律令が定着するまでは統治者の実力がモノを言うので継承者が幼少だった場合妻や母が中継ぎするしかなかった
この制度では後継者争いで何度も血を見る結果になるので天武天皇くらいから律令を大胆に取り入れて仕組みで統治するようにした
元明天皇あたりは仕組み作りの最後の時代