1183年11月、木曽義仲は後白河法皇が招集した朝廷軍を急襲し、これを撃滅した。(法住寺殿合戦)
 義仲は法皇を幽閉、反義仲派の公卿を一掃する人事を行い、翌1184年1月に
征夷大将軍に任ぜられて京都に幕府を開いた。
だが、歴史家は何故か、義仲の政権を幕府と呼ぶことは無い。これは一体どういうわけだろうか?
 京都幕府の存在を認めたがらない闇の勢力でもいるのだろうか?