記紀厨の歴史談義はまあ、かまわんが、
安曇氏に姓を与えたのは、大和朝廷だろ。
ワダツミを始祖とするなら、そのワダツミ概念の衆知はいつからだ?

志賀島に神社を置いたのが、安曇族なのでであって
安曇族の朝廷系豪族化以前から、記紀神に比定出来る始祖神なんてもんは無い。

氏族神みたいなこういう神社信仰は、朝廷権力確定が認知可能な
最古で倭の五王400年〜神道の必然が出来たと推測できる
仏教公伝500年辺りと同時期に普及した信仰だろ。
記紀の普及に便乗しない古神道奈良だがw

氏族、豪族の発生だって、倭人伝で九州の非統一が判る、247年以降で
半島進出、富国強兵が総力化する313年付近と見るのが妥当だろ。

当時の日本の富国強兵政策で
漢四郡の遺民の軍師化は案外有力だったんじゃないのかな?