旧唐書
「日本國者,倭國之別種也。」
日本国は倭国の別の国号である
→今後はこれまで倭国と呼んでいた国を日本国として記すという説明

「以其國在日邊,故以日本爲名。」
その国が日の出の方角にあるという理由で、日本と名乗るようにした
→あるいはいうの前のここまでが本論であり、これが旧唐書撰者の公式見解

「或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。」
あるいは曰う、倭国が自らその「倭」が雅でないことを嫌い、国号を日本に改めた
→別伝の紹介:改号の理由の推定 上記の本論と齟齬はない

「或云:日本舊小國,併倭國之地。」
あるいは云う、日本は旧くは小国で、倭国の地を一つの国とした
→別伝の紹介:日本(旧倭国)は最初から全国政権ではなかったが、
 倭国の地全体を一つの国とした(併せた)
 これは宋書の倭王武の上表文
 「自昔祖禰躬甲冑跋渉山川不遑寧處 
  東征毛人五十五國
  西服衆夷六十六國
  渡平海北九十五國
  王道融泰廓土遐畿」の意訳