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マジレスすると、古代の大和朝廷は騎馬民族王朝の風習が色濃く残っていたのと、血族間の争いが
あったからなんだよ。

騎馬民族王朝は、中国や倭国(卑弥呼やその後継者たちの間に血縁関係はない)と違って、
血統が重視される。しかも、男系だ。
ただ、長男とは限らない。←ここは大事なところだから、よく覚えておいてくれ。

えっ男系?女帝の話なのに男系?
と思うかもしれないが、その疑問に答える前に、なぜ男系かを簡単に説明しておこう。
それは、騎馬民族では何よりも戦闘が重視されたから。
戦闘で活躍するのは、やはり男。
王は戦略上の能力が優れていなければならなかったし、その男系の子孫はそれを受け継ぐ
可能性が高いと考えられた。

ここからが、女帝の話。
騎馬民族では、戦時に王が亡くなることも少なくなかった。
その場合、後継者を決定するまでの間(長男とは限らないからね)、誰かをリーダーにして
まとまらなければならない。

そう、ここで女帝だ。
後継者が決まるまでの間、王の妻、多くの場合正妻が、一時的に王の代理となる。
これが、騎馬民族の女帝。

そして、日本の女帝も全てこのケースだ。
初期の大和朝廷には、騎馬民族の風習が残っていたわけ。