まあしかし、摂津安曇氏と住吉大社の津守氏が同族である可能性は高い。
住吉大社神代記では、豊玉彦の名を津守安必登神(つもりのあらひとかみ?)と書いている。
また、これを延喜式神名帳では、津守安人神(つもりのあらひとかみ?)と明確に書いている。
この安必登神、安人神は、現人神(あらひとかみ)の意味だとされている。
那珂川の現人神社の社名の由来も、ここにあるのかも知れない。
この安人神を単純に発音すれば(あと)であり、安曇氏の読みを(あどん)とするのと発音がよく似ているのだ。
安曇の漢字の由来は、この(あと)(あどん)にある可能性があるのである。
志賀の阿曇氏は、安ではなく阿としているが、しょせん発音自体は(あ)であることに変わりはない。
であれば、安曇氏は津守氏と同族であり、津守氏から分かれたのが摂津の安曇氏だと解釈されることになる。
アズミの発音については、(あと=安人=豊玉彦)と綿津見(わたつみ)の二神の(あと)の(あ)と(わたつみ)の(つみ)を掛け合わせたものであることが容易に推測できる。
この(安+津見)に安曇の漢字を当てたのが、安曇(あずみ)ということであろう。曇(どん)の字が当てられたのは、豊玉彦を安人(あどん)と発音することがあったからだろう。
このようにみると、すべては住吉大社神代記に記す(安人=あと・あどん)から発していることになる。
やはり、安曇の発祥は摂津と考えるのがいいようだ。
このように考えると、綿津見を豊玉彦と同神とみなすようになるのは、安曇氏が志賀に進出して奴国系海人が祀っていた綿津見を自らが祀るようになってからと考えるのが自然である。