歴史より先に後付けの記紀が、
お前らの頭に有るからおかしい、ってのが理解できてるか?
邪馬台国が、後の大和朝廷と合流したのは、
240年以降で280年辺りまでと考えられる。

これは公孫氏滅亡で、それまで青銅などの輸入が途絶えたことが原因。
半島の韓王朝も246年に倒れ、卑弥呼の外交では、九州も滅びたであろうこと。

この時は、倭人伝読むまでもなく、安曇の連なんて存在しないのは判るか?
13歳だった壹與が嫁ぐ みたいな戦国調略による併合だろ?
これによって対中華防衛で、日本が軍事化で古墳時代が始まる。

銅鐸が消えるのも、重農政策から富国強兵への切り替えで
縄文以来の、なにがしかの勢力との協調が有ったからだ。

313年の韓四郡滅亡後は、半島進出や富国強兵が総力化する。
400年〜500年、倭王は、南朝に対し、自ら漢字名を名乗った節がある。

氏姓を伴う貴族の豪族化もこのころから、と考えられ、
記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。

安曇族の始祖神が、神功皇后や朝廷とかかわりを持つ
なんてのは、時系列がデタラメにならないと成立しないファンタジー。
海神ワタツミを始祖としして祀れ、という、冠位格式のご都合成立以降の話だ。