食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 3皿目 [無断転載禁止]©2ch.net
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さっきテレビで「留学生は母国からどんなものを持ってくるのか?」みたいな企画をやってた。
イタリアの留学生はチーズ、ベトナムの留学生は各種調味料や寒天だった。
で、気になったんだが、イギリスからの留学生はやっぱりマーマイトとかスパゲティの缶詰とか持ってくるのかな?
スウェーデンの留学生だとだとシュールストレミング?
日本人なら醤油とか梅干しなんだろうな。 あれ?ここ日本史板か。
世界史板と間違えた。
スマン。 消防のとき給食の麦飯が好きで母に「作ってよー」つったら
横から祖母(昭和3年生)が「いらん!おりゃ食い飽きとる!」と止められた 昔の旅の携行食としておなじみ、炊いた飯を乾燥させた干し飯(ほしいい)
九州の田舎で農家の人がよく作っていた
湯でふやかして食べるのだが、20世紀の世までなぜ生き残っていたのだろうとは思う
実用食なのか、嗜好品としてなのか‥‥ 大根めしは色々レシピがあるからな
家族に戦時中バージョンと小料理屋バージョンを作ってもらったことある
前者は、ほぼ水 糒と大根飯のエピソードといえば立花宗茂。
完璧超人と呼ばれる宗茂だが、「生活力皆無」という弱点がある。
それが現れてしまうのが、糒と大根飯のエピソード。
あれ?大根飯じゃなくた大根粥だったか? 干し飯は、ベトナム戦争時の米軍特殊部隊の主食として重宝されていたようだ。
ベトコンや北ベトナム軍の支配地域に潜入して活動したLRRP(長距離偵察パトロール)の
隊員は、ビニール袋に入れた干し飯を水か湯(沸かせれば、だが)で戻し、タバスコで味付
けして食ってた、と落合信彦の著書で読んだ。 火炎土器でメシは食えないだろ
あの装飾がジャマ
やはり祭祀用だったんだろう ※NEXCO中日本提案の事業です
日本最古のサイダー「養老サイダー」復刻。養老公園等で販売。名神SAでは期間限定販売
https://www.makuake.com/project/yoro-cider/
かつて「東の三ツ矢サイダー、西の養老サイダー」と称され
1900年(明治33年)製造開始した日本最古のサイダーで
人気を博しつつも2000年に惜しまれながら製造中止となった幻のサイダー
「養老サイダー」の復刻が、現在開催中の「養老改元1300年祭」http://www.yoro1300.com/の目玉として企画され、
クラウドファンディングにより120万の資金が集まり、10月1日より養老公園等で発売されました
ネット販売はされないとのことです
https://newswitch.jp/p/8543
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170319/201703190932_29249.shtml
http://www.pref.gifu.lg.jp/kensei/koho-kocho/kensei-hotnews/2909/170919.html
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170929/201709290832_30608.shtml
また、一緒に並んでいる「養老山麓サイダー」は、より甘味の強い商品となっておりますので
甘党の方はそちらもご賞味ください
http://www.daiichib.co.jp/goods4/
養老公園を訪れられる事がありましたらぜひ購入頂き
幻の味を味わい販売継続の一助となってはいかがでしょうか
なお、期間限定で名神高速道路の養老SA上下線でも販売されています
https://sapa.c-nexco.co.jp/sapanews?sapanewsid=5120
期間:11月5日(日)まで
遠方の方も比較的手に入りやすくなっておりますので、お見逃しなく
(養老「山麓」サイダーは上り線のみの販売となります) イルカの食用の歴史は古いのか?
今でも定量の食需要は継続してあるのか?
鮮度が良く調理法を得ている鯨肉の料理は酒肴にもってこいと言われているが
イルカは果たしてどうなのか? 柿が今年大豊作で、金土日、1日20玉ほど食い続けたら、その後便秘気味だw 柿(の数)が実りすぎて
枝がしなっている柿の木を
今年はよく見る >>471
蘇我入鹿って当時の有力者がいるぐらいだからなあ
静岡じゃシーズンになればスーパーでも売ってるよ >>474
蘇我入鹿の「いるか」という読みは海豚の当て字?
別の動物を含意しているなら、なぜさらに「鹿」を用いている? >>475
確証は無いけれど18世紀19世紀の国学者そう読んでいるから定着してしまった そう。
神武天皇=始馭天下之天皇、崇神天皇=御肇國天皇を
共に「はつくにしらすすめらみこと」とふりがなをつけたのも
平安時代人であって、両天皇の時代にはなんと読んだのか
わからないのだ。 日本人は江戸時代にも「肉」を愛食していた
肉食を忌避していたとの通説があるが…
http://toyokeizai.net/articles/-/196315 地域差があるんだよ
肉食を忌避していた地域が多いが内陸等で肉食が好まれていた地域もある、が通説 >>477
白鳳時代か奈良時代じゃないのか?
そもそも両天皇共後世の創作の可能性もあるし。 >>480
崇神天皇には逸話や史跡もあるので実在していた大王であることは確かだと思うが
春樹の「風の唄を聴け」にも出てくる崇神天皇陵には特殊なオーラがあるな。天皇の始原に関わるから
体感できるあの特殊感や、アプローチすると時雨が発生するなど、史学だけでは解明できない何かがあると
フィールドワークしたときに感じた。 >>479
畜産は大量の水と広い牧草地を必要とすることから
平地の少ない日本では規制されてたんだよ
逆に農地に適した土地が少ない東北では馬肉、熊肉、鹿肉の
摂取量が多かったらしいが >>480
日本書紀は奈良時代だけど、その編纂当時から「はつくにしらす〜」のふりがながあったはずは無い。 9世紀後半あたりから、和歌の流行で、元ネタがあるものが好まれるようになった。
所謂「本歌取」、和歌からとるものばかりでなくて、漢籍や記紀や仏典からも取る。
良い背景から一句一節とって歌いこむことが洒落ていて、受方はそのフレーズがどこから来たのかその背景・文脈はどういうものかというのが
瞬時に理解できないと無粋な無教養なわけよ。
それをやるために、漢籍でも記紀でも風土記でも仏典でもやたら読み漁るというのが、9世紀以降のお公家さん。
記紀も読み方わからんまま書写してのこしていたものが、無理やりにでもよんでやれというのが、この時期て、人名・地名を相当に無理して
読んでいる。 領内で食用牛を生産するのは
御三家の体面に関わるとかでは 昔は冷凍技術もないからすぐに腐るので
味噌漬けにしたり、干したり、燻製にしたりって加工しなけりゃいけなかった
そこら辺に彦根藩にしかわからん機密があったのだろう >>488
水戸徳川は御三家なのか?
将軍を出す家、江戸徳川、紀伊徳川、尾張徳川で、御三家ではないんかい? 将軍候補を出す御三家は江戸の宗家、尾張、紀州じゃないの?
水戸は副将軍格。
まぁ、なし崩しに御三家格になるんだけど。 普通「御三家」っていったら尾張紀伊水戸だぞ
何か間違っておぼえてんじゃないか その普通は、水戸黄門のテレビドラマが放送されるようになった、随分後の時代の普通だけれどな。 大河ドラマ吉宗でも水戸藩主が、
巷にそんな噂が流れていると綱吉に言って怒ってたな。 御三家御三卿はあくまでも分家
宗家に嫡子がいなかった場合に跡継ぎを出すという役割があるってだけ
宗家に嫡子がいれば出番はない 江戸城に女を数百人も抱えて巨大ハーレム作ってたのに、しばしば直系が断絶してるでよ。 御三家は徳川宗家、尾張徳川家、紀州徳川家を意味する場合や、尾張、紀州に駿河徳川家を加えたものを意味する場合などいろいろややこしい。
初期は将軍家に後嗣無き時は尾張もしくは紀州家から、ってことになってたし、水戸徳川家はその奏聞役で、水戸家から将軍家に直接養子は行ってないし、水戸を御三家と呼ぶのは綱吉の頃から。
慶喜はあくまで一橋家から江戸宗家を継いでる。
本来の家格から言うと、江戸宗家がトップで尾張、紀州、駿河の大納言トリオがほぼ同格、水戸や館林徳川家、甲府徳川家はちょっと下。
さらにちょっと下が田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家のいわゆる御三卿。
その下が徳川を名乗れない各松平家。
ぜんぶ引っ括めていわゆる「親藩」。
明治維新後は家格に合わせて、
江戸徳川宗家→公爵
徳川慶喜家→公爵
尾張徳川家→侯爵
紀州徳川家→侯爵
駿河徳川家→忠長一代で断絶
水戸徳川家→侯爵
館林徳川家→五代綱吉を出し消滅
甲府徳川家→六代家宣を出し消滅
田安徳川家→伯爵
一橋徳川家→伯爵
清水徳川家→伯爵
になっている。 水戸黄門の決めゼリフにもある通り、水戸は中納言で副将軍。 徳川宗家、徳川慶喜家、紀州徳川家は、現在跡継ぎがいない状態なんだよな。
どうするんだろ? 宗家は当主の息子がベトナム人と結婚したので孫はハーフになるぞ >>503
その徳川家広氏には子供がいない。
作る気が無いのかは知らんが、これから生まれるとも思えんしなぁ。
まぁ、親父で18代当主の恒孝氏自体が会津松平家から来た養子だから、別に一門から養子を迎えれば済む話なんだけどな。 その恒孝氏は養子ではあるが、歴とした家康の男系子孫。
徳川家は男系子孫がかなり残ってるな。 徳川家云々の話は
スレチジャマイカ
腰兵糧は、3日分用意するのじゃ! その恒孝氏は子供の頃に宗家へ養子に入ったが、宗家の食事が粗食で耐えられず、実家の会津松平家にたびたびメシを食いに帰ったそうだが、いったいどんな食事だったんだろうか? その人、生まれつきの大食で宗家の飯の量が足りなかっただけだ
養子になる時に、なんで家から出ないといけないんですかと父親に抗議したら
「お前は飯を食いすぎるからだ」と父親に言われたと本人が述懐していた 公爵家と子爵家で「飯を食いすぎる」と言われるって、いったいどんだけ食ってたんだ? 飯の食いすぎが何らかのマナー違反になるという時代背景は面白いな 物心がつく前に養子になってたら、宗家で普通におかわりしてたんじゃないの?
物心がついてからだから、子供ながらにも遠慮してたんじゃなかろうか 魚の片面だけ食って「替わりを持て」とか言ってたんだろ 粗食なのと食事の量が少ないのは別なのかもな。
もしかしたら徳川宗家の食事は、お浸しや野菜の煮物中心のもので、育ち盛りの食べ盛りには物足りなかったんじゃなかろうか。
分家から本家に養子に行った身としては、なかなか我儘も言いづらい。
で、たまには肉や魚も食いたくなるので、実家に行って我儘言って食ってたと。
すべてオレの想像に過ぎんし、徳川宗家と会津松平家を単純に本家、分家と言っていいのかもわからんけど。 >>502
本来なら、戊辰戦争で晒し首にされてたはずのものを、貴族に叙されて上級国民とか百年以上もやらせてもらってんだから、
もう満足しろよ。
旧弊は絶えて然るべし >>511
「居候三杯目にはそっと出し」っていつからあるんだろう 小糠三合あれば養子には行くなって言うからな。
養子とか婿は肩身が狭いもんなんだよ。 >>517
茶碗にお代わりをよそおうって室町以降では お代わりを装ってどうする。
ちゃんとよそってやれよ。 おかわりってありがたいよな
当たり前のように言ってるけど 中東はあるよね
招待客にはお代わり勧めるのが礼儀で断っても遠慮だと思われて
満面の笑みでよそってくれちゃうので腹が破裂しそうになる >>525
饗応では客が食べ残すまで料理を出し続ける国や地域は中東に限らず多いね。
日本のように残すのは失礼という所はむしろ少数かも。 中国も韓国そうだな。彼らは食べ放題でそれをやるから困ってる。
向こうでは残ったら豚の餌として、若しくは次の客に再利用だから問題ないんだが。
欧州でも少し食事をのこすのが「紳士のマナー」だったね。
残り物を持ち帰る日本はペリーが驚いたように少数派なんでしょうな フランスは残すのはマナーでもマナー違反でもないみたい
全部を食べたら料理や料理人を褒め称える行為だと思われている
パンで皿のソースまで拭き取って綺麗にすると料理人が喜ぶらしい
日本の特徴は残すと罪悪感などを伴う事だと思う
食べ物を粗末にするなと学校の給食とかで教育の一貫として行われたせいかな >>528
残り物を持ち帰るというよりは、宴席では。羹・汁物と刺身と漬物くらいしかその場で食べない、ほとんどを持ち帰る。 ちなみに持ち帰る文化ができたのはなぜじゃ?
江戸時代に生まれたんだと思うけど 1944年1月1日のイ29号の食事
朝食は(雑煮・銀飯・煮豆・数の子・煮魚・漬物)
昼食は(五目寿司・マグロの刺身・するめ・昆布巻き・数の子・煮豆・ビワ・漬物)
夕食は(銀飯・魚・フルーツサラダ・数の子・味付葉豆・すまし汁・漬物)
夜食には(ぼた餅)が付いた。
同年7月26日、米潜ソードフィッシュの魚雷攻撃を受け撃沈。 朝から毎食って、なんでそんなに数の子推しなの?
と、ピワというりは、枇杷のフルーツか? 季節が半年違うけれど? 新潟市の農村部在住ですが、年寄りが、戦前は学校から家に帰っても白米と数の子しかなかったよ、なんて言います。
あと、昔は精進日というのが有って、その日は味噌汁の出汁も煮干しを使っては駄目だったそうで、そういう日の為に「精進数の子」というのが有りました。
と言うか、今も有ります。干した大根と細切りの人参を甘じょっぱく漬けたもので、見た目と食感が何となく数の子っぽいです。
ただ、今では、ハリハリ漬けとか松前漬けとか、余所の地域の漬物の名前で呼ぶ人が大半です。 >>537
隠れキリシタンか?
確か、耶蘇教には精進日があったよな。鳥獣食べてはダメという。でも耶蘇の精進は魚食えだし。ついでにビーバーとアザラシは魚の区分 日本史板で何言ってんだ
忌日や物忌の間が精進日になるのは普通だろ 近所の準庄屋クラスの名門は近所の神社の神官を持ち回りでやるけど
そのとき神官になるまえ潔斎で食い物に制限があるね
小鳥の餌見たいの食ってる 蟹食わないとかタコが駄目とか、各地にいろいろあるよ。 タテマエとしては火を通さない雑穀や果物(干物は大丈夫)くってるが、
どうやら火を通してから乾燥とかにしてるみたいね 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
E68I6 大正四年十一月十七日於京都二条離宮
大饗賜宴 献立
一 鼈清羹 (すっぽんのコンソメ) 蝲蛄濁羹 (ざりがにのポタージュ)
一 蒸茹鱒 (ますの酒蒸し)
一 被包肥育牝鶏 (とりの袋蒸し)
一 烹炙牛繊肉 (ヒレ肉の焼肉)
一 煮熟冷鷸 (うずらの冷い料理)
一 椪柑凍酒 (オレンジと酒のシャーベット)
一 燔焼吐綬鶏 交品 鶉 生菜 (七面鳥のあぶり焼き、うずらのつけ合わせ、サラダ)
一 湯淪溏蒿 (セロリの煮込み)
一 氷菓 (アイスクリーム)
一 後段果実生菓各種 (デザート)
酒類
一 アモンチアード寒爾利酒 (セリー酒)
一 千九百年醸シャトー、イケーム白葡萄酒
一 千八百七十七年醸シャトー、マルゴー赤葡萄酒
一 千八百九十九年醸クロードヴージョー赤葡萄酒
一 ポムリーエグルノ三鞭酒 (シャンパン)
麵麭 珈琲及焼酒数品 肉類大杉で胃もたれしそう
しかも昔風のバターと生クリームたっぷりのフランス料理だろうし >>545
>一 千八百七十七年醸シャトー、マルゴー赤葡萄酒
このワインが現在に存在していたら、高級住宅街に一軒家を立てられるほどの価値があるぞ。
失楽園で川島なお美が自殺に使った名酒中の名酒。 >>536
その当時、ニシンは魚油と肥料の油粕がメインで、カズノコはおまけ的存在だった。 オリンピック中の韓国でまた犬肉騒動がオランダ選手からもたらされたようだw
日本では犬肉食は生類憐れみの令によってほぼ絶滅。
周囲で犬肉を食べたという人は、戦前、朝鮮・中国・台湾に渡っていたという人々。
どういう味だったかと伺うと、皆、固くて不味い、と。
老犬ばかり食ってたらしいw >>550
えー
戦中派は高度成長期にはいるまで食べてたよ?
赤犬が一番旨い。あとは、黒、白、ブチの順で、洋犬はあまり美味しくないとか
料理法は味噌煮とか 戦中戦後の食糧難時代に犬食いする人が出てきたってことなんじゃないの? 天武天皇の時代に犬食禁止令が出てほとんどの日本人は食べなくなったが
山岳民などこっそり食べる人たちは割といた
生類憐みの令でより厳しくなり食べる人はほとんどいなくなった
戦後の食糧難で中韓から伝わった犬食文化が一時復活したが
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