この頃の年貢の徴収システムってどうなってんだろうな
地侍は年貢を百姓から取る側なの?
それとも地侍は国衆に年貢を納めさせられる側なの?
さらに国衆は上位の大名には対しては年貢は納めていたの?
兵役と賦役は課せられるが年貢については国衆が取ってたんだろうか
となると大名は案外収入少なくて、鉱山とかの金のなる木を持ってないと大変だろうね