先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 21 [無断転載禁止]©2ch.net
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先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか? テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目ということはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!!
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
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CURL貼り付けたかったら貼る
○自分の先祖を語るスレ○
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/mukashi/1172634664/
【源平】お前らのご先祖様を語れ!【藤橘】
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1232458748/
戦国大名の家柄や先祖について
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190452733/
みんなの家紋ってどんなの?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/live/1390913655/
家柄ってなんだろう?
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/rights/1402948559/
前スレ
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 20
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1411232212/ 田舎で異なると思うが、うちの一族で面白いのが分家と一族は違うってこと
開拓する前に分かれた家が一族で庄屋になって以降に分かれた家が分家。
まあ、分家は財産貰って別れたって意味があるらしい
分家の分家っていうのはどうなるんだろうか?? 分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家の分家 >>307
だから、その偽物と証明された大多数のことを知りたいって言ってるんだよ。 傍系先祖にニューギニアで戦死した人がいた
15日に靖国行って来る >>288
ノーベル賞受賞者が勤めていた島津製作所は社章が島津の家紋
創始者が島津と血縁関係があったわけではなく
京に来た時にいろいろ世話したら、お礼に島津姓と家紋をもらった
こういう例もある 姓を褒美としてやるというのは昔からある。
俺の先祖(某外様大名の家臣)も明治維新の時に、長年自分の家で奉公してくれた家来に褒美として姓をやった。
全国でも少ない姓だが、それが原因で同姓でも一族で血縁のある人と、元家来の子孫で血縁の無い人がいる。
元家来の子孫の中には何故か知らんが一族だと主張する人もいる。
代を重ねる内に、いつしか一族だと思い込んだようだ。
3代くらいしか経ってなくてもそうなるんだよ。
家系の詐称なんて、そうして行われてゆくんだよ。 >>316
我が家も全く同じ状況で奉公人に姓を与えたが、
その一家はいまだに「姓をいただいた」と子孫に言い伝えてる。
家系の詐称が大多数なんて言えないと思う。 もともとは次男以下が家臣になるわけだから、ひょっとしたら外で作った子を体良く家臣にしただけかもしれんしな 秀吉が五大老含め有力者たちに豊臣姓を与えたけど、
それ貰った家はすべて、江戸時代には旧姓に戻してるしな
姓なり苗字なりを貰ったと言っても必ず感謝するとは限らないのでは? 豊臣政権が続いてたらありがたみが大きかっただろうにな
なくなってしまったんだからしかたがない、諸行無常 豊臣姓だよ
源平橘藤+豊ってかんじに。名字・苗字ではないよ。 >>317
>家系の詐称が大多数なんて言えないと思う。
大多数なんて書いてないだろ。 家系の詐称は公家系以外はどこも一緒だろうな
302だが我が家は戦国後期ぐらいまでは辿れるが(寺に記録がある)
それ以前は各家の系図でもばらばら(もとは同じだけど)、どう考えても
江戸期に適当に繋げたwww
いやいやいやいやいやいや、
江戸の大名家はどうのんだよ?
一部の外様や高家以外、見事なまでの家系詐称どころか、
もはや詐欺レベルのおおうそだらけだろが。
幕府すらカンエイ諸家系図伝でも系図や成り上がる前の家柄は自己申告をそのまま性善説で信用するとして信憑性は問わないとしてるから、
まあはひどい酷い
戦国時代以前なんて、そもそも戦国以降に支配者になった輩は成り上がりなんだから詐称が大前提。
名門は戦国時代にことごとく秀吉に滅亡没落させられてんだから。
秀吉様ですら藤原北家だから。
秀吉一門の浅野や木下、日野、杉原なんてのまで
いや、小飼すらみなみな名門源氏諸家だ。
話になんねえよかすが。 徳川の系図が詐称である以上、親藩大名は全部、偽系図だよな
さて、譜代大名には詐称じゃないやつが一人もいないだろうか? >>326
お前が詐称を前提として話してるのはわかるが、それをデータで示してくれと何度もお願いしている。 ネット上で有名武将の子孫だって自称してる人やたらと多いよな
芸能人やスポーツ選手にもたまにいるし
そいつらが詐称してる先祖武将自身もまた詐称してるという詐称の連鎖になってる
先祖が百姓って言ってる人の方が人として信頼できるよな 信頼できるではなく、
戦国以前までの名門たる守護や地頭黒人、在庁官人などの旧来の領主層は秀吉にことごとく滅ぼされ、
それらに仕えし在地武士たる地侍や土豪は江戸時代は大量に庄屋名主、上層農家になった。
かたや、土地もない不動産もない、在地もないというようなないないづくめの秀吉のように父親の出自しら定かではないレベルの輩が傭兵軍人化して江戸期は武士になっていった。
なぜこのような簡単に逆転現象が起きたのかは、
『土地』
土地という本来の旧支配者層の大定義である土地をもつものと持たざる物どもとの価値、すなわちパラダイムが全く相容れないものだったから。
だから旧来の支配者層は土地という守るべきものの象徴にさしがみつき、
かたや持たざる雑多出自不詳どもの傭兵上がりにすれば武士としての給金定期収入に憧れを抱いた。
このパラダイムの差をうまく利用したのが秀吉だった。 だから、江戸の大名家からしてことごとく成り上がりの家系詐称だらけ。
そこに奴隷化された切腹軍団の藩士なんて、戦国時代以前の出自なんて全くわからない奴等ばかりだからな。
徳川は根来みたいな輩や山伏、鍛冶屋、川なめしの甲冑屋まで武士団に加えてるし 。
幕末に薩摩長州の江戸攻撃の際、幕府が兵隊徴兵として頼ったのが江田頭の団差衛門や火消し任侠の恵みやらそんなんだらけだったのみれば、自ずと戦国時代背景が分かるわ。
因みに団差衛門は江田頭から旗本に昇格されてる。
さらには薩摩長州は騎兵隊に代表されるように漁師や猟師、力士やら任侠やらそんなんま借りだし、なんと薩摩長州とも明治の士族にはこれらにも見返りの金の代わりに士族として皆登録させてる始末
近世でこんなんだからな 因みに、薩摩長州は漁師や任侠にまで士族として登録してやり、幕府は弾には旗本、目組の新門辰五郎の娘を将軍慶喜の側室にまでしてやってるのに、
幕末の武家の最高峰の家柄と血統を持つ、
足利将軍家の直系の血筋にしてあらゆる大名家が詐称してる源氏の嫡流たる平島公方足利家の御仁を平民にさせてるからな。
源氏の嫡流にして足利将軍家唯一の直系血統にして、江戸の詐称武士どもが詐称してるその根源たるリアル源氏の直系にして日本最高峰の武家の殿堂名門の 公方足利家が平民で、
糞みたいな足軽やら下級武士みたいな輩が士族だからな。
ありえねえわ 因みに、将軍家と並ぶ帝鑑家たる喜連川家より足利将軍家の直系に近い超絶名門にして、日本唯一のリアル源氏の正統たる平島公方足利家は、
華族を拒否され、士族程度の扱いに成り下がるならと平民とした扱いで帰農してる。
まさに戦国以前の名門たる旧来の支配者層がたどった道を、もろ幕末に辿ってる。
上層百姓こそ開発武士団たる真の由緒正しい家系 >>幕末に活躍した第13代浅草弾左衛門は、長州征伐や鳥羽伏見の戦いで幕府に協力した功労によって、
>>1868年1月に配下65名とともに被差別民から士分に取立てられた。明治維新後に弾直樹と改名し、
土地を持たない近世武士なんてこんなもんだ その弾家は『弾左衛門由緒書』等に依れば、秦から帰化した秦氏(波多氏)を祖先に持つとされ、平正盛の家人であった藤原弾左衛門頼兼が出奔して長吏の頭領におさまり、1180年、鎌倉長吏頭藤原弾左衛門が源頼朝の朱印状を得て中世被差別民の頭領の地位を確立したとされる
だとさ 秦氏って中国系じゃなくて半島系じゃん
秦の始皇帝の関係じゃなくて秦韓(一般には辰韓だが)の方だろ 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」 隋の使節団は「そこの人々は華夏
(の人々=中国の古代国家「夏」)と同じである」と報告している。
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「巴(ともえ)紋」
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
http://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
http://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html >>331
>ネット上で有名武将の子孫だって自称してる
その時点で詐称が多い
有名武将の子孫ですらない >>335
>>華族を拒否され、士族程度の扱いに成り下がるならと平民とした扱いで帰農してる
そらそうだ。足利家は武家じゃない。軍事貴族であって、公卿将軍みたいなもんだから、士族なんて絶対ありえないよ 有名武将の子孫も傍系含めれば多いから竹田宮みたいな目立ちたがり屋があっちこっちで暴れてる可能性もあるから、自称ばかりとは・・・証明できないし。
俺だって田舎では有名な某武将(かなり小者だが)の子孫だから歴史に興味を持ちこの板に出入りしてるし。 >>343
そう思い込んでるだけかもな、
そもそも傍流なんて子孫なんて呼べるレベルじゃなくない?
それこそ傍流なんていったら、歴史的に日本人皆兄弟的な話にだって可能だし だいたい傍流を悪用して家系図は詐称されてるわけで、
傍流なんて遡れば田舎じゃ町全域がみな兄弟になるよまじで。 系図屋に金を払って、詐称した系図を作成してもらってる家は多いからね 大体さ、武田の子孫や織田の子孫とか抜かしてるやつて、武田は高家、織田も寄合や大名家で残ってて直系子孫はいるのに、
武田や織田は戦国時代に滅亡したと勘違いしてる無教養の同苗字の馬鹿が抜かしてるに過ぎないだろ
まあ徳川も戦国時代に滅亡してる得川を自称しはじめたから同じだが、
なかには甘利のようになんの根拠も示せないのに、同苗字と伝承だけであたかもたまたま生き残ってた子孫みたいに発信しちまうからな
まあ、それいうなら島津の頼朝子孫もだな。
もう足利家以外は信用できねえは武家では。 高家武田以外は信憑性は落ちるが満更でもないのが信濃の武田落人伝承かな?
明らかにどこかに逃げてるはずだからな・・・ どこかに落ち延びて現代でも不詳なら武田てなのってた可能性すら低いだろ >>347
何度も言うが、足利家は武家じゃない。軍事貴族だ。公卿だから源姓足利家は。 >>349
重臣系は江戸期に系図提出したりで苗字帯刀許されたりしてるんだけど
武田家系は名乗り出てはいないが・・・場所的に有りそうとかいろいろある。
妄想は色々広がる >>349>>武田てなのってた
「名乗ってた」か・・・伝承的には大体街道から離れた奥まった集落の
小豪族に身を寄せ、娘を娶って婿入りがパターンだが、パターン過ぎて
噓くさ過ぎる。
どっちにしろ地元の土豪辺りが匿ってくれなきゃ話にならんしな >>351
>>重臣系は江戸期に系図提出したりで苗字帯刀許されたりしてるんだけ
千人同心のことですか? 公方足利家クラスの超絶名門すら後の唯一の藩主たる鎌倉公方足利家ですら足利姓を名乗らず喜連川家と改称してんのに、
武田の真の直系なら武田なんて名乗ってる可能性は低いだろ
現在のの藤原みたいなもんだろ 同門であっても、聖子の実家は寺の住職だが?
ほんと、嘘ばかりだな家系なんて、、
こんな有名人ですらこんなんだもんな 武田の末裔を自称してた万引きアイドルとか本物だったらとんでもない事だよな
10万円分くらいのカーテンの万引きしたんだっけか
まぁ万引きする前から子孫会の方から否定されてたが スレ違い、ここは自分の先祖探しのテクニックとエピソードを語るスレ。 >>351
そもそも武田討伐をおこなった織田が数ヵ月後には滅んでるのだから、
生き延びてるならそこで名乗り出てもおかしくないんだよ
逆に言えば、本能寺後のどさくさで、かくまってた家が不運にも滅んで
巻き添えで滅んだ、みたいな事故でもあったのか、もしくは武田滅亡事に逃げ切れずに即時滅亡してたかどちらかだろ 武田の正統な子孫は、信玄の七男か八男くらいの盲目の人で寺に預けられていたとか
上杉に養子に出されてたとかって系統 ttps://ameblo.jp/cohanlights/entry-11085176113.html
疑いだせばきりがないし信用すれば妄想が広がるし。面白いんだな >>361
いい加減な事を書くなよ
武田の正統は、次男の竜芳(盲目で海野家を継いだが甲州征伐時に自害)の子孫
→江戸幕府に正当な子孫として認められ高家になっている
甲州征伐時に上杉に姉(菊姫:上杉景勝の正室)を頼って逃げたのが6男の信清で、
のちに安田家(信濃の旧族)の家督を継いで、安田信清と名乗り上杉家家臣となった 高家武田の16代目が最高顧問を勤める武田家旧温会
http://www.kyuuonkai.net/
若狭の武田家末裔まで居るけど、信用できるの? これだって旧臣は自称だろ
幕末の板垣も、幕末に唐突に武田家臣末裔と抜かして乾から板垣に改姓してるし、
単純にこの会に高額献金してもらえりゃ自称で結構なわけで。 Wikipediaでは
>光秀に勝利した羽柴秀吉・丹羽長秀によって自害を命じられ、若狭武田氏は滅亡した。子の義勝は津川姓、のち佐々姓を名乗り、京極高次に仕えた。
とあるし、いちおう子孫が残ってるってことだろ。武田氏を名乗ってないだけで。 守護大名の武田が、親が猿回しの芸人の日雇い層の秀吉に自害させられるところが堪らないな >>367
いや、よく見ると、若狭武田家26代目当主とはっきり武田を名乗ってる >>359
重臣は武田家滅亡後、江戸時代はどうなったんでしょうか?
苗字帯刀が許されていたということは帰農されてるのでしょうか? 武田家の旧臣の多くは本能寺後の混乱期に徳川の家臣になったはず
ほかに北条氏の家臣になった後で徳川家に従ったのとかも
もちろん他の大名家にいったのも居るしな
真田みたいな立場になったのは少数派 どこかで姓を元の武田に戻したのかもしれない
ほとぼりが冷めた頃に元の姓に戻すという例はいくらでもある
もちろん詐称の可能性も否定できないけどな まあ、明治維新のあたりで戻した人は多いらしいけどさ >>370この板の違うスレで一覧表があったが・・・
長篠で大体死亡で
内藤昌豊の子は一人は信濃に帰農、一人は高遠藩
原虎胤の子孫は千曲錦酒造という会社をやっていて軍配が伝わってると・・・
これには板住人から原昌胤の間違いじゃねーーのという突っ込み多数だった
後は色々あったけどググれば出てくるんじゃないかな?上二件入れて調べてみて 旧恩会では土屋氏の子孫もその後は帰農庄屋であったと紹介してる。 ほとんど大名の出ていない佐久(依田ぐらいか)はほとんど帰農してるわけだし
小県は真田家、諏訪は諏訪家、。静岡神奈川辺りは北条家→徳川家と地域によって身の振り方は変わるだろ つか、24将で徳川に拾ってもらえたやつの方が圧倒的にすくないんたが もっと下の方なら旗本になったヤツが百単位でいた気はするが、上の方は難しかったのかな 真田家は松代移封時に在地系は帰農した。土地を離れるのは中々出来ないんじゃないの?知行制に慣れてた層は別だろうけど 一般の庄屋でも2割3割程度のオーダーで大名の国替えにどうこうしたらしいというのに
まあ江戸時代はじめごろまでだけかもしれんけど 真田は二つに割れたし、どちらに恩を感じていたかでしょう
武田24将系も国人の寄せ集め連合だからね そういや真田家は松代移封時48騎の海野衆が故郷の小県郡に帰農した事件もあったね。
在地被官衆も置いていかれて幕府の目論見通りか >>379
後北条家の上位武将なんて、武田家より酷い扱いで、城主格クラスですら殆ど帰農してるからなあ。 そりゃ上位層が豊臣家の敵として扱われたんだから、いずれ豊臣が滅ぶことを夢見て意図的に雌伏するようなヤツ以外は諦めて帰農するしかなかったんじゃないの 後北条家は上位武将クラスは、反体制勢力とみなされたのと小田原評定とことわざされるように秀吉の勘にさわっようですね。
上位武将クラスだけではなく、
秀吉の小飼、特に浅野氏が埼玉近隣の土豪地侍にまで帰農しろという脅しにもにた書状が送りつけられてるのが鴻巣市に残ってますし。
案の定埼玉の後北条方の武士団では城主の一色家や成田家などの数家以外ことごとく帰農させられてるし。 持たざる者が権力側になったら、持ってた者は追い落とされる
まぁ下克上だよな 皆さんの中には同姓の方に手紙を送った事があるでしょうか?
先祖探しも行き詰まっています、自分の家の事は限界なので同じ苗字の方とかに何か伝承とかないかなと思い手紙を書いて見ようと思います。
でも、何かあったら怖いので躊躇しています、手紙を書いて返信があったり、いい情報を得たりした方はいるでしょうか? 遠い親戚だと確証のある家に手紙出したけど、向こうがびっくりしていろいろ教えてくれって
こっちが教える側になっちまったよ 母方の祖母の実家が武田の末と聞いたことがある家紋も武田の四菱らしい甲斐か若狭かは知らん
その家は和歌山県でなんで武田がいるのかは知らん
高野山の麓だから真田の蟄居みたいななんかの流れで居ついたのだろうか >>390
2017.8.27 05:00
身分・前科記載の「壬申戸籍」ヤフオクに出品…明治5年作成?閲覧の対象外 法務省、ヤフーに削除要請
明治5年に作られた「壬申(じんしん)戸籍」とされる文書が、インターネットのオークションサイト「ヤフオク!」に
出品されていたことが26日、分かった。「士族」「平民」といった当時の身分や前科が記載されている壬申戸籍は本来、
法務局で厳重に保管され、閲覧できない。法務省は、「プライバシー保護の観点から問題がある」などとして、
サイトを運営するヤフーに取引を中止し、文書の画像を削除するよう要請した。
■ヤフー「出品者判断で取り消した」
要請は24日付。文書の真贋(しんがん)は不明だが、法務省は「あたかも本物の戸籍が売買されているように見え、
戸籍行政の信頼を損なうおそれがある」としている。
ヤフーは産経新聞の取材に対し、25日付で「削除は難しい旨を法務省に伝えた」と回答していたが、
入札期限を迎える前の26日午前8時46分、オークションは終了。落札者はいなかった。
ヤフーは「出品者の判断で出品を取り消した」としている。
出品されていたのは「明治5年戸籍」とする文書。20日にオークションが開始され、期間は27日夜までの1週間。
25日午後10時50分時点で22件の入札があり、現在価格は1万5500円だった。
サイトに掲載されていた画像によると、文書はひもでつづられ、住所や名前に加え、「平民」「賃仕事稼」などの記載があった。
徴兵検査に不合格だったとする記載がある人もいた。
壬申戸籍は日本初の統一的な戸籍で、当時の身分や前科のほか、被差別部落の出身者であることが分かるような
記載がされていることもある。
法務省は、昭和43年の通達で壬申戸籍を閲覧対象外にするとともに、封印するよう指示。それまでは市区町村で
本人以外も閲覧可能だったが、現在は厳重に梱包(こんぽう)した上で法務局に保管されており、法務局職員も含め
閲覧することはできない。
法務省は「個人情報である戸籍の取り扱いには留意すべきであり、特に壬申戸籍に関する事案については、
今後も厳正に対処したい」としている。
■145年前の記載…個人情報か否か
インターネットのオークションサイトに出品されていた「壬申戸籍」とされる文書をめぐっては、145年前の戸籍の記載
であっても個人情報にあたるなどとして、法務省が画像削除を要請。一方のヤフーはこれに応じない姿勢を示した。
結局、出品者の判断で出品が取り消されたため売買には至らなかったが、取り消しまでには多数の入札もあり、
人権やプライバシーの保護について課題を残した。
※以下略
http://www.sankei.com/affairs/news/170827/afr1708270002-n1.html >>384-7 戦国後期で各家武士団が充足していて余力がないってのもあると思うけど。
少し図書館で調べものしてたんだが江戸初期に庄屋の扱いがどのようなもので
あったかは 今からは伺い知ることはできないとの前置きで、当初は武士と庄屋は
対等に近かったのでは という説を読んだ。
理由は書状の名前で江戸初期は庄屋も苗字が入り武士と同じ大きさで並んで
書いてあるが、時代が下るごとに庄屋は字が小さくなり左下へ書かれるようになり、
苗字が消え 江戸後期には武士は右側に苗字入りで、庄屋は左端に小さく印と名前
のみになっていったという考察だった。 >>287 役場がすべての旧漢字、新刊時の対応がわかるわけもなく、いい加減に処理されてきた結果だろうな。
意識の高い家系は通達に従った。 >>288 関係あると思うよ。 全く無関係でそんな恐れ多いことをできるわけがない。
少なくとも薩摩家に関係があったんだろう。
ま、宮城の山奥で勝手に名乗ったということもなきにしもあらずだが、都市部だと誤魔化せないと思う。 >>315 戦国時代以降は、大名が味方を増やすために無闇矢鱈に姓と家紋を分け与えてた時代があったからな。
本来姓(かばね)は、朝廷が与えるものだったんだが、かばね姓の他に苗字が使われるようになる後世になると大名が勝手に苗字を与えるようになった。 四辻さんを時々見かけるんだよね
それもあり得ないような地区で >>396
カバネは「宿禰??」とか「朝臣」とかのことだぞ、源平橘藤のはカバネじゃない姓 >>337 諸説あるが、秦氏と、波多氏(羽田氏)はどう見ても別の氏族だよ。
波多氏は、新撰姓氏録には、皇別、真人、朝臣とあるが、秦氏は、諸藩でしかない。
古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/min/1326776604/
古事記などの記録を辿っても、秦氏は綿の栽培や織物を得意としてた、波多氏は天皇家の子孫であり武家。三韓征伐などで副将軍として活躍してる。
うちは、波多氏の子孫で大和国波多郷から鎌倉時代に頼朝の命により地頭として出た。
だからうちの直接の先祖は、氏が波多、姓(かばね)は宿禰、苗字が今の姓(せい)。 元首相の羽田さんが死んだね。 彼は秦氏の子孫だと言ってたからそっちの系統なんだろうな。 波多氏とは別系統。
古事記で波多だったのを波多郷の1人が副将軍になったのを機会に羽田と名乗るようになった。 この系統が日本書紀の編者になったものだから、古事記の波多を日本書紀では全て羽田に書き換えてしまって混乱させる原因になった。
古事記時代は、漢字は単なる表音文字として使ってたからいろんな漢字を使っても間違いではなかった。 詐称であろうが羽田氏があの地域で超絶名門な事に変わりはない 地方名家で留まるのと、室賀みたいに旗本になるのとどこが違うんだろうな 先祖が海軍で戦艦陸奥に乗っていたという情報があるのですが、乗組員の名簿などは存在するのでしょうか? <明智光秀>反信長派への密書の原本発見 本能寺の変直後、室町幕府再興を目指していた★6 [無断転載禁止]©2ch.net 本家は明治期に絶えたがその由来を記した「○○氏先祖来歴之記」の巻物がお寺に伝わっている。
最近読み下し文を入手し内容を読み解いているが、この文の最後は○○氏先祖来歴のあらましを
伝えの侭書記すと云と結んでいる。
ということは事実は伝えるときと書き記したときの2回先祖をよく見せたいというフィルターが掛けられて
いると見るのが普通で、そうすると各事柄ごとに真偽の確認をしたいわけだけど、確認すべき資料は
あるはずもなく途方にくれているのが現状です。
まあ先祖の歴史ロマンとみればなんということはないですが・・・。
ちなみに先祖来歴之記は戦国時代末期の天正10年から18年にかけて泉州の国侍兄弟に起こった
ことが記されており、書かれた年代は鑑定により幕末から明治始め、書いたのは頼山陽門下の者
とされています。 一人で紀州一揆五十餘兵を敗北させたお話
天正12年春、太閤秀吉大阪の城を出勢あらんとせしに紀州の一揆蜂起して妨をなしける故
同国岸和田の城主中村式部小輔是を防ぎけるを助力して一氏が旗下に在しに、
○○勘右衛門は名を得たる強弓の手垂なるぞ弓者共の空穂箙残らず勘右衛門に渡せよと
下知せしがば、矢を算木の如く勘右衛門が前に積置たるを手早に取てさしづめ引つめ
さんざんに射たりしかば紀州一揆五十餘兵一たまりもなく敗北せしとかや
鉄砲で武装した雑賀・根来衆に弓で勝つとは痛快、さてどこまでが本当かな
岸和田にはこのとき城を守ったのは蛸地蔵だったという伝説がある
私はそんな歴史ファンタジーより勘右衛門さんを信じたい 母方の曾祖母の姓が全国で50人もいなさそう
由来を調べてみたが何も出てこなかった >>408
どう考えても史実とは思えんな
誰かが捏造したんでしょうな 旧土地台帳の閲覧をしてきたが明治20年ごろに結構持ち主が変わってるのだが何かあった時期?
地元の旧家も中身結構変わってるのな。意外意外。数百年住んでんのかと思ってたけど結構違うんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています