5世紀の宋書(そうしょ)には、倭王武が宋の天子に送った条章文が引用されている。
倭王武は、第21代 雄略天皇(大泊瀬幼武尊)であるが、
東の55国、西の66国、北は、海を渡りて海北九十五國を平定し国内統一を進めたことが
述べられている。
魏志倭人伝と併せもつと、東も西も北も海を隔てて国があることが分かる。
皆、倭種だと述べられている。唯一四国しか、在り得ないだろう。
この一文から、四国(阿波)から見た、東は近畿、西は九州、北は中国地方を指す。
つまり、雄略天皇が阿波に居た証拠でもある。