邪馬台国近畿説 [転載禁止]©2ch.net
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宗教儀式は伝統や所縁を重視する。
日常生活の尺貫法が変わっても、宗教用の尺貫を変えるとは限らない。
伊勢の鏡が径二尺(周八咫)でないのなら、それは鏡にどこかの時点でトラブルがあって、完鏡ではなくなっているということに他ならない。
それをもって平原の鏡が八咫の鏡でないとする理由にはならない。 >>850
>一例では、クロスチェック(相互検証)もできないし、統計的な検定も
>演繹的推論も、帰納的推論もできない
考古学ではよくあること。
それは否定する根拠にはならない。 宮中の八咫の鏡は灰になっているらしいが、だからといって八咫の鏡としての役割がなくなったわけではない。
まして平原の鏡を人為的に破ったのなら、そのことに宗教的意味があったのであり、八咫の鏡であることを否定するものではない。
ていうか、天皇家の八咫の鏡も、伊勢と宮中の2枚あるじゃん。
八咫の鏡は複数枚作られたんだよ。 >>854
クロスチェック(相互検証)もできないし、統計的な検定も
演繹的推論も、帰納的推論もできない
ってのは
説の成立を否定する根拠なんだが >>852
>宗教儀式は伝統や所縁を重視する。
>日常生活の尺貫法が変わっても、宗教用の尺貫を変えるとは限らない。
論点はそれだけじゃないんだよ
>>846の部分を再掲
でも考えてみれば、もし面径46.5センチの鏡を内径48.3センチの御樋代に入れたら、
ぎりぎり過ぎて、ふちに指も入れられず、御樋代をひっくり返すとかしないと出せない
御神鏡は布に包まれているともされているし、さらに余裕はなくなる
単に数値の一致だけを見ていると、こういうことにも気づかない
いろいろガバガバの、穴だらけなんだよ
「周八咫だから、八咫の鏡」説ってのは >>853
>考古学ではよくあること。
>それは否定する根拠にはならない。
主張するだけなら、サルでもできる
そして、クロスチェックできない論説は、弱い主張にしかならない
そして、考古学遺物ならば、One and Onlyでクロスチェックできないというのも
うなづけるが、今問題となっているのは、世の中に数多ある「大きさの測定」において
「円形物の大きさを周長で表したものが他に皆無」だ
つまり、「負の多重チェック」が既に行われている
それを無視しているだけ
さらに
「咫」を円周の測定に計った事例がない
「咫」を実際の長さを示すのに使った事例が、伝承中の一例のみで秦漢尺以降は一例もない
「咫」を複数形(二咫などの形)で使った事例がない
と、負のクロスチェックはてんこ盛り
それを、一例があると言い張っているだけ
ここまで負の実例が積み重なれば、その一例は「錯誤」であると判断するのが合理的
さらには、そのきっかけが、「周を計る尺度」という誤訳なのは明らかなんだし、
がんばればがんばるだけ、合理的考察のできない人ってのをさらすだけだよ >>854
>ていうか、天皇家の八咫の鏡も、伊勢と宮中の2枚あるじゃん。
>八咫の鏡は複数枚作られたんだよ。
宮中の鏡は、形代としてレプリカを作ったときちんと伝えられている
オリジナルは1枚だよ
ただ、試作品はあるけどね >>855
>説の成立を否定する根拠なんだが
説として成立してないっていってるんだよ
まあ、それでも「妄想でも仮説だ」と言い張る人がいるから、
それはお好きなようにってこと
よく物事を調べる能力があって、合理的思考ができる人には
誰にも相手にされないけどね
逆に言えば、物事をまともに調べず、最初に出会った論説を
むやみに信じてしまう合理的思考ができない人は、騙せるかもね >>857
>そして、考古学遺物ならば、One and Onlyでクロスチェックできないというのも
>うなづけるが、今問題となっているのは、世の中に数多ある「大きさの測定」において
今のところ、確認できる八咫の大きさの鏡は平原のものだけなので、まさにOne and Onlyなんだよ。
大きさの測定の問題に振り替えないでほしいな。
周八咫の大型鏡が八咫の鏡と呼ぶにふさわしいかどうかだろ?
しかも八咫の鏡は唯一無二の固有名詞ではないと、自分で主張していたよね。
ならば皇室の持つ鏡の他に、倭王墓に副葬されたものがあっても不思議ではない。
しかもその墓に埋葬されていた王は女性で、時代は後漢の頃の倭国大乱より後なんだ。
さて、この墓に埋葬されていた女性の名はなんと言うのかな?
>>858
>宮中の鏡は、形代としてレプリカを作ったときちんと伝えられている
>オリジナルは1枚だよ
>ただ、試作品はあるけどね
形代の話はどこにソースがあるんだっけ?
試作品は日前宮と国懸宮の鏡のことだよね?
伝承には、はじめに作った鏡にキズがあったから作り直したとあるけれど、試作品と言うよりは同范鏡だろうね。
つまりその時点で八咫の鏡には同范鏡があったことになる。 >>860
平原の鏡が八咫だって根拠ないでしょ
結論ありきで言い張ってるだけ >>860
>確認できる八咫の大きさの鏡は平原のものだけなので、まさにOne and Onlyなんだよ。
>大きさの測定の問題に振り替えないでほしいな。
今問題にしているのは、「八咫の大きさの鏡」という言説そのものであって、鏡の存在を問題にしているのではない
「咫」という単位を使って測定しない限り、「八咫の大きさ」にはならない
だから、今問題にしているのはまさに、「大きさの測定の問題」なのであって
「One and Onlyの遺物」などという言い方で話を摩り替えているのが、伊都国論者の方
そして、「大きさの測定の問題」についての反論はできないってことでよろしいか?
それだけで、「平原1号墓出土鏡は「八咫の大きさ」ではない」ことがはっきりする >>863
>「咫」という単位を使って測定しない限り、「八咫の大きさ」にはならない
咫という単位を用いるとぴったりで、他の方法ではぴったりにならない。
つまり、咫という単位を用いていたということだよ。 >>864
>咫という単位を用いるとぴったりで、他の方法ではぴったりにならない。
>つまり、咫という単位を用いていたということだよ。
これが詭弁なんだなぁww
ぴったり合うような長さを、勝手に「咫」だと言い張っているだけ
漢尺には「咫」はないんだよ
「咫」は周尺の体系の中の長さであり、周尺の八寸
大陸の史書等から、「咫」の長さを調べてみる
清代の注釈 清代 段玉裁《說文解字注》から引用すると
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
となっていて、
「周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、今は周尺の六尺四分を歩としている」
と書かれている
周歩は身体尺で、135センチ程度とされている
歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
どちらにしても、漢尺の23センチとは異なるし、
咫が周尺である以上、平原1号墓出土鏡は、面径二尺にはならない
したがって、円周も八咫にはならないんだよ
九州説のいう「咫」の長さが異なっていたってことだ
この数値から計算すると、咫=八寸(周尺)=16.9センチ
八咫=135センチで、平原1号墓の146センチとは合わない
146センチは、8.63咫だね
都合のいい数字を恣意的に持ってくるのでなければ、こんなものだよ
「8.63咫」を「八咫」とは言わないだろ? 1咫=0.25尺だと言われたほうが、まだ納得するけどなあ >>867
横だが、だから咫についてどんなに論じようと「肯定」も「否定」も根拠になり得ないよな
平原鏡に関しては「可能性がある」程度だから、その可能性の「否定」は尚更できない
「日本」での事柄だからな >>869
>横だが、だから咫についてどんなに論じようと「肯定」も「否定」も根拠になり得ないよな
主に論じられているのは、
「咫が円周を測るための単位であり、その咫で円周を測ると八咫になるから八咫の鏡」という筋立てのうち
のうちの
「咫が円周を測るための単位」の部分だよ
そんな定義は一切ないし、そもそものきっかけが、咫の説文解字の説明の
「中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也。」の『周尺也』を
『周を測る尺なり』って誤訳したことなんだから
古今東西の歴史上、「円周を測るための単位」なんてものがあった例がないだろ?
それに、「咫」が円周を測るために作られた単位なら、円周を「咫」で示した例が
一例もないことの説明が塚ないだろ?
史記の時点で、既に実用の単位としては使われていなかった「咫」の、唯一の
長さを示す用例が伝承の中での「尺有咫」で、矢の長さ、または石弩の大きさであって
円周を「咫」で示す用例はまったくない
「咫が円周を測るための単位」というのは「偽」であるとしてよいだろう >>871
>古今東西の歴史上、「円周を測るための単位」なんてものがあった例がないだろ?
おまえ、博識だなw
咫って知らないのか? >>871
>史記の時点で、既に実用の単位としては使われていなかった「咫」の、唯一の
宗教用の単位なんだから構わないよね? >>872
咫?
円周を測るために使われた形跡なし >>872
>おまえ、博識だなw
>咫って知らないのか?
咫を、円周長を計るのに使っている例を、一例でもよいので出してくれるかな?
円周長を示すための単位だというなら、何はさておき、その用例が多数あるはずだろ?
そもそも、小数点表記がない体系で、直径が尺、二尺、三尺というキリのいい数字の
ときにしか使えない単位なんてある訳ないだろう?
直径三寸二分くらいが、鏡としては実用的な大きさなんだが、この周長を「咫」を
使ったら、どういう表記になるんだ? >>873
>宗教用の単位なんだから構わないよね?
大陸の史書の宗教に関する記述の部分例えば史記の封禅書などでも、
咫が長さを計ったり、示したりするのに使われている箇所が一切ないんだが? >>877
>咫を、円周長を計るのに使っている例を、一例でもよいので出してくれるかな?
平原遺跡の鏡
八咫鏡
八尺瓊勾玉 八尺瓊勾玉の尺は咫が本字とのことだが、どこを測るんだ?
伸ばした長さは円にした時の長さと同じだよな。 >>879
>平原遺跡の鏡
平原1号墓を卑弥呼の墓に「したい」人たちが言い張っているだけ
これの論証が目的だから、これを持ち出しても循環論法にもならない
>八咫鏡
伊勢の八咫鏡は、実見記録も実測記録もないから、円周が八咫であることは
一度も示されていない
一方で、御神鏡の入れ物の実見記録があり、口径九寸の黄金鑵に白布に包まれた状態で
入れられているとされている
・神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文
・飯田武郷氏による明治四年遷宮行事のときの神体の容器を見た実見記録
ここから考えると、平原1号墓出土鏡について言われている八咫の大きさでは
ないことは確実
円周長は八咫ではないし、円周を計った例ではない
>八尺瓊勾玉
何度も出してくるけれど、これ、何の冗談だ?
何の円周が、八咫だというつもりだ?
勾玉の直径が二尺あるというつもりか?
通常は、勾玉を連ねる紐の長さを八尺としたものか、とも言われるが、その場合
紐の長さは円周長ではないだろう
結局、一例もないんだな
特に、その単位が作られ、使われた大陸の史書の例は、かすりもしない
「咫が円周を測るための単位」というのは「偽」であるとしてよいだろう >>881
>伸ばした長さは円にした時の長さと同じだよな。
現代でも、ネックレスの長さを40センチなどと表現するが、
それを円周長とは言わないよな?
ネックレスのようなものは、輪であって円ではないし 八尺瓊勾玉は、多数の勾玉を紐に通して円にしたもので、その紐の長さが八咫であると考えられる。
この場合、八咫は紐の長さであると同時に、円周の長さでもある。 Wiki 八尺瓊勾玉より引用
「さか」は通常は「しゃく」(尺)の転訛だが[1]、この場合は上代の長さの単位の咫(あた)のことである[要出典]。8尺は(当時の尺は今より短いため)約180cm、8咫は約140cmである。 >>887
>[要出典]
って書いてあるよ
ウィキペディアの、八咫鏡の説文解字の訳の部分、修正されてるね
「周を計る尺である」という表記は消えたよ オレはウィキペディアの編集に手を出したことはないよ
韓国系の編集合戦とか目も当てられないし
でも、こういうスレの議論でも、間違いを正すことに役立つのはいいことだ
>>889、>>890連投の人は、
「周尺也」の訳は、「周を計る尺度なり」が正しいといまだに思っているのかい?
これを読んでも?
説文解字
清代 段玉裁《說文解字注》
周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 >>884
>この場合、八咫は紐の長さであると同時に、円周の長さでもある。
この場合ってどの場合?
紐の長さはいいけど、どこの「円周の長さ」なんだい?
勾玉を円周にすることはないだろうに 丸く繋いだ首飾りなんだから、円周でもあるよ。
こうやって畿内説は都合の悪いものはすべて黒歴史にしていった結果、日本の古代史は名無しの鏡と名無しの豪族と名無しの遺跡が溢れることになったんだな。
馬鹿馬鹿しい。
共産主義みたいな捏造史観はたくさんだ。 歴史の真実を追い求めるのではなく、真実を都合よく覆い隠すしかない畿内説は、学問ではない。 ろくに漢文も読めないやつに限って自説には絶対の自信もってたりする
嘲笑されてるのも気づかないアホが現われては消えていった、
それが2ch誕生以来つづいてきた日本史板の風物詩 >>893
>丸く繋いだ首飾りなんだから、円周でもあるよ。
輪にした紐の長さを計るときは、引っ張って直線にして計るんだよ
丸くしたまま計るやつなんていないだろが
それは円じゃないって
詭弁しか出てこないな
丸いものを計るための専用の長さの単位なんて、無茶を言い出すから、詭弁しかいえなくなる >>895
>ろくに漢文も読めないやつに限って自説には絶対の自信もってたりする
では、ろくに漢文が読めると自信たっぷりな>>895さんの解釈を聞かせてもらいましょうか?
とりあえず、この辺の漢文でどうですか? この議論の中心部分ですし?
説文解字
清代 段玉裁《說文解字注》
周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 >>897
丸くしたままでは測りにくいので、測るときは伸ばしただろう。
でも、丸くした時に八咫になることは明白なわけだよ。 >>894
>歴史の真実を追い求めるのではなく、真実を都合よく覆い隠すしかない畿内説は、学問ではない。
歴史の真実を追い求めるのではなく、日本史板のスレタイ一覧に畿内説を批判する文言を
掲示するためだけにバカスレを大量乱立させてるやつに言ってやってくれ
これをやってるのは、畿内説の人間でも、キナイコシwwでもないぞ
たちが悪いのはもっぱら九州説側だ
すぐそこに>>896みたいな実例があるし >>900
>歴史の真実を追い求めるのではなく、日本史板のスレタイ一覧に畿内説を批判する文言を
>掲示するためだけにバカスレを大量乱立させてるやつに言ってやってくれ
言いたいことはわかるが、一人がスレを仕切る根拠もない。
まして、荒らして連投して良い理由にはならない。 それで日本史板のスレタイ一覧に畿内説を批判する文言を 掲示するためだけにバカスレを大量乱立させるのか? >>898
周尺の周とは周王朝の時代、周代のことである。円周の意味ではない。
わかりましたか?
以上 >>904
それはそれ、これはこれ。
だれもそれは否定していない。
でも、倭人は別の定義を持っていたし、その定義は結果的にそうだというだけ。
つまり、漢代にはすでにそもそも咫がどのような定義だったのか忘れているんだよ。
現代だって、メートルは地球の大きさが原義だが、今では原子核の振動が基準だ。
少し前まではメートル原器が基準だった。
そういえば、メートルは子午線の円周がそもそもの定義だな。
一つでも例を挙げてみろとか息巻いていたな。
メートルは円周がもともとの定義だ。 なんで倭人の国内文化について漢代の中国人が忖度しなきゃならんのよ
あげくになんでメートルの話してんだよ、ぜんぜん関係ないじゃん 倭人だけでなく、中国人もシャレが好きだったんだよ。 >>901
>倭人の定義は別なんだよ。
それを、根拠を挙げて論証しなければ、何の意味もない
「倭人の定義なんてないんだよ」
という文言と、完全に対等の立場しかない
つまり、無意味だ
>以上
この話題を終わらせたいのが伝わってくるけれど、
大体もう、
「咫が円周を測るための単位」というのは「偽」である
というのは、理解が広がってきたから、平原1号墓出土鏡が
「八咫の鏡」だというのが、20世紀の思いつきに過ぎないっていうのも
コンセンサスになってきたと思うけどね >>899
>丸くしたままでは測りにくいので、測るときは伸ばしただろう。
じゃあ、丸いものの円周を測るのに「咫」を使った例には当たらないね
>でも、丸くした時に八咫になることは明白なわけだよ。
丸くしないだろ? 首にかけるときに、円形にはしないよ?
詭弁しかいえないんだねぇ
それに、八尺瓊勾玉の「尺」の字は本当は「咫」だとか言う人がいるけれど
八咫瓊勾玉という表記は、どこにもない
八「坂」瓊曲玉という表記が日本書紀にあり、ヤサカノイリヒコ、ヤサカノイリヒメの
二人が、同様に「八尺」「八坂」の表記のゆれが見られる
案外、長さではなく、ヤサカノイリヒメ・ヒコの本貫地にちなんだ命名なのかもしれない
「八坂の地」はどこだかはっきりしないが、ヤサカノイリヒメは景行天皇の皇后で、
景行天皇の美濃行幸で出会ったとされており、岐阜県美濃の可児市にヤサカノイリヒコの
墓と伝えられる大萱古墳があるそうだから、その辺が「八坂」なのかもしれない >>902
>まして、荒らして連投して良い理由にはならない。
よく見ると、同じ文言でも、投稿日時が飛び飛びなんだよ
巡回ごとにコピペを置いてるだけで、連投ではないんだ
間で書き込みに来る人すらいない、過疎スレだってこと
まあ、ただの嫌がらせ目的で立てただけで、立てたやつすら放置で
日本史板のスレタイ一覧に、畿内説を批判する文字列を並べるのが
目的ってだけだから、スレとしての実体がないんだよ >>902
>言いたいことはわかるが、一人がスレを仕切る根拠もない。
仕切ってるつもりもないし、>>902も仕切られる気なんてないだろ?
匿名掲示板で、仕切るも仕切らないもないだろうに
誰もが好き勝手に書くだけだよ >>910
>丸くしないだろ? 首にかけるときに、円形にはしないよ?
丸くしないでどうやって首にかけるんだ? >>910
>案外、長さではなく、ヤサカノイリヒメ・ヒコの本貫地にちなんだ命名なのかもしれない
>「八坂の地」はどこだかはっきりしないが、ヤサカノイリヒメは景行天皇の皇后で、
八咫の鏡はアマテラス由来だよ。
どれだけ世代が違うかわかってる? >>912
>匿名掲示板で、仕切るも仕切らないもないだろうに
>誰もが好き勝手に書くだけだよ
だったら、他人が立てたスレに目くじらをたてるなよ。 オサカ、アサカ、コサカ、
アサカ、アショカ、アスカ >>915
>だったら、他人が立てたスレに目くじらをたてるなよ。
目くじらなんて立ててないよ
>>915こそ、書き込みもしないスレで起きていることなんて、気にしなくていいんだよw
気になるなら、どんどん書き込んでくれ
そうすれば、それだけ倉庫送りが早くなる >>914
>八咫の鏡はアマテラス由来だよ。
>どれだけ世代が違うかわかってる?
八坂の話は、勾玉の方だ
まあ、そっちも高天原由来なのは同じだけれど
ただ、名称が明記されたのは、記紀編纂時の8世紀
推古朝で国記が編纂されたとしても、6世紀〜7世紀はじめ
その時期から見れば、崇神〜景行朝のことも、天照の頃のことも、
上古という意味では同じ
また、垂仁天皇紀に、高天原とは関係のない八尺瓊勾玉が出てくる
昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。
則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。
案外、元は普通名詞的なものだったのかもしれない >>913
>丸くしないでどうやって首にかけるんだ?
広げるけれど、円にはしないだろ?
ネックレスの長さを円周と表現する人は、絶対にいないとはいわないけれど、
そういう見方は普通はしない
ネックレスは、とめれば輪だけれど、とめなければ一本の紐だ
その長さが八尺でも、それを円周長とは言わない >>917
レスが付いていたら読みに行くだろ。
そうするとおんなじレスが並んでいるんだよ。
頭にくるだろ。 >>919
ネックレスは長さで測るよね。
現代のような精巧な金具はないから、紐は結んだまま。
だから製作したあとはずっと丸くして使う。 >>921
>現代のような精巧な金具はないから、紐は結んだまま。
これは、ただの憶測だろ?
>だから製作したあとはずっと丸くして使う。
それに、古代の紐の強度がどれくらいあるかは知らないけれど、
結びっぱなしだったら、切れたときに始末が悪い
それに、ぶら下がってる状態は、丸いとは普通は見ないぞ
八尺が実際の長さだとも思わないが、それでもかなり長いから
垂れ下がるし、首から左右に四尺分ずつまっすぐ垂れてるだけだ >>920は、背乗りスレをスレ立てした人なの?
そうでもなきゃ、誰も来ない過疎スレを気にする必要はないよ
それに、書き込みには基本的に返答コメ書いてあるよ
まあ、意味のある書き込みもないから、返答も意味のあるものじゃないけどね >>924
>二重に巻いたんじゃないかな。
ますます円周じゃないねぇ
と、八尺瓊勾玉の話に付き合ってきたけれど、もともとは
「径で測れる丸いものの大きさを円周長で示す例はあるか」だから、
紐の輪は、径で計りづらいし、この例示としては最初から不適当なんだけどね
で、グダグダ言ってるけど、円周で大きさを表す例っていうのは
出てこないってことでいいかな
まあ、常識で考えても、今の時代でも円形のもので、周長で大きさを表すものって
ないものな >>925
>紐の輪は、径で計りづらいし、この例示としては最初から不適当なんだけどね
円周で測る方が合理的だよね? 首飾りってのは、首に掛けたら後ろで結んで輪にして、普段は結んでないもんだ 円周という複雑な図形の長さを円のまま測ったと思ってる馬鹿がいるな。 >>928
>円周という複雑な図形の長さを円のまま測ったと思ってる馬鹿がいるな。
円というのは、数学的にはもっともシンプルな図形なんだが?
その「複雑な図形」である円形の鏡の周は、円のまま測らないと測れないよな?
首飾りの紐と違って変形できないから
円形のものの大きさを、円周長を計って示している例が一例でもあったら示してくれ、と
いうのが最初のこちらの問いなんだが、それで出してきたのが八尺瓊勾玉
それで、紐の長さが八尺だったところで、それは円の周囲を測ったとはいえないだろ?
と、こちらが言っているのに、>>928は「円のまま測ったと思ってる馬鹿」と
書いている訳だから、「八尺瓊勾玉」は円のまま周を計る例としては不適当という
認識なんだよな?
つまり、いまだに「円形のものの大きさを周の長さを測って示した例」は
一例たりともない訳だ
要するに、平原1号墓出土鏡の「円周を測ったら」八咫だった、というのは
詭弁だってことだ
「円周を測って大きさを示す」ことは、ないんだから >>926
>円周で測る方が合理的だよね?
「合理的」っていうのは、円じゃないから直径は定義できない、
ってことが言いたいんだろうけれど、それで計るのは「紐の長さ」であって、
円周じゃないよね? >>931
>なんだ不可能を可能と思ってる馬鹿か。
馬鹿って言いたくてがんばってるなww
でも、何がどう不可能なんだい?
>>931は円形が複雑な形って思ってる>>928の人でしょ?
数学、もっとお勉強するとよかったね
そうしたら、古代から円周率の近似値として、22/7が使われてたって
分かったと思うよw >>932
>まあ、普通は紐か何かを使って測るだろうね。
それは計る必要がある場合は、の話だよね
円形のものの大きさを、円周長で示したものが、一例もない中で
何のために計る必要があり、計ったと主張するのかが問われているんだけどね それに対して、伊都国説側は
「計ったら八咫になるのは事実」って、寝言を繰り返すだけ
その「咫」の妥当性がまるでないことは、既に論証されているのにw 伊都国説は、末慮国からの旅程で
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都。
と、なぜ書かれていないのか、説明できないんだよな 魏志倭人伝で、外交官が駐留して、内政官が治めていている。
考古学的には代々の王墓や宗廟がある。
伊都が倭の王都であることは明白であり、八咫の鏡はそれをさらに補強するだけのこと。 >>936
伊都国説ではちゃんと説明してますよねw >>936
東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
この文章では「世有王」と(伊都国に)魏の世に(倭王卑弥呼)王が居たとちゃんと書かれているし「皆統屬女王國」とその伊都国にすべての倭の国々が統属したいたともある。
伊都国が倭の都だから「郡使往來常所駐」するんだよ。
卑弥呼の倭国は朝鮮半島南岸の投馬国と北部九州の邪馬壹国の二つの地域からなっており
「女王之所都」ってえのは投馬国に対して邪馬壹国側に女王の都が在ったって意味で
邪馬壹国=女王の都じゃないの。 世有王 皆統屬女王國
これは、王(たち)が皆女王国に統属す、と読むのが普通 >>942
>その伊都国にすべての倭の国々が統属したいたともある
その伊都国も含め、すべての倭の国々が女王国に統属していた、と普通は読むんだよ >>942
>伊都国が倭の都だから「郡使往來常所駐」するんだよ。
伊都国に、一大率が邪馬台国から来ていて入国管理に当たっているから、
「郡使往來常所駐」するんだよ
一大率は地方官
首都にはいない >>942
>卑弥呼の倭国は朝鮮半島南岸の投馬国と
その意見の人たちは水行の起点は帯方郡だというが
帯方郡から北部九州まで水行10日で来るんだろ?
なら朝鮮半島南岸までは10日掛からないのに、
投馬国までは水行20日と書かれている
その比定地も旅程の読み方も矛盾だらけで意味がない >>944
その読みが間違ってるの
魏書で世有とは魏の世を指してますので世有王では「魏の世に王が居た」の意味です
「王(たち)が皆女王国に統属す」と訳したいんで王を複数にしたいので「世有王」を「代々の王」と無理やり読み替えてますが
「世有王」だけでは1の王か複数の王かは分からない
単に「魏の世に伊都国に王が居ました」との意味しかない
「皆統屬女王國」に皆が有、その皆が伊都国の王を指しているのだとの決めつけで代々の王と訳してる分けです
でもこの部分を魏略と比較すると「其国王皆属女王也」となってて「その国の王」が皆なんです
魏略では「世有王」はありませんから「その国の王」は伊都国の代々の王では有り得ないんですよね
魏略では「その国の王」は「倭の国の王」としか理解できないんですよ
魏略で皆が「倭の国の王」なんですから倭人伝でも同じ様に「倭の国」は皆、女王国に統属するですね。 >>947
帯方郡から投馬国までが水行20日
投馬国から邪馬壹国までが水行10日陸行1日です
陸行1月は末廬国から伊都国までの500里に掛かる時間ですから
陸行1月は陸行1日の誤記だと判明します。 >>949
>帯方郡から投馬国までが水行20日
狗邪韓國と投馬国の関係は?
伊都国と邪馬台国の関係は?
どうして同じ場所をいちいち別の名前で呼ぶの?
説明できないだろ?
対馬海峡に10日も掛けるっておかしくないか?
通常は、渡海千里を一日で漕ぎ渡れる距離としている
10日も掛けて、海上で夜明かししてたら、対馬海流で遭難して終わりだぞ >>950
同じものを違う呼び名でも呼ぶのは修辞法としてよくあること。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。