昨日調べてまたびっくりしたのは、

和邇氏の祖とされる孝昭天皇
御名 ミマツヒコカエシネ であるが
同じような名前のミマツヒコイロトを祭神とするミマツヒコ神社がなんと阿波にはある。

これは実は実に系譜として怪しいと言われる
海部氏勘中系図に
倭宿禰の系の一方でその孝昭天皇の皇后となったおきつよその妹 が出る
おきつよそは丹波与謝在地の母系であろうが
海部氏は 丹波からヤマトに来る前に東播磨を経由したとみられ
ヤマトが直接奈良盆地を指すのではなく
阿波に来たのなら

出雲口承でいう
海部氏の村雲がヤマトの初代大王で
安寧天皇までは登美家から三代続けて后妃を出したから磯城王朝と呼ばれたが
いきなり断絶してミマツヒコカエシネ孝昭天皇が
登場することと整合するのである

なんとなれば安寧天皇の子に和知津見がおり
これが「淡路宮にいた」ということとも整合する