先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 21 [無断転載禁止]©2ch.net
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先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか? テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目ということはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!!
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
CURL貼り付けたかったら貼る
○自分の先祖を語るスレ○
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/mukashi/1172634664/
【源平】お前らのご先祖様を語れ!【藤橘】
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1232458748/
戦国大名の家柄や先祖について
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190452733/
みんなの家紋ってどんなの?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/live/1390913655/
家柄ってなんだろう?
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1402948559/
前スレ
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 20
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1411232212/ ┬1 父──┬3 祖父─┬7 曾祖父┬15高祖父
│ │ │ └16高祖母
│ │ └8 曾祖母┬17高祖父
│ │ └18高祖母
│ └4 祖母─┬9 曾祖父┬19高祖父
│ │ └20高祖母
│ └10曾祖母┬21高祖父
│ └22高祖母
└2 母──┬5 祖父─┬11曾祖父┬23高祖父
│ │ └24高祖母
│ └12曾祖母┬25高祖父
│ └26高祖母
└6 祖母─┬13曾祖父┬27高祖父
│ └28高祖母
└14曾祖母┬29高祖父
└30高祖母 このスレは、戸籍謄本、過去帳、墓碑銘、人別帳、系図などから先祖を探すスレです。
しかし、最近遺伝子のハプロタイプを趣味で調べる人も増えています
希望すれば、誰でもDNA検査が受けられる現在、生物学的先祖は、安い物で5世代、やや値の
張るもので、15世代くらいは明確に遡れます。
Y染色体ハプロタイプは、
古いテンプレの 1高祖父→ 17曽祖父→25祖父→ 29父→ 31貴男
新しいテンプレの 15高祖父→7曾祖父→3祖父→1父→0貴男
mtDNAは、
古いテンプレの 16高祖母→ 24曾祖母→ 28祖母→30母→31貴男女
新しいテンプレの 30高祖母→ 14曾祖母→6 祖母→2 母→ 0貴男女
と継承されています。
↑の話題は↓のスレでどうぞ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/ 結局血筋が一番安定していて確証高いのは上層農家だよな よばいとか、養子とかもらってたりしたら、わからなくなるんじゃあ? 養子ってたいていは親戚から入るから。
嫁に行った姉か妹の子を養子にもらうとか、婿入りした・養子入りした弟なり従兄弟なりの子をもらうとかが主流で、
血縁関係もない人間が養子に入るのは少数派。
それに、主君のことかが養子に入る血縁関係の無い養子って、たいていは婿養子だよ。 そうそう、「養子」としか書いてないんだけど、調べてみると婿養子の場合が多い。 かと言って100%血縁関係と言えるのかと言えばそうでもない。 たしか、とある調査の結果では相続事例の3割強が養子、その養子の9割が婿養子だったっけ? >>13
「○○の場合が多い」というのは「100%○○である」という意味ではないからな。 どうだろうな
上級農家は養子を迎えてでも家を存続させる例が多い一方で、一般農家は標準的自作農レベル(およびそれ以下)だと、
跡継ぎが居ないとそのまま断絶って家が多かったらしいから、血筋以前に家ごと安定してなかった。
それと比べたら上級農家の方が安定度が高かったとは言えるだろうが……
ぶっちゃけ武士と大差ない程度の安定性だろ 武士ってどのレベルよ
武士も大名から非差別レベルまでいんだけど。 >>11そりゃそうだけど昔の血縁関係は今と違って濃いからね。
庄屋とかで同郡から養子に来たって何代か前は血は繋がってるわけだし。
まあ、そんなこと言い出したら中規模の藩なんかほとんど親戚だらけだろうし
(同じぐらいの格式の家ならば) 仮冒すりゃ過去のどんな偉人の子孫になれるから気にする必要ない >>19
婚姻関係を結ぶ相手が少ないから、候補になるような相手はたいてい血縁関係って事になる。
それを逆に言うから、血縁関係のある人を養子にするという表現になる。
親戚の人数は、それほどすごく多いわけではないと思う。
大名だと側室も居るから子どもが多い分だけ親戚も多いけど、
大名以外は側室とかも少ない(側室じゃなく妾だが、何人も抱えるような財力のある人は滅多にいないし)から、
養子を迎える候補になるような近縁の親戚は数家ぐらいしかないのが普通じゃないのかな。 先祖の没年が万延二年四月になってたんだが、
この元号は二月に改元されていたのにこういうことはありえるんだろうか? >>22
中央の情報が地方に波及するまで相当な時間がかかったらしい。
そういうこともあったんじゃないだろうか。 >>23
田舎とはいえ東海道沿いなんだけどなー。まあ二ヶ月ぐらいならありえるのかな うちの近所は、明治〜昭和前半でも従兄弟婚が多いわ。
先祖はここでいう上級農家だが、わりと遠方からも嫁取りしてるけどな。
村の普通の家ー村内か隣村。
うちの先祖ー郡内
近隣の村の庄屋同士が嫁取りしてる感じ。
そのうちいとこになるけどな。
爺さんの妹が嫁に行ったのは、爺さんの叔母の嫁ぎ先とか。
婿もいるな。養子は、まずは甥姪から。 >>25
庄屋とかは、普通そんな感じだろ
庄屋どうしの婚姻が基本で同村ではなく近隣村の人が多い、ときに離れた村の庄屋の時もある、っての 調べたらアシュケナージじゃなく
本物のユダヤ人の直系だったわ
困ったな 10年くらい前に現在の戸籍と除籍の戸籍もらってきて
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/8/88/%E6%88%B8%E7%B1%8D%E8%AC%84%E6%9C%AC.PNG/1280px-%E6%88%B8%E7%B1%8D%E8%AC%84%E6%9C%AC.PNG
(画像はwikipediaから戸籍謄本)
上の様な一般的な戸籍がでてきたんですけど
現在の戸籍はすべてワープロ打ちされてるんですが
除籍の方は一部(一文)だけが雑な手書きになっています
草書とかではなく雑で読みづらい
昭和30年代後半作成の除籍の戸籍
その一文は昭和40年代前半の書き込み
直接役所に行ったので
「やべっ「注文」来たけどまだワープロ打ちしてないぞ!
「客」待たしちゃいけない手書きで書いとけ!」
見たいなのってあるでしょうか
そこだけ手書きの理由わかりますでしょうか >>30
自治体によるのかもしれませんが、戸籍はマイクロフィルムに撮影して保管しており、
あとからワープロで打ち直す事はないです。
当時から、そこだけ手書きにしたのでしょうね。
その理由は当時の戸籍係にしかわかりませんが、おそらく、些細な事だと思います。
昭和40年代前半ならタイプライターかなと思いますが、それが故障していたとかですね。
マイクロフィルムの場合、手書きの部分が読みづらいというのは、よくある話です。
それは、縮小印刷されてるからです。
A3用紙に書かれていた紙戸籍を撮影してフィルムで保管しておき、
それをA4サイズの紙に印刷してあなたに渡したと推察します。 もっと古い戸籍だと毛筆書きだよな、達筆で読めないのもある気がする 近々他県の役所にさらに古い時代の除籍の戸籍を取りにいこうと思ってたんで
いきなり行くと向こうに時間がないため手書きのパターンがあるかと思い
だったら郵便で請求の方が向こうに時間の余裕があるため良いかと思い聞いてみました
そこに関しては実際に行っても郵便でも変わらなそうですね
ありがとうございました
逆に雑な手書きをワープロ等で打ち直してくれたらとも思いますがw 時間がないとかじゃなくて単に原本コピーだから
明治とかのだと草書か行書か分からんけど崩し字のことも多くて読めないよ
崩し字の勉強が不可欠。
打ち直してくれたりはしないから。というか、役所の人も読めないことさえあるレベル マイクロフィルム系はゴミなんかがまざったりしてて解読困難になるんだよな
「亡父」と書いてあると解読するのに割と時間かかったことがある >>29
アシュケナジーも8割は本物
2割がハザール国教化からのユダヤ教徒
この辺は既に遺伝学で証明されてる デーブ・スペクター
ヒトラーの名前が出ると表情をピリピリさせてた ファミリーヒストリーを愉しもう!意外とカンタンに分かる自分のルーツ
http://mainichi.jp/sunday/articles/20160427/org/00m/040/005000d
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/05/09/20160509org00m040073000p/9.jpg
家系図を作成したり、先祖の墓を訪ね歩く人が増えている。相続対策といった実務的な用途でなく、先祖をたどるのが目的だ。
聞き取りを代行をしたり、家族史作成の手助けをする会社も出てきた。人はなぜ、「ルーツ探し」にひきつけられるのだろうか。
NHKのテレビ番組「ファミリーヒストリー」が人気だ。有名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、映像で再現するドキュメンタリー。
驚きあり、感動ありの秘話にゲストは号泣し、視聴者も思わずもらい泣きしてしまう。ハマる人が続出しているのだ。
「家族史を書きたいという人が増えているのも、ファミリーヒストリーの影響でしょう」
そう話すのは「自分史活用推進協議会」の前田義寛代表理事だ。
「市井の人にもドラマチックなストーリーがあることに感動し、自分もルーツをたどってみたい気持ちに駆られるのでしょう。
家族史を書かれた方の中には、がんで余命宣告を受けてから先祖の足跡をたどったり、遺産相続でもめたことをきっかけに家族に目を向けるようになった人もいました」
海軍航空隊を描き、2013年に映画化された百田(ひやくた)尚樹氏の小説『永遠の0(ゼロ)』の影響もあってか、戦争体験のある祖父らの軍歴照会をする人も増えている。
日本海軍の軍人・軍属の人事記録を管理する厚生労働省によると、13年度の638件が14年度は1656件、15年度は1869件と急増している。
「理由は明確には分かりませんが、請求が増え始めた時期を考えると、小説や戦後70年の影響があるのではないか」と担当者は話す。
家系調査や家系図作りを手伝う専門会社「ファミリーヒストリー記録社」(東京都足立区)にも、依頼が年々増えているという。代表の吉田富美子さんはこう話す。
「定年になって時間に余裕ができた団塊世代が半生を振り返ったり、女性だけの姉妹で家系が途絶えてしまうため、
一族の記録を残しておきたい、といった相談もあります。高齢の親に家系図をプレゼントしたい、という依頼も多いですね」 ルーツをたどると元気になる
吉田さんがファミリーヒストリー記録社を立ち上げたきっかけは家族の病だった。
40代後半にさしかかった頃、北海道根室市に住む父(当時82歳)が病に倒れた。
「今のうちに話を聞いておかなければ、父の人生も先祖のことも、永遠に分からなくなってしまう、という切羽詰まった気持ちになったのです」(吉田さん)
東京―根室間の長電話で、父芳郎さんから昔話を聞き出した。
芳郎さんは水産物の仲買いをしながら男手一つで4人の子どもを育て上げた。
「父が北方領土の歯舞群島(はぼまいぐんとう)出身であることは知っていましたが、その後のことはほとんど知りませんでした。
『この頃はどうしていたの?』『その次はどうしたの?』と根掘り葉掘り聞いていくうちに、これまで聞いたこともなかった話が次々出てきたのです」(同)
空襲で焼け野原になった根室で、芳郎さんは小学校の用務員や船大工などさまざまな仕事に就いた末に、昆布売りの商売にたどり着く。
その結果、昆布の行商に出た東北地方で母と出会い、結婚したことも初めて知った。
「父自身も、話しているうちに自分でも忘れていた記憶がよみがえってきたのでしょうね。
『そういえば言い忘れていたんだが……』と自分から電話をかけてくることもありました」(同)
聞き取った話を2年かけて1冊の冊子にまとめ、親戚たちに配ると「宝物だ」と喜ばれた。
ホームヘルパーの資格を取り、高齢者施設を訪ねてお年寄りに話を聞くと、関東大震災や東京大空襲の話を一生懸命に話してくれた。
家族史の需要があることを確信し、13年、吉田さんは30年近く勤務してきた食品開発研究会社の研究課長を辞めて「ファミリーヒストリー記録社」を起業する。 同社はルーツ調査から家族史の聞き書き、書籍出版まで手掛けるが、最も多い依頼はルーツ調査と家系図作成だという。
具体的にどのように家系図を作るかは後述するとして、吉田さんの印象に残る二つの事例を紹介しよう。
札幌市在住の60代男性は、山形県の大きな造り酒屋だった先祖のことを調べたい、と連絡してきた。
親戚の間では「先祖が身上をつぶしたために山形から北海道に渡った」と言い伝えられているが、その話が真実なのかどうかを確かめたい、という依頼だった。
吉田さんが山形県のある町に問い合わせたところ、江戸末期の絵地図が見つかった。そこには依頼者の先祖の名字が書かれていた。
絵地図の原本が保存されている大阪の国立民族学博物館に尋ねると、町の歴史記録があるという。
その記録には、明治17(1884)年、町が大火に見舞われ、酒蔵の大半が焼失したことが記されていた。
「依頼者の先祖は火事の翌年に北海道に渡っていました。つまり、放蕩(ほうとう)などで身上をつぶしたわけではなく、火事で焼け出され、新天地で出直すためだった可能性があるのです。その調査結果をお伝えしました」(吉田さん)
先祖が苦難を懸命に生き抜いた足跡を知ることができたと依頼者は感激し、生き残っている山形の親族を近々訪ねてみる予定だという。
「平凡だと思っていた親や祖父母が波瀾(はらん)万丈の人生を送っていたり、
戦争や災害に翻弄(ほんろう)されながら生き抜いた先祖がいてくれたから自分が存在する、ということを実感するのでしょう。
家系図を作り終えると『すっきりした』とおっしゃる人が少なくありません。ルーツを調べ始めてから元気になる人も多いですね」(同) 福岡市在住の50代の依頼者は、珍しい自分の名字の由来を調べたいと依頼してきた。
「先祖の中には南米ペルーに移住した人がいる」という情報を頼りに、吉田さんは横浜にある海外移住資料館で移住者名簿を調べた。
1000ページほどある黄ばんでボロボロの名簿を何時間も繰り、「もうないだろう」と諦めかけた時、最後の方のページに依頼者と同じ名字を発見したという。
名簿にはペルーでの居住地や職業も記されていた。
さらに「旧土地台帳」や最も古い本籍地の歴史を調べていくと、字(あざ)名が名字の由来と推定され、加藤清正の統治時代の新田開発の際に農家を始めたのではないか、と推測できたという。
ルーツ探しはミステリー小説を読むような「謎解き」の面白さがあり、ロマンや感動にあふれている。
しかし、常に芋づる式にスルスル歴史が明らかになっていくわけではない。
「自治体によっては戸籍謄本が廃棄されていたり焼失していたり、壁にブチ当たることも少なくありません。
諦めずに本籍に近いお墓を訪ねてみたり、現地の郷土史を調べるなど“足で稼ぐ”と何かがつかめます」(吉田さん) 吉原を一晩貸しきった!?ご先祖様
「先祖探し」という珍しい肩書を持つ行政書士の丸山学さんは、依頼人のために全国を飛び回っている。丸山さんは自身の家系を調査したこともある。
「今から30年ほど前に、私の親族が独自に家系調査をして詳細な記録を冊子に残してくれていました。
かなりの正確性をもって江戸時代の始まりの頃までたどることができていました。
それをもとに、自分自身でもさかのぼれるだけ戸籍・除籍簿謄本を取得したり、本籍地を歩いて調査しました」
冊子によると、先祖は江戸時代に某村の名主(なぬし)であったことが分かった。
かなり裕福な名主で、藩に財政面で頼られることも多々あったようだが、ときどき放蕩する当主もいたことが読みとれた。
「中には江戸の吉原の大門を閉めさせた人もいた、といったことが書かれていました。『大門を閉めさせる』というのは吉原を一晩貸しきることを意味します」 丸山さんは続ける。
「私自身、『仕事を頑張ったから皆で高級レストランにでも行って飲み食いしよう』と太っ腹に仕事仲間を誘うことがあり、
『吉原を貸し切ってうんぬん』という話を読むと、その血が流れているのかな、と苦笑してしまいました」
先祖たどりはいい情報ばかりが得られるわけではない。
たとえば一揆を扇動した罪で処罰されている、などショッキングな事実に出合うかもしれない。丸山さんはこう話す。
「多くの先祖探しに関わっている私は、だれにも連綿と続く先祖の存在があり、その末に今ここにその人が生きているのだ、と実感します。
良いことも悪いことも含めて受け止め、慈しむ度量が求められます」
最近は、「終活」の一環で家系図作成を行うセミナーも増えている。講師の依頼を受ける先の吉田さんはこう話す。
「家系図を作る過程で、両親、祖父母、曽祖父母がつなげてきてくれた命の重みを感じることができます。
自分も歴史の1ページになっていくのだ、と自覚でき、死が怖くなくなったという方もいらっしゃるようです」
閉塞(へいそく)感あふれ、不安だらけの現代だからこそ、ルーツ探しで家族や親族、先祖との絆を再確認し、
自分が存在する意味を確認する人が増えているのかもしれない。
(本誌・藤後野里子) ◆「先祖探し」のプロに聞く 家系図を作るツボ
本文に登場した行政書士の丸山さんに、素人でもできる家系図作りのツボを聞いた。
先祖調べの第一歩は「戸籍謄本」集め
戸籍は最も信頼できる公文書で、だれでもほぼ確実にルーツをたどることができる。
「現在取得できる最も古い戸籍は1886年改正の『明治19年式』と呼ばれる戸籍で、その時に生きていた人と、
その父親名まで記載されているのが原則です。これを取得すれば幕末を生きた先祖の名前までは判明します。
代にして4代〜5代前の先祖まで、200年ぐらい簡単にさかのぼれることに皆さん、驚かれますね」
戸籍は本籍のある市区町村の役所で入手する。
「戸籍証明書等請求書」に必要事項を記入して、本人確認ができる書類(運転免許証など)を添えて提出する。
請求書には「個人事項証明書」(抄本)と「全部事項証明書」(謄本)の欄があるが、先祖をたどるのが目的のため、「全部事項」にチェックを入れる。
全国どこの役所でも郵送で取得できる。
市区町村のホームページにある「戸籍証明書等請求書」をダウンロードし、
必要事項を記入して定額小為替(郵便局で購入できる)や申請書、本人確認書類のコピーなどを同封して取得する。
「戸籍は除籍(戸籍内の全員が死亡・婚姻等で抜けていなくなった状態)から150年経過すると廃棄してもよい決まりがあり(以前は80年で廃棄)、
取れるうちに取れるものは入手しておいた方がいいでしょう」
集めた謄本の親子、婚姻関係を見ながら家系図を組んでいく。
「最近は家族や親族の氏名や生年月日などを打ち込めば簡単に出来上がる家系図作成ソフトも出ています」 地名辞典や郷土史で先祖の「匂い」をかぐ
古い戸籍を取得したら本籍地を地名辞典で調べてみよう。
角川書店の『角川日本地名大辞典』や平凡社の『日本歴史地名大系』が有名で、ある程度大きな図書館には所蔵されている。
「国会図書館や都道府県の図書館には郷土史があります。郷土史からは先祖の暮らしぶりを肌で感じることができます」
先祖が暮らした土地や時代の雰囲気を感じ取るには、やはり現場に足を運ぶことだ。丸山さんはこうアドバイスする。
「現地に行く前に、本籍地周辺に自分と同姓の人がいないかを電話帳などで調べて手紙を出してみるといいでしょう。
自家の菩提(ぼ だい)寺や墓のある場所が意外に簡単に判明するかもしれませんし、手紙を出した人の協力が得られれば調査が一気に進む可能性があります」
墓は情報の宝庫
現地調査の基本は墓だ。
墓石の年号をみれば、明治維新や関東大震災、第二次世界大戦など歴史と先祖の歩んだ人生を重ね合わせることができる。
「飢饉(ききん)や戦禍に翻弄されながらも歯を食いしばってたくましく生き、子孫をのこしてくれたことに特別な感慨がこみ上げてきます」
行政機関や旧家には、先祖が暮らした村の江戸期の古文書(宗門人別帳や検地帳など)が存在している可能性がある。
武士の家であれば「分限帳」という記録が残っている可能性もある。
「分限帳には全藩士の名前や年収(知行高、扶持)まで記されています。現在でいう給与明細のようなもので、暮らしぶりが読み取れます」
軍隊経験の調べ方
先祖の戦争体験を調べるには「兵籍簿」の写しや情報を取得する。
陸軍は都道府県、海軍は厚生労働省が保管していて、直系の子孫であれば閲覧、取得することができる。
(サンデー毎日2016年5月8・15日号から) 出版社含め、現在のメディア=ストーカーだと言っている人がいたよ
犯罪のような事をしていると
地皇帝も言っていたでしょ こーゆーことを言っている
何も知らなかった者たちに
知恵を与えてしまった
言葉や文字の読み書き、〇に△□、
そして現在のような状況になった 鳥越俊太郎の家系図はデタラメだった NHK「ファミリーヒストリー」で紹介
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/05181700/?all=1
家系図は怪しいにしても、同族だと思うけどね
明確な繋がりがわからないってよくあることだし 系図を整え始めたのが江戸初期ぐらいだから戦国期は良く分からん家が多い。
徳川だって良く分からんのを無理やり繋げた
ただ、片方が嫌がってるのがね。大体は家の方が直系ですって揉めるもんだけどねww 家系図なんてもんは基本的に中国や朝鮮の文化だからなあ。
どこも適当よ。
日本最初の家系図の尊卑分脈は室町時代だし、それですら間違いもある。
大体、近所の年寄りらに聞けば、あそこが本家、大元だろうってくらいは分かる。
裏を返せばそのくらいの口伝しか信頼性がないし、どんな立派な家系図よりそちらが優先する。 本家も実際は分かりづらいけどね。大体は隠居分家が原因だけど
位牌等がたくさんあっても分家ってことはあるんだよ >>53
本家で墓石を新調したからと古い墓石を有力分家がもらい受けたりとか、
わりと譲渡例もあるんだよな 長男がさっさと独立して、次男が親戚に養子に行って
三男が跡を継いでたりすることもあるしね
まあ 関係がはっきり分かってるうちはいいんだけど
後世になると曖昧になるから、うちが本家だ、いやうちが的ないざこざがあったりするんだよねw >>55
真田幸村みたいな例も複雑だよな
先代昌幸と一緒に大坂方についた信繁と徳川についた家督の信之
もし万が一、信繁が大坂方勝利で大名になってたら、兄信之と弟信繁とどちらが本家と言えてたのやら 江戸時代に分家の過程で、姓が少し変わることってある?
例えば桑山が糸山とか。 家系図なんか、簡単に捏造できるんじゃけぇ意味無ぁが、
わしは博物館に記録が残っとるけぇのう。 苗字を使わない期間が何世代も続いたとかで、元の苗字を忘れちゃったんならば桑から糸みたいな誤読っぽい変換は起きそうな気がする >>56
真田家は豊臣政権下で昌幸の後継は信繁で信之は沼田で別家のような形になったが
結局は上田も信之のものになって目出度し目出度し。
武家は知行の相続があるから判りやすいけども農家はバンバン分家出していくから
江戸初期に200石持ち高でも幕末には20〜40石程度まで持ち高を下げてても
悠々自適に生活出来たらしい
そんで分家が相当数と・・・そんで隠居分家やらなんやらで訳ワカメ。
新田開発で本家が新田の方に引っ越してしまうこともあるし。そうすると
元家に住む弟は一応は宗家と名乗るけど・・・と色んなパターンがある。 >>56
うん、史実としてはそんな感じなんだが、もし大坂の冬&夏の陣の結果が異なってて信繁がどこかに領地を得てお家再興ができてたとしたら、
信之の子孫と信繁の子孫の間で本家争いが起きててもおかしくないよなってこと そりゃあ張り合いくらいは起きただろうな。
越前家がそうだし。 宇和島伊達家って長子(側室腹)だけどどっちが本家筋になるのだろうか? 長幼の序が最重要視されるようになった時期よりも伊達秀宗が生まれた時期の方が早いんだから、
秀宗の頃には長幼の序よりも生母の家格の方が重視されていたと考えるべきだろ
母方の格式の差ってのは後ろ盾の強さの差って意味でもあるんだから、長幼の序が最優先されるより以前なら後ろ盾の弱い庶子は後継の資格が無いも同然
長子であっても庶子では跡継ぎにはなれないのが当然で、もちろん宇和島伊達家が分家ということになる 大河ドラマ見たら分かるやん
宇和島って超僻地だな四国の裏裏側じゃん家康性格悪すぎ 豊臣政権が続いてたら 秀宗が継いでたんじゃない
宇和島伊達家は一応 別家って形になってるけど
まあ 明治維新の功労で 爵位は仙台伊達家より上なんだよねw >>65
大河ドラマはフィクションだぞ
大筋だけは史実に沿ってるけど、価値観とか論理とかは現代風 >>2
番号の付け方だけど、2進数知ってたら
便宜上本人を1にするほうがいいんだけどな
1当人┬2父┬4祖父┬8曾祖父┬16高祖父
___│__│___│____└17高祖母
___│__│___└9曾祖母┬18高祖父
___│__│________└19高祖母
___│__└5祖母┬10曾祖父┬20高祖父
___│______│____└21高祖母
___│______└11曾祖母┬22高祖父
___│___________└23高祖母
___└3母┬6祖父┬12曾祖父┬24高祖父
______│___│____└25高祖母
______│___└13曾祖母┬26高祖父
______│________└27高祖母
______└7祖母┬14曾祖父┬28高祖父
__________│____└29高祖母
__________└15曾祖母┬30高祖父
_______________└31高祖母
父親を辿る場合は数を2倍すればいい
母親を辿る場合は数を2倍して1足せばいい
2進数で表すと
1 自分
10 父親
11 母親
100 父方祖父
101 父方祖母
110 母方祖父
111 母方祖母
・・・ 来週の「アウトデラックス」に尊氏の子孫だとかいう女の子が出演するって予告で見たんだけど、
平島公方系なのか喜連川系(途中で他家の養子が入るから厳密には子孫じゃないけど)なのか、はたまた仮冒なのか気になる・・・。 先祖を辿る場合って、誰を軸に辿ればいいのかアドバイスください
祖母(旧姓鈴木)が田中氏と結婚。男児誕生
田中氏と男児、戦争で死亡。
〜
祖母(田中)、祖父(旧姓小林)と再婚、苗字は田中になる。
男児Aと女児Bが誕生。
Bが俺の父親なんだけれど、
この場合の先祖って田中家を調べるもの?
祖母の旧姓鈴木を辿るのか、祖父小林を辿るのか、先夫の田中家を辿るのか…
みんなは血筋を辿っているの?苗字(家)を辿っているの?
でも家制度って数十年しかない制度だったし、
家単位の戸籍っ短い期間だよね。
血も繋がっていない田中家を辿るものなのか、好みかも知れないけれど
普通はどうなんだろう
母方の祖父母なら普通に辿れるから、そちらを調べればいいのかな >>73
> 普通はどうなんだろう
普通は家と血が一緒で父系をたどる人の方が多いんじゃないだろうか。
法律でルールが決められてるわけじゃなし、全てたどれる所までたどればいい。 頻繁に血の繋がりがない養子を入れてる旧家の家系図を見ると江戸時代から戦前までなら家重視かな。
どこどこから入れたって記述はあるけど、元の家の記述はそのくらいで、そっちの家系の詳細は不明なのが普通。
何が何でも血縁に重きを置く現代人からすれば血縁を辿るのが違和感ないかもね。 ちょっと興味が出て本家のお墓見たら天正ってあったけど何年前でどんな時代? >>76
興味持ったのならまず自分で調べてみようね
本当に天正なら戦国時代だけど、その頃のお墓はすごく少ないんだ
お墓の形はどんな形?大正との見間違いじゃない?
っていうかまずお爺さん達に聞いてみるのが早いと思うよ^^ >>76
天正は信長の晩年から秀吉の初期(天下統一より前)ぐらい
本当にその頃の墓石なら、文字を読むのは容易ではない
大正を誤読したんじゃないかとは思う >>79
ほぇー。信長秀吉と同じ時代を生きたご先祖様かー。何か色々調べたくなったけどありきたりな名前だから途中で挫折しそうだ。
いや、その後に大正があったし間違いなく天正だったんだ。
ボロボロだったけど無知故に聞いた事かったから何度も読み返した >>77
形まで覚えて無いんだけど最初見たときにお墓って分からなかったぐらい、何だこれ?って感じだったかな?本家の人に聞いてお墓って知った。
もっかい本家に見聞きしてみる。 江戸時代とか戦国時代とかの古い墓だといまの墓石とは形が違うし、分からなくてもおかしくはないな
石の表面に刻んだ文字って、ほんの半世紀前頃の石碑でも雨風で削れたりコケが生えたりで文字を読めなくなる
聞かないと文面は絶対に分からないよな。 砂岩の墓碑でさえ100年は持つというのに、いったいどんな石を使ったら
半世紀で風化するんだ。 花崗岩は火にあぶられると表面がボロボロになるけど、風雪程度ならそうそう劣化しないよ これは墓石なのでしょうか
戒名も無く日付のみ彫られています
日付が2つ彫られている物もあり夫婦墓だと思うのですが
あと右側は墓の飾りですかね?
http://i.imgur.com/7ted0YX.jpg 胸元に玉を抱えているのは薬師如来みたいな出家乞食か。
両手を合わせているのは阿弥陀如来をイメージした信者か。
体にはすにかけるように棒が入っていたら地蔵菩薩かもね。
夫婦仲をそのように表現したものか。
城和あたりだと、阿弥陀如来と地蔵菩薩を並べたこの種の石像が多いよ。 士族の身分が買えるほどの身分特権を持った『よつ』の家系なんだが このスレというか、2ちゃん自体が飽きられてるわな。 天正頃だと戒名刻む習慣も無いだろうな。恐らく年号も無いと思う。
なので後の時代に作ったものだろうけど、それを作る財力がある家と
なるとやはりそれなりの家だろう。 地域とか家によっては書くとこもある
書かないトコの方が多い ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 うちの地方武田の家臣が帰農した家が多いんで母系の方が価値があるんだよな。 >>93
地方やその家によるかと。
うちの地方だと、年長者が重要視されていたようで、長女の夫(養子)が
後を継いで、下に男子が生まれても、分家や養子に出されている。
だから、逆にその男系がどうなったのかが、分からない。 >>81
天正が読める状態であるってすごいな。
うちはたくさん墓石が並んでいるけど、読めるのは享和あたりまでかな。
並んでる順番からするともっと古いのもあるけど、読めないわ。
さらに古いやつは、端っこのほうに固めてある。 >>99
長いこと横倒しになってたり土に埋まってたりしたのを近年立て直したらならありうるな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています