吠えても馬鹿としか思われんよ。 >>680
よく寝られなかったのか?
寝言は寝てから言え! 福岡県立図書館所蔵と早稲田大学図書館所蔵の
画像の無断使用を禁じている古地図、古典籍は
データベースサイトのトップにリンクするか
リンク先を明記したほうがいいと思うぞ >>681
「其山有丹」の「丹」が「水銀朱」であると証明してから言えよwww
幾ら吠えても馬鹿としか思われんよ。 そもそもその資料をそこに貼る意図を簡単に述べてほしい。
うちの環境だと文字化けも多く、よくわからない。 帯方郡 ・・・・・仁川(インチョン)
↓海岸水行七千里
狗邪韓国 ・・・・・馬山
↓海渡千里
津島国 ・・・・・対馬
↓海渡千里
一支国 ・・・・・壱岐
↓海渡千里
末盧国 ・・・・・呼子
↓陸行五百里
伊都国 ・・・・・福吉
↓(東南)百里
奴国 ・・・・・福岡
↓(東)百里
不弥国 ・・・・・福津
↓(南)水行20日
投馬国 ・・・・・大門(福山)
↓(南)水行10日・・・仁川(西宮) 陸行1月 ・・仁川・宝塚・三田、篠山・春日・福知山・粟鹿・・・埴岡の里(生野、神河)
邪馬台国 ・・畿内、摂津 丹波 丹後 但馬(奈良・大阪・京都・兵庫)
女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり ・・宮津、舞鶴湾から凡そ80q地点にある敦賀が東海地方の北の入港である(この時代、福井、石川、富山を含む)
↓【南】4000里
侏儒国 ・・・・ 八丈島
↓【東南】船行1年
裸国・黒歯国 ・・・ 小笠原・マリアナ諸島 姫路城は神河町の卑弥呼の陵墓に向けて造られていた。 卑弥呼はどうして自ら入定したかさえも理解していない。 卑弥呼は自ら入定しましたから、石室には石棺は存在しない。 石室内には、女性の遺体一体と、男性の遺体2体がある。 卑弥呼は我が国の初代大王イエス・キリストの墓守が仕事だった。
日本の天皇の最大の勤めも又、先祖王家の人達の墓守が最大の勤めです。
卑弥呼の陵墓から西の方角にイエスの陵墓が見えます。
そして南には両親の墓も見えます。
卑弥呼の陵墓と初代大王イエス・キリストの陵墓と、両親の墓との3点を結ぶと、
3:4:5の直角三角形を見事に描いています。
この三角形は、土木建築の現場では、基本となる図形です。 あらゆる証拠が揃ってるのにたかが砂ごときで一点突破とかあほなん? おーーーーーーーーい
NHKにやらせ、苦情電話しようぜ
0570ー066−066
磯田道史 が 初めて 纏向に いった
うそーーーーーー
受信料 払わねーーーーぞ 「山の上のほうに住んでいて、
芝居ばかり観に行っていたんだよ」 >>699
バラエティー番組です。歴史番組ではありません。
磯田さんは畿内説の恥です。 数年前の、とあるスレ参照
「川崎区に住んでいるよ」 おーーーーーーーーい
NHKにやらせ、苦情電話しようぜ
0570ー066−066
磯田道史 が 初めて 纏向に いった
うそーーーーーー
受信料 払わねーーーーぞ : 日本@名無史さん2017/01/03(火) 19:59:04.23
1 ◆q8leUXpsw. 懲りもせず、論破済みなんだが・・・音信不通
経緯
>>8 1 ◆q8leUXpsw.
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
以上の根拠により、それは桜井市纒向以外にありえない
☟
指摘
纏向に大規模な住居跡が無いのは何故?
☟
1 ◆q8leUXpsw.
纏向周辺に大規模な住居跡がない理由は、倭人伝の記述「自爲王以來、少有見者」です
☟
指摘
「自為王以來、少有見者。以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、傳辭出入。居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衛。」
☟
畿 内 説 論 者 音 信 不 通 いくら皇后といえども
つつかれたらアヘアヘ言うってか なんど言ったらわかるんだボケ
女官は立って寝てたんだ。モモを喰って。 何か間違えている人がいるようだけど、
お前よりも上の人間なんだよ タイシ 大史 大使?と言っている人もいたよ
ググって調べてみて 中華辺りから渡って来た、
または遣わされ〜直系?? 頭の良い人は気づいているよ
教わった。
悪く言うと真似をした。
中華の真似をしている。
そのように言われるのが嫌なので、
起源を捏造しようとしたり。
さらに遡ると某国、某国、某国・・・・・・・・・・・某国 また中華コンプレックス?
『ミン 皇帝』
『明 太子』
『呉 一郎』 何度、書いても同じ
ふなっしー、
本当は『船氏』だという説 当時の職はわからないけど、
芝居ばかり観ていたと言っているし
蚕を飼って
機織りなんかをしていた家の〜と結婚をした
とか そんな古代に源平合戦や南北朝規模の全国戦争があったなんてありえない
畿内一円の一元支配すら無理なのに
そんな大帝国なら半島戦争でも圧勝してたはず
まあすごいね畿内は
鉄器はじめあらゆる物資技術外交等で優勢な九州をどうやって支配したのか
ひとつくわしく説明してくれ
ん?また逃げるのか? BC722年 北イスラエル王国 アッシリアによって崩壊。
その民は東へと逃れて・・。
北イスラエル王国崩壊から136年後に南ユダ王国も崩壊。
その民も又東へと逃れて・・。
この同じユダヤの部族が、日本に帰ってきて、又、北だ南だと政権闘争。
一度はユダヤのスーパースター、イエス・キリストを初代大王としてスタートするも、
AD99年11月17日イエス死後の3年後にクーダター勃発。
そこからこの国は78年間倭国大乱を向かえた。
イエス死後100年目で、イエスの血を引く卑弥呼を共立して再スタートをした倭国でした。
卑弥呼22歳の時だった。
一時の平安は、またまた南北の争いとなり、卑弥呼が自ら入定することで幕引きを図った。
いつの世も、身内で権力闘争していますな。
王権争いでございます。
世界市民は、権力闘争のとばっちりを受けて、いつの世も逃げ惑うばかりですな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています