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何故、古代は女帝が多数存在していたのか [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん
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2016/02/08(月) 01:52:08.58
当時の政治情勢を踏まえて80文字以内で説明せよ

って問題が法政大学の入試で出たのですが、これって明確な理由が有るのでしょうか?

僕は「男女の身分差が少なかった」「まだ男しか皇位に就けないと言う決まりが無かった」この二点を纏めたのですが、調べてみたところしっかりとした理由は見つけられませんでした

もし宜しければ皆さんの意見と回答の要点を教えてもらえませんか?
0024日本@名無史さん
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2016/02/09(火) 03:24:39.98
俺も宗女は一族という意味だと思ってたけど、
それだと、台与の前の男王は血縁関係なかった
ことになるんだよね。

倭国では、あまり血縁は重視されていなかった
のかな。
0027日本@名無史さん
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2016/02/10(水) 23:41:57.52
>>24,>>26
自演乙

男王と卑弥呼の続柄については書かれてないから不明ってのが正解
0028日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 13:59:19.92
>>1
 騎馬民族征服王朝説で有名な江上波夫氏は、
「 日本古代の女帝については、折口信夫氏の、女帝すなわち宮廷~と天子との中間に立つ、
中天皇(なかつすめらみこと)という巫女説などもあるが、現在では井上光貞氏や直木孝次郎氏らの考説が
一般の承認を得ているようにみられる。それは推古以下、元明にいたる五人―じっさいは四人であるが、
皇極(斉明)を二人とかぞえて―の女帝が、皇后またはそれに準ずる皇太子妃であったことに着目して、
彼女らが女帝になったのは、いろいろな問題があって、皇位継承者をすぐには決定しがたいばあい、
とくに有力な候補者が対立していたり、直系の皇子または皇孫が皇位継承の候補者の一人でありながら、
幼少その他の理由ですぐには即位できないばあいなどに、男子の天皇と天皇との中間をつなぐものとして、
そういう意味の中天皇(なかつすめらみこと)として現れたという解釈である。
 そのことは、宣化天皇が亡くなったとき、欽明天皇がすぐに即位することを躊躇して、群臣に
「自分は年少で見識が浅く、政事に習わない。山田皇后(安閑天皇皇后)はあきらかに百揆(もものまつりごと)に
通じておられるので、頼むから皇后のところに行って、天皇になっていただけ」といわれたが、
山田皇后は固辞して受けられなかったという所伝に照しても、その正当なことがうなづけよう。
 ただここに一つの疑問が残るのは、皇位継承問題が主要な理由ならば、推古天皇皇女あるいは山田皇后以前にも、
そのことがあってもよいと思われるのに、この特定の時期にのみ女帝が輩出したのはなぜだろうか、
ということである。
0029日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 13:59:50.39
続き。
 それについて、岸俊男氏や直木孝次郎氏は、そのころ皇后が「おおきさき」として、
他の妃たる「きさき」から区別されるようになり、その地位が向上しており、また私部などがおかれて、
経済面からも皇后の勢力が安定した結果、皇后はかなりの権勢をもつようになって、
そのような裏づけができたことが、皇后をして天皇の地位におしあげた一つの理由ではないか、
と考えておられる。
 たしかにこれも理由の一つではあろうが、私は、同じ時期に、皇女を后妃にするふうがさかんになったこと、
皇太子による摂政など、いわゆる皇親政治が行われたことにも留意し、女帝の即位も、
豪族をなるべく政権の座から遠ざけて、皇室による中央集権を指向した、一連の政策に出たのでは
あるまいかと憶測するものである。
 それはとにかく、応神から雄略までの諸天皇の皇后は、多くは天皇に立ちえなかったであろう。
というのは、出自がほとんど葛城などの臣姓の、国神系の豪族で、天皇氏ではなく、血統の原則から
天皇になる資格がなかったからである。光明皇后が聖武天皇のあと、天皇に立つべき諸種の条件をそなえながら、
それにならなかったのも、彼女も天皇氏出身ではなく、血統の原則にはずれていたからであろう。」
と推測されているけど、こんな難問を大学の入試問題に出すとか、法政鬼だな。
0030日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 15:42:47.00
あの、予備校の出してる模範解答を載せても宜しいでしょうか
0031日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 16:25:58.30
古代ではシャーマンとして政治を主宰する必要から女帝を立てた。
0032日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 17:02:30.14
>>1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89

当時は男性の識字率が低く、先進的な家族構造である
共同体家族も少なく、絶対核家族や直系家族が多かったから女性の権利も高かった

と、書けば、ちょっと知ってる人なら
トッドかと思うだろうが、古代が本当にそうであったか検証してないから分からん

それに、当時の政治情勢を踏まえて、と書いてあるので間違いとされる可能性が高い
採点する人が開明的な人物なら分からんけど
0033日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 18:07:30.84
>>30
 読んでみたい。
0034日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 18:28:55.00
嫡系への皇位継承を重視した天皇家と、嫡系に娘を嫁がせて天皇の外祖父となることを目指した藤原氏の意向が合致し、後継が成長するまでの中継ぎとして女性が皇位に就いた。

らしい
0035日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 18:29:46.83
え〜なんか微妙だなぁと思うわ

なんだかな〜

ほんとにそうなのかー?と
0036日本@名無史さん
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2016/02/11(木) 19:39:58.97
アホの法政が史実を踏まえた解答を期待してるわけないだろ。

「定説はないが、私は〜と考える。すなわち〜。例えば〜。これに対して近代においては〜。以上の通り、古代においては〜。」

適当に書けば満点だよ。アホの法政なんだから。
0038日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/11(木) 21:56:28.08
法政は受けてないけどな。早稲田と慶応しか受けなかったから。
0039日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/11(木) 22:15:32.59
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
0040日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/11(木) 22:16:00.97
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
0041日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/12(金) 01:35:39.37
大都会岡山
0042日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/12(金) 14:46:57.61
卑弥呼やトヨ、神功皇后の例からしても、女性の地位が高かったんだろうな。
母が誰であるかも重要だったように見えるし。
まあ、求める答えは分からんが、たったひとつの答えだけが正解というんじゃなくて、
論じ方の問題って気はするが。あ、法政か、ならわからんな。
0045日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/13(土) 23:21:13.69
男系の女帝の中継ぎ論だろ
0046日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/13(土) 23:29:30.45
女系と女権を意図的にごっちゃにした議論をしたがる馬鹿が定期的に湧く
0047日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/14(日) 00:00:37.78
邪馬台国の倭国は、血統じゃなかったんだよな。
卑弥呼は突然出てきたキチガイババアだし。
0048日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/14(日) 04:50:13.06
外国人が書いた魏志倭人伝と
後世に書かれた日本書紀

これくらいしか史料が無い時代のことで
論を立てろって無茶苦茶過ぎないか?
0049日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/14(日) 05:50:58.95
邪馬台国について、日本書紀は何の参考にもならないよ。
0050日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/14(日) 23:37:07.78
>>49
48はそういう主旨ではない。
別々の女帝について書かれた2文献を別個に
示したに過ぎない
0051日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/14(日) 23:40:43.71
>>34
それだと、古代は、という設問なのに
飛鳥奈良時代の女帝についての
理由付けにしかならない。
0052日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/15(月) 00:12:12.97
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
0053日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/15(月) 00:12:48.43
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
0054日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/15(月) 00:20:31.13
縄文人のDNA分析完了

>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。

http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg
0056日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/16(火) 02:35:53.42
>>34
え、なんか卑怯な答えだな
なんでいきなり藤原が出てくるんだよ
時代限定じゃん
0057日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/18(木) 00:31:59.88
存在はしていたが
それが多数なのか少数かのかは比較の対象によって何とでも言えるだろ
0058日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/18(木) 01:44:12.66
@推古、皇極(斉明)→後継者問題の引き延ばし
A持統、元明、元正→嫡系相続のための中継
B称徳(孝謙)→皇太子になったのち即位しており特殊事情ありか
0059日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/25(木) 15:37:24.02
シャーマンだったからでは?
0060日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/25(木) 21:49:30.93
推古朝の時の朝貢した『倭国の王は男子』って蘇我馬子を指してたって説も有るしな
0062日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/25(木) 23:55:42.94
隋書にでてくる「倭国の王」は舒明天皇だろう
日本書紀は推古朝を60年引き下げている
0065日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/26(金) 20:46:26.44
>>59
推古以降の日本のすべて女帝の中でシャーマンはいないけど?
0067日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/26(金) 22:32:10.03
鬼道=シャーマンでもないがな
0071日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/26(金) 23:32:09.63
>>68
そんならまず推古以前に女帝が存在したことを
おまえが証明してから言えよw
後出しジャンケンで「もうこうだったら」みたいな話はやめてくんないかね
0072日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 01:39:08.23
倭国の卑弥呼や台与が、何らかの女性ならではの宗教的な権威を持っていたことは十分あり得る。
なにしろ、鬼道だからね。

でも、推古天皇もそうだけど、日本国の女帝にそんな力があったという話はない。

倭国の女帝と日本国の女帝は、次元が異なる。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 15:46:30.95
まだ天皇として幼過ぎる男子が成長するまでの繋ぎとして、
その母親(つまり亡き天皇の皇后、ただし皇族に限る)や
その姉が即位したと何かの本で読んだわ。
持統天皇や称徳天皇辺りがそうじゃなかったかな
0077日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 22:35:45.41
 書いとくか。
「 大陸の騎馬民族国家において、皇妃が政治や軍事に関与し、また君主の後継問題に活躍したことについては、
匈奴・突厥・拓跋魏について概説したときに、ところどころで言及した。
すなわち匈奴の冒頓単于の閼氏の軍事への容喙、セン渠閼氏の単于後継問題における暗躍、
呼韓邪単于二人の姉妹の閼氏による単于後嗣の順位の決定、突厥の大義公主の軍事・外交への干渉、
拓跋魏の文明皇后の執政などである。このほか、遼(契丹)の建国者(遼太祖)耶律阿保機の皇后述律氏、
明大の蒙古の英傑順義王俺答汗の妃三娘子など、夫の死後に国政を執った皇妃は、
騎馬民族国家においてはすこぶる多い。
 遼の述律皇后については、太祖の死後、彼女が夫の功臣を、あの世で太祖が待っているであろうと、
つぎつぎに殉死せしめたので、ある者があの世で太祖がいちばん待ちうけておられるのは
皇后自身だろうというのを聞いて、自分は国事に責任があるから死ぬわけにはゆかないが、
身がわりにといって、その一腕を断ち切って、太祖の陵に納めたという伝説が残っている。
 これはもちろんたんなる伝説にすぎないが、そこに、騎馬民族国家の后妃にいかにもありそうな、
策略にとみ、豪放果敢な、男まさりの一女性が描きだされていてなかなかおもしろい。
しかし史実としては、述律皇后が摂政したのは、太祖の第一子の東丹国王倍にではなく、
彼女の寵愛した第二子の大元帥尭骨に遼の帝位を継がせる工作をするためであったに相違ない。
そうしてじっさい、尭骨は摂政太后や群臣の支持をうけて即位することができた。
すなわち遼の太祖である。そうしてこのように次の君主(ハーン)が決定・即位するまで
皇太后が国政をみるという、騎馬民族国家に一般的な現象が制度化されたものが、
チンギス・ハーン蒙古の監国皇后にほかならないと思われる。
 このチンギス・ハーン蒙古の監国とは、大ハーンの死後、次の大ハーンの選出されるまで、
蒙古帝国の内治・外交・軍事の一切の権能を委ねられて、統治に当たるもので、
第一代チンギス・ハーン死後は、その末子のツルイが最初の監国になったが、
第二代のオゴタイ・ハーンの死後は、その皇后のトラキナが、第三代のグユク・ハーン死後は、
その皇后のオグール・ガイミシが監国になった。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 22:37:27.72
続き。
 監国のもっとも主要な任務は、クリルタイ(大集会)を招集して、次期の大ハーンを選定・推戴することにあったが、
監国は原則的に大ハーンと同等の権力をもって、みずからのイニシアティブで蒙古帝国の統治を行うことができた。
それで監国皇后トラキナは、チンギス・ハーン以来の功臣で、夫オゴタイ・ハーンの時代に右丞相であった鎮海を免職し、
その他前代からの多数の要人をしりぞけ、一方、回教徒のアブドル・ラーマンを財政長官に登用したりした。
 また大ハーン後継者選定のためのクリルタイも、トラキナによって招集されたが、第一回、第二回とも流会となったのは、
オゴタイ党とツルイ党との党派争いで、直接には、ツルイ党を支持する長老のバツーと、
オゴタイの長子グユクを第三代のハーンにすえようとする監国トラキナとの対立であった。
それでグユクが選定されることが予測されたクリルタイに、バツーが口実をもうけて参会しなかったのである。
 しかしついに、第三回のクリルタイは、バツー不参加のまま開かれ、トラキナの希望どおり、
グユクのハーン位相続が決定した。彼の即位は儀式が終わって、七日間宴会がつづき、
グユクは父オゴタイ・ハーンの宝庫に蔵められた金銀・布帛・宝玉を参会者一同に賜わることになったが、
そのときその配分を委ねられたのはツルイの寡婦シュールククテニ(スルカタイ)皇妃であった。
当時彼女は、トラキナ、バツーをのぞく、蒙古皇族最高の地位にあったのである。
 このように蒙古帝国でも、皇妃の地位・権威は、次の世代の王公のそれよりも上にあった。
ただ彼女ら大ハーンの皇后が、監国にとどまって、大ハーンそのものになることがなかったのは、
彼女らがみな、外婚制によって、蒙古王室の氏族「黄金氏族(アルタン・オボク)」以外の氏族の出身者であったからで、
血統の原理によって、彼女らは大ハーンになることは不可能であった。
0079日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 22:38:27.68
続き。
 次に、グユク・ハーン死後、監国になったオグール・ガイミシ皇后の時代には、ハーン位をめぐって、
オゴタイ党とツルイ党との争いはますます激しくなり、こんどはツルイの長氏メンゲを推すバツーを中心としたツルイ党と、
オゴタイ・ハーンの孫シラムンを推すオゴタイ党との対立抗争となった。この抗争は数年間続き、
その間クリルタイは前後三回開かれ、二回は流会になったが、第三回目に実力者バツーと
ツルイの寡婦シュールククテニ皇妃の力によって、ツルイの長氏メンゲが代四代の大ハーンに決定した。
これに対してオゴタイ党は、メンゲ・ハーン暗殺の陰謀を企画したが失敗し、その党に属した多くの王公は追放され、
さきの監国オグール・ガイミシもその陰謀に加担したものとして残酷な処刑にあった。
 蒙古の監国皇后は、これをもって最後としたが、それは、代四代のメンゲ・ハーンの死後は蒙古帝国は事実上分裂して、
もはや全国的なクリルタイも開けず、大ハーンを選定・推戴しうる可能性もなくなったからである。
かくてクビライはみずからクリルタイを開いて、大ハーンの位についたが、それはもはや蒙古帝国のそれではなく、
いわゆる元帝国のそれであった。」
江上波夫著「騎馬民族国家」p238-242.
0080日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 22:45:44.67
初期の大和朝廷は騎馬民族の風習を引きずっていたものと思われる。
だんだん中華文化になっちゃったけど。
0081日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 22:51:02.17
騎馬民族って言ってもモンゴル系やトルコ系はあり得ない
扶余などのツングース系か鮮卑などのシナチベット系の遊牧民しかあり得ないわけだから
本国が中華にそまれば当然そうなるよな
0082日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 23:14:55.05
だから言ってるじゃん

モンゴル高原は騎馬民族らの東端だとな

本場っつ〜なら中央アジアから西ヨーロッパあたりなんだよ
0083日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 23:16:54.22
インドから東側、東南アジアにかけては騎象隊の方が多い
0085日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/27(土) 23:19:14.29
中国あたりに多いのはブタの多頭飼いから農村地帯なら牛飼い

チベット方面に多いのは山羊なんかを飼う人ら
0088日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/28(日) 23:03:33.42
文武元明元正聖武の流れは持統天皇が
天智の血を繋げていった結果だと思う
0089日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/29(月) 13:09:15.16
>>88
天武と自分の血、つまり草壁皇子の血だろ
0090日本@名無史さん
垢版 |
2016/02/29(月) 14:22:03.29
>>87
定義の仕方で違ってくるかもしれないが、
普通女系の天皇といえば、母方が「天皇家」であり、
そちらのルートから皇位を継承した人物のことを言う。
であるなら、@元明→元正は女系。これは明確に母→娘への継承だから。
男系ルートなら、元正は「父のいとこ」から皇位を継承したことになる。
A元正→聖武は男系。元正は聖武の「父方のおば」だから。
聖武が女系天皇という場合は、母方の藤原宮子娘からのルートになる。
B聖武→孝謙も男系。孝謙がいわゆる「男系女子」にあたることは説明するまでもない。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2016/03/06(日) 09:32:24.60
皇統における男系・女系の定義は下記のとおりであり、
無意味な議論は不要!

◇男系
 初代天皇の血統が男系で繋がっている系統
◇女系
 初代天皇の血統が女系でしか繋がっていない系統
0092日本@名無史さん
垢版 |
2016/03/07(月) 17:44:35.34
初代天皇の定義がいまいち不明確だが
実在したと言い切れない気がする「神武天皇」のことだとしたら
多分、すでに今の天皇家は繋がってないんじゃないかな

繋がるとしても女系に女系でかろうじてなんじゃねーかって気がする
0093日本@名無史さん
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2016/03/07(月) 18:05:02.44
100人以上いる天皇の一人か二人は浮気の子だろ
繋がってるわけないよ
0094日本@名無史さん
垢版 |
2016/03/07(月) 19:29:34.13
女帝どころか熊襲の酋長も女がかなりいた様なので、これは大和朝廷に限った問題ではない
0095日本@名無史さん
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2016/03/08(火) 07:52:34.76
一部に提唱されている説で、古代には即位するには三十歳以上
って年齢制限があったんじゃないかというのがある
兄弟継承が多くなったのもそのせいではないか
女帝が多数輩出されたのもこれに関係があるのでは?
0096日本@名無史さん
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2016/03/08(火) 17:23:02.94
確かに、若くして即位しても安定が保たれる為には王家の血筋に神聖なイメージがつかないと難しい

王朝の初期にそれは無理だよなあ
0097日本@名無史さん
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2016/03/08(火) 19:23:34.97
法政の合格水準がどれくらいか受けた事無いので知らんが

    はしか一吹きでガキが粗方死んじまう御時世だったから跡目争いで揉めた場合に死んだ帝の妃が即位して取り敢えず勢力争いがペンディングされるケースが多かった

くらいがベストじゃね?
0098日本@名無史さん
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2016/03/08(火) 19:26:01.89
>>97おまけ 昔を知る者には実に信じ難いが法政の教授会は今や極左韓流命になってるからねぇ…>1は出題意図解ったかな?
0100日本@名無史さん
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2016/03/09(水) 08:11:02.21
>>92〜94
それをいっちゃおしまいよ

正史では男系続いているんだからヽ(^o^)丿
0101日本@名無史さん
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2016/03/10(木) 02:48:22.98
アンカーの付け方も知らないやつに「おしまいよ」とか言われてモナ
0102日本@名無史さん
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2016/03/17(木) 08:28:45.40
律令が定着するまでは統治者の実力がモノを言うので継承者が幼少だった場合妻や母が中継ぎするしかなかった
この制度では後継者争いで何度も血を見る結果になるので天武天皇くらいから律令を大胆に取り入れて仕組みで統治するようにした
元明天皇あたりは仕組み作りの最後の時代
0104日本@名無史さん
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2016/04/22(金) 00:31:51.69
>>102
元明以降も血は流れてるが…
仕組みじゃなくて行き当たりばったりに他の系統を排除して
天武持統の血を繋げていった結果にしか見えんが
0108日本@名無史さん
垢版 |
2016/06/20(月) 23:09:45.35
>>77
匈奴や突厥、遼の皇后は自ら兵馬を率いて戦場に赴くのもザラだったから
日本の女帝や皇后とは比較にならない
0109日本@名無史さん
垢版 |
2016/06/21(火) 17:30:11.10
事情がどうであれ、女帝が誕生する余地があるということは
外戚の力が天皇家を超えてないということでもあるな。
外戚の藤原氏が摂政なんて位に付けるようになってしまったら、
帝は幼くても問題ないことになってしまった…むしろ幼い方がいい。
母や姉が替わりを務める必要がなくなってしまい、女帝を立てる必要もなくなる。

古代のこの時期…持統〜称徳あたりってのは、
天皇家と豪族達との権力をめぐる綱引きが激しかった時期でもあるでしょう。
それも三世一身の法?とか墾田永年私財の法だっけ
これで藤原氏をはじめとした豪族が力を付けちゃって一気に天皇家の力が弱まった。

おそらく>>1の解答としては、そういうことをまとめてやればいいのでは
0110日本@名無史さん
垢版 |
2016/06/21(火) 21:47:30.25
天武朝は傍系を排除してだから
直系の血を守るため女帝が多く出た
天武朝自体が逆賊というのもあるだろうけど
直系の血が絶えるとあっさりと
永手良継百川らと組んだ天智系に持っていかれた
0111日本@名無史さん
垢版 |
2016/06/21(火) 22:06:12.46
中臣氏は祭祀氏族なので天皇家の外戚になれないと言うのを聞いたことがあるな。藤原なら問題ないらしい。藤原の姓を頂き鎌足は大喜びだったろうな。その後の繁栄は言うに及ばず。
0112日本@名無史さん
垢版 |
2016/06/21(火) 22:11:36.19
実際に藤原姓をもらったのは不比等だと思うぞ
鎌足がもらったことになってるのは後付けじゃないかな
不比等の兄弟筋は藤原を名乗ってないし
0113日本@名無史さん
垢版 |
2016/06/21(火) 22:15:52.02
確かにそうかも。藤原姓をもらった次の日に死ぬはないわな。次の不比等がもらったんだろう。
0114日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:29:25.06
古代では直系が絶えて傍流から後継者を出さねばならないとき、
先代の妃を娶って正当性を高めた例が結構ある。

皇后が残ってれば後継はなんとかできるみたいな意識が根底にあって、
その流れで女帝にも抵抗がなかったとかもあるんじゃないか

あと、持統朝以降の女帝乱立は、
中継ぎでもあるだろうけど、むしろ守りたかったのは持統の持ってた血統の方なんじゃ?ってくらいの執念を感じる…
0115日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:32:16.02
『王子とコジキ』

ググってみたほうが良い、実際に入れ替わっているから、
本物のほうがコジキ?のような扱いだと思う
0116日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:34:05.46
王子ではなくても王女、
その女帝でも良い

なぜコジキの家が、
王子や女帝になるんだ?
0117日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:37:18.72
島の誕生〜神代から続いているという話があるでしょ、
悪く言うとコジキ

当時の中華や半島などから
渡って来た人ではないんでしょ
0118日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:47:16.76
『中華』で、ググるだけでもわかるはず

『関帝』廟というのものが出てきたり

 帝、女なので女帝なんでしょ
0119日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:53:43.03
詳しいことは、わからないけど

「そうことなんだっつーの!」
「生きてたのか!」と言っている人がいたり

『聖化 日神 日霊 津』
『伊達の桃太郎』など、この家の話でしょ

『天帝』という文字が見えない?
0120日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 04:59:43.51
「本系」

天帝より授かり、渡って来た家の本系?
何やらを祀ったりしていたんだと思う

蚕を飼っていたり、機織りをしていたり
0121日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 05:14:33.60
確かに『本系』と書いてある

その道のプロ、本家という話だろう
0122日本@名無史さん
垢版 |
2017/07/26(水) 09:35:05.42
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆
0123日本@名無史さん
垢版 |
2018/01/30(火) 16:44:45.52
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

CWQMW
0124日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/27(日) 18:58:29.48
>>1みたいなことを言う人って、恐らく(推測だが)
日本史上に女帝が何人いたか知らないで、
「昔は沢山いたはず」って思いこみだけで言ってるんじゃないかって気がするんだが。

実際に、女帝が希少な例外でなかったのは、奈良時代頃のごく短い一時期のみだし、
その時期だって、女帝はあくまでも中継ぎで、
男子と同様の権利で女子が帝位を次いでいたわけでは全然ないんだが。
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