>>425
ビワは律令時代までに一度伝わっていたものの、長く専ら葉と種子を薬用に用いるだけで、果物としての利用は19世紀に長崎の唐人屋敷で
茂木ビワが発見されてからで、果実の利用が広まるのは田中ビワ(明治期に支那から持ち帰った種子より育成)による。

栽培種のブドウ、言い伝えレベルでは12世紀後半から、実在が確かになるのは16世紀後半の甲州種。栽培は中央高地の一部で限定的。
棚立て袋かけというような栽培法が全国に広まるのは明治期に米州系品種が伝来してから。

ナシ、例外的に日本原産の野生種から育種され、果物としての利用は続いていたが、産業的な栽培は、明治期に長十郎および二十世紀の発生から。

スモモ、律令時代までに伝来、果物としての命脈を保つ。現在主流の品種は、幕末〜明治期にアメリカへ持ち出されたものから里帰りした系統。

モモ、奈良時代までは今でいうヤマモモ(Morella rubra)、以降はバラ科の今でいう桃(Prunus persica)。果実になる品種が伝わっていたが、
薬用として伝わった扁桃(アーモンド)と交雑、果肉が硬く、代わりに大型の花が一斉に咲く性質を得て、果実としての用途は早々に絶え、
花卉としての用途での栽培が1000年近く続く。今の採果用の品種は、明治期に再導入された支那の水蜜桃と西洋種からの育種。