>>589
589で述べられていることは、平安時代になってからの系譜などによった解釈であって、その系譜がみな根拠を欠いている。
肝心かなめの筑前安曇氏が、いつから筑前にいるのかということが資料によって何一つ確認されていない。
書紀に書かれている(志鹿の草)が安曇氏であるのなら、少なくとも神功のときには志賀に安曇氏はいたと考えることができる。
しかし、この(草)が安曇氏だとの確証はないのよ。
ワイがいっとることは、志賀で綿津見を祀っている安曇氏は、後代に畿内からやってきた一族の可能性もあるのではないかというもの。
推測だな。
証拠はない。
しかし、お前さんらは、志賀に元々から安曇氏がいて、摂津などへも移住したのだというてるの。
だから、志賀に元々から安曇氏がいたという証拠をだしたまえというてるわけよ。
ごく普通の要望だよ。